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若鷹の掲示板2 (学会員専用)
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1293.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/1(水) 10:39
インドネシアで“民族独立の母”と敬愛されるカルティニ――。

池田名誉会長は、彼女の戦いを通して、「女性の勇気こそ、社会を動かし、歴史を変える力」と語った

(本部幹部会スピーチ=6月22日付)。

カルティニが立ち上がるきっかけは、何であったか。

オランダ語の「わたし」という言葉を手にしたからであったと言う(土屋健治著『カルティニの風景』めこん刊)。

彼女は語学を学ぶなかで、新しい世界を発見し、未来への展望を構想し、新しい「自分」に目覚めたのだ。

「自分」に目覚めて、人は初めて「他者」の尊さにも気付くことができる。

相手の悩みに真剣に耳を傾け、相手の笑顔には共に喜ぶ。日々の暮らしの現場に躍動する、

この鋭敏にしてふくよかな「同苦」と「共感」の心根こそ、女性の特質と言えるのではないだろうか。

戦後の創価の前進は、女性の“目覚めの歴史”であったと言ってもいい。

宿命の涙を勝利の笑顔に変えた、模範と誉れの彼女たち。

名誉会長は讃えつつ、心から励ましのエールを贈る。

「女性が高らかに声をあげた分だけ、人間社会をよくすることができる」と。

今月12日は「総東京婦人部 幸福・勝利の日」。

朗らかに、にぎやかに、凱歌と歓喜の最高峰を目指したい。(09.07.01) (順)

1291.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/6/29(月) 10:43
6月30日は、学生部結成記念日。学生部歌「広布に走れ」が発表された日でもある。

1978(昭和53)年、東京・荒川文化会館での学生部幹部会。

「歴史を創るは/この船たしか/我と 我が友よ/広布に走れ」。

幹部会では、その後、多くの人々に歌い継がれる歌声が何度も響いた。

席上、池田名誉会長は学生部の友に念願した。「庶民と共に歩み、庶民を守る指導者に!」と。

そして幹部会の後その言を自らの行動で示すかのように、荒川・尾久本町支部の集いに足を運び同志を励ましたのである。

どこまでも民衆のために戦う正義の人たれ! 学生部への指針は、常に一貫している。

第2次宗門事件の渦中の1991(平成3)年11月、24の大学会が結成された。

この時も師は「正義に生きよ」と呼びかけた。

この日、結成された富士短期大学会(第10期)。

師の母校の誇りを胸に、今も21人全員が厳然と創価の旗を振る。中心者の3人は、いずれも東京・足立区で活躍。

「庶民を守るため、力あるリーダーになると師に約束したから」と口を揃える。

「一生涯、民衆のために、正義のために戦う!」。この誓い、連帯、心意気。

どのような時代になっても民衆の中で戦う!――この気概こそが、新時代の突破口を開きゆく力だ。(09.06.29) (之)

1290.【人本仏迹は大聖人様の教義、創価学会の(スタンス)です】 返信  引用 
名前:佐藤義徳#joserizal    日付:2009/6/28(日) 23:58
4 :佐藤義徳 ◆4cVqan2W..:2009/06/28(日) 18:25:16
【本迹】(1)本地と垂迹

大聖人様は、後世の衆生のために本迹は優劣や勝劣ではなく、本地垂迹に例えて説いてくださいました。 此れこそが、大聖人の仏法の真髄であるのです。

これらの、池田先生のご指導や御文を全く無視して邪義と叫ぶ方々は、自称創価学会員の方も日蓮正宗の方たちです。

また、小野さんらは日蓮正宗の方たちの縁に紛働、乗せられている方々です。

情けないです。 お気の毒ですね。
http://jbbs.livedoor.jp/news/4595/

1289.【人本仏迹は大聖人様の教義、創価学会の(スタンス)です】 返信  引用 
名前:佐藤義徳#joserizal    日付:2009/6/28(日) 23:56
3 :佐藤義徳 ◆4cVqan2W..:2009/06/28(日) 18:16:49
【本迹】(1)本地と垂迹


