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Ryo爺の独り言

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はじめまして 返信  引用 
名前:梅澤 康雄    日付:2014/8/29(金) 14:33
佐野様の作品に深く感動しました。
ぜひ実物を拝見したいと思いメ−ル
させていただきました。
機会があれば、よろしくお願いいたします。



Re: はじめまして
名前:Ryoji    日付:2014/8/29(金) 21:0
拙作をご覧いただき、ありがとうございます。いまだ独自の技法を得られず、あれもこれも手を出す試行錯誤がつづいています。
私が出展している展覧会は、温故の会作品展(例年6月)と、道美展(例年9月、今年は8月でした)の年2回、どちらも終了しましたので、このあと今年の予定はありません。

来年ならば、梅澤様のお住まいがどちらかわかりませんが、札幌近辺なのであればご来観いただけたら幸いです。また“かでる2・7”で毎週2回例会があり、私は水曜日(10:00〜14:00)に作業をしております。遊びがてら覗いていただけたら……仲間たちにも励みになろうかと思います。

「ほんとに」と「しっかり」 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2014/3/14(金) 16:18
手仕事をしながらテレビの音声を聞いていると、いままで耳を素通りしていたような言葉が耳につき出した。とにかく誰でも頻繁に使っている言葉なんだが。
「ほんとにすごいと思いました」「ほんとに命懸けでした」「ほんとに感動しました」「ほんとに勇気をもらいました」
「しっかり練習できてよかったです」「しっかり取るものは取っていく」「しっかり責任を果したいと思います」

まあ意味は通じているし、文脈になんの問題もないのだ。ただ「ほんとに」や「しっかり」をつい口にしてしまう人の気持ちを考えてみた。もちろん私は心理学に明るいわけではないし、単なる揚げ足取りをやっているのかもしれないけれど……。

「ほんとに」は、強調するときに使うように思う。己の体験の場合なら、いかに大変な事態のなかで健闘したかということを、また他人の場合ならいかに超人的な技や勇敢な行為だったかをホメるときに。

中には口癖のように使っている人もいる。まるで「あのー」「えーと」の代わりみたいに「ほんとに」と言って間を持たせ、次に言うことを考えている場合もある。

ちょっとしたコメントに数回連発する人もいる。とくに謝罪〜弁解の会見なんかで立て続けに言われると眉唾めいてくる。「ほんとに」とは「ウソじゃない」と言っているわけだから、「ウソじゃない、ウソじゃない」と繰り返せば繰り返すほど、ウソくさく聞こえてしまうのだ。

同様に「しっかり」もこの伝で、何回も繰り返されると、なんだか疑わしい気分になってくる。しっかりやっていないのに「しっかり」と言うことで、他人に「しっかり」やっているように見せかけているのでないか、なんて意地悪な見方をしてしまいそうだ。私が猜疑心の強い性格なのか、世情のあくどさを見聞きしているうちに言葉にまでバリアを張ってしまうようになったのか……。

そんな疑わしい気持ちになっているとき、なんと、この「しっかり」という言葉を政治家がしきりに使う場面に出くわした。「しっかり国民の声を聞いて」「しっかりと議論して」「しっかりと政策を実行していきたい」

かつての政権担当には「しっかりせよ」と言いたかったのだが、現政権担当はまるで他人の声に耳を貸さず、自論を声高に繰り返している。大声で言い続ければそれが世論になると思い違いしているのか。こんな人に「しっかり」やられたんじゃあ、この国はいったいどこに向かうのか?

政治家が「しっかり」を連発したら、これは眉唾ものだ。国民は「しっかり」見極めなくちゃいけない。

年金生活者の確定申告 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2014/2/18(火) 12:40
確定申告の時期がやってきた。毎年、国税庁ホームページの確定申告作成コーナーで申告書を作成する。e-Taxは利用しておらず、作成したpdfをプリントアウトして、札幌北税務署まで歩いて行くことにしている。自宅から1.2キロ、往復して40分ほどなので足の運動も兼ねている。

24年分は、妻も年金をもらうようになったので、それも雑所得と思って私の年金額に加えて計算した結果、還付は940円程度だったから、申告しなかった。公的年金等による収入が400万円以下に適用される“確定申告不要制度”によったつもりだった。

ところが今年、25年分の作成に当たり、いろいろ調べてみたら、確定申告は個人単位で行うもので、世帯単位で行うものではないことを知り、私が申告する雑所得に妻の年金も加えることは間違いと気づいた。これまで公的な届の類は、私(夫)が世帯全体を仕切って、一括して行うべきものとしてきた考え方が、確定申告においては誤りだった。

