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若鷹の掲示板2 (学会員専用)
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1303.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/9(木) 10:42
7世紀初め、中国では隋が滅亡し、群雄が割拠。

後に唐の2代皇帝となる若き李世民は、指揮官として強敵に立ち向かう。

この一戦に勝てば天下の統一は確実――彼の勝利への執念は、すさまじかった。

『小説十八史略』で陳舜臣氏は、その様子を次のように描く。持久戦の末、兵糧不足の敵軍はついに後退を始める。

「いまだ!」。千載一遇の勝機を李世民は逃さなかった。一昼夜、約100キロを飲まず食わずで追撃しこれを破った。

“もう十分でしょう。少し休んでください”と気遣う部下に彼は言う。

“敵に立ち直る時間を与えてはならぬ。私は大目的に身を捧げる覚悟であり、わが身のことなど厭わぬのだ”。

総大将の烈々たる叫びに全軍が奮い立った。唐軍は敵を追い詰め、一日に8戦して連勝。

雌雄を決した。李世民は三日の間、一度も兜を脱がなかったという。

「自分が先頭に立つ」という指揮官の気迫。「もういいか」との妥協を排した「攻め」の姿勢。

この徹底した戦いによって、新時代を開く偉業は成就されたのだ。

御書に「軍には大将軍を魂とす」(1219ページ)と。誰でもない。

勝利の突破口を開くのは、リーダーの強き一念であり、真剣な行動だ。

執念の大闘争で広布の凱歌の歴史を綴りたい。(09.07.09) (駿)

1302.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/8(水) 11:14
6月4日、池田華陽会として颯爽と進む女子部に、喜びと感動が広がった。

「名誉会長夫妻が創価女子会館を訪問!」――朗報は全国はもとより、世界各国に即座に伝わった。

「飛び上がらんばかりに女子部と喜び合っています」と語るのは太平洋に浮かぶミクロネシア連邦のロペス支部婦人部長。

3日後の7日には記念の集いを開き、池田華陽会の歌「華陽の誓い」を合唱。

「池田先生・奥様と共に歓喜の力強い前進をしていきます」と意気は高い。

「イケダカヨウカイ」は昨年に結成されたばかりだが「ザダンカイ」、

「コウセンルフ」等と共に世界共通語となった感がある。

イタリア、韓国の友も口々に述べていたが、師弟勝利の青春譜を綴ることを最高の誇りとしている。

そして、彼女たちに共通するのは「感謝の心」だ。

東京・町田出身の青年詩人、八木重吉の言葉を思い出した。

「感謝の無い信仰は本当の信仰ではない」「すべてはそこから出づる。感謝と報恩と」

「自分のまわりを、感謝の海とせよ。感謝は強い。感謝は美しい」(全集第3巻、筑摩書房)。

わが生命を感謝の心で染め抜きたい。

「仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや」(御書293ページ)。

人間の真の生き方が、ここにある。(09.07.08) (川)

1301.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/7(火) 10:51
中国・春秋時代の名宰相である管仲。その思想を伝える『管子』に「一を植えて十の収穫があるのは木材。

一を植えて百の収穫があるのは人材である」とある。

武力で争う乱世にあっても、名政治家は、人材の力を重んじた。

まして、人間主義の連帯を広げゆく創価の運動における、人材の重要性は言うまでもない。

東京・世田谷区で活動する男子部員。さまざまな理由から、人と話すのが大の苦手だった。

先輩は励ました。「勇気を奮い起こそう。戦いの中で、君自身が壁を破るんだよ」と。

その激励に応えて、彼は語りに語った。亡き父が勤めていた会社の首脳に対話するまでに。

広布のために動く実践の中でこそ、次代を担う青年が育つのだと実感する。

7月は「青年の月」。1951年(昭和26年)7月11日、男子部結成式に参加したのは180人。

同19日、女子部誕生の集いに居合わせたのは70人余だった。

「ただ人材がほしい」――戸田第2代会長の叫びに応え、青年の連帯を日本中に押し広げたのが池田名誉会長である。

名誉会長は結論している。「実戦のなかでこそ、人材はつくられる」。

激戦を戦い抜いた時こそ、本物の“人材城”が築かれる。

その大確信を持ち、粘り強く日々の活動に励みたい。(09.07.07) (定)

