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☆過去ログ [2003年06月-2006月12月]☆[脳外科医に相談]




2605.Re: 私のパーキンソン病〜DBS体験記 -1-  
名前:とも    日付:2016年9月14日(水) 22時26分
私は電池交換手術しました。
今は充電式になりました
前は5年に交換手術でしたが
充電式になってからは10年後に
交換手術することになっています
今年3月に受けました。
プログラマーをするとERIが出てきました

2307.Re: 私のパーキンソン病〜DBS体験記 -1-  
名前:ユミコ    日付:2013年8月22日(木) 17時1分
まさに特定疾患認定のお陰です。

DBSは、パーキンソン病治療のためだけではないのですよね。失礼しました。

うちの場合は、特定疾患認定のおかげで、手術入院など、あまりお金かかりませんでした。実際いくらかかったのか忘れるほど。

病院も車で30分ほどの病院でしたから、何もかもラクでした。本当に入れたの?って夫が聞くくらい術後も痛みはなかったし。

症状もそれぞれ、手術の効果もそれぞれですので、簡単にラク、なんて言ってはいけませんね。すいません。

2305.私のパーキンソン病〜DBS体験記 -1- ユミコさまへ  
名前:管理人です。    日付:2013年8月22日(木) 13時26分
> ユミコさま 管理人です。

感想をお寄せいただき、ありがとうございます。


読者のため誤解されるといけませんから、追記いたします。
お許しください。


> お金もかからないし(3万円くらい)、

これはおそらく特定疾患認定を取得していらっしゃるからです。
DBS手術自体は私が受けた5年前の保険点数で手術代・麻酔代含めて約700万円かかりました。特定疾患の認定がないと健康保険の被保険者でも3割負担ですから、高額医療費補助を考えないとすると自己負担額は200万円余りは自分の懐を痛める必要がありました。
私が先日受けた電池交換でも保険点数上の金額は約300万円です。
到底一般人が対応できる金額とは思えません。

しかし、特定疾患を取得していれば収入にもよりますが、入院の自己負担額は一か月11,550円で頭打ちだった気がします。本当にありがたい制度です。

2304.Re: 私のパーキンソン病〜DBS体験記 -1-  
名前:ユミコ    日付:2013年8月22日(木) 11時20分
四絃さま

手術体験記ありがとうございます。興味深く読ませていただきました。
うちの夫と症状がよく似ていてとても参考になりました。

うちはこの春に手術を終え、とても良い状態です。病歴20年超で、薬も限界なので、手術に踏み切りましたが、それまでとてもとても長い間手術を嫌がっていました。ただただ、頭の手術なんて、怖い、イヤ、無理、ぜったいイヤの繰り返しでしたが、やって見たら、案外簡単で、ラク、人にもオススメって態度に変わりました。お金もかからないし(3万円くらい)、時間もかからないし(手術できるかの検査に5日、手術に二週間)。電池交換は日帰り手術OKと言われました。

今、ジスキネジアがなくなり、薬も減らせています。ただ、四絃さまの表現通り、付箋がはがれるように記憶がなくなる時があり、よだれも出るようになりました。太ったし。

その後またジスキネジアが出てきているのですか?また術後の経過をのせてください。

2303.Re: 私のパーキンソン病〜DBS体験記 -1-  
名前:四絃    日付:2013年8月8日(木) 5時46分
ふみくん、電池問題はだいじょうぶでしょうか。

私の記事については、内容の確認や言い回しなど、チェックには皆さんのお力を借りて掲載していただき、ありがとうございました。どこを直したのかわかりませんでした。

友人などに「アップル」に載ったよといいたいので、現在の形式で固定してください。これを前提に紹介させていただきます。

四絃

http://www.amy.hi-ho.ne.jp/

2291.Re: 私のパーキンソン病〜DBS体験記 -1-  
名前:四絃    日付:2013年6月28日(金) 5時40分
ふみくん、かえって混乱を招いたかもしれません。2285記載で結構です。
私の原稿は、いつでもOKです。

