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5998.台湾へ  
名前:五十嵐    日付:2020/1/16(木) 23:40
台湾小紀行、一応里帰りその2


 2日目は台湾新幹線で一路南下して最南端の高雄へ。この新幹線はフランスが受注して工事を進めていたらしいがトラブルが多く契約を途中で破棄して途中から日本のJRに発注したという。したがって日本の新幹線に乗っている気分だが日本の新幹線より座席の間が広く足の長い私がトランクを足元においても十分余裕がある。電光掲示場も次の駅に近づくと案内表示されるだけ、たえずニュースが流れる日本の新幹線よりおとなしい。沿線の風景は次第にヤシに似た檳榔樹が見られる南国の雰囲気になり1時間半で終点高雄着。外は台北よりかなり暑い。
 バスで蓮池潭へ、広い蓮池のほとりに竜虎の像があり竜の口から入り虎の口に出るとお金がたまるという塔を抜ける。滞在わずかで台南の赤嵌楼へ移動。ここはオランダ人が身を守るために作った城跡で今も発掘中だった。またバスに乗る。今日は台北(新幹線)高雄(バス)台南(バス)台中と大移動、バスだけでも380キロ走るというので各地の滞在時間は短い。夕方、ふるさと台中に到着。立派なホテルで我々夫婦の部屋はダブルベッドが2セット、シングルベッドが1セット、ソファーベッドが一つ、それにキッチン付きの大きな部屋だった。夕食を終わらせ逢甲夜市散策に出かける。この屋台村は逢甲大学の学生さん相手に安くておいしいハーストフードを提供し始めたのが起源という。なんだか京都の湯豆腐が貧乏な学生のために始まったのとよく似ている。ガイドの徐さんに連れられて雑踏を歩く。徐さんはおすすめのタピオカの屋台とこしょう餅の店に連れて行ってくれた。いずれも食べてみるが夕食はすでに終わっていたのでもうお腹には何にも入らないし徐さんから離れるとホテルに帰れないのでみんなは金魚の糞のように徐さんついて回る。結局、屋台街の散策後半は各自で自由散策してもいいとのことだったが最後まで徐さんに連れて歩いてもらった。
 その後台中駅(旧駅舎)に行く。台中駅も東京駅の設計者、辰野金吾が設計者なので雰囲気がよく似ている。そんなことより父母と兄、私がここから旅立って日本に帰った駅なのだ。私は何にも覚えていないが若い夫婦が子供二人を連れてまだ落ち着き先も決まっていない不安な旅立ちだったはずだ。ガイドの徐さんに私の家族は台中市の木ノ下町(日本名の住所、今はこの地名はもちろん使われていない)に住んでいたというとそれならこの駅の付近のはずですよと教えてくれた。32歳の若い父と28歳の若い母が苦労して建てた家があったのがこの付近だったという。土地65坪、家35坪の小さな家はどうなっているだろうか。そんなことを考えながら立ち去りがたく駅前広場にぼーっとたたずんでいた。当時5歳だった兄はこの地を再び訪れてかつての旧居を確認したといっていた。広いと思っていた家の前の道が実際は狭い路地だったと言っていたがこの兄もすでに2年前に他界したので確認しようがない台湾小紀行、一応里帰りその2


 2日目は台湾新幹線で一路南下して最南端の高雄へ。この新幹線はフランスが受注して工事を進めていたらしいがトラブルが多く契約を途中で破棄して途中から日本のJRに発注したという。したがって日本の新幹線に乗っている気分だが日本の新幹線より座席の間が広く足の長い私がトランクを足元においても十分余裕がある。電光掲示場も次の駅に近づくと案内表示されるだけ、たえずニュースが流れる日本の新幹線よりおとなしい。沿線の風景は次第にヤシに似た檳榔樹が見られる南国の雰囲気になり1時間半で終点高雄着。外は台北よりかなり暑い。
 バスで蓮池潭へ、広い蓮池のほとりに竜虎の像があり竜の口から入り虎の口に出るとお金がたまるという塔を抜ける。滞在わずかで台南の赤嵌楼へ移動。ここはオランダ人が身を守るために作った城跡で今も発掘中だった。またバスに乗る。今日は台北(新幹線)高雄(バス)台南(バス)台中と大移動、バスだけでも380キロ走るというので各地の滞在時間は短い。夕方、ふるさと台中に到着。立派なホテルで我々夫婦の部屋はダブルベッドが2セット、シングルベッドが1セット、ソファーベッドが一つ、それにキッチン付きの大きな部屋だった。夕食を終わらせ逢甲夜市散策に出かける。この屋台村は逢甲大学の学生さん相手に安くておいしいハーストフードを提供し始めたのが起源という。なんだか京都の湯豆腐が貧乏な学生のために始まったのとよく似ている。ガイドの徐さんに連れられて雑踏を歩く。徐さんはおすすめのタピオカの屋台とこしょう餅の店に連れて行ってくれた。いずれも食べてみるが夕食はすでに終わっていたのでもうお腹には何にも入らないし徐さんから離れるとホテルに帰れないのでみんなは金魚の糞のように徐さんついて回る。結局、屋台街の散策後半は各自で自由散策してもいいとのことだったが最後まで徐さんに連れて歩いてもらった。
 その後台中駅(旧駅舎)に行く。台中駅も東京駅の設計者、辰野金吾が設計者なので雰囲気がよく似ている。そんなことより父母と兄、私がここから旅立って日本に帰った駅なのだ。私は何にも覚えていないが若い夫婦が子供二人を連れてまだ落ち着き先も決まっていない不安な旅立ちだったはずだ。ガイドの徐さんに私の家族は台中市の木ノ下町(日本名の住所、今はこの地名はもちろん使われていない)に住んでいたというとそれならこの駅の付近のはずですよと教えてくれた。32歳の若い父と28歳の若い母が苦労して建てた家があったのがこの付近だったという。土地65坪、家35坪の小さな家はどうなっているだろうか。そんなことを考えながら立ち去りがたく駅前広場にぼーっとたたずんでいた。当時5歳だった兄はこの地を再び訪れてかつての旧居を確認したといっていた。広いと思っていた家の前の道が実際は狭い路地だったと言っていたがこの兄もすでに2年前に他界したので確認しようがない


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