日中友好協会の初代理事長を務めた内山完造氏。
中国残留日本人の帰国等にも尽力した。本年は、没後50年である。
日中関係が最も厳しい時代に、内山氏は多くの中国人民と友情を育んだ。
戦後の焼け野原で“平和な世にしなければ”と痛感。「日本人がよく知らなかった中国と中国人の真の姿を、
日本人に知らせることが先決問題である」と誓う(小澤正元著『内山完造伝』)。
そのため全国で講演を始めた。1年半ほどで延べ800回。
中国の習慣や文化を通し、互いの差異も心一つで乗り越えられると訴えた。
真実の姿を「知らせること」が、いかに大切か。
92歳の婦人の体験を思い出した。広島の旧習深い山間地域。
入会当初、学会のことを理解する人は、ほとんどいない。まさに村八分状態。だが負けなかった。
彼女は、池田名誉会長が誠実の二字で世界の友に理解を広げている姿に奮起。
20年前から「学会の真実の姿を直接知ってもらおう」と地域の友を座談会に招待した。
一人、二人と参加者は増え、元町長や元小学校長など名士も集うまでに。今では参加者の半数が友人だ。
正しくとも黙して語らずでは何も変わらない。果敢に真実を語りたい。
地域を結ぶ“信頼の懸け橋”として対話の波を起こしたい。(09.06.26) (奨)
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