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トールクラブひまわりの会掲示板

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297.たまたま拝見しました。 返信  引用 
名前:佐伯    日付:2013/9/4(水) 1:38
 こんにちは。トールクラブは、海外にはありますが、日本には「ひまわりの会」しかないですね。
 私は、男性で 190cm ありますので、おっしゃることは良くわかります。 ちびっこ日本人は、何で人が不快になるようなことを面と向かって言うのか? 礼儀知らずです。 
 日本で 男女問わないトールクラブ が出来れば、参加したいですね。 海外との連携も出来れば、なお良いです。 



298.Re: たまたま拝見しました。
名前:たかこ    日付:2013/9/5(木) 9:26
佐伯さん

こんにちわ。書き込み、ありがとうございます。
海外の、といっても、シカゴのしか知りませんが、トールクラブにはもちろん男性会員もいます。だいぶ前に、本の取材で、会の集まりに参加したとき、ほんとに背の高い男性がいて、ほんとにびっくりしました。(笑)「ひまわりの会」は、今のところ、女性だけです。
背の高い日本人男性にお会いしたいものです。思い起こすに、私の人生で、私より背の高い日本人男性に会ったことはないような。(笑)
見知らぬ若い男性は別として、ですが。。(笑)

海外のクラブとの連携は、私はずっとしたいと思ってきました。つまり、背の高い日本人女性や男性が、たとえばシカゴのクラブの会合に出てみるとか。大歓迎してくれると思います。
いつかひまわりの会の女性たちが、シカゴまで遊びに来てくれたら、いっしょに出かけられるのになあ、と思ってきました。
今後ともよろしくお願いいたします。

294.アメリカ 返信  引用 
名前:たかこ    日付:2013/8/25(日) 21:31
最近、自転車に乗るようにしてます。このあいだ、歩道で自転車を押してたら(笑 アメリカでは、自転車は車道を車といっしょに走るものなのですが、私は怖いし、歩道を歩いている人は少ないし、で、歩道を自転車で走るのですが、このあいだは、歩道が狭くて、たまたま人も歩いていたので、降りて押してたのです笑)、すれ違ったちょっと年のいったおばあさんに、にこにこ笑いかけられて、「wow, you are so tall for japanese. i want to be tall like you too]みたいなことを言われました。げっ、と思いました。なんで、私が日本人だとわかるの、とも思いました。(笑)ああ、やっぱりアメリカでも、アメリカ人に言われるんだ、とちょっとがっかりしました。(悲)ただ、言われたあとの感触が違うんですね、日本人に言われるのと、アメリカ人ー今回は白人でしたーに言われるのと。その違いがどこから来てるのか、とずっと考えてます。tall がいい、の気持ちは、アメリカでは素直に信じられることーそれは一つの理由です。あと
基本的に、アメリカでは、日本人は人種差別を受ける側の人間ですから、普通は無視される存在です。いちいち向こうから声をかけてきたりはしない。ハローも言われないこともある。それが、声をかけてもらえたー差別されてないうれしさ、みたいなのがあるのかなあ。。。一方、日本人は、ふつう、知らない人とはしゃべらない。挨拶もしない。(アメリカ人は、ふつう、知らない人とでもハローと挨拶します。。笑)なのに、大きい、みたいなことは、知らない人にでも言う。。”ふつう”として扱ってもらえない苦しさ、ざらつきみたいなものがある。。。って感じかなあ。。
とにかくアメリカでも言われました。このごろは、それもちょっといやになってきました。(笑)



295.Re: アメリカ
名前:たかこ    日付:2013/8/28(水) 7:43
きのう、娘が白人の男友達と家にやってきました。前から聞いてはいたのですが、6フィート5インチほどあるそうで、確かに私の視線は上向きになりました。見上げるということはなかったです。(笑)彼も、娘に、背が高いから服はなかなかないし、なにかと人に言われる、とか娘に愚痴ったとかで、娘が「なんで私の周りには、背が高い、で苦労した人ばっかりなんだろ」と、私のことを念頭にぶつぶつ言いました。(笑)

