奥伊根の温泉別荘地に、「勝手に師匠」と思っているzenさんの別荘がある。海を見下ろす松林に点在する別荘地には、管理棟が別荘地の総合案内の玄関口を兼ねてあるものの、管理人の姿もなく、静まりかえっていた。海側と山側に馬の鞍状の丘陵となっている谷を見下ろす傾斜地に、zenさんの別荘はある。かなり急傾斜でとても家など建てられそうにもないこの土地に、こうするしかない見本のような建物が、おかれている。 コンクリートパイルを打ち込んで張り出しテラスの上に建てたというより置かれているようなログハウスだった。谷側にまわりこんでみるとその基礎となっているむき出しのパイルの長い足と、さらにその上に基礎パイルの頭にあらかじめ打ち込まれているボルトをアンカーとして、むき出しの大木をボルトで直接固定しているのが見て取れる。下から見上げると、手すりの隙間から子供が身を乗り出している姿に、思わず「危ない!!」と声を出してしまうほど恐ろしげな基礎の上に立っているだ。しかも張り出したベランダの床板は、隙間が空いているので、足下の傾斜も目にはいるはずだが一向に怖がる様子もない。 谷側からの登りは、急峻で帰り道は容易ではない急斜面だった。ようやく玄関口に戻ると、「特級の風呂桶に湯が張れたさかい入りーや」というzenさんの声に誘われベランダに出てみて驚いた。風呂桶は西宮の酒蔵から用済みとなった酒樽を手に入れたという。間口1間半ほどはある木製樽である。見晴らし抜群のベランダに、最近まで特級酒を作り続けてきた酒樽に、ホースで1時間30分かけて温泉を流し込んでくれていたのだ。夕刻過ぎて陽が傾き、やがて満天の星空に月の光を浴びながらの酒樽風呂は、裸のつきあいにふさわしいシチュエーションながら、そこまでのつきあいを望まない女性陣に敬遠され、満タンになったところでホースの熱いお湯は内風呂に使われてしまった。そのため、すこーし趣向の醒めかけ気分と同様、風呂桶内も「ぬるめの燗」になっていました。 ここで生まれたのがマーエーヤンキスト同盟の喜楽人(怒抜け)仲間でした。
奥伊根の別荘は、もう無くなっているかもしれません。「伊根」の地名に想起した1970年代の終わりの頃の一こまでした。
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