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若鷹の掲示板2 (学会員専用)
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1313.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/18(土) 11:10
水中を華やかに舞うシンクロナイズドスイミング。

井村雅代氏は、2004年のアテネまで27年間、6回の五輪すべてで日本にメダルをもたらした名コーチだ。

選手が「もう私、これが限界です」と弱音を吐くと、

彼女はいつも「限界ってどこにあるの? どこに見えてるの?」と聞いた。

そうやって、選手の心から、固定観念や限界という言葉を取り払い、

潜在能力を引き出した(NHKテキスト『知るを楽しむ〜人生の歩き方』)。

ある青年の体験を思い出す。

設計事務所に就職したが、雑務のような仕事ばかり。休みもない。

「もう駄目」と絶望していた時、池田名誉会長のスピーチと出合った。

「『自分なんかもう駄目だ』と思うような瀬戸際の時が諸君にもあるにちがいない。

実は、その時こそが、自身の新しい可能性を開くチャンスなのである」と。

目が覚める思いだった。一番つらい今こそ「一番成長できる時」と知った。

以来、どんな仕事にも、これ以上できないくらい全力を注いだ。

周囲の評価も高まり、百貨店など大きな仕事を任されるまでに。今は独立し、1級建築士の資格も取得した。

「限界だ」と思う時こそ、実は勝利のドラマの始まりだと痛感する。

きょうも、新しい“自分史”を綴りたい。(09.07.18) (陸)

1312.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/17(金) 6:40
「メロスは激怒した」――。

本年、生誕100年となる太宰治の『走れメロス』は、この一節から始まる(岩波文庫)。

メロスは、何に対して怒ったのか?

それは、「邪知暴虐の王」に対してであった。彼は、罪のない人々を平然と殺す傲慢な権力者が許せなかった。

青年らしく正義を訴えた。命懸けで友情を貫いた。その姿が最後には、王の心を変えた。

山本周五郎の代表作『赤ひげ診療譚』。

“赤ひげ先生”と称される老医が、貧しい病人を苦しめる圧政を、糾弾する場面がある。

「おれはごまかされないぞ」

「人間を愚弄し軽侮するような政治に、黙って頭を下げるほど老いぼれでも お人好しでもないんだ」(ハルキ文庫)。

市井(しせい)の人々の幸せを願う心は、時に「怒り」となって噴出する。

優しいだけでは人々を守れない。また、庶民を踏みにじる動きを“見て見ぬふり”は、悪への加担だ。

御書には「怒りは善悪に通じる」(584n、通解)とある。

創価学会は、その精神のまま、正義の「怒り」を片時も忘れなかった。

だからこそ、民衆を守る大城として栄え続けてきた。

歴代会長が、軍部権力等と戦い抜いた7月。

今また、私たちも、庶民を足蹴にする権力に「怒りの声」を上げ、民衆が主役の時代を築きたい。(09.07.17) (立)

1311.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/16(木) 11:17
俳人・正岡子規の直筆の選句集がこのほど発見され、話題になっている。

“俳句の世界をもっと自由で雄壮なものに広げよう”と「俳句革新」を志した時期の作品とみられる。

子規の生涯は、病を抜きに語れない。雅号「子規」とはホトトギスの異称。

学生時代に肺を患って喀血した時、鳴いて血を吐くといわれる子規にちなんで号した。

病に関する句も多く、晩年は病床で、時に口述に頼りながら詠んだ。病むことは敗北ではない。

子規は病床で自己を厳しく凝視することで、「その独自性をはじめて確立した」(中村稔『子規と啄木』)。

病と格闘したからこそ、傑出した作品を生み出せたのである。

御書には「病気によって仏法を求める心が起こる」(1480ページ、通解)と。

長い人生で病む時があるのは当然のこと。大切なのは“病に断じて負けない”という強き一念だ。

その一念が諸天を動かし、何よりも自身の生命力を強め、無限の可能性を発揮させてくれる。

子規が喀血した時、友人の夏目漱石は「帰ろふと泣かずに笑へ時鳥」と句を贈り“故郷に帰るな 病を笑い飛ばせ”と励ました。

創価の同志も、苦楽を分かち合い、共に前進する得難き宝友。

互いに励まし合いながら、“人生の勝利”を飾っていきたい。(09.07.16) (弘)

1310.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/15(水) 11:33
この1年間に流されたテレビコマーシャル1万7765作品を調査したところ、

