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若鷹の掲示板2 (学会員専用)
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1239.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/5/14(木) 10:23
「不自由のなかにこそ、本物の自由へと至る道があるのかもしれませんね」と青年は語った。

山本兼一作『火天の城』(文春文庫)にふれての感想である。

安土城を築く城大工たちの物語だ。織田信長の要求は、南蛮風の前代未聞の天守閣。

その難題を、総棟梁・岡部又右衛門は、一歩も退かず受け止める。

どんな注文にも、又右衛門は決して「できない」とは言わなかった。

勇んで引き受け、全知全能を傾けてこそ「番匠(=大工)としての自分の才能がすべて開花させられる気がした」からである。

作者は総棟梁の人となりをそう描く。

自分の力は、自分で測れない。どうしても小さく見積もりがちだから。

苦労の壁にぶつかると人はその手前に限界線を引いてしまう。壁を突破するには力強く背中を押してくれる人が必要だ。

「城は腕で建てるのではない。番匠たちの心を組んで建てるのだ」との又右衛門の思いも、読み手の胸を打つ。

“心の団結”も大偉業には欠かせない。

安土城はしかし、3年しか持たなかった。本能寺の変の後、やがて戦火に包まれた。

我ら創価の「民衆城」は不滅である。

師弟の絆をたもち、いかなる苦難も“成長へのチャンス!”ととらえ、

日々前進する青年の熱と力がある限り――。(09.05.14) (栄)

1238.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/5/13(水) 10:55
総京都青年部が、「5・3」を目指し、友人に本紙(聖教新聞)や、その切り抜きなどを手渡し、

読んだ感想を寄せてもらう「聖教メッセージ運動」に取り組んできた。

3カ月で、6万通を超すメッセージが寄せられた。「青年を励ます言葉が紙面にあふれており、希望がわいてくる」

「悪人を攻める強い言葉にも、一人の人間のことを大切に思う心が感じられる」など、大きな反響を広げた。

多かったメッセージに、「学会のイメージが変わった」という内容がある。

その理由は、池田名誉会長が世界から賞讃されている事実を知ったからだ。

“創価の真実を知ってもらいたい”――。その熱き思いと勇気が、誤解や無認識を共感に変えたのだ。

御聖訓に「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(御書502ページ)と。

日蓮大聖人の対話は、終始一貫、「攻め」の姿勢である。

勇敢な「師子吼」が、周囲の心を揺り動かす。対話の最大の障害は、自らの「臆病」である。

高邁な理想も、決して自動的に広まるものではない。

正しいことは正しい。こう厳然と言い切る行動が、善の連帯を拡大する。

その確信を胸に、堂々と正義の対話に打って出たい。

信念の“メッセージ”が地域・社会を大きく変えていく。(09.05.13) (芯)

1237.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/5/12(火) 10:28
「核兵器のない世界」を実現したい――米オバマ大統領の演説は、各国に波動を広げた。

今、国際社会には核軍縮への新たな潮流が生まれつつある。

そうした中、先月、オスロでSGI主催の“核兵器廃絶への挑戦展”が開かれた。

「人間の精神性を高め、希望を与える展示」など大きな反響が寄せられた。

実は、オスロでSGIが展示を行うのは初めてではない。

1984年に“核の脅威展”、91年には「戦争と平和展」を開催している。

「ソウカガッカイ」は、核廃絶へ尽力する国連関係者やNGOの間では、すでに世代を超えて知られる存在だ。

平和運動を長期にわたって続けるのは容易ではない。一時は盛り上がっても現実のさまざまな困難から挫折する例も多い。

その中で創価学会が半世紀もの間、平和運動を継続してこられたのは、なぜか。

それは牧口初代会長の軍国主義との闘争、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」という不動の原点があったからだ。

何より池田SGI会長が恩師の理念を余すことなく受け継ぎ、行動してきたからである。

どんな運動も社会を動かす巨大な奔流となるには、世代を超えた「精神の継承」が必要となる。

時代を超え、逆境を破って進みゆく原動力――それが「師弟」である。(09.05.12) (駿)

1236.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/5/11(月) 10:45
東北は今、田植えの季節だ。岩手の農村部の友と懇談した折、「東北の米が、沖縄に救われたことがある」と聞いた。