2290.Re: 私のパーキンソン病〜DBS体験記 -1-  
名前:ふみくん    日付:2013年6月26日(水) 17時59分
四絃さん、ふみくんです。

お待たせしていて申し訳ありません。

私自身の電池交換が急に決まりそうで、作業がなかなか進展しません。

いましばらくお待ちいただけますか。

あと確認ですが、題名は2285記載の題名でよろしいですね。
前回ご指示の題名と一部異なりますので、確認でした。

http://blogs.yahoo.co.jp/fumihikooda

2285.Re: 私のパーキンソン病〜DBS体験記 -1-  
名前:四絃    日付:2013年6月24日(月) 12時33分
コメント、ありがとうございました。私の操作ミスで読み難い状態になっていて、申し訳ありません。現在ふみくんにチェックしていただいています。直れば私の原稿は、「私はこうしてDBSを選んだ」という標題の下で、-1- -2- -3- がひとつになって、読みやすくなると思います。

2283.Re: 私のパーキンソン病〜DBS体験記 -1-  
名前:さち    日付:2013年6月21日(金) 0時3分
貴重な体験を投稿してくださりありがとうございました。
どんな手術にせよ頭の手術はとても勇気がいることですよね。
少しでも口腔機能の改善がみられることをお祈りいたします。

2269.私のパーキンソン病〜DBS体験記 -1-  
名前:四絃(ハンドル名)    日付:2013年5月20日(月) 8時20分
スタッフの方へ

原稿をお送りしたいのですが、長すぎて受け付けてくれません。
このメールの下に添付して、3回に分けて送信してみます。

あとはご相談を。

----------------------------------------------------------
 初めて投稿します。2011年の6月にDBS(脳深層部刺激療法)のための外科手術を受け、その後設定値の調整を行って二年が経とうとしています。そもそも約15年前にパーキンソン病(以下「PD」)と診断されたとき四十五歳前後であり、約十五年の病歴をもつ私ですが、本稿は最近の3〜4年のできごとに絞り、中でも読者の興味が最もあると思われる「DBS手術を受けるに至った経緯」と「手術の結果」を中心にまとめたものです。これによってより多くの方に私のPDとDBS体験を知っていただき、皆さまの治療の一助になれば幸いです。

■屁理屈
 さて、私のPD十五年の経緯はまた別の機会にお話するとして、本稿ではDBSをどうしてやることになったかから始めましょう。2011年の正月頃、私はまだ迷っていました。PDの治療が外科手術で、頭蓋骨に穴を開けて電極を埋め込むというのは、本来のあるべきものとはもう頭思えなかったからです。
 また睡眠障害が翌日の寝不足を呼んで眠れない悪循環に陥り、次の日の体調を悪化させることになります。普通の人が普通にすごす生活時間にできれば、昔のような無理はきかないでしょうが、お付き合いももっとできるでしょうし、ストレスもなく、よく寝られるかもしれないと思い、生活時間帯を少し後ろへずらせないかと思い悩んでいました。
 一方、当時主治医だったD先生は、DBSをしきりに勧めていましたが、私としては、
 @ DBSは根治療法ではない
 A 振戦に効くと聞くが私の症状にはほとんどない
 B 頭に穴を開ける手術で危険が大きい
 C 今後の本命治療は再生療法や神経保護療法である
ということを強く信じていて、D先生の話にのることができませんでした。実際はBが特に怖かったのだと思います。
 そうは言ってもDBSそのものには興味もあり、怖いもの見たさからかインターネットで調べていた頃、PD治療に関する新しい本が目にとまりました。これは最近はやりのEBM(科学的根拠に基づく医療)シリーズの一冊で、よく見ると今は某有名病院の院長になっている高校時代の同級生が「責任編集」として名を連ねていました。この本はPD治療の「ガイドライン」(2002年日本・2006年米国)の解説書ですが、薬物治療では十分な効果が現れない場合は、外科治療を検討するように書かれています。これが私の背中をDBSの方向へ押したのは、間違いないと思います。