約6割が視聴者の印象に、ほとんど残っていないという。

不評だった作品の中には数億円かけたもの、

有名タレントを使ったもの、何百回も放映したものもあった(「CM総合研究所」調査)。

多様化したメディア社会。その中で人の心に何かを残すことが、いかに難しいか――調査は雄弁に物語っている。

加えて、もっと困難なことがある。それは一度、人の心に残った印象を打ち破ることだ。

最近の脳科学の研究によると、人間の脳は、

「なるべく少ない労力で、的確な結論を出したい」という節約・安定の志向性を持つことが分かってきた。

よほどのことがない限り、一度、安定化させた結論は修正しない傾向があるというのだ。

つまり、最初に目にし、耳にした情報は変えにくい。ずっと心に残ってしまいがちなのである。

だからこそ、一番初めに何を伝えるかが大切になってくる。後で先入観を覆すのは、何倍もの労力がかかる。

現代社会には、情報があふれている。

まさに玉石混交の“情報の海”にあって、いかに正しい情報を素早く発信していけるか。

先んじて真実を伝えることができるか――ここに広布の言論戦の要もある。(09.07.15) (高)

1309.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/14(火) 10:38
「閑(しずか)さや 岩にしみ入(いる) 蝉の声」。芭蕉の名句が似合う季節だ。

かつて、ここに詠まれたセミは何かとの論争があった。

句の生まれた山形県が故郷の詩人・斎藤茂吉は、アブラゼミを主張。

一方、夏目漱石研究の第一人者・小宮豊隆は、ニイニイゼミだと反駁を加えてきた。

茂吉が、同句の詠まれた時期に合わせ、現地に鳴くセミを調査したのは、79年前の7月だった。

結果、軍配はニイニイゼミに。

調査が進むほど、主張が崩れゆく劣勢に、生来、負けず嫌いの茂吉が、あぶら汗をかいたかは定かでないが、

潔く兜を脱いで認識を改めた姿は、ほほ笑ましくもある。

異論が出された時、どのような行動を取るかで、結果は大きく異なってくる。

いたずらに自説に固執することなく、互いに打ち合うことで、自他共の進歩の道が開かれるのではないだろうか。

「知の巨人」と一目置かれた歴史学者のトインビー博士は、

自身の学説に寄せられた反論にも、誠実な思索、検討を重ねたという。

そして、誤りがあれば修正し、それを「再考察」の成果としてまとめ、大著『歴史の研究』の第12巻として発刊した。

この柔軟にして、たくましい錬磨の姿勢こそが大事であろう。

鍛えの夏の到来!――常に切磋琢磨の心を忘れまい。(09.07.14) (城)

1308.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/13(月) 19:20
米・公民権運動の指導者キング博士。その闘争の原点の一つは、高校時代にあった。

弁論大会で優秀な成績を収めた帰りのバス。黒人というだけで、無理やり席を立たされた。

人生で最も屈辱を受けた瞬間だった。

不当な差別をなくしたい――そのために学び抜き、時代を変えていった(『キング牧師』岩波書店)。

10代の体験が人生を決することが多々ある。外資系銀行で重責を担う壮年部の友がいる。

高等部時代、池田名誉会長が出席しての研修会。皆で魚捕りを。なかなか捕れない。

師は、ズボンのすそをまくり、水の中へ。青年のために、魚を集めようとする真心に心打たれた。

「勉強するんだよ。待ってるよ」。その時の懇談会での師の言葉。彼は応えようと、懸命に努力した。

「池田先生を人生の師匠と決めたからこそ今の自分がある」と振り返る。

結成45年の高等部。青春の誓いのままに活躍する友は、今や世界中に。

結成式で名誉会長は「青春時代に生き方の骨格をつくり、さらに完成させていくところに確かな人生の道があります」と。

若い時に、確固たる信念を持ち、貫くところに偉大な人生への道がある。未来部員の可能性は無限だ。

その扉を開くのは、魂と魂の触発であることを忘れまい。(09.07.13) (陸)

1307.公明23人 全員当選! 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/13(月) 2:24
(速報)都議選議席確定 民54、自38、公23、共8、ネ2、無2
 東京都議会議員選挙(定数127)は、すべての選挙区で当選者の顔ぶれが決まった。民主党が第1党に躍進し、石原慎太郎知事を支えてきた自民、公明両党は過半数を獲得できなかった。
 ◇公明は23人 全候補が当選
 東京都議選で過去4回、公認候補全員を当選させてきた公明党は今回23人を擁立し、全候補が当選を果たした。公明は逆風下での選挙となったが、支持母体の創価学会を中心に徹底的な組織戦を展開、5回連続の候補者全員当選となった。
政党別では、民主が54議席(現有34議席)、自民が38議席(現有48議席)、公明が23議席(現有22議席)、共産が8議席(現有13議席)、東京・生活者ネットワークが2議席(現有4議席)、無所属が2議席(現有3議席)だった。(朝日新聞)
投票率は54.49%で、前回(05年)の43.99%を大きく上回った。自民は40年間にわたって維持してきた第1党から転落した。与党の過半数割れで、石原慎太郎知事は難しい議会対応を迫られることになりそうだ。自民党の38議席は、第2党に転落した1965年に並ぶ過去最低の議席数。特に1人区では6人が落選する惨敗を喫した。複数人区でも荒川区や北多摩2区で議席を失った。
 民主党は38選挙区でトップ当選を果たした。七つある1人区のうち、6選挙区で自民党候補らと争い、5選挙区で当選。3人を擁立した世田谷区や練馬区では全員が当選するなど、圧勝した。  
 共産党は前々回から続いた退潮傾向から脱せず、現有13議席を8議席に減らした。東京・生活者ネットワークは4議席が2議席になった。社民党は議席を回復できなかった。(毎日新聞)