アメリカでも、男性でも言われる?というか、苦労するのは、いつだったか、私が日本のテレビ局に文句を書いた、190センチほどあるプロ野球選手へのインタビューが、「なんでそんなに大きいんですか」で始まったこととといい、これまただいぶ昔に、150センチほどの漫画家が、自分の本のなかで、背が高い男性編集者も、いつも背の高さに言及されていやな思いをしていると書いていたこととかとあわせると(この漫画家にも手紙を書きました笑)、ジェンダーに関係なく、男も女もやっぱり言われるのはいやだ、ということになりますね。

で、こんな風に書いていると、そらみたことか、たかこはいつもアメリカはいいところ、身体のことはメンと向かって言われない、とか言ってたのに、やっぱり言われるんじゃないか、別に日本(人)が悪いわけじゃない、みたいなことをおっしゃる人は必ず出てくると思います。

何度も書きますが、アメリカでも言われるとしても、言われたあとの心のざらつきは、日本で言われるときとぜんぜん違うのは確かです。ただ、アメリカでも、高齢の日系アメリカ人(数回ほど言われたことがあります。知らない人です。日系アメリカ人に言われたときは日本語で、でしたが、そのときは、日本人だったおじいさんやおばあさんの影響をいっぱい受けて育ったんですね、と思いました笑。若い英語人の日系アメリカ人に言われたことはありません。)や日本人に言われるときは、日本で言われるときと同じようなざらつきを覚えます。そのあたり、日本語で言われるのと英語で言われるのとでは、感触が違うって感じでしょうか。

娘の友達は、もちろん英語で言われるのでしょうが、英語で言われた男性の気持ちは、私にはわかりません。(笑)先に書いたとおり、私の場合、英語で女の人に言われたときは、ちょっとめんどくさい、という気分にもなりましたが、ちょっとるんるんの気分にもなりました。(笑)

とにもかくにも、まだまだ考えたいことは続きますが、もし、アメリカも日本も同じだ、たかこのこれまでの主張は、身勝手なものだった、とおっしゃる人がいらっしゃるとしたら、次のように考えたいと思うようになりました。

アメリカを越えましょう!!!です。(笑)従来の日本人の考え方って、欧米に習う、みたいなところが大きかったですよね。明治以降です。日本(人)が何かするとき、では欧米ではどんな風になってるのか、と視察・研究・留学に来る政府や企業のエリートたちは多い。でも、アメリカでも、白人男性でも、言われるのはいやなのだ、と知れば、私たちが、アメリカを超える社会を作っていけばいいわけです。アメリカでも言われるんだから、日本で言われるのは当然だ、という発想・論法ではなく、アメリカでも言われるのなら、日本では言われない、という社会秩序なり規範を、私たち自身がつくっていこうという発想です。

アメリカではどうなのか、を気にする必要はまったくない。日本では、男であれ女であれ、面と向かって、身体的特徴に言及されないという、アメリカよりいい社会を作っていけばいいのです。がんばろう!!!(笑)

292.水俣病 返信  引用 
名前:たかこ    日付:2013/8/18(日) 8:47
NHKスペシャルで、日本の戦後と水俣病のドキュメンタリーを見ました。ほんとに悲しくなりました。チッソの会社は、水俣市民の経済とつながってるから、水俣病の人が自分たちを認めてくれと運動を起こすと、騒ぐな、と水俣市民から白眼視、差別されたそうです。で、その水俣市民が市外に出ていくと、これまた、水俣!と差別されたそうです。今も病気に苦しんでいる患者の人たちは弱者中の弱者です。それでも、患者の症状も、時間が経っていろんなレベルのものがあり、患者の考え方もいろいろあるから、東京のチッソの社長は、記者に言いました、あなた、患者、患者、というけれど、ほんとに患者の気持ちがわかってるんですか、患者、患者と言うな、と。何もわかってないくせに、一律的に”患者”を持ち出すことで、正義の騎士づらするな、ってところでしょうね。人間、お金がからむとほんとにややこしくなりますね。お金なしでは生きていけないし。。。(悲)
その点、ひまわりの会は、お金とはいっさい関係ないので、私たちが”大きい女の気持ちを認めてください、大きい、大きい、といわないでください’と騒いでも、だれも職を失うわけではないですから、堂々と言えますね。(笑)