■作戦
 そこで私は作戦を立て、外科手術に踏み切る前に薬ののみ方をもう一度見直し、工夫することで、生活時間の調整と薬効の向上を図れないかと考えてD先生に相談したところ、ふたつ返事で入院でやってみようということになり、入院日を11年の3月1日と決めました。そしてこれでうまくいかなければ、手術を受けようと決心しました。
 当時私自身の考えは、薬の総量は変えずに食事のとき動くよう半分を食前に、残りを食後にのむという方法でした。しかし先生は、朝からずっと効いているように必要な量は増やし、時間と量を調整していくという方法でスタートしました。それ自体は悪くはなく、時間でのんでいたものを食事などとの関係を明確にし、食後の服薬を軸においたものでした。
 しかしその後は私のイメージから離れていき、のむ量は増えていきました。先生は一度切れるといけないので、朝から寝るまでずっとつながるように考えている、と言われました。結果は自分の身体のコントロールがきかなくなってしまったのです。
 作戦は失敗し、私は白旗を揚げ、気持ちをDBSに切替えました。周りから見れば「はい、一丁上がり」ですんだかもしれませんが、私にすればどこかに落としどころを見つけて、今日も明日も生きていかないといけません。D先生は「ベッドが空いたので、付属病院に移りましょう」としか言われませんでしたが、それは「手術のために転院」という意味でした。

■再会
 3月22日T大病院を退院し、そのまま介護タクシーで付属病院に向かいました。家内は着替えをもって家からまわり、現地で落ち合いました。同じT大の病院でもずいぶん雰囲気が違うもので、医学部付属病院は新しくて大きく、敷居が高い感じがありましたが、入院先の病棟で待っていたのは、数年前救命センターで熱中症から救われ、その後入院のまま神経内科で処方調整時にお世話になった看護師さんたちのなつかしい同じ顔、顔、顔。まるで同窓会に出席しているようで気が楽になりました。特にその日の夜勤は前回直接の担当だったN看護師で、固い握手の再会をしました。
 お会いした主治医のE先生も、前回の入院のとき病室で1回診ていただいた方で、アドバイスをもらい、当時T大病院のB先生が「付属には三度の飯よりPDが好きなドクターがいる」と言って紹介していたことがよくわかりました。「PDの名医は処方がうまい」と聞きますが、一時11.5錠まで増えたLドパ製剤(ネオドパストンL100配合錠、以下「N」)とコムタン(100mg、以下「C」)8錠は緊急に転院したものの退院時にはN9、C8まで減らしました。そしてDBS手術は改めてスケジュールを決めることになりました。

■準備
 付属病院へ転院してからは、基本的には外科手術の準備期間でした。実際に執刀する脳外科のF先生に初めてお会いしたとき、じっとだまって長いこと患者の話に耳を傾けて聞いてくれている姿が印象的で、大事な手術をお任せしたくなりました。また、その後外来で何度か診察を受けるうちに、このF先生と主治医(神経内科)のE先生の性格の違いが大きいことがわかってきて、大きな意思決定を行うときの組み合わせが絶妙であると思いました。
 手術やその前後の話については、APPLE運営仲間の会発行のDBS体験記集『パーキンソン病患者の自由への扉』という資料を病院で借り、先の入院時に読んでいましたので、だいたいの見当はついていましたが、DBS手術の前後の比較や結果の評価、手術後の「調整」段階でのやり方についての情報はほとんどなく、とても不安でした。
 私の場合の準備は、大変大きなリスクにさらされる手術であるという認識がありましたので、A5サイズのノートを一冊用意して、日記、処方の変化、その後得られた様々な知識、その他何でもそれに書き込むようにしました。また万が一何か起きたときのために、「終活」情報も多少考え、骨格を同じノートに記入しました。またどうせ刈られるならと、先に自ら3ミリの丸刈りにしておきました。これは決断の気持ちを表
すのにとてもよかったと思います。