『賢人と申すはよき師より伝へたる人聖人と申すは師無くして我と覚れる人なり、仏滅後月氏漢土日本国に二人の聖人あり所謂天台伝教の二人なり、此の二人をば聖人とも云うべし又賢人とも云うべし、天台大師は南岳に伝えたり是は賢人なり、道場にして自解仏乗し給いぬ又聖人なり、伝教大師は道邃行満に止観と円頓の大戒を伝へたりこれは賢人なり、入唐已前に日本国にして真言止観の二宗を師なくしてさとり極め、』
 (妙密上人御消息)

 ほらね、曼荼羅出てきません。
 師の存在が助縁か、自ら悟るか、どっちかです。
 第一、伝教は曼荼羅ありません。
 拝んでませんよ。
 所詮、仏法は人から人です。
 曼荼羅から人じゃありません。
 では曼荼羅はなぜか?
 道具なのです。悟るための武器です。
 ピアノ弾きのピアノと同じです。
 武士の刀です。
 使う人が弱いと駄目なんですね。


○ほとんどの宗教が神仏などの【絶対なる存在】が上、人間はその下と考えるのが通例ですが。 しかし、平和と人間主義に基づく創価学会は、
神格化された権威主義や教条主義なるものは必要としません。
【日蓮大聖人仏法とは】元々【人間のための宗教なのです。】 だが、いつの間にか、750年もの間に【権威のため】の宗教へと変貌色づけされて来たのであります。

地球上の人類に於いて、善きにつけ悪しきにつけ、支配者が生まれて来たのは、一万年前とも、八千年前とも言われおります。

政教一致とはまさに、人類の歴史と共に歩んできたのです。
絶対的権威による絶対的崇拝こそ、支配者達にとっては、民衆をマインドコントロールするための絶対条件であったのです。

しかし、現代に於いては、このような支配スタンスでは、行き詰まりが来ることは、大聖人も先生も既にお見通しなのであります。

絶対的教条主義による弊害が世界の至る所で起こっているのです。

世界中のいたる所での紛争や戦争等は、まさにファシズムの極みなのである。

中東戦争等は代表的ものだが、大国が犯した過去の過ち、レッカウラン弾、広島への原爆、核実験等、数え上げればきりがないほどである。

皆、宗教を利用している国ではないかな?
一昨年などは、バイオ燃料等に大国をあげて推進奨励することにより、アフリカ難民に食料支援が行き届かなくなり、多数の難民が餓死していったことなど、何らかの圧力により、報道すら満足にされていないことに怒りを感じています。

世界を平和へと導くの優一の鍵は人道主義、人間主義であると、確信しております。



『是れ即本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり、されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く「如来秘密神通之力」是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし、凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり、』
(諸法実相抄  1358ページ)

○池田名誉会長は、このように指導されております。

【凡夫でしかない】―――そういう言い方は、とんでもない間違いです。
そういう錯覚の黒雲を、大いなる涼風で吹き払ったのが法華経です。
【凡夫でしかない】どころか【凡夫こそ仏なのだ】と。 【人間こそが最高に尊貴なのだ】と。
http://jbbs.livedoor.jp/news/4595/

1288.【人本仏迹は大聖人様の教義、創価学会の(スタンス)です】 返信  引用 
名前:佐藤義徳#joserizal    日付:2009/6/28(日) 23:56
2 :佐藤義徳 ◆4cVqan2W..:2009/06/28(日) 18:12:48
【本迹】(1)本地と垂迹 

ネットの某坂で大騒ぎしている曼荼羅【本】の方。
 いい加減に日蓮正宗お辞めになっては如何でしょうか? 法華経の智慧 〜二十一世紀の宗教を語る 第五巻 (池田大作著/聖教新聞社 1999.9/20刊)
如来神力品@ 地涌の菩薩への「付嘱」―― 広宣流布への荘厳な儀式
全民衆よ!汝自身の尊貴さに目覚めよ!