で、昨年分を“正しく”計算し直すと、7,400円ほど還付されることがわかった。いまごろわかっても後の祭りかなと思ったら、確定申告は5年間さかのぼって提出できるという。で、25年分と同時に24年分も申告することにした。

さて25年分は、収入は公的年金だけ、同じ間違いをしないよう今度は妻の年金を加えず、私だけの年金額を雑所得とした。医療費控除は、体調不良がいろいろ出てきて、治療や手術があり、保険給付を差し引いても10万円をはるかに越えた。なお、この医療費控除は私(夫)個人の分だけでなく、妻の分も含めた世帯単位に考えていいとのことで、それも加算した。さらに社会保険料控除、生命保険料控除、地震保険料控除、配偶者控除、基礎控除を満額差し引いて、11,000円ほど還付される結果となった。

というようなことを、同じ年金生活者で木彫仲間のTさんに話したら、「オレは役所だの公文書だのが嫌いだから出さない。年収400万円以下なら出さなくていいんだろ」と言った。なるほど、こういうことに無頓着で、面倒くさがりな人は案外多いのではないだろうか。納税は国民の義務だが、過払いは還付してもらう権利がある。これは国民に平等であるべきなのに、“申告”というハードルのせいで善良な国民はどのくらい損を(あるいは国庫に貢献)しているのだろうと考えてしまった。

読み書きクイズ番組に思うこと 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2014/1/5(日) 10:2
テレビのクイズ番組で、漢字の読み書き問題が出ることがけっこうある。しかし、その識字能力の低さに驚かされることが多い。もちろん回答者が芸能人ということもあるから、しゃべりは得意でも読み書きは苦手なタイプも参加していて、それを笑う意図があるのかもしれないが……。

しかし、これは現代の私たちの生活が、筆記具を使って一字一字書かなくなった(また、やたらに意味不明の和製英語〜カタカナ英語を乱発使用し、日本語をおろそかにした)ゆえに失った結果なのではないか。番組の回答者だけでなく、私たちもテレビを見ながら、忘れてしまったことを痛感することになる。

文章を書くことを職業にしている人たちは別にして、いまや、普通の人たちが文章を書く機会といえば年賀状の添え書きくらいか。手紙の奥ゆかしい作法はもはや過去の長物、ケータイやメールがとって代わった。最近のケータイやパソコンの普及率からいえば、むしろ文章を書く機会は増えているはずだが、本質的に違うものがあるように思う。
IT機器には、やたら便利な機能がついていて、頭文字を打つだけで過去に入力した単語やフレーズが変換候補として出てくる。それによって書く文章は、そのときの新たな発想を表現するのではなく、既成パターンの組み替えの域を脱しないことになる。これでは構想力も表現力もつかないのではないか。

識字力や文章力が必ずしも最優先する時代ではないかもしれないが、人間のクリエィテブな可能性を前進させていく要素であることに間違いないだろう。書くという行為は思考することでもある。気ままに言葉を垂れ流すような文章は思考につながらない。文明は便利になりすぎると安易さに走って、大事なものを失いつつあることは確かなようだ。

「大菩薩峠」リメーク待望 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/11/28(木) 10:24
中里介山「大菩薩峠」を全巻読んだ人は少ないだろう。何せトルストイの「戦争と平和」よりも長い超大作で、それでも未完なのだから。でも、私は青空文庫で読んだ。巻を追うごとに登場人物が際限なく増えてきて、主人公は誰なのか、作者は何を軸にして物語っているのかわからなくなってくるし、何よりも文章が下手くそで嫌になってしまう。長過ぎ、焦点が絞れない、文章が下手、だから速読法など知らなくてもついつい斜め読み、飛ばし読みになってしまう。

ハナシは面白いのだ。時代小説としてこれほど面白いものはないとも言える。登場人物を絞り込んで、ストーリーも要約〜圧縮した映画のほうが面白い。映画はこれまで3作品を観た。

@片岡千恵蔵主演
大菩薩峠 1957 内田吐夢
大菩薩峠・第2部 1958 内田吐夢
大菩薩峠・完結編 1959 内田吐夢

A市川雷蔵主演
大菩薩峠 1960 三隅研次
大菩薩峠・竜神の巻 1960 三隅研次
大菩薩峠・完結編 1961 森一生

B仲代達矢主演
大菩薩峠 1966 岡本喜八

@は、主人公の千恵蔵が50代の出演だから、白皙の青年のイメージがない、それでもおどろおどろしいニヒルさは一番かも。Aの雷蔵はカッコいいが眠狂四郎のイメージを抜け出ず浅い、ストーリーもはしょり過ぎて飛ばし気味だ。惜しいのはB、達矢の狂乱の立ち回りは異様な凄味があるが、残念ながら第1部で中止になっている。盲目になってからの続編を見たかったが、作られていない。なぜなのか地団駄踏む思い。