293.Re: 水俣病
名前:たかこ    日付:2013/8/21(水) 0:33
で、内部批判で、私たちに、騒ぐな、と言う人がいるとしたら、ファッションモデルの人かスポーツ選手か、それとも和田さんか、それとも南海なんとかさん、それとも女優さん???(笑)
たぶんこういう有名人は何も言わない。。言うひとは普通の人。。(笑)で、そういう人に言いたいことは、あなたが”騒がず”にすむほど、有名人ほどとはいわなくとも、力をもっているなら、その力を、社会全体を少しでもよくする方向に使ってください、大きい、大きいといわれ続ける社会と、言われずにすむ社会と、どっちがいい社会だと思いますか。”同胞”を内部批判するようなことだけはしてはいけません、と。
もしかして、大きい、大きい、と言われ続ける社会のほうがいい、と言うかも知れない。となると、また戦術を考えねば。。(笑)

290.見つけた 返信  引用 
名前:メープル    日付:2013/8/17(土) 13:52
このところ孤独を感じ、大きな女性が集う会とか無いのかなとあれこれ検索してたどりつきました。なんでもあるものですね。私181p、町で長身の女性を見ると声をかけたくなりますが、なかなかその勇気は無く・・・
町ではすれ違いざまに、『でか!』と言う言葉を浴びせられること数十年。こそこそじろじろは当たり前。言葉の暴力が罰せられないのはおかしいと毎日思ってます。
モタさんの言葉、私も見てました。いつもこういう言葉を聞いて、なんとなく頑張ってきてたけど、たかこさんの意見を読んで、私もそう思うっておもいました。殺人は犯罪で、公共の場での暴言は言われるほうが我慢しなければいけない社会はやっぱりおかしい。ちょっと背が高いだけで、化け物扱いの小さい社会だな。この気持ちをわかってくれる場がなかったんです。私もみなさんに会いたい!集団で町を歩きたい。写真を撮りたい(笑)



291.Re: 見つけた
名前:たかこ    日付:2013/8/18(日) 8:32
メープルさん、こんにちわ。
書き込みありがとうございます。
私も、メープルさんにお会いしたいです。
いっしょに歩いて、写真を撮りましょう。
よかったら、私宛にメールをくださいませんか。

288.精神科医、斉藤茂太に挑戦!(笑) 返信  引用 
名前:たかこ    日付:2013/8/6(火) 2:21
このあいだ、日本からのテレビを見ていたら、「モタさんの言葉」という短い番組がありました。よりにもよって、根拠のない劣等感がどうのこうの、と言ってます。オンラインでチェックしてみました。
第29話です。以下のような感じです。

**世の中には、根拠のない劣等感に悩まされている人がなんと多いことか。たとえば学校で、「目が細い」といわれただけで強いコンプレックスに襲われ、もう家から1歩も出たくないと、そのまま登校拒否に陥ってしまう女子高校生がいれば、上司から「がんばっているようだが、ちょっと動きが遅くないか、同期のA君は今月成績トップだよ」と励まされたのがきっかけになって、不安神経症になるビジネスマンもいる。そんなことを言ってたら、私は身がもたない。肝心なことは、コンプレックスとは、実際の外見や能力とはほとんど無関係だ。自分がどう感じるか、どう受け止めるかによって、同じ外見、同じ能力がコンプレックスにもなれば、自信にもなりうるのである。私は、甘やかされて育ったので、運動能力が著しく劣っていて、グズでのろまだ。その上、臆病で、小学校で友達を作るのがきわめてむずかしかった。しかし、あんずることはない。これまでなんとなく、つつがなくやってきた。目尻が下がったこの顔を案外気に入っているし、福相と言ってくれる人もいて、コンプレックスにはならなかった。グズものろまも、人生において、そう大きな問題にならなかった。人にご迷惑をかけないように、予定を立てる場合はゆとりをもたせた。それでもはた迷惑になったこともあったかも知れないが、自分が気にしすぎなかったから、回りの人も寛大にうけとめてくれたのだと思う。人にはすぐれたところもあれば、不足なところもある。そんな満ち欠けこそ、人間的な魅力の根源となることが多い。

***こういう文章を読み、「心の名医」のメッセージとか、心に染み入る「ことばの処方箋」で元気と勇気がわいてくる、といった宣伝文句を見て、私が考えることー
1 斉藤氏がグズでのろまだったことは、たぶん”補償”行為がなされているだろう、ということ。つまり、斉藤氏は”いいとこのぼっちゃん”で、医者になれるほど頭がよかったので、それで人さまから、グズでのろま、だからといって、いじめられることはなかったのではないか。

