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41.乙武さん  
名前:しま    日付:2011/9/11(日) 16:28
こんにちは。

週刊新潮の乙武氏の記事は読んでないのですが、氏のツイッターと週刊サイゾーというネット記事に、「かたわ」表現に関連して、背の高い女の人を引き合いに出す文が出てたので興味深く読みました。

彼は自身を「かたわ」と笑い飛ばしているようで、ちょっとそこら辺の考えについては、なんとも言えないのですが、こと背の高い女の人が、背が高い、と言われると傷つく、という事実を認識してますね。彼はきっと過去に背の高い女の人と会話をしたことがあって、そういう事象に気づいたのだと思います。自分自身のことは「かたわ」と笑いとばしても、目の前の相手が背が高いことを気にしてる人だったら、「背が高いですね」なんて言葉は言うべきではなく、そういうことは相手と相対する中で、相手の気持ちを察するべきだ、と言っています。ここのところに関しては、私はとても乙武さんに共感を持ちました。

ツイッターはずいぶん炎上のようで、「かたわ」というのは自分に対してだけであって、決して誰にも言って言いわけではないのは自明でしょう、と言ってますが。。

漫才コンビのしずちゃんが、「はーい、でかいしずちゃんでーす」と言いながら出てきたことは見たことがないですからね。あるいは、しずちゃんは、あの身体を、これがしずちゃんなんだ、と認識させ、でかいなどとは言わせない雰囲気を作った、のかもしれない。

ツイッターのまとめ記事
http://togetter.com/li/152112

ネットでの「週刊サイゾー」の記事です
http://www.cyzo.com/2011/07/post_8032.html



ただ、私たちが一番いやな思いをするのは、何の関係もない、初対面の人に、それこそすれ違いざまに「でけー」とか「わー 身長何センチ?」とか言われることなので、乙武さんの言う、相手との関係性で相手を表現する言葉には、気をつけるべきだ、というのは、「間に合わない」という感じなのですよね。(長年のつきあいのある人でも鈍感な輩はいますけど) でも、これは障害者にもあてはまり、やはり、すれ違いざま「びっこ」とか言う子供はいますよね。そしてそれが子供だけに傷ついてしまう・・ 

乙武さんも小学校の先生を3年間してましたが、小学生は、手を袖の中に突っ込んで、「乙武ごっこ」をしていたといいます。彼はそれを笑い飛ばしてます。ここには、小学生と乙武氏の間で、OKという関係性ができあがっていた、ということなのでしょう。ただ氏もすれ違いざま、気持ち悪い、と言われることはあり、なぜかお年寄りは彼の体を見ると手を合わせ、拝む人が少なからずいるそうです。それを氏は「見たことがなく」「慣れてないから」だと言っています。

「慣れてない」確かにそうであると思うのですが、自分とは違うので異質なものである→ある意味、freak(異質なもの) 「わー でけえ」という言葉の端にこの、見たことのない異質なもの、に対する表現の感情を私たちが感じ取るから(尊敬の念ではなく異質なものへの驚きと、排除さえもたまに感じたりするので)いやな思いをするのかな、と思いました。



42.Re: 乙武さん
名前:たかこ    日付:2011/9/13(火) 3:10
しまさん

情報ありがとうございます。
教えていただいたサイト、見ました。ツィッターというのを初めて見ました(笑)なにやら忙しそうなものですね。。。(笑)

週刊新潮の記事の内容は、教えていただいたものを集約してるみたいです。どこも大体同じことを言ってる感じ。。。
改めて読んで、確かに私が週刊新潮の編集部に書いたものは、バックグラウンドを知らなかったーたとえば、脳性マヒのお笑いコンビはテレビに出て、認知度が高まってるのですか???−ゆえに、ちょっと言葉足らずの部分はあったかも、ですが、やっぱり私の主張は、それほど的はずれではない、という気持ちに改めてなりました。

乙武さんの言ってることは正論に聞こえますが、完全に欠落してるものがあります。それは、自身のツィッターの中でも書かれてますが、自分をカタワと呼ぶことに、

「傷つく人がいるから、やめたほうがよいのでは」との声はあっても、「傷つくからやめてくれ」という当事者の声は、いまのところゼロ。「よくぞ代弁してくれた」という障害者、もしくは家族の声が、いくつか。

これから考えるに、乙武氏の発言に反応するのは健常者が99パーセントということでしょうか。つまり、社会の主流を相手にしているわけで、そこが問題なのでは、と私は自分の原稿に書きました。
自分を「カタワ」と呼ぶ自嘲する姿に、「傷つくからやめてくれ」という当事者の声はいまのところゼロ、では話にならんと私なんかは思います。要するに、乙武氏は、障害者のマジョリティからは見放されているということ???つまり、あいつは違うんだ、みたいな。それが問題なんだと乙武氏は理解していないのではないか。。それは、恵まれている人間の傲慢だ、と私は、自分の原稿に書きました。

私自身は、原稿の中で、私はこの年になっても、「太平洋にごぼう」だの「でかいなあ」という言葉を使って、自嘲しようとは絶対に思わない、それは私自身のintegrity とdignityを自分の手で傷つけることだから、と。今回、記事を改めて読んで、この気持ちをますます強くしました。

やっぱり水野さんと同じように、自分がテレビに出ている、知られている人間であるということのメリットというか価値のようなものもあると思うんですけど、また他の芸能人の方たちと僕が違うのは、僕が普通にしているだけで力を感じ取ってくださる方がいっぱいいるんですね。