@の脚本で、豊川悦司あたりを机龍之助役にして、誰かリメークしないかな。

アクセス70000件 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/10/1(火) 12:10
今朝、わがサイトのアクセスが70000件に達した。開設15年目にしてやっとこの件数だから、全然人気サイトでないことは確か。それでもほぼ毎日のように訪問者があることはありがたい。数件でもカウンターが上がるたびに、さっぱり更新していないことを恥じ、申しわけない気持ちになる。

顧みれば……1998年5月2日に小説サイトとして“Ryojiの書斎”を開設。当初何の反響もなかったが、富田倫生『インターネット快適読書術』を読み、著者にメールをしたのがきっかけで、“青空文庫”に自作を公開、氏手ずから「闇の力」「われらリフター」など5作品をT-Time化していただいた(その富田氏が不意打ちのように今年8月冥界に去り、痛恨、哀惜の念に堪えない)。それからアクセスが急増し、またマイクロソフト社のIME開発担当者からコーパス(言語資料)に使わせてほしいとか、ニューヨーク在住の人から本の情報の問い合わせがきたり、「尾なし犬」がネット読書会の課題作にされたりして、インターネットでの新しい展開が期待させられた。北海道文学館で「私のネット文学体験」と題して講演したり、北海道新聞にエッセイ「俗に通ずる――インターネットによる作品公開の試み」を発表したりしたのもその頃である。

その後、小説作品の公開だけでなく、読書や映画、ジャズ、川柳、漢字検定など、自身の好奇心にまかせて余計なものを増やし、しだいに何を目的にしたサイトかわけがわからなくなってきた。さらに公務を定年退職し、小説に専念して新聞連載などのチャンスにも恵まれたが、ほどなく詞藻の枯渇を感じて執筆から退いた。代わりに何気なく木彫を開始、ほとんど遊びのような削る作業にはまってしまい、小動物や人形などの立体彫刻が面白くてならなくなった。その駄作愚作を公開し始めるに及んで、何が目的のサイトなのかますます不可解な、ガラクタ箱のようになってきた。

今年4月、文学関係を(青空文庫の公開作品関連を残して)大幅に削除し、“Ryoji工房”と看板を変え、URLも改めて再スタートした。以来、アクセスは激減、リンクしていただいた方々にろくに連絡をしなかったこともあるが、毎月200件を越えていたのが半数以下になった。木彫作品は完成まで1〜2カ月かかるし、途中で放り出して半年後に彫り直すこともあるし、と言い訳を挙げつつも、更新停滞無気力サイトになってしまっていることは否めない。しかし、木彫を面白がる気持ちは変わらないし、気分は完全に遊びモード、気まぐれの更新でしかないが、興味のある方、人情に厚い方(?)、ときどきでもご訪問いただけたら幸いです。

中士別小学校第47期生同期会・発起人挨拶 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/9/24(火) 13:35
みなさん、ようこそ中士別小学校同期会にご出席、ありがとうございます。
73歳にもなりますと、あっちが痛いのこっちも痛いのと、いろいろ体調不良が出てくるものですが、みなさんには万難を排して元気な顔を見せていただき、一同ともに再会を喜びたいと思います。

どうも最近は――これは年寄りのヒガミかもしれませんが、世の中の動きが面白くない。政治は経済優先の名のもとに弱者切り捨て、世情も弱い者いじめが横行して、年寄りを騙したり、他人の不幸につけこんで儲けたりという、あくどい事件が多すぎますね。テレビを見るたびに腹が立つやら、情けないやら……。物質的豊かさ、便利さと引き換えに、何か大事なものを失ってしまったような気がします。
昔が全てよかったというつもりはありませんが、私たち子供の頃は、他人に後ろ指さされないようにしなさい、というのが守るべき大事なことでした。もっと素直で真っ直ぐ暮らしてきたように思います。

あの当時を振り返ると、士別を離れて久しい私は、中士別の懐かしい光景が眼に浮かびます。……水田地帯の畦に仕切られた水面に空が映ってなおさら広々と見える光景、軽便の線路を歩いて登校したこと、木造ボロ校舎でささくれ立ったフローリングにも不満はなく走り回っておりました。年間通しての楽しみは、町をあげての運動会、それから5線の神社と9線の神社のお祭り、これが当時のビックイベントで、賑わいに胸をときめかせ、満ち足りた思いでした。また欲しいものは跡路商店に行けばすべてあると思いこんでいました。貧しくても心にゆとりがあり、素直で真っ直ぐ――それが私たちの子供の頃でした。