2 そういう可能性も十二分に考えられるのに、自分が気にしすぎなかったから、回りの人が寛大に受け止めてくれたのでは、と考えるのは、確かに”いいとこのぼっちゃん”で甘やかされて育った人の”甘さ”、もっと言えば、傲慢にもつながるものと考えられること。気にする人間を絶対に責めてはならないと私は考えるが、精神科医が気にする人間を責めるように言うのなら恐ろしい、それでも医者か???(怒笑)

3 コンプレックスとは、確かに実際の能力や外見とは無関係かも知れぬ。問題は、他人に言われる、ことである。

4 自分がどう感じるか、どう受け止めるか、と、言われる人間に問題解決の責任を課すのは、精神科医として患者を失いたくないから、ではないのか。。(笑)

5 ほんとに患者本位の考え方をするならば、同じ言葉を言っても、どう感じるか、どう受け止めるかは、その人によって違うのだから、その人を登校拒否にしないために、不安神経症にしないために、他人に何を言うかは、非常に注意して、言葉を選ぶべきである、そのための教育やトレーニングがなされるべきだと考えられるよう、社会は発想転換をするべきである。上の例でいうならば、同期のA君がどうのこうの、と上司が部下を比較するのが間違っているのである。仕事の評価に、同僚との比較は無用であり、関係がない。

6 斉藤氏は、ジェンダーを意識しなかった時代に生きた人だから、こういう発言を今だに”名言”として紹介するには限界があるのではないのか。つまり、斉藤氏は男である。男は、仕事ー能力で勝負である。だから、かれがのろまだとか、目尻やら福相がどうのこうの、とは問題の本質からは完全にかけ離れた意味のなさない例示である。

7 というわけで、「満ち欠けが人間的魅力」といった総論で締めくくり、患者を少しでも減らすための、問題の本質に迫ることのない、しょせん、患者に処世術を施し、同じところを行ったり来たりさせて、患者を維持するための、私にとっては、何の力もない、つまらぬ”名言”−きれい事ということになりました。(笑)斉藤氏が生きてたら、手紙を書いて、議論を申し込みたいですが、もう亡くなってるので、それもできません。(悲笑悲)

287.美容整形と〈普通のわたし〉 [著]川添裕子 返信  引用 
名前:たかこ    日付:2013/8/5(月) 20:37
アサヒドットコムの書評より

[文]内山菜生子  [掲載]2013年08月09日

***著者に意見を申込みたいものです。「普通」を強制する”世間”が跋扈する社会を変えましょう、と。「普通の私」が問題なんだあ!!! (笑)でも、考えてみるに、普遍性を追わないーこの場合は”美”−という”日本人らしさ”は、多くの問題に通底しているもので、その指摘は鋭い、と考えます。。

 身体の気に入らない部分を望み通りに変えたい。でも、劇的に美しくなりたいわけではない。そんな複雑な思いが交錯する美容整形の意味を、聞き取り調査をもとに解き明かす。
 日本で整形に踏み切る者が求めるのは、理想の「美」ではなく「普通」だ。患者たちは「普通」と異なる鼻や目、乳房を直したいと語る。これは「自然の身体」を傷つける整形をタブー視する日本ならではの特徴だという。患者の多くが微調整を望んでリピーターとなるのは「自分の身体は精神の所有物」とみる近代的な身体観が根底にあると分析する。
 同時に、患者たちは整形を機に「生まれ変わった」と証言する。劣等感から解放され、新たな人間関係や仕事を獲得し、自分を構築し直す。ここにアフリカの、身体に傷をつける通過儀礼との類似性を見る。伝統的な身体観と近代的なそれとの間で、整形は揺れているとの考察も鋭い。「人間は身体を加工する動物」という著者は、自己否定感を持つ人には整形も「ありかも」と書く。興味本位でなく、真摯に整形と向き合いたい人には「救い」となる言葉だ。

285.のっぽ 返信  引用 
名前:たかこ    日付:2013/7/31(水) 6:47
という言葉を見つけました。うれしかったです。。
これまた、古い新聞記事から。。
1994年4月1日付日米時事新聞
ジュリア・カセムというジャパン・タイムスの通信員が書いた記事を駐日新聞が掲載して、それをサンフランシスコの日米時事が転載したもののようです。。
国際結婚とその子供たちの話を書いた「金魚鉢の中から」というコラムの最後のほう。。。「学校で仲良くしましょう、というだけでははじまらない。違いについて公然と話しあうことによって、外国人子女に限らず、少数派ゆえに疎外感を覚えている子供たち、メガネちゃん、ふとっちょ、のっぼ、恥ずかしがりや、覚えの遅い子、障害を持つ子、変わったものに興味を持つ子ーなどの救いとなるだろう。違い万歳!!」

