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GONsan's “気まぐれ掲示板”

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9991.10/18(日)は、午後から蔵王山を散策でした(^.-)☆(5)  
名前:GON    日付:2020/11/20(金) 18:9
 蔵王山の頂上に到着しますと、先客お二人が休憩所で談笑しておられました。
 お二人の漏れ聞こえます会話に耳を傾けておりますと、お二人とも定期的に蔵王山に登っておられ、その際に何度か遭遇され、いつしか親しくなられましたご様子でありました(^.-)☆
 頂きには「二等三角点」の柱石が…

 ◆三角点

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 三角点(さんかくてん)とは三角測量に用いる際に経度・緯度・標高の基準になる点のことである。標高については別途、水準点も基準となる。

 ・一等三角点:設置間隔は約40km、必要に応じて約25km間隔の補点が設置される。全国に約1,000点。柱石の一辺は18cm、破壊や破損に備えて、柱石の直下には2枚の盤石も埋設されている。
 ・二等三角点:設置間隔は約8km。全国に約5,000点。柱石の一辺は15cm、破壊や破損に備えて、柱石の直下には盤石も埋設されている。
 ・三等三角点:設置間隔は約4km。全国に約3万2,000点。柱石の一辺は15cm、破壊や破損に備えて、柱石の直下には盤石も埋設されている。現在の技術水準では、2万5千分1地形図を作成するための位置の基準は3等以上の三角点で充足される。
 ・四等三角点:設置間隔は約2km。全国に約6万9,000点。柱石の一辺は12cm、破壊や破損に備えて、柱石の直下には盤石も埋設されている。地籍調査又はこれに相当する調査の測量の基準点として、国土交通省土地・水資源局国土調査課の委任を受け、国土地理院が設置する。
 ・五等三角点:1899年(明治22年)に国土地理院の前身である陸地測量部が「海中の小岩礁の最高頂を観測し、其の概略位置及高程を算定し、之を五等三角点と称すること、尋て市街地の高塔等亦之に準することに定めたり」とあり、三角点標石を設置するのが困難な小岩礁はその最高点を五等三角点とし、火の見櫓や煙突等の市街地の高塔もこれに準じた。長らく五等三角点の新設は行われておらず、四等三角点以上への切り替えや廃止が行われたため、現在は下記の沖縄県の小島の2か所が残存しているのみである。

 蔵王山頂上からは、福山市内の眺望が楽しめますので、画像に納めながら暫し休憩となりました。

 ◆蔵王山(広島県)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 蔵王山(ざおうざん)は、広島県福山市中心部にある標高226mの山。福山市内をカバーする各社の放送送信設備があり、南山腹は「蔵王憩いの森」として遊歩道が整備されている。

 ・備考

 NHKでは、尾道市の高見山にある備後地区基幹局を「福山局」と称しているため、当中継局のことを地上アナログテレビジョン放送では「福山蔵王局」と、FMラジオ放送では「福山南局」と称している。
 地上デジタルテレビジョン放送福山局およびコミュニティFM局のエフエムふくやま本局は、アナログテレビ放送の福山西中継局がある彦山に設置されている。
 3・5・11チャンネルは岡山県の金甲山送信所が、7チャンネルは尾道市の高見山が使用している。このため、垂直偏波による発信を行っているものの、時に混信が生じる。従い、視聴エリアは広くなく、良好に受信できるのは僅かな地域に限られる。よって、尾道市の備後地区基幹局の難視聴対策としての中継局の性格が強い。
 上記のように混信がひどいからか、福山市内でもアナログテレビ放送も福山西中継局を受信している世帯が多かったりする。
 当中継局の近くでも良好に受信できずに高見山局を受信している世帯もある。しかし、NHK教育テレビのチャンネルが当中継局の中国放送福山局と同じ7チャンネルであり混信障害が起きるため、福山東中継局を受信している。
 2010年に入ると「高見山」と「彦山」の両方がカバーできない地域向けのデジタル中継局が当地に開設された。詳細は福山南デジタル中継局を参照。

 ◆蔵王山城跡(福山市千田町)

 --- http://www.bes.ne.jp/forum/bingoohrai/taguti_teacher/020/index.html ---

 春の花見や秋の紅葉狩りで福山市民に親しまれている蔵王山も戦国時代の山城跡の一つである。私事になるが、私が歴史、特に郷土史に興味を持つようになったのはこの城跡のお陰?である。中学生の頃のことだが、ある日学校の図書室で本を見ていると、「備陽六郡志」という古めかしい本があり、開いてみると「千田村 古城一カ所平賀安芸守」の文字が目に飛び込んできた。「ええー、千田にお城があったの。」それまで城と言えば福山城や姫路城しか頭になかった私は、こんな身近な所に城跡があるのを知り、新鮮な驚きを覚えた。これが私の「郷土史開眼」である。

 蔵王山に登ってみると、山頂に200坪ほどの平地があり、南に段々に均された部分がある。これが戦国時代の山城の跡である。以前は崩れ残った石垣もあったそうだが、今ではほとんど見ることが出来ない。城主と伝わる平賀隆宗は、戦国時代安芸の国高屋保、現在の東広島市東部に勢力を持った武将で、本来はこの地域とは縁もゆかりもない人物である。それが何故蔵王山に城を築いたかというと、神辺城を攻めるためである。天文年間、福山地方は神辺城をめぐって尼子・大内が激しく争った。この時、隆宗は大内方の武将として尼子方の神辺城を攻めたのである。蔵王山の山頂に立って北を眺めると、神辺城跡の本丸が眼下に見える。

 隆宗はここに砦を築き、神辺城の糧道を絶ち、激しく攻め立てた。神辺城が落城したのは、天文18年(1549)の9月のことである。
 また、蔵王山は、古代の謎の山城「茨城」に推定されていることでも知られている。茨城は古代大和朝廷が唐・新羅の連合軍に対処するために築いた古代山城で、この山には「地王山」という山頂から西南の、今は山麓に下りている医王寺の旧跡と伝わる場所で奈良時代の瓦が発見されており、茨城跡の可能性が主張されている。古代・中世のロマンを秘めた山、それが蔵王山である。













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