今宵は、あの昭和の時代と中士別という故郷を共有する者たちが集まりました。ひと時、あの少年少女に返っていただいて――顔や体つきは返れませんけど、気持ちだけタイムスリップしていただいて、それから少しハメも外していただいて――あんまり外すと、別な世界に行ってしまって戻ってこれなくなっては困りますので、少しだけハメを外していただいて、大いに語り合い、ほどほどに飲んで、明日からの元気の元にしていただければ幸いです。
一言申し上げまして歓迎と開会のご挨拶にいたします。みなさん、ありがとうございました。

(今回は札幌当番、9月23日“定山渓ホテル”で開催)

ビル・エヴァンスを偲んで 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/9/15(日) 16:18
9月15日はエヴァンス忌。久しぶりに、ビル・エヴァンス・トリオを懐かしむ。
晩年の「ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング」は明澄で好きなアルバムだが、あまりにも哀しすぎる美しさ、白鳥の歌というか遺言集とでもいうような趣なので、今日は雨も降っているし、沈んだ気分になるのを避けて、青年期の昇り調子な元気をいただくことに。
で、ビル(ピアノ)と、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラムス)の、世にいう黄金トリオから、とくに大好きな曲を選んだ。

1. 枯葉 Autumn Leaves
2. ブルー・イン・グリーン Blue In Green
3. イスラエル Israel
4. ナーディス Naedis
5. マイ・フーリッシュ・ハート My Foolish Heart
6. ワルツ・フォー・デビイ Waltz For Debby

どの演奏もフレッシュな気鋭に満ちている。感性の衝突と融合がよどみなく小気味よい。ライブ盤は食器のぶつかる音やらおしゃべり、咳払い、笑い声なども聞こえて面白いのだけれど、聴衆は熱心に聴いていないような雰囲気にも感じる。ビルはまだ無名で、今このとき歴史的名演奏が始まっているのに、聴き手は気づいていないのかもしれない……。
おしまいに、これらアルバムより少し前の音盤から、ピアノ・ソロ「ピース・ピース」を聴く。安らぎのあるしっとりした響きに心が洗われるようだ。

それにしても、昔、繰り返し聴いたから、アドリブのフレーズまで先がわかってしまう。これってジャズの聴き方じゃないなあ。名盤なんて、みんなこういう聴き方をしているのだろうが。

月夜の小事 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/8/24(土) 9:57
未明の夢うつつの中で、ある光景が甦った。それは私が定時制(夜間)高校に通っていたときの、50年以上も前の出来事である。いつもは中士別の自宅から道道を自転車で走って6q離れた士別高校に到るのだが、その頃の道道は舗装されていないソロバン道路で、しかも交通量は多く、クルマが通ると舞いあがる土埃で学生服が汚れた。色気づいてきた私は、営林署の苗畑を迂回するコースをとると、少し遠くなるが交通はまれにしかなく、専用道路のように走れることを知って、時間に余裕のある日はそのコースを走った。

陽は西の山に沈み、夕暮れが迫っていた。さっきまで白かった月が黄色みを帯びはじめている。途中、道端に泣いている男の子がいた。男の子は小学1年生くらい。自転車を止めて、どうしたのか尋ねると泣き声は激しくなるばかり。道に迷ったのかと尋ねると、うなずいたが、息がとぎれて言葉にならない。お兄ちゃんが帰れるようにしてやるから心配するな、と言ってようやく落ち着かせ、名前や住所を聞いたが要領を得なかった。当時私は18歳、私自身が田舎者で、自宅周辺と通学路くらいしか知らなかった。で、橋を渡ったかどうか聞いてみた。渡った、と言った。行く先にある九十九橋は町と農村の境目にある。つまりこの子は町からやってきたようだ。
そうこうしているうちに月はますます明るく、暗闇は濃くなってきた。授業時間は迫っている。私は少し遠回りになるが、当時グリーンベルト南端にあった警察署に連れていくことにした。荷台に乗せた男の子は、後ろから私にしがみついていた。署の窓口でお巡りさんに状況を話し、その子を頼んで、即刻、学校へUターンした。かなり遅刻したように記憶している。

その後、男の子がどうなったか知らない。きっと子供の親が駐在所に相談し、本署から身柄をあずかった連絡が行って、無事帰宅できたものと思う。
署に届けてくれたのは夜間高校の生徒で、その善意云々を言いたいのではない。私がいま想像するのは、あの男の子が道に迷ったときの心境である。街灯などなく、月夜とはいえ次第に闇が深まり、まるで異界に入ったような心境だったろう。恐怖のあまり泣くしかない、しかし大声で泣いても誰もきてくれない。途方にくれた絶望のどん底で、乏しいライトを点けた自転車がやってきた……。その時、私は救いの神になった。

私には男の子の顔は記憶にない、暗くてよく見えなかったように思う。おそらくその子も私の顔をはっきり見ていないだろう。お互いに知らない同士のまま、人生の時間と空間の中でほんの少し接触したに過ぎない。男の子の推定年齢から計算すると、彼は現在還暦を迎えたころである。あの日の出来事を覚えているだろうか?