学校で仲良くしましょう、というだけでははじまらない。。。その通りです。

283.偏見はね返す前向きな姿勢 返信  引用 
名前:たかこ    日付:2013/7/31(水) 4:47
相変わらず古い新聞から
朝日新聞1994年6月9日付「声」の欄より

インドネシアと日本のハーフの人の「声」です。
「私もこどものころは、日本で生まれ育ったにもかかわらず、名前が違うというだけで、”ガイジン、ガイジン”とはやしたてられ、バカ、英語話してみろ、などといったいわれのない言葉の暴力と冷ややかな偏見の視線を浴び続けてきました。。でも時が経つにつれ、うらやましがられたりすてきな名前と言われたりすることも増えました。。。言いたい者には言わせておけばいい。。でも本人が前向きな姿勢でいれば、認めてくれる人が必ず現れるということを私は信じています。今現在、私の中で完全にしこりがとれたわけではありませんが、差別を経験した者にしかわからない思いやりの心や優しさをもてたことを誇りに思っています。」

あああああ。この手の処世術を、何度何度言われたことでしょうか。なんで言われた人間が全部自分が飲み込んで、じっと我慢して、信じて、一体何年を棒に振らねばならないのか。。。人生、短いです。偏見をはね返す前向きの姿勢とは、被差別者が全部自分が飲み込んで、きっと自分のことをわかってくれる人が現れると信じることではありません。前向きとは、被差別者が、差別者に堂々とノーを突きつけることを怖がらないことです。。。
それがわかっていても、なかなかできない現実。。。(悲)
この「声」から20年。(げっ、20年もじっと抱えていた!!笑)
どうでしょうか。日本社会は、堂々とノーを言ったら、受け入れてくれる社会になったでしょうか。



284.Re: 偏見はね返す前向きな姿勢
名前:たかこ    日付:2013/7/31(水) 4:58
こんなのもありました。
こちらの人は、日本人とイタリア人のハーフだそうです。
朝日新聞1994年6月8日付

「。。。娘が友達に手をあげたと、先生から連絡をいただいた際、私はその背景には娘が”ガイジン”と呼ばれて傷ついていることを手紙に書きました。先生は上級生の担任にも指導を呼びかけてくださり、娘を”ガイジン”といじめる子がいると気をつけてしかってくださいます。。(後略)}」で、編集部がつけたタイトルは、「ハーフの娘は明るい人気者」

やっぱり傷ついていることを表に出すことが大事なのでは。というのも、それで物事がどう動くかを見極め、自分の対処法も考えられるから。先生に、傷ついています、と言って、先生が何もしてくれなかったら、そういうところで頼りにならない、では、次の手を考えて、打っていこうとか。。。

282.環境問題 返信  引用 
名前:たかこ    日付:2013/7/19(金) 6:41
部屋にたまっている古新聞の記事に目を通していたら、こういう文章にぶつかりました。

1998年5月3日付朝日新聞より
「外見じゃないよ、心だよ」なんて、ウソですよ〜と言い放つ。「私のメーク講座の生徒が「性格ブスは環境が作る」と言ったことがある。周囲の態度って、外見にすごく左右されるんです」
きちんと化粧したら、病院で普段よりていねいに診察してもらえた、店で店員の応対が優しくなった。。。などの経験を、生徒たちから日常的に聞いている。「周囲の姿勢が、人の心に影響しないはずがありませんよね。」(後略)