1300.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/6(月) 10:5
視力障害のある関西の婦人部員が先日、東京を訪れた。

一人の友人に仏法の哲学を語るために。広宣流布へ労苦を惜しまぬ尊き姿に最敬礼。

婦人は生後、数カ月で失明した。しかし、競泳の選手やボランティアなども務める無類の頑張り屋。

そんな彼女の転機となったのは、高校時代の同級生が命に及ぶ難病に襲われた時。

何もしてあげられない無力さに苦しんだ。その時、ある親友から聞いていた題目を唱えた。

すると時が符合するかのように、同級生は一命を取り留めた。

何ができなくとも、一人のために祈ることができる。それがどれほど素晴らしいことか。

それを知った彼女は本格的に信仰の道を歩み始めた。

一人のために祈り、一人のために語る。そこにこそ真実の仏道修行がある。

「一人のためであっても、たとえ一句であっても、法華経を説く人は、仏の使いである」と法華経には仰せだ。

あの1万1111世帯の弘教を成し遂げた昭和31年の「大阪の戦い」。

指揮を執った池田室長が最初に関西の幹部に語ったのは、「会員の一人一人を大切にしてください」であった。

「一は万が母」(御書498ページ)である。

眼前の一人に全力を。一人の心を揺り動かす対話を。

その執念の連続闘争から歴史が開かれる。(09.07.06) (進)

1299.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/5(日) 10:16
中日友好協会の黄世明副会長に、話を聞いたことがある。

「どんな困難な時も、初志を貫くことができたのは、“人民のため”との思いがあったからです」。

周恩来総理やトウ<登におおざと>小平氏ら歴代指導者の通訳を務めた黄副会長。がんも2度患った。

最初の時は、周総理が自ら病院に手配を。

二十数年後の再発時には、池田名誉会長から励ましの和歌を頂いた――と感激を露わに。

「私は、50年近く、中日友好に取り組んできた。何の悔いもない……

今度は、若い皆さんに託したい。友好交流を深めてほしい」。亡くなる前年のことだった。

初志を貫徹することは難しい。壁にぶつかると、できない理由を並べたくなる。

だが、それでは、自身の負けだ。目標を成し遂げるには、“何のため”との一点を心に赤々と燃やすことである。

たった一人の挑戦でも、劇的な変化をもたらすことがある。

アメリカの大実業家アーマンド・ハマー氏の座右の銘は、

「初志を貫き通すならば、一人の人間が状況を変えることができる」だった。

黄副会長は、こうも語っていた。「私は、力をつけるため、若い時から、たくさんの本を読みました。

皆さんは幸せですね。池田先生の著作やスピーチから、不屈の力を得ることができるのですから」と。(09.07.05) (葉)

1298.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/4(土) 10:56
学会っ子は北風に向かって戦おう!」。35年前の12月、池田名誉会長は東京・新目黒会館を訪問。

居合わせた学生部の友を激励し、「冬の目黒グループ」と命名した。

その一人が述懐している。「池田先生の指導は『困難に挑み勝ちゆけ!』との万感のメッセージだと思いました。

だからこそどんな激戦も勇んで戦い、勝利してきました」。同グループの友は現在学術界、実業界など各界で活躍している。

広宣流布の歩みは、数々の艱難を勝ち越えてきた歴史でもある。

戸田第2代会長は、常に、広布の主戦場へ、最も大変なところへ、愛弟子の名誉会長を派遣した。

事業の苦境も、権力との闘争も、広布の拡大も、師と弟子の「不二の闘争」で、突破口を開いてきた。

名誉会長は綴っている。「本物の師匠に、私は本物の弟子としてお仕えし抜いた。

広宣流布のご構想を実現するため、執念、また執念で全魂を尽くしました」(「御書と師弟」)。

弟子の激闘あってこその師の勝利だった。「激戦のあるところに、必ず私たちは身を置く」(ユゴー)。

広布の戦線で勝利をもぎ取る。師匠の期待に応えて断じて勝つ。どんな難局も必ず打開する。

この誓い通りに結果を出す人こそ「本物の弟子」である。(09.07.04) (薬)