岩合さんの猫写真展を観て 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/8/13(火) 12:44
“ねこ歩き岩合光昭写真展”が札幌三越で開かれているというので、さっそく行って観た。
私の木彫は猫がメーンなので、ポーズや表情をとらえる参考に、岩合さんの写真集を何冊か持っているし、テレビ番組の“世界ネコ歩き”も欠かさず観てきた。猫の気ままでのんびりした情景を、自然そのままに撮られていて、観る者も、気まま〜のんびりした気持ちにさせられる。会場に展示された写真は、どれも本よりも大きいサイズだけに、ほっくり感がいっそう増したように思えた。

テレビ番組の撮影シーンで気づいたことだが、岩合さん(面識もないのに馴れなれしい呼び方になった。岩合氏というより“さん”付けしたくなるのは、猫の持つ雰囲気のせいかもしれない。ご寛恕を)の被写体への近づき方をみていると、腹這いになって、まるで自身が猫になりきっている。つまり猫目線=低いカメラ・アングルで被写体を狙うことによって、猫のポーズや表情がより生き生きと捉えられるわけだ。

で、木彫猫のことを考えた。私も猫目線で立体像を捉え、彫刻しているつもりである。しかし、展示場ではテーブルの上に置くことになるから、来観者にはたいてい立った位置で、つまり上から目線で観ることになる。
写真の場合は撮る段階で低い位置から撮るので、来観者が立って観ても写真自体は低い目線と同じだ。しかし、私の木彫猫の意図した角度は低い位置で、来観者の立っている位置ではない。もちろん、なかには膝を曲げ、しゃがんで観てくださる方もあるが、それはまれなことである。
いっそ「作品に手を触れないでください」なんぞと野暮ったい表示をするのでなく、「しゃがんで、猫目線でみてください」とでも書いておきたいな、と埒もないことを考えた。

「ねねねねねねねねねね」トラブル 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/7/7(日) 21:49
パソコンでキーボード入力をしていたら、突如「ねねねねねねねね……」と同じ文字が連続してずらずら出てきた。そのうち何もしていないのに、ディスプレイの下方に同じく「ねねねねねねね」と頻発。ネットでヘルプ情報を調べてみたら、最も簡単な解決法は、キートップの隙間にゴミが入ったせいだから、キーボードを裏返しにしてバンバン叩けばいい、という。やってみた。再起動すると落ち着いたようなので、なんだ、どおってことないな、と掃除をおろそかにしている自身に少し反省しつつ、作業を再開した。

しかし次の日、また「ねねねねねねねね」ときた。英字入力にしていると「,,,,,,,,」となる。私が使っているキーボードは親指シフトFMV-KB611で、どうも4段目、右から5番目のキーに問題があるようだ。再び叩いてみたが効果なし。キーボードの故障かもしれないと思い、JISキーボードを繋いでみたら、どうやら動く。しかし親指シフトキーボードを作動させるソフト“Japanist2003”で制御しているので、入力に制限があり、うまくいかない。

一度シャットダウンすると、こんどはWindowsの起動すら警告音が出てエラー、黒画面に英字が並ぶばかりでどうにも困却きわまった。そのうちキーボードを外して起動し、エラー画面になったときにF1キーを押すととりあえず起動することを知った。ただし「ねねねねねねね」現象はとまらない。で、パソコンをだましだまし(同一文字が出ても変換・無変換キーを押さず、元へ戻す←キーを押すなどする。で、ときには静まることもあり、その隙に文字入力をして)ネットショップの富士通専門店から611の後継機FMV-KB613を見つけ、発注した。

いままでネットショッピングで注文したら、届くのが東京から北海道まで早くで3日目。ところが今回はなんと注文して2日目に届いた。早いに越したことはない、さっそく繋いでみると何の支障もなくサクサク作動、キータッチもかなり軽くなっていて快調。やれやれ助かった、なにせ文字が入力できなければ何もできない。これで、いままでどおりの手に馴染んだタッチタイピングが戻った。