きれいにしていたら、相手の反応が違う、というのは、人種の力関係が渦巻くアメリカでは、日本より日常的かも、です。私の日本人の知人は、アメリカ人の態度が違うから、と言って、ルイビトンのバッグを持ち歩く人がいます。しかし、これはcompensation (補償)行為と呼ばれます。一種の処世術ですね。個人の処世術を止める必要はありませんが、問題の根本的な解決にはなりません。つまり、ルイビトンをもっているから、と言って、社会の人種差別的構造や態度がなくなるわけではない。。(怒悲)
周囲の環境が人の心に影響する、は、心から同意します。要するに、大きい、大きい、といわれ続ける環境が、人間の気持ちを卑屈にしていくいことは否めないのでは。。。大きいことが問題なのではない、大きい、と他人にいわれ続けることが問題なのだ、環境問題だ、で、これからも自分にできるところから、少しずつがんばっていきたいです。
そうそう、きのうは、確か、背の低い人が大きい人間をうらやましく思う気持ちはよく理解できる、でも、”うらやましい”という気持ちは、ご自分で処理してください、こちらに振り向けないで、とお願いしました。
”うらやましい”という気持ちも、プライベートな問題です。身長何センチ、と聞く人がいたら、それはプライベートな問題ですから、と答えるようにして、大きな枠組みでは環境問題と考えれば、少しは、問題を自分のこととしてとらえたくない人たちからの摩擦と抵抗を押さえることができるかも知れません。。。

279.反論大歓迎 返信  引用 
名前:たかこ    日付:2013/7/19(金) 1:49
私の書き込みに対して、以下のような反論が来ました。ありがとうございます。
私の論点は、同じく日本人といっても、アメリカ生活が長くなると、日本人が変わる、ということを言いたかったのですが。。。
いろんな視点は必要だし、反論してくださることに心から感謝です。”戦い”が長くなるとーつまり時間が経つと、”兵隊”も年をとることで、考え方も変わるし、”戦い”そのものも性格を変えていくだろうし。。。それでも、”戦い”続けていくには、新しい血と発想が必要です。そして、”戦い”が長くなるにつれ、問題の本質があぶりだされてくるのではないか、と思います。”戦い”がいっときの感情の爆発にまかせたものではない、という意味で、です。これからもよろしくお願いいたします。
                *

別に日本人の肩を持つわけではないですが、利害が絡むとアメリカ人って簡単に謝りませんし、処世術で動くのはアメリカ人も日本人も基本同じだと思います。

状況やテーマによって対応は違うと思いますが、「身体的な特徴を云々する」というカテゴリでは、移民社会のアメリカでは社会的なマナーに反していると捉える人が多いし、余計な摩擦を避けるためにマナーを守っているということで、それは一種の処世術ではないでしょうか。

移民社会とは、他人との関係が薄い、身内関係が濃い、上下関係よりも個人関係に重きを置く社会です。日本は移民社会ではありません。
どちらかと言えば儒教が色濃く社会の規範やマナーに影響しています。
(明治期や戦時期も教育が基本は儒教だったから)
日本は同一民族、同一言語、同一文化を共有している国家ですから、多民族・多言語・多文化の移民社会とはおのずと違ってきて当たり前だし、どちらが良いとか悪いとかの議論も簡単単純ではないだろうと考えます。

簡単単純といえば、アメリカは移民社会で人口構成が複雑だから、複雑かというとそうでもなさそうです。むしろ歴史が浅くキリスト教社会のアメリカは日本ほど複雑ではないと私は感じます。

それはさておき、日本人がなぜ、「身体的な特徴を云々する」というカテゴリではアメリカと違って社会的なマナーに反していると捉えないのか、ということですが、それは儒教が上下関係のマナーを厳しく教えている事と関係があり、以下の点が当たり前という空気が支配しているからではないかと思います。

@上下関係において下位のものには何を言っても反論が許されない。
つまり上位者(年配者・先輩など)が「大きいね」発言をしても逆らえない。たとえ逆らわれても謝らないという構図です。

A平均(中庸?)を尊ぶ。
つまり平均から外れているものは下位に立つものと見られるので謝らないという構図です。

B礼(マナー)を重んずる。
下位のものが上からの目線で見ることは礼に反する?。
とにかく上からの目線は威圧感があるので、下位の分際でなまいきだと感じる?