1993(平成5)年の記録的な冷害。全国的に稲は凶作に見舞われた。中でも岩手県の稲作は壊滅的だった。

多くの農家が、翌年のための種もみすら確保できなかった。

“冬でも温暖な南の島で、何とか増やせないか”――岩手県の要請を沖縄県が快諾した。

二期作を行っていた石垣島の農家は“大変な時こそ助け合いを”と、島の水田の5分の1を提供。

種もみを2トンから116トンに増やすことができた。

岩手へ持ち帰られた種もみによって、その秋には大豊作に。この米は公募で「かけはし」と命名された。

以来15年、岩手県と沖縄県の交流は今も続く。品種改良の技術開発のみならず、

スポーツや文化、学校同士の交流など、互いに学ぶところが多いようだ。双方に価値を生んでいる。

困った時にこそ、助け合わなければならない。その助け合いの姿を、私たちは日々の活動の中で日常的に目にする。

きょうから座談会の週。

座談会では、同志の体験を聞いて、さらなる前進への決意を固める友がいる。力を得る友も。

皆の心の「かけはし」となる座談会を機に、一人一人が成長の軌跡を刻んでいきたい。(09.05.11) (仲)

1235.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/5/10(日) 11:1
円錐を横から見れば、三角に見える。それと同じように人生における出来事も視点によって異なる。

一つの面から見れば正しいことも、ほかの面から見ると違う場合がある。

派遣社員として奮闘する青森の男子部員。正社員を目指し、だれよりも懸命に働いた。無遅刻無欠勤。

まじめさには自負があった。迎えた昇給の時期。ほかの派遣社員が昇給した。なぜ? 納得できず退職も考えた。

学会の先輩を訪ね、思いの丈をぶつける。「君の言うことは分かる。でも、君自身にも反省する点はなかったかい?」。

はっとした。自分の正しさだけを頑なに信じていた。

唱題しながら、自らに固執するあまり、周囲との協調性を欠いていたことに気付く。

彼はその後、忍耐強く働き、正社員に。

視点が変われば生き方も変わる。だが、一人でそれに気付くことは難しい。フランスの哲学者・パスカルは指摘する。

彼がその物事をどの方面から眺めているかに注意しなければならない。彼が見る方面からは真である。

それを認めた上で、誤っているほかの面を見せることだ、と(前田陽一・由木康訳)。

相手がどの視点から物事を見て悩んでいるのか。

それを理解し、新たな側面に目を向けさせる。ここに個人指導の一つの方途がある。(09.05.10) (時)

1234.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/5/9(土) 10:37
毎年5月に開催される「プラハの春音楽祭」は、チェコの国民的作曲家・スメタナの交響詩「わが祖国」で幕を開ける。

他国からの圧政に苦しむ祖国の人々を励ましたいと作曲された曲だ。

当時、彼は聴力低下と闘っていたが、

“愛する民衆に、生き抜く勇気を届けたい”との信念が、困難の壁を破り、不滅の名曲を生んだのである。

本年1月、本部幹部会で、勇壮に演奏した音楽隊員。決意に奮い立つ彼に届いたのは会社倒産の危機の知らせ。

が、彼は「苦しみ悩む友に希望と勇気を与えるのが音楽隊の使命」と奮起。

倍する熱意で仕事に徹し、学会活動にも奔走した。

やがて、状況は好転。会社も発展の軌道に。彼の仕事ぶりは、異例の昇進で遇された。

メンバー一人一人に、勝利と成長のドラマがある。

音楽隊の演奏に私たちが感動するのは、困難と格闘し、勝ち取った信心の大歓喜が、音に込められているためだろう。

昭和29年春、仙台の青葉城址で戸田第2代会長は「学会は人材をもって城となす」と宣言した。

恩師の師子吼に呼応し、真っ先に池田名誉会長のもとで結成されたのが音楽隊だった。

きょう9日は「音楽隊の日」。55周年の佳節を刻む。

人生勝利の旋律を奏で続ける友に喝采を送りたい。(09.05.09) (城)

1233.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/5/8(金) 10:11
タクシー乗務員の教育係を、長年やっている方によると、

頻繁に事故を起こしたり、営業成績が伸びない人は、だいたい入社初日で分かるという。

何も言わずに、まず洗車させてみる。それがいい加減な人は、何をやらせても結局、いい加減だからだそうだ。

これは万般に通じる教訓だろう。

カー(車)用品専門店を、全国規模に発展させた創業者が、徹して続けてきたことがある。

それは「掃除」。ともすると人は、平凡なことを軽くあしらいがち。

難しくて特別なことをしなければ、成果が上がらないと思い込む人もいる。

だが、その創業者は言う。

「平凡の積み重ねが非凡を招くようになっています」(鍵山秀三郎著『ひとつ拾えばひとつだけきれいになる』)。

新年度が始まり、はや1カ月。新社会人の挑戦する姿がさわやかだ。

一方で、厳しい社会の現実に、戸惑っている人もいよう。だが、立ち止まっていては、何も進まないままだ。

池田名誉会長は先日、新社会人に3指針を贈った。
(1)清々しい挨拶を!
(2)朝に勝とう!
(3)愚痴をこぼさず前へ!(「随筆 人間世紀の光」<フレッシュマンの輝き>)。