■手術@
 6月29日の水曜日が手術と決まったので、二日前の月曜日を入院日としました。四人部屋で担当となったL看護師が紹介された後、神経内科の担当ドクターが3人まとめて来られましたが、結局私のことを気にして最後までお付き合いしてくれたのは最も若いG医師でした。その後、脳外科のF先生が私の丸刈りの頭を触りに来て、「よし、がんばりましょう」と言ってくれました。
 翌28日は検査日。脳血流SPECTでは大理石のベッドの上で長いこと寝かされ、お尻などが痛くなりました。
 その晩から禁食になっているとは夢知らず、翌朝は気合が入って気分は朝食準備万端でしたが、いつも配膳をしてくれる係りの人を問い質したら、今日は避けているように指差して実のところを教えてくれました。手術当日は終わるまで食事はしないという病院としての決まりのようです。そんなこととはまったく知らない初手術で、気合抜けしてよけいに空腹を感じたようです。
 29日朝8時、家内現れる。オペ着に着替えて準備完了。9時過ぎにベッドのまま送り。家内の顔に向けてうなずいたが気づいたか。オペ室では大勢の仲間に明るく迎えられる。「おはようございます」というF先生の声。9時半、オペ台に移乗して部分麻酔の注射。実はこの後のことはほとんど覚えていない。後日先生から「楽しそうでしたね。焼肉の話で盛り上がったと思ったら、スタッフの英語のRの発音を直していた」と言われる。手術は18時過ぎに終了。
 この手術は、頭を固定してドリルで頭蓋に穴をあけ、脳の両側に一本ずつ電極を埋めます。先生は「ロボットでもできる」くらいやさしいと言いますが、先に撮影したMRIをもとに、コンピュータを駆使して少しずつ電極を掘り下げていく大変な作業です。実際には脳の反応を話しかけて確かめながら進めるのですが、本人は覚えていません。
 その点では私は語る資格はありませんが、気がつくと病室にもどっていました。そして口には酸素、腕には点滴、それに尿管という状態で、傷口が少し痛んでよく眠れず、鎮痛薬をもらってのみました。電極を埋めるときに脳が傷つくことになるので、その効果で病状が軽くなり「スキップしながら退院していく人もいる」という話でしたが、残念ながらその口ではありませんでした。翌朝は頭の傷口が痛み、お腹がすいて気持ちが悪くなっていて、それまで完食を続けていたのに、スープにパン片を浸して食べようとしましたが、「無理をするな」という声に一口だけでやめておきました。

■DBS手術と変化
 DBSの手術は、左右の視床下核をターゲットとして電極を埋め込む手術@と、電極発生装置に電池をつなぐ手術Aの2回があり、1回目の手術が終わると、DBSはもう始まっていました。この頃手術前と比べて変わったと感じたこととして、以下のような点を上げています。

 1)声色が変わった。
 2)オフのときでも手足が動く。
 3)ジスキネジアがほとんど出ない。
 4)筋肉のこわばりがやわらいだ。
 5)一日のうち何時間か手足のしびれ感が強くなり、力が入らない。
 6)つばが出て飲み込めず、しゃべりにくい。
 7)話がくどい。

 1)について本人は音声がぼやけたと感じていましたが、何人かに聞いてみるとむしろ「言葉がはっきりした」という人の方が多いという結果でした。2)と3)は今回手術の狙いであり、大きな効果が上がったと思います。特に3)について意外なところで変化があったのは、手術前に50キロを切ったこともある体重が、2月には52キロ、手術後の8月にデイサービスに復帰したときには55キロ、その翌年には60キロを超えるときもありました。これはジスキネジア(不随意運動)が体力を消耗させて体重を減らすという効果を出しているのでしょう。
 しかし‬すべてがよいことばかりではありません。6)はつばを「ゴックン」とのみこむ力が弱ってきているようで、ベッドに横になるとつばが流れ落ちるためか、口が楽になってしゃべることができるようになることもわかってきました。7)は直接関係はないかもしれませんが、近い記憶から付箋がはがれるようにおちていき、話そうとしている論理がこんがらがってくるのを感じるようになりました。さらに術後1年頃から、3)のジスキネジアが弱いながらも復活の兆しがあります。

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