とにかく謝らないのは自分が上位だと思っているからではないかと思います。さしたる理由もなく自分を上位に置くーこれが憤る理由なのではないかと思いますが、どうなんでしょう。
姑息って、そういういう言い方はちょっと。。。 (笑)

儒教
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/813928.html

*** 今は、パワハラやらセクハラやらと、力関係にもとづく”いじめ”や言葉の暴力をコントロールするシステムは、一応表面的には、かなり作られ、人々のあいだで納得されてきているのでは。。。上に立つ者だから謝らないという儒教のシステムはわかりますが、私たちに”大きいね”発言をする人は、力関係とは関係ない、私たちと同じレベルに立つ人です。敗戦して、民主主義を”押し付けられた”日本人としては、自らの身体に刻み込まれた儒教精神との矛盾をもっと自己認識して、これからどうするべきなのか、もっと真剣に模索してほしいと考えます。
外から見ていると、一つはっきりしているのは、”いじめ”に対し、やめてくれ、を言わせない”空気”、その”空気”に反する勇気を絞りきって、”やめて”と言っても、わかった、ごめんと素直に謝れない人間は、世界では生きていけない、少なくとも、アメリカでは生きていけないということです。だから、このごろニュースによく取り上げられるのは、今の若者は留学を考えない、海外に出ようとしない、といったトピックです。鶏が先か、卵が先か、の議論になるとは思いますが、謝れない「井の中の蛙」は、井戸から出るな、日本の恥、と思うし、謝れるようになるために、やっぱりより広い世界の標準に触れるべき、と思いますね。(笑)



280.Re: 反論大歓迎
名前:たかこ    日付:2013/7/19(金) 1:55
一つ書き忘れたように思うこと。。

アメリカ人なり、アメリカ生活が長くなった日本人が素直に謝ることが、たとえ、相手を理解した心、気持ちからではなくとも、たとえ口先だけの処世術だとしても、それでいいと思います。それは、人が陰で、身体的特徴をうんぬんすることは誰にも止められないことを表裏をなしていると考えます。
すくなくとも、きのう、私が言い出して、謝ってくれた人たちは、心から謝ってくれたと思います。人間関係の中で、信頼がありますから。


281.Re: 反論大歓迎
名前:たかこ    日付:2013/7/19(金) 2:20
そうそうもう一つ。。。”姑息”ですが。。

これは、私の感覚では、権威主義と関係があります。要するに、儒教が教える?、上の人に従っておけば、悪く言えば、”へつらって”おけば、自分の身は守れる、上の人に”取り入れ”ば、自分も”上の人”になって、そのうち権威・権力を楽しめる、という利己的な発想と行動が”姑息”???その意味で、儒教が奨励する?謝らないのは、典型的”姑息”な行動???
民主主義は、利他のために、自分ひとりで立つことを奨励し、評価すると思います。
そういえば、石川都知事は、このままでは日本は中国の属国になる、とか言ったとニュースで流れていましたが、日本(人)って、敗戦でアメリカの民主主義を”押し付けられた”けど、実際には、大昔に中国から輸入した儒教にも縛られているとなると、日本(人)自体が、現代の米中の目に見えない覇権争いの戦場になっているのでは。。。がんばれ〜〜〜って言っても、勝ちはどこにあるの???(笑悲)

278.とうとう 返信  引用 
名前:たかこ    日付:2013/7/18(木) 14:6
実は、こちらで、アメリカ生活が長い日本人女性たちに、けっこう「大きいね、大きいね」「ジャイアント」みたいなことを言われてました。しばらく我慢してたのですが(やっぱり。。悲)、今日、思い切って、切り出すことにしました。で、「実は私はこんな本を書いてるんです」と言って、本を渡しました。そして、大きいとは言われたくないんですよ、言われたくない大きな人はけっこういると思います、と言い、その他もろもろ状況を話しました。そして、日本の人との決定的な違いを感じました。アメリカ生活が長くなると、相手が、いやなんです、というと、すぐに、わかりました、ごめん、すみませんでした、と謝ってくれたんです。この、わかりました、すみませんでした、ですよね。絶対に日本の人が言わないのは。。なんやかんや言い訳をする、悪気がない、うらやましいのよ、挙句の果ては、そんなことで悩むなんて、悩むほうが悪いとか、言われるのは人格が悪いとか、言われた人間を責めるのが日本社会の”常識”の感じです。(怒)今日は、おもいきって言ってよかったです。すぐに、悪かった、と謝ってくれる人には、やはりその人の大きさを感じますね。そういう意味では、悩むほうが悪い式に、すべて処世術でごまかそうとする人は、やっぱり姑息です。日本には、姑息な人が多い。。(怒悲)

277.コミックの世界 返信  引用 
名前:たかこ    日付:2013/7/17(水) 20:7
2013年7月17日のアサヒどっとコムのコラムより。。
女子中学生が181センチだそうです。。
               *

