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おもちゃの ちゃちゃちゃ 

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6285.球磨川石人形  
名前:茶々丸    日付:2013年1月12日(土) 15時13分
Original Size: 600 x 450, 24KB Original Size: 600 x 450, 19KB Original Size: 600 x 450, 26KB

昔のみやげ人形ですが、九州産なので拾っておきました。
高さは3pと3.5pで、小さなものです。



6286.球磨川石人形
名前:茶々丸    日付:2013年1月11日(金) 23時45分
Original Size: 640 x 480, 81KB Original Size: 640 x 480, 79KB Original Size: 640 x 480, 75KB

栞に人吉の住所があり、平家の落人が主題なのかも知れません。
平家と言えば、大河ドラマの「平清盛」は、これまでの最低視聴率だったようですが、
僕にとっては紛れもない最高傑作で、初めて全編を視聴しました。
ネット上にも悪評判が並んでいますが、坂東玉三郎だけは絶賛しており、少し安堵しました。

■歌舞伎俳優で人間国宝の坂東玉三郎さん(62)は自身の作品の会見で「平清盛」に言及し、
「本当によく時代考証をしている」と絶賛した。「衣装の質感が素晴らしい。
あの平安の衣装を着物を着たこともないような現代の若者に着せて違和感がないのは、すごいことです。
かつらもちゃんとしている(小さく、実際に近い)し、『そなた』という発音(アクセントが『な』にある)も清盛だけ」。
そして「私はほとんど大河ドラマを見なかったが、清盛は見ている。
でも視聴率が上がらないというから、世の中、皮肉ですね」とも。
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/special/tamasaburo/01.html



6287.Re: 球磨川石人形
名前:ビクトル    日付:2013年1月13日(日) 18時0分
茶々丸さん
こんばんは
石人形ですか。
自然の形を利用して作られているのですね。
上手に作られています。最初は、おひな様かと思ったのですが、平家の落人かもしれないというのは、そんな感じがします。


6290.球磨川石人形
名前:茶々丸    日付:2013年1月13日(日) 22時50分
Original Size: 319 x 169, 10KB Original Size: 280 x 430, 71KB Original Size: 539 x 298, 53KB

ビクトルさん

人吉民芸のキジ馬や花手箱は、信憑性はわからないのですが、
平家の落人にゆかりがあると聞いたような気がします。

■検索
寿永4年(1185年)壇ノ浦の戦いで平家は滅亡。
貴族文化も終わりをつげますが、物語はここからが始まりです。
平家の一部は、難を逃れて九州に渡り、球磨の領主矢瀬氏を頼り、さらに人吉地方の奥地に落ちのびます。
言い伝えによれば、人吉地方に落ちのびた平家の人々が、
栄華の夢のなぐさめに木地桐木(きじざつ)作りを始めたのが、花手箱の由来。
人吉地方は、また木地師の里です(木地師は、日本国中の良材を得る特権を持った誇り高い職業集団)。
木地師の歴史は古く、職祖(しょくそ)とされる「惟高親王(これたかしんのう」(849〜897)の伝説も日本各地に残っています。
京の都に縁があり、職業集団として強い団結力と日本国中の山間部を移動し集落を築く木地師。
平家の落人と木地師のつながりが、南国の人吉地方に文化を生み出したのかもしれません。人吉地方の人々は民間工芸として”花手箱”を長く守ってきました。

■『きじ馬』の頭には、必ず『大』という字が書かれています。
これは、大塚地区の製作者の家の養子になった若者が秘伝を盗んで逃げ去り、後世その罪滅ぼしと、養家への感謝をこめて、書くようになったものだとか、
また一説には、京の都の大文字焼き(五山送り火)を偲び、幸運を祈って『大』の文字を刻んだといわれています。



6409.球磨川石人形
名前:茶々丸    日付:2013年3月15日(金) 20時57分
Original Size: 600 x 450, 48KB Original Size: 298 x 220, 65KB

この鯛恵比寿も、絵の雰囲気からすると、球磨川かも知れないです。

球磨川石人形は、昭和4年に、当時75歳だった「隈部元彰」画伯が創始され、
人吉市大工町45「球磨川石人形製作所」(隈部寛文氏)で制作されていたとのことです。
農民美術の系統と思われ、東京帝国工芸会や富民協会の展覧会でも受賞、皇室や各宮家にも献納されたと上記の栞に記されています。
現在、人吉市内には隈部姓は3軒あるものの、人吉市大工町45番地には隈部姓はなく、
3年前まで、人吉市東間下町で石人形が作られていたようです。



「6285.球磨川石人形」への返信


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