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655.印牧邦雄著「織物王国 福井」  
名前:とんぼ    日付:2016/11/5(土) 18:50
 印牧邦雄先生にとって36冊目となる著書「織物王国 福井」が出版されました。本年に入って「五大講話集」(1月)、「あわらの歴史と文化」(4月)、「わが古里の川」(9月)に続き4冊目です。

 昭和26年(1951)、今から65年前、福井市足羽山古墳群中(4〜6世紀に形成)、四基の古墳が発掘調査されました。印牧先生も委員として参加されております。そのうち山頂古墳について調査された竜ヶ岡古墳(たつがおかこふん)の内部に男女 2体の人骨と鏡・剣・玉類など優秀な副葬品が納められていました。それらの副葬品は布に包まれていたそうです。その布を福井大学工学部で検査したところ、平織りの絹織物だったそうです。

 西暦300〜500年、越前の有力豪族たちは絹をまとっていたのです。

 あわら市について述べるなら、平安時代後期から織田政権が成立する頃まで(中世)、旧坂井郡坪江村(現坂井市丸岡町坪江・川上)からあわら市東山・南疋田・北疋田一帯にわたる地域は、奈良興福寺兼春日社領坪江庄の上郷にあたる地域でした。

 集落はおおむね山麓地帯に立地しており、荘園領主に税として納めたものに御服(ごふく)・綿(真綿)があり、養蚕のための桑の栽培が行われた地域でした。特に御服は、越前絹織物のルーツの一つとされています。
古代から中世にかけて越前でも絹、綿織物が生産されていたのです。

 ただ、織物生産は全国各地でも行われており、越前が特筆すべき産地であったわけではありません。福井県で繊維産業が発展したのは、明治初期から、殖産興業として位置づけ、士族授産事業として織物業振興策が図られ、織物産業先進地の京都、桐生から積極的に技術導入を図ったからです。

 明治、大正期、繊維産業のなかでも輸出羽二重は花形製品でした。羽二重生産には湿潤な気候が適しています。その条件に当てはまるのが福井県の気候でした。先進地であっても乾燥した京都、桐生よりも良質な羽二重が生産されたのです。これに着目したのが、当時財力のあった豪農でした。豪農が織物産業に進出し、先鞭をつけたのです。

「織物王国 福井」はその過程をわかりやすく解説しております。
非売品ですので購入はできません。冊数が少なく、希少本ですが金津図書館には置く予定ですので、興味をお持ちの方ご覧ください。

 印牧先生は現在「彦主人王(ひこうしのおう)と男大迹王(おをほどのおおきみ。継体天皇)」を執筆中で、年内に上梓(じょうし)される予定です。
男大迹王の父・彦主人王は近江国高島郡三尾郷(現滋賀県高島市)を地盤とする三尾一族の出とされてきましたが、近年三尾一族はあわら市・坂井市を地盤とし、後に近江に進出という説が浮上しました。

 奈良時代、あわら市に三尾という地名があり(あわら市中川周辺)、加えて広大な古墳群があわら市、坂井市、松岡、永平寺町にまたがって存在しています。
これらは三尾一族、ならびに継体の末裔(三国氏)の墳墓との説が有力です。

 印牧先生は著書で三尾一族の発祥地はあわら市・坂井市とする根拠を示されております。

 それにしても信じられない程のハイペースで著書を出版されています。先生は70年に亘り考古学、歴史学、郷土史学に携わってこられました。蓄積された知識を後世に伝えたいとの思いが、94歳の先生を突き動かしています。
 


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