1306.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/12(日) 12:57
「正義の怒りが炎と燃えた、歴史的な『東京大会』」――

8年前の7月12日、池田名誉会長は「随筆」にこう寄せた。

「炎の東京大会」。烈々たる名称で呼ばれるこの会合は、4万人もの“怒れる人”の集いであった。

開催を訴え、主催したのは、正義の火の玉と化した青年部であった。昭和32年(1957年)7月12日。

午後6時から2時間ほど、降りしきる雨を突いて会場の内外は熱気にあふれた。

なぜ「炎」なのか。青年部の室長であった名誉会長を、事実無根の冤罪で不当逮捕した魔性の権力。

その悪に対する激怒の思いが、一人一人の決然たる熱情に発火した。

何より、弟子を救おうとする師の叫びが、砲火のごとく放たれたのだ。

小説『人間革命』には「悪に対しては断固、糾弾していきます」「仏法は勝負」と断言する場面が(第11巻「大阪」の章)。

御書には「瞋恚は善悪に通ずる」(584ページ)と“正しき怒り”が強調されている。

大会で婦人幹部が呼びかけた。

「東京の我々の団結は、また全国同志への団結の中心でございます。断固立ち上がろうではありませんか」。

今、「7・12」は「総東京婦人部 幸福・勝利の日」と輝く。

一人立つ勇者の団結で、“炎の勝利宣言”目指し堂々と前進しよう。(09.07.12) (杏)

1305.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/11(土) 13:59
いよいよ決戦の時――

第2次大戦中、ナチスを打倒するために連合軍が敢行した「ノルマンディー上陸作戦」の直前、英国の少佐が綴った。

「この後この日のことが話題になるたびに己を誇りに思うであろう」と(コーネリアス・ライアン『史上最大の作戦』)。

悪天候が続く中、一時的な好天が予想された日に作戦は決行された。

この「一日」しかない。この日に負ければ、これまでの努力が水泡に帰す。

連合軍5000隻の船団による大作戦は、たった「一日」にすべてを懸けて断行された。

一方、ナチス軍。悪天候続きなので敵は攻撃してこないだろうと油断し、対応が遅れた。

悪天候という環境は、当然ながら、両軍とも同じだ。

しかし「今しかない」と捉えた連合軍と「今やっても無駄」と捉えたナチス軍とでは、あまりに大きな違いがあった。

人生には「勝負の時」がある。どうしても勝ち越えねばならぬ「時」がある。

その時を制した者こそが、自身を誇りに思う不滅の歴史を刻むことができる。

私たちの広宣流布の戦いも同じだ。

時を逃さず、戦い勝つ。これ以上の誉れはない。

後世の人も「よくぞやった」と、感嘆し、喝采を送るだろう。

さあ、きょう一日を悔いなく! そして、勇敢に勝て!(09.07.11) (鉄)

1304.名字の言 返信  引用 
名前:代理人    日付:2009/7/10(金) 20:17
 「一期一会」とは茶道から出た言葉だ。

茶道の大家でもあった江戸幕府の大老・井伊直弼は記している。“茶会での今日の出会いは一生に一度のことである。

だからこそ、主人は真心をもって交わらねばならない”と(『茶湯一会集』)。

一生に一度との思いで、人に最高の真心を尽くすことが「一期一会」の本意である。

昭和47年(1972年)の東京・荒川区の記念撮影会で、女子部・婦人部と共に舞を舞った一人の女子高等部員。

演技を心から讃えて拍手を送る名誉会長の姿に、生涯の共戦を誓った。

19年後の平成3年(1991年)暮れ、3人の母になっていた彼女は、子の手を引いて区内を歩いていた。

師を迎え、荒川文化会館で文化音楽祭が行われていた日だった。

参加できなかったことで悲しがる子どもたちに彼女は言い聞かせた。

「お題目を唱えて、勝った姿で先生をお迎えしようね」。

音楽祭が終わり、しばらくして、一台の車と行き合った。

窓が開くと、師の声が響いた。「風邪をひかないでね。創価大学に来てね」。

この“約束”を子どもたちは後に果たす。

「真心」は、相手の心に種となって残る。

まして「一生に一度」との思いを込めて、まかれた種は、必ず花を咲かせ、大きな果実を実らせる。

このことを忘れまい。(09.07.10) (香)


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