こういうのを、私は彼のエゴか欲と思いますね。乙武氏がテレビに出ることでエネルギーを持っているのなら、それは、同じ障害者たちのエネルギーを高めるために使われるべき、と考えるけれど、その部分はかれのコンセプトからは完全に欠落している。。。
脳性マヒのお笑いコンビがテレビに出るようになっているのなら、単純に喜ぶべきことと私は思いませんね。
テレビに出て、お金をもらうようになったら、もう終わりなんですよ。そのあたり、乙武氏には認識がない。。。それも書きました。。

とにもかくにも、今月末まで待って、編集部から何の連絡もなかったら、私の原稿をここに載せますね。たぶん、そうなると思います。。(笑)


43.Re: 乙武さん
名前:たかこ    日付:2011/9/13(火) 3:48
あと、乙武さんが、背の高い女性たちに言及している部分ですけど。。。(この件については、私は自分の原稿では一切触れませんでした。。笑)


「背が高い」って、ただの身体的特徴を指す言葉だけど、たとえば背が高いことを気に病んでいる女の子には、使うべきじゃない。でも、だからと言って、誰も「背が高い」という言葉を「差別用語だ」とは言わないよね。言葉とは、そうして相手との関係性によって選び、口にするものだと思うんだ。

「傷つく人がいるから、公の場で使うべきでない」なら、「背が高い」「おぼっちゃま」「色が黒い」だって、公の場で使わないほうがいい。その言葉で傷つく人も、少なからずいる。でも、そんなのバカげているでしょう。目の前の相手の気持ちを考えて、言葉を選ぶでしょう。僕らには、その力がある。

例えば「背が高いですね」という言葉は一般的にほめ言葉のように使われますけど、それを言われて傷つく女の子って絶対いますよね。モデルさんやバレーボール選手なら、言われた方も喜ぶかもしれない。だけど、目の前のこの人は傷つくかもしれない。それって、みんな普通にコミュニケーションしてたら気付くことじゃないですか。そういうコミュニケーションが、対障害者になると、目の前にいる相手がどう感じるかということはスッ飛ばされてしまって、一般的に「カタワはやめよう、障害者の害の字は開こう」となる。そんな風に一概に否定するんじゃなくて、手足のある人、障害のない人と接するときと同じように、その人の前で使っていい言葉かどうか考えながらコミュニケーションをしようよっていうのが、僕が言いたいことなんです。

まず、乙武さんが、私たちの悩みについて言及してくれてることには感謝して。。。でも、私たちの悩みを理解してくれてるとは言いがたい部分もあって、私たちももっとがんばらねばならないのは。。。(笑)

1 私たちは、「背が高い」という形容詞に抗議しているわけではない。

2 背が高いは、きれいな人に使われるのであり、ブスで大きい人には、デカイ、という形容詞になるという内部事情は、乙武氏に知らせるべき。。(笑)

3 「傷つく人がいるから、公の場で使うべきでない」なら、「背が高い」「おぼっちゃま」「色が黒い」だって、公の場で使わないほうがいい。
乙武氏は、ばかげていると言ってますが、私は公の場で使うな、といいたい。つまり、身体的特徴は、いちいち言及するな、です。公の場でも私的な場面でも。。ただ、乙武氏も言ってるように、個人同士には関係性がありますから、そこはかれの言うとおりに、その関係性にまかせるべきかも知れない。でも、ある有名な落語家が、シカゴに来て、ハゲの人のことをあれこれ言ったときは、ほんとに気分が悪くなって、腹が立ちました。公の場でーつまり不特定多数の状況があるときーは、身体的特徴は口にしない、というルールを作ってもいいと思います。そういえば、一国の首相が、アメリカから来たミスなんとかのリトルさんに、ビッグだね、と言ったというニュースにも、総理官邸?に文句を書きました。(笑)とにかく、個人的関係にまかせてもいい部分もあるでしょうけど、身体的特徴は言わない、というルールを作っても、別に社会にマイナスになることはない、と私は考えます。

彼が自分をカタワと呼ぶのは、彼と、彼から提示された公との関係性となりますが、彼自身は、ほかの障害者をカタワと呼べるのか、と私の原稿の中で問いました。というのも、アメリカでは、アフリカ系の人を、非アフリカ系をニガーと呼ぶと、これは差別行為となる危険性がありますが、スパイク・リーの映画のように、アフリカ系同士がニガーと呼んでも、非アフリカ系が差別だと非難はできません。それは、カタワでも同じではないのか。。。当事者と非当事者の力関係を考えるべきだ、と私は書きました。

4 目の前のこの人は傷つくかもしれない。それって、みんな普通にコミュニケーションしてたら気付くことじゃないですか。

とんでもない。。みんな、悩んでいることを隠してきましたよね。このあたりも、乙武さんの認識に甘さがある。。。(笑)彼は、障害者だと絶対に悩んでいるという世間の思いこみに挑戦しようと、自分は、35年間、差別や偏見にあったことはない、とか言ってるのかも知れませんねえ。。。でも、言えるということが、恵まれている証拠です。。私たちだって、悩んでいる、ということが言えるようになったら、それは癒しの道に進んでいるという意味ですから。。。
乙武氏の「カタワ」の自嘲論に、「やめてくれ」という当事者の声がないというのは、やはり当事者の状況はかなり深刻なものがある???


「41.乙武さん」への返信

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