 「凡夫こそ本仏」の大宣言 (P171〜)
斉藤(斉藤克司教学部長・副会長) 考えてみれば寿量品で否定された「始成正覚」という考え方には、きわめて危険な要素があったのではないでしょうか。
 つまり釈尊が伽耶城近くの菩提樹の下で「始めて」悟った ――この始成正覚の「前は凡夫」「後は仏」と考えてしまうと、「人間・釈尊」が見えにくくなります。
 実際のところは「人間として」真剣に正しき道を求めたからこそ「わが仏界」に目覚めた。そうやって目覚めたからこそ、「人間として」最高の生き方ができた。
 つまり「人間・釈尊」として一貫しているわけです。この一貫性を「始成正覚」は切断してしまう危うさがある気がします。

遠藤(遠藤孝紀副教学部長・墨田区副区長) 始成正覚以後は「人間を越えた」何か特殊な存在になった、そんな錯覚に陥りやすいですね。
 釈尊という人格を、目の当たりにできた 釈尊在世の衆生はいいとして、釈尊滅後の人には、どうしてもそう思われがちだと思います。

須田(須田晴夫副教学部長・墨田区副区長) そこから釈尊を神格化したり、自分達は「凡夫でしかない」と卑下してしまった。これは謙虚なようで、じつは傲慢の裏返しですね。
 「人間(凡夫)」の尊貴さを知りもしないのに、知ったつもりで人間不信になっているわけですから。

名誉会長(池田大作創価学会名誉会長)  「凡夫でしかない」 ―― そういう言い方は、とんでもない間違いです。
 そういう錯覚の黒雲を、大いなる涼風で吹き払ったのが法華経です。「凡夫でしかない」どころか「凡夫こそ仏なのだ」と。「人間こそが最高に尊貴なのだ」と。
 この「法華経の心」を究極まで表現されたのが日蓮大聖人の次の御言葉です。
 『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、
 然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備え給うと思ひしに、さにては候はず返って仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり』 (全集P1358)   
 『本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり』 (全集P1359)  
 まさに「それまでの仏法がひっくり返ってしまった」御言葉です。凡夫が「本仏」、仏はその“影”である「迹仏」にすぎないと言われるのだから。 
“仏があって凡夫がある”と思っていたら、そうではなく、“凡夫があって仏がある”のだと。 
 仏法だけでなく、全宗教史上、驚天動地の宣言です。
 どんな宗教でも、神仏などの「絶対なる存在」が上、人間はその下と考えるのが通例です。それを否定して、絶対者と思われている神仏は、
 実は凡夫=人間の「影」であり、「用(働き)」であり、「人間のための手段」にすぎない ――こんな宣言は他にありません。
 まさに「人間のための宗教」の大宣言なのです。
 歴史上、「人間のため」のはずの宗教が、いつのまにか「権威のため」の宗教に変貌してきた。その思想的な根っこは「神仏が上、人間が下」としたところにある。
 そう言えるのではないだろうか。
『但し御信心によるべし、つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし、日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給』
 (経王殿御返事)

○この様に、大聖人様がご自身の顕されたお曼荼羅を武士の刀だ。と、明言されておられます。
 これでは困る方たちが居るのです。
 日蓮正宗にいる出家した方々です。
 この方たちは、何が何でも曼荼羅が神秘で摩訶不思議にしておかないと、信徒支配が出来ないからです。
 私たちは、これほどありがたいんだぞ。
 後ろに曼荼羅控えてる。
 この類なのです。