6月22日、富士山が世界文化遺産に登録されたことを記念して、今回は「漫画アクション」連載中の『富士山さんは思春期』(オジロマコト)を取り上げてみたい。
 なんて言うと富士山を擬人化したギャグマンガみたいだけど、この富士山は「ふじやま」と読む。人の名前だ。本作は身長181センチの中2女子・富士山さんと、160センチの同級生・上場(かんば)くんの初々しい恋愛を描いたラブコメ。富士山さんの着替えをのぞいて恋に落ちた上場は、衝動的に告白し、あっさり「いいよ」と受け入れられたところから物語は始まる。
 「女の子のほうが大きい中学生カップル」を描いたマンガは、昔から珍しくない。代表的なものに80年代の『Theかぼちゃワイン』(三浦みつる)があるし、70年代の『月とスッポン』(柳沢きみお)もそうだった。意外なところでは『月とスッポン』よりも早い1974年に始まった『硬派銀次郎』(本宮ひろ志)。「硬派」と言いつつ、銀次郎には第1話で彼女ができてしまう。彼女になる高子が銀次郎より20センチ背が高い点は『富士山さんは思春期』と同じだが、改めて確認してみると高子の身長は162センチでしかない。その後、『Theかぼちゃワイン』のエルの170センチを経て、ついに高身長ヒロインは180センチの壁を突破したわけだ!
 文部科学省の学校保健統計調査によると、この40年で中2女子の平均身長はそれほど変わっていない。昭和47(1972)年度の152.6せンチに対し、平成24(2012)年度は155.0センチ。中学生が大きくなったのではなく、あくまで「背の高い女の子」が受け入れられるようになったと見るべきだろう。
 銀次郎たちとちがって、上場の身長が中2男子としては平均的なことも見落とせない。平凡で感情移入しやすい上場の(見上げ気味の)視点から、富士山さんの魅力が描かれる。体格は立派でも、男子にケリを入れる無邪気な中学生に過ぎない富士山さんは、しばしば無防備な行動を取り、健康的なエロスを振りまく。ふたりの関係は学校では内緒、ケータイを持っていないので連絡はメモ、手を握るだけでドキドキ……など、昭和的郷愁にあふれるエバーグリーンな「中学生の恋愛」が胸に染みる。特に夏休みの季節にオススメだ。
    ◇
本宮ひろ志『硬派銀次郎』全8巻(集英社文庫) 1974年開始
オジロマコト『富士山さんは思春期』既刊1巻(双葉社) 2012年開始

274.いじめ 返信  引用 
名前:たかこ    日付:2013/7/3(水) 9:38
部屋の掃除を兼ねて、昔の新聞記事を読んでます。1997年4月21日付朝日新聞に、日系ブラジル人三世の中学生へのいじめについての記事がありました。。。「バカ」「ガイジン」「臭い」と、同級生4人が、教室や廊下ですれちがいざまに言う。彼は「バカ」と言い返すが、それ以上は相手にしなかった。。。髪をとかすまねで、髪型をからかわれていたのを見た友人もいる。。。給食当番のとき、おかずを盛り付けようとすると、同級生が皿だけを受け取って自分でよそう。。。「近づきたくて、ちょっかいを出してるのかもしれないよ」。。担任は、「人目をひく彼へのひがみがあったんじゃないか」と思っている。。。「悪口を言うやつは何人かいたけど、そいつらも悪気はなくて、ジョークだと思ってた。。。」「彼は体格がいいので目立ち、ちょっかいをだしたくなる存在だった。でも、相手にせず反論などしなかったので、いじめにつながったと思う。日本人同士のいじめと同じ構図だ。外見とかがほかの子と違う子がいじめの対象になりやすい」。。。
*** もう今から20年近く前の話ですが、今の日本は、少しはよくなりましたか。すれちがいざまに、「バカ」「ガイジン」って、私たちが通った道もやっぱり「いじめ」だったんじゃないでしょうか。記事によると、この生徒は、筆箱やノートをごみ箱に隠されたり、自転車のタイヤの空気が抜かれ、サドルにべっとりとつばがはきかけられたりしてたそうです。。ここを読んで、実は、私も小学生のころ、隣の生徒に、めがねや教科書などを隠されて、次の日に学校に出てくると、机の上においてあったことなどを思い出しました。(悲)


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