地道に、誠実に、この指針を本気で実践し続けよう! 手応えある、人生の景色が広がるはずだ。(09.05.08) (誠)

1232.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/5/6(水) 14:0
「勝つために、競って、競って、競い続けている。それが私の人生なんです」。

「女性スポーツ史上最強」といわれた米国のベーブ・ディドリクソン・ザハリアス選手の言葉である。

万能の選手。ロサンゼルス五輪(1932年・昭和7年)では、槍投げと80bハードルで金、走り高跳びで銀。

バスケットボールでは全米代表に3度、選ばれた。

野球では、投手として大リーガーと対戦。ゴルフでは、全米女子オープンなどプロ31勝。

50年にAP通信社が選んだ「20世紀前半最高の女子選手」にも輝いた。

彼女は「上達しつづける限り、引退はしません」と語っていた。

ゴルフ全米女子で3度目の優勝は、がん手術の後のこと。

引退どころか、むしろ「障害がないと、ベストの力が出ない気がします」と、

40代で早世(早死に)するまで引退しなかった(『20世紀を感動させた言葉』)。

「生涯現役」「一生涯戦う」。こう決めた人に「引退」の二字はない。

池田名誉会長は先日の本部幹部会(4月22日)で、スポーツ部の友に語りかけた。

「たとえ選手として『引退』はあっても、人生に『引退』はない」と。

どんな障害を前にしても、敢然と進もう。輝く新緑のように、若々しく、生き生きと。

わが「ベストの力」を奮い起こしながら。(09.05.06) (鉄)

1230.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/5/5(火) 10:15
日本で、もっとも高い富士山は、いにしえより多くの人が、その雄大さ、美しさを記してきた。

日本最古の和歌集『万葉集』には、富士を詠んだ歌が、いくつも収められている。

平安時代に編まれた『古今和歌集』にも富士が登場する。興味深いのは藤原忠行が燃える恋に例えて富士を謳っていること。

当時は、富士山が噴火していた時代。火山として描かれている。

一説によると、富士は約10万年前に誕生した。火山の寿命からいうと、富士は、まだ若い青年期なのだそうだ。

現代では悠然とそびえ立つイメージが定着しているが、

じつは、その地下には今でもマグマが赤々とたまっているのである(『富士燦々』角川書店)。

かつて、池田名誉会長は、未来部の友に文豪・吉川英治の言葉を贈った。

「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、

黙って、自分を動かないものに作りあげろ」(『宮本武蔵』から)。

名誉会長が小学生のとき、担任の教師に読んでもらった小説の一節である。

富士のような堂々たる自己を築き上げるには、その根底にマグマのごとき大情熱が必要である。

きょうは「創価学会後継者の日」。

後継の友の心に、赤々と燃える“情熱の炎”を点火する日としたい。(09.05.05) (正)

1229.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/5/4(月) 9:7
嵐の昭和54年(1979年)前後、数々の学会歌が誕生。

その歴史を綴ったシナノ企画のビデオ「歓喜の歌声 獅子の舞」が感動的だ。

DVD版には資料映像がついており、名誉会長の「威風堂々の歌」の指揮に合わせ、皆で歌うこともできる。

東京のある本部の壮年部は、毎回の会合を、このDVDで締め括る。

病気、転職、妻の他界……それぞれが悩みと戦い、師の勇姿を胸に進む。

聖教新聞・先月26日付の欧州青年部の座談会でも名誉会長の指揮が話題に。

デンマークの友が関西を訪問した時のこと。

昭和44年(1969年)12月、言論問題の渦中、高熱を押して学会歌の指揮を執る名誉会長の写真を見た。

友は感動を抑えきれず、会合で「威風堂々の歌」を披露。

デンマーク語の歌声に、手拍子を送る関西の友の目にも涙が。感動は民族や言葉の壁を超えて広がった。

昭和31・32年(1956・57年)の大阪で、若き名誉会長は、しばしば「黒田節」などを舞った。

その際、語ったことがある。

「私は戸田先生から『会員のためにできることを何か一つ、きわめておきなさい』と言われました」。

一切が会員のために。その一点に貫かれた舞だった。

舞には「はげます」との意味がある(白川静 著『字通』)。

師の心を心として、きょうも“励ましの舞”を朗らかに!(09.05.04) (進)


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