日蓮正宗は曼荼羅を絶対として信徒を支配してきた宗派です。
http://jbbs.livedoor.jp/news/4595/

1287.【人本仏迹は大聖人様の教義、創価学会の(スタンス)です】 返信  引用 
名前:佐藤義徳#joserizal    日付:2009/6/28(日) 23:55
1 :佐藤義徳 ◆4cVqan2W..:2009/06/28(日) 18:07:58
【人本仏迹は大聖人の教義、創価学会のお立場(スタンス)であり、邪義ではありません】

ネット辞書で調べたところ、下記の5点が検索されました。
一【本迹】  (1)本地と垂迹。   (2)法華経の本門と迹門。


ニ【本迹二門】法華経二十八品の、前半の迹門と、後半の本門との総称。


三【五重相対】内外、大小、権実、本迹、種脱、


四【三部神道】 唯一神道と両部神道と本迹(ほんじやく)縁起神道をいう。三種神道。三家道



五【勝劣派】 日蓮宗の二大流派のうちで、法華経中、本迹二門について、本門がすぐれ迹門が劣っているとする一派。一致派に対する。



【本迹】(1)本地と垂迹


【凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏我れ等衆生のためには主師親の三徳を備え給うと思ひしに、さにては候はず返って仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり】(全集P1358)


【本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり】(全集P1359)
 凡夫が「本仏」、仏はその“影”である「迹仏」にすぎないと説かれています。

「仏があって凡夫がある」ではなく、「凡夫があって仏がある」と説かれているのである。


 ☆沖浦氏コメント
 本迹を優劣と同一視してはいけないと思います。
 本迹は立場の相違だと捉えた方が適切であると思っています。
 絶対的な真理で本迹を判断は致しません。
 
 日蓮正宗は曼荼羅を絶対として信徒を支配してきた宗派です。
 ですから、曼荼羅が本で勝なんです。
 信徒は人間ですから、迹で劣なんです。
 人のための宗教なら、人が本、教えが迹。
 当然の道理だと思いますよ。
 
 法華経の本迹相対とは無関係ですよ。
 たまたま法華経は後の時代に論師が、本迹を別けただでです。
 宗教や思想、哲学や政治、教育や文化。
 全てに本迹があるんです。
 そのたて別けの基準はね、


★佐藤コメント

戸田先生のは仰せです。

 『御書を読むのに、これは絶対こう言う意味だ。はいけない。
 御本仏様のお書きになられたものを私共が決め付けることは謗法です。ここはこう拝せる。これが正しい読み方である。』(趣意)
http://jbbs.livedoor.jp/news/4595/

1286.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/6/28(日) 11:12
滋賀県の彦根周辺では、「中居」「堀居」「奥居」といった姓が目立つ。

それは、藩主だった「井伊」家に敬意を表し、同じ文字を避けたからと伝わる。

同県北東部の領主となった豊臣秀吉は、今浜(長浜市)に城を築き、「長浜」と改名した。

長く繁栄することを願ったとする説と、主君・織田信長の名をもらったとの説がある。

現在、長浜城周辺は「豊公園」と呼ばれる。豊臣が由来。

秀吉は今でも長浜市民から慕われている。冒頭の例とは逆だが、どちらも報恩の思いが伝わる挿話だ。

落語家の2代目・林家三平さんは、「心から尊敬する父の名前が失われていくのは、息子として、弟子としてふがいない。

だから、名前を継ぎ、私が再び『林家三平』を広めていきたいと思ったのです」と語る(聖教16日付)。

領主、主君、父、師匠……。自分の氏名や地名に特別な思いが込められている。

“先師、恩師の名を世界に宣揚する!”――これが若き日から変わらぬ池田名誉会長の決意だった。

「牧口広場通り」(イタリア)、「戸田城聖先生橋」(ブラジル)など、

今や世界各地に歴代会長の名を冠した「通り」や「橋」がある。

誉れの弟子の道を貫き、見事な勝利の証しを刻む――

ここに、師匠の名を宣揚する道もある。(09.06.28) (糀)

1285.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/6/27(土) 10:54
本年は日墨交流400周年。