ここ近年、身辺の家電製品などが次から次へと故障し、メーカーは修理をせず、新製品の買い換えを余儀なくされる。今回も、日記を調べてみると、故障したキーボードは14年前に買ったものだった。まあ故障してやむを得ない年月を経てきたのだなあ、とわが身の歳を感じながら、ホッとしたような、嘆きのような大きな溜め息をついた次第。

温故の会木彫作品展にて 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/6/22(土) 10:4
温故の会の木彫作品展が開かれ、当番で2日間貼りついた。
会場の“かでる2・7”では他の行事もあるので、そのついでに見ていこうという人もいるから、来場者は引きも切らない。展示作品について問われれば答えるのも当番の役目、いろいろ会話を交わしていると、木彫をやっている人〜やりたいと思っている人(たいていは年輩者)に出会うと話が弾む。

私の専ら彫るものは小動物だが、今回は猫だけにして、それも彩色仕上げの5作品を出展した。会場にいてやはり自作品の反応が気になる。
わが猫の前で立ち止まる人、素通りする人、まちまちだが、なかには頬をゆるめて笑顔になる人、近づきしゃがんで猫目線で見ている人、連れの人と指をさしたりして話している人――こういう関心ありそうな動作に気づいたときは、「猫がお好きですか」とさりげなくシャシャリ出ていく。

「猫を飼っているでしょう」と当然のように聞かれる。飼っていないと答えるとたいていは驚く。老い先短い身、あとに残しては猫が気の毒ですから。「じゃあ、どうやって彫るのですか」。インターネットの猫サイトから写真をパクリまくり、面白いポーズを基に下絵を描きます。「だって、写真をどうやって立体に」、向こう側がわからないときは、猫カフェに行って観察します、場合によっては触って骨格の形や筋肉の付き具合を調べたり……しつこくしていつも猫に嫌われますけど。

うちとけて、ケータイの飼い猫写真をみせてくれる人もいる。ああ、可愛いですね、お宅がうちの隣なら、ときどき餌をやったりして、懐かせてモデルになってもらうんですが、私はマンション暮らしですから、それができない、残念です。

猫に関心のない人は作品の前を素通りする。二人連れの来場者、一人が「あら猫だわ」、連れの人が「わたし猫嫌い」。もちろん、こういう人には声をかけない。人それぞれ、押しつけがましいことをしてはいけない。
犬派の人も多いようだ。「犬は彫らないんですか」と聞かれた。テレビの和風総本家に出てくる“豆助”を彫りたいと思ったことはありますけど……。「ああ、あれ可愛いわ、ぜひ彫って見せてください」なんか約束させられた感じ。

見てくれた人たちの大方の感想は「まるで生きているみたい」という。要するに私の作品は生きている猫の再現ということか。猫好きな人たちの思い入れがあって評価されるものなのか。
具象を彫る以上、リアリティをおろそかにはできないが、バードカーヴィングのようなスーパーリアリズムを目指してはいない、そのちょいと前のところで私の味を出したい。それがなんなのか明確に言葉にはならないが……。自分の力からして、民芸品とアートの中間にあるような領域とは弁えているつもりだが、できるだけアートに近づきたい、と老いの身に野心のようなものが湧く。

第29回人形道展を観て 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/6/13(木) 10:4
木彫“温故の会”に入会した。この会は道民活動センター“かでる2・7”を拠点に活動している。例会の帰り、1階展示ホールで開かれている人形道展を観せていただいた。

実は昨年、この公募展に木彫人形を応募し、展示していただいた側だったのだが、今年は人形を彫らなかったので不参加、観る側である。応募者はほとんどが女性で、その圧倒的な熱気に圧倒される。観て回ると、昨年会話を交わし、顔見知りになった方々の作品も並んでいて、創作意欲は盛ん、芸に磨きをかけているな、と感じた。
伝統的な人形づくりは、桐塑でつくった顔や手に、女性特有の感覚で選んだ衣裳を着せるからどれも美しい。最近は球体関節人形のように妖美とでもいうべき領域の作品も多い。また粘土や石塑、陶、フェルトなど多種多様な手法が加わって、審査基準がむずかしいだろうと思う。あいにく木彫は1点もなかった。

この日、会場には顔見知りの人は会長さんだけだった。今年は猫ばかり彫っていて、人形まで手が回りませんでしたと、手提げ袋から制作中の猫を出して見せると、人が寄ってきた。まだ白木のままで表情もないのに、あら可愛い、と言ってくれる。触っていいですか、という人に渡すと、抱きしめるようにして、持って帰りたいわ、と言った。当方はこのときとばかり、人形展が終わった(16日まで)あと、ここでうちの木彫展がありますので、観にきてください、もっと猫を出しますから、と宣伝。きっと観にきます、と約束してくれる人もいた。
で、あらためて下記のとおりご案内。