1297.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/3(金) 10:30
実力が拮抗した競り合いを制するには?――

「攻めの気持ちを貫いたほうが勝ちます」と柔道の元全日本男子監督・斉藤仁氏は語っている(「第三文明」8月号)。

2006年の全日本柔道選手権。

アテネ五輪で「金」の鈴木桂治選手と、当時19歳の石井慧選手との決勝戦。終始、鈴木側優勢で進んだ。

だが終了間際、残り時間を気にした鈴木が、ほんの一瞬、ちらりと会場の時計を見た。それを石井は見逃さなかった。

「その一瞬に石井の攻める気持ちが、鈴木のそれを上回ったんです」と斉藤氏。結果は石井の逆転勝利だった。

勝負は峻厳だ。一瞬の競り合いを制した者が勝つ。最後の最後まで「攻めの気持ち」を貫くことこそが勝利の要諦だ。

御書には「いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(1090ページ)と仰せだ。

“いよいよ”“せむべし”の気概で、猛然と戦うことである。

池田名誉会長は語っている。「攻めて攻めて攻め抜いて、押して押して押し切って、

戦って戦って戦い抜いた時に、はじめて、栄光の旭日が昇る。勝利の旭光が輝く」と。

きょうも力の限り前進したい。勝利のその瞬間まで、攻めの気持ちを堅持したい。

その人の心にこそ凱歌は轟き渡る。(09.07.03) (之)

1296.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/2(木) 10:33
緑のトンネルを抜けると、清冽な水の音が聞こえてくる。

降り注ぐ滝の雄姿を眺めながら、青森県の奥入瀬渓流を遡った。その水源は十和田湖だ。

火山がつくったカルデラ湖。かつて魚のすまない湖といわれた。ここでヒメマスの養殖に挑戦した先人がいる。

和井内貞行氏。度重なる失敗で私財は底をつき、非難中傷も浴びた。

だが、道を貫き、20余年もの苦闘の末に養殖を成功させた。十和田湖には偉大な開拓の歴史が刻まれている。

広宣流布も開拓闘争だ。昭和40年代の青森の下北半島・川内町(現・むつ市)。

旧習が深く、女性が働く場所もなかった。

一人の婦人部員が署名活動に立ち上がる。約70人の協力を得、合成繊維会社の作業所の設置が実現した。

真剣に地域の発展を願う彼女の姿に、多くの人が学会の認識を一変させた。

後年、町の名士は「“わが地域を理想の郷土に!”と情熱を燃やす創価学会は、時代をリードする存在」と賛嘆した。

15年前の夏、十和田湖を訪れた池田名誉会長は語っている。

「常に皆の先頭に立ち率先して道を開く。皆に代わって、襲いかかる嵐を一身に受けて立つ――これが開拓者である」。

この不撓不屈の開拓者魂をたぎらせ、われらも進みたい。新たな歴史を開くために。(09.07.02) (時)

1295.逃げ腰 武チャンヘ 返信  引用 
名前:後門の虎    日付:2009/7/2(木) 7:24
サァ、質問するぞぉ!
二箇相承の真筆はどこにあんのかなぁ?
唯授一人血脈が日興上人にあったという真筆はどこかなぁ?
五老僧が間違いなく間違っていたという文証(真筆)で証明
できるかなぁ?

とりあえず、易しい教学から出してみたからね。
日顕宗なんだから、必ず証明してな!
噛んだら放せない習性を持ってるからゴメンナサイ!
だから、HNを後門の虎にしんだよね。

1294.管理人様 返信  引用 
名前:後門の虎    日付:2009/7/2(木) 3:44
お忙しい中、大変にご苦労様です。
私の、文の中に人を誹謗、中傷がありましたら何なりと申しつけ下さい。
現在、敵の動きを常に監視している者です。
特に樋田に関しては動きがハードなために用心しなくてはなりません。
私に何か出来ることがございましたら、なんなりと申しつけ下さい。


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