この佳節にメキシコのハリスコ州グアダラハラ市から池田SGI会長に日本人初の「市の鍵」が贈られた(聖教11日付)。

授与式の席上、一人の紳士の祝辞が感動を呼んだ。

「あの日、お会いして以来、私の師匠は池田博士です!」――アレハンドロ・マトス氏。

同州の400周年記念行事の実行委員長だ。

1981年3月、マトス氏は、同州の芸術局長だった父と共に、SGI会長をグアダラハラの自宅に歓迎した。

当時、16歳。ピアニストを目指していた氏は、演奏を披露した。

会長は「素晴らしい」「大音楽家になるんだよ」「何があっても負けないで」と励ましを。

氏は心から感動し、誓った。「皆に勇気を贈る音楽家になろう」。その後、会長の著作を学び始めた。

現在、氏は同国で最も著名なピアニストの一人に。音楽の国オーストリアから国家勲章も受章した。

「池田博士との出会いが、私の人生を一変させました!」と語る。

一度の出会い、一回の語らいが、人を変えることがある。

時間の長短ではない。大事なのは、その“一回”に臨む姿勢だ。

真剣勝負で植えた友情の種は、必ずや見事な信頼の花を咲かせるものだ。

「誠実第一」で、きょうも新たな友情を結びたい。(09.06.27) (之)

1283.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/6/25(木) 10:58
「13の半分は?」。教師が生徒に尋ねた。「6と2分の1」「6・5」との答え。「そうだ。ほかには?」。

誰も答えられない。教師は、「もう答えはない」と思うかもしれないが、「もっと考えよう」と促す。

すると、数字の文字を分けて「1」と「3」。一人が答えると、突破口が開いた。

英語の綴り、ローマ数字、2進法で考えたり、黒板に書いた「13」を上下半分にしたり。きりがない。

そして、「答えはない」と思っていたのが、思い違いだったことに気付いた(J・フォスター『アイデアのヒント』)。

常識的に考えれば「もう答えはない」と思うだろう。

だが、「必ず別の答えがある」と、視点を変えたら、新発見が次々と出てきたわけである。

地表から見れば高く見える壁も、空からは、低く見える。一本の線にしか見えないこともあろう。

同じように、物事は、とらえ方、見方によって、千差万別だ。プラスにも、マイナスにもなるものだ。

池田名誉会長は「大事なことは、自分の境涯の革命だ」

「(境涯が変われば)逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる」と。

必ず道は開ける、開いてみせる――そう心を定め、きょうも朗らかに勝ち進みたい。(09.06.25) (申)

1282.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/6/24(水) 9:13
東京のある座談会。

会場を訪れると、入院中と思っていた男子部員が、笑顔でちょこんと座っていて、驚いた。

本年3月、急性の白血病に。闘病生活を送っていた。聞けば、その日が入院後、初めての外泊。

座談会があると知り、どうしても参加したかったという。

「病室で気付いたんです。自分は一人じゃない。さまざまな人とつながり、多くの祈りに包まれているんだ――と。

そう思うと、絶対に勝ってやる!抗がん剤治療も“変毒為薬”です」とにっこり。

隣で、新婚半年の新入会の妻が深くうなずいていた。

人間は「親と子」「教師と生徒」といったタテの関係、友人同士のようなヨコの関係以外に、

異世代間の「ナナメの関係」が大切であると、著述家の藤原和博氏はいう(『16歳の教科書』講談社)。

「人間の人生って、この『ナナメの関係』がどれほど豊かであるかによってかなりの部分が決まる」。

こうした“多彩なつながり”で満ちているのが学会の世界である。

進路に悩む未来部を激励する。病気や失職と戦う友のために祈る。自他共の幸福に全力を注ぐ。

世代も社会的立場も違う人たちが、師のもとで、励まし合い、決意し合い、人生の大勝利を目指す――

“創価の絆”の麗しさは、ここにある。(09.06.24) (葉)


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