“温故の会”木彫作品展
期間 6月19日(水)〜25日(火)10:00〜16:00(初日12:00から、最終日14:00まで)。
会場 “かでる2・7”1階展示ホール。見学無料。

“木楽なひとびと”展で 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/6/7(金) 8:42
ことしで5回目の“木楽なひとびと”展(札幌・大丸藤井セントラル、9日まで)を観た。出展者は小笠原み蔵、三好純男、屋中秋谷、可香谷智、北尾久美子、運野淳、古川世都生の7氏。個性溢れる作品がところ狭しと展示されていて、どのブースも木彫の楽しさがいっぱい。

このところ毎年見せていただいているので、バード・カーヴィングの北尾さんには、すでに顔を覚えられていて、今回もいろいろ話をお聞かせいただけた。この人の作品は、単に鳥が木に止まっているのではなく、身体の微妙な一瞬の揺らぎを捉えていて、囀りや羽ばたきさえ聞こえそう。近寄ったら飛び立ってしまうのでないかと錯覚するほど超リアルである。色も渋い。まさに本物以上のスーパーリアリズムというべきか。
今回は、広げた羽根の薄さが際立っていて、どう見てもジェルトン材で作ったとは思えない。ポーズだけでなく、細部の端々まで作者の創意が行き届いている。話が電動ルーターやバーニングのことに及んだら、わざわざ控えの持ち物から作りかけの作品を取り出してきて見せてくれた。製作途中といいながら羽毛の盛り上がりや羽根の筋の一本一本まで描出されていて、ほとんど神業というしかない。老眼の進んだ私にはこんな完璧なリアリティーは望めようもないが、北尾教室に通って2〜3体つくってみたら、その技法を猫に応用できるかもしれない、と思った。

小笠原さんはユーモラスなゴリラや豚の木彫が多いが、ジャズをテーマにした作品も力に満ちたデフォルメが面白い。ブースには作者ご本人はおられず、女性の方がいて、聞くとアシスタントをしているのかとても詳しい。
私が本でみた知識では、み蔵作品はシナの木が多いようで、オーク染色〜オリーブ染色と書いてあったのを思いだし、せっかくのチャンス、ここで苦手の塗りについて技法を知りたい、との気持ちが募った。で、「企業秘密かもしれませんが、お聞かせいただけないでしょうか」とおそるおそる(態度だけ、意図はかなり図々しいね)尋ねてみた。すると、なんのとまどいもなく「いいですよ」という。私はメモ帳を取り出し、記録しながら聞きまくった。ポワーステインでの色付けから、目止めのシーラー塗り、仕上げのクリアラッカー塗り、目の光を出すマニキュアに使うトップコートにいたるまで、手順の一々について教えてもらった。
まあ、聞いたからって容易にできるものではない。色の薄め方、塗る量、筆のさばき、回数、等々これは経験で会得するしかないが、独学・我流の私には、プロの技に目を見開かされた思い!

展示〜展覧会は、先達の感性やアイデアに触れると同時に、技術を盗む場でもある。昔から、職人は技を盗めと言った。もちろん、作業をやっているところを見せてもらうのが一番だろうが、今回は盗み聞き(親切に教えてくれたのだから、ちょっとニュアンスが違うかな)できて、大きな収穫だった。講座や教室に束脩を払って習うべきを、先生方、ありがとうございました。

“泣ける映画”ベスト10 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/4/2(火) 8:14
昨年末に、“笑える映画ベスト10”を挙げた。今回は“泣ける映画ベスト10”を列挙してみる(古いなぁ、という人がいるかもしれないが、私の年代だとどうしても落とせないものがあってね)。
汚れた現実を多く見すぎたから、虚構の世界で大いに泣いてみるといい。涙は目のくもりを洗い流してくれるだろうし、何よりも心を洗い清めてくれるだろう。(例によって年代順)

1. 王将 1948 伊藤大輔/阪東妻三郎 水戸光子 滝沢修
2. 自転車泥棒 1949 イタリア ヴィットリオ・デ・シーカ/ランベルト・マジョラーニ エンツォ・スタヨーラ
3. 禁じられた遊び 1952 フランス ルネ・クレマン/ブリジット・フォッセー ジョルジュ・プジョリ
4. 東京物語 1953 小津安二郎/笠智衆 東山千栄子 原節子
5. 野菊の如き君なりき 1955 木下恵介/有田紀子 田中晋二
6. 大地のうた 1955 インド サタジット・レイ/カヌ・バナルジー コルナ・バナルジー サビル・バナルジー ウマ・ダス・グプタ
7. 道 1957 イタリア フェデリコ・フェリーニ/アンソニー・クイン ジュリエッタ・マシーナ
8. 遥かなる山の呼び声 1980 山田洋次/高倉健 倍賞千恵子 ハナ肇
9. 八月のクリスマス 1998 韓国 ホ・ジノ/ハン・ソッキュ シム・ウナ
10. 變臉(へんめん)この櫂に手をそえて 1996 中国=香港 呉天明/朱旭 周任瑩

お仕事中 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/3/10(日) 16:33
地下鉄で青いシートに座っていたら、どこの駅だったか、中年女性に導かれてきた老年男性が、「はい、左」との声とともに私の横に座った。女性は「私は前に座るから」と言って向い側の座席に座った。男性の前には黒い犬がいて、服のようなものを着ている。背中に「お仕事中」と札も付いている。私は思わず頬が緩むのを感じて、向いの女性をみると、彼女も微笑みを返した。
数日前にテレビで放送された盲導犬の映画「クィール」をみたばかりで、こんどは現実に、初めて盲導犬に出会ったのだった。この偶然に、日ごろ猫を彫っている私が、人の役に立つ犬の姿に関心が行ったのかもしれない。というより、人と犬との関係に、なにか温かいもの、微笑ましい光景に感じたのだ。

隣の男性は走行中、しきりに犬の頭を撫ぜ、小声で歌をうたっている。触覚と聴覚で犬も安心するのか、男性の膝に頭を寄せてうずくまっていた。よほど「犬の名前はなんていうんですか」「おとなしくていい犬ですね」と話しかけたくなったが、男性と犬との親密な関係に割り込むのがためらわれて、声が出なかった。
私が降りるとき、彼らも立ちあがった。ドアが開くのを待ちかねるように、犬は後ろから私の足の間に鼻先を出した。「そんなに早まるなよ」と声をかけて降りたが、乗降客でごった返すなか人の動きに合わせて移動し、振り返ってみると、3人、いや2人と1頭は人波に紛れてもう見えなかった。

“風のかたりべ−アイヌ工芸展”を観る 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/3/8(金) 8:16
道立近代美術館で開かれた“風のかたりべ−アイヌ工芸展”を観てきた。19世紀から20世紀はじめに実際に使用された祭具や衣服、装身具、木彫り熊などと、その伝統的な民族感覚を現代に引き継ぐ美術作品の刺繍、布アート、木彫刻など、合わせて280点を展示している。
木彫をやっている者としては、どうしても木彫作品に目が行ってしまい、それこそ舐めるように観た。床ヌプリの荘厳な「ユーカラクル」、藤戸竹喜の精緻なリアリズムからくる「狼」「川の恵み」などの躍動感、瀧口政満「シマフクロウ」、貝澤徹「ホタル」などアイヌ文様を活かした斬新なデザイン、造形に力がこもっていた。

帰り道、昔、音威子府にいた砂沢ビッキさんを訪ねたときの、ごつくて大きな風貌と、意外に優しい声を思い出した。同時に考えることがあった。“森の民”であったはずの彼らが、この否応なしに汚染されていく現代社会をどう見ているのか、彼らの神はどこへ行くのか、人類の発展とはなんなのか……。

愛の鞭 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/2/2(土) 18:2
体罰やシゴキ事件が相次いでいる。教え諭すべき者の叱りが度を越して怒りに変わってしまったのか、現代の若者が軟弱化して愛の鞭を暴力と受け止めてしまうのか、その加減〜程度は当人同士でないとわからない。しかし、何か欠けているものがあることは確かだ。
小説を書いていた頃、第2の郷里士別で道北のPTA研修会に講演を依頼されたことがある。そのとき、私はプロボクサーで元世界Jミドル級チャンピオン・輪島功一の息子を殴る話と、木彫家・阿部晃工の母の手紙のことを話した。

輪島さんは士別出身。生涯38戦して32勝1引分5敗、32勝のうちKO勝ちが25試合というハードパンチャー、そんなパンチを食らわされてはたまったものではない。可愛いわが子に手を出すはずがないと思っていたら、当時の新聞に奥さんのインタビュー記事が載り、その中で「お父さんはお子さんを叩きますか」という質問に「ええ、叩きます。それも泣きながら叩くんですよ」と言っていた。
もちろん手加減はしているだろうが、世界の強豪を倒してきた破壊力は並みでない。それを一番よく知っている男が泣きながら叩く……。殴られた息子さんの状態は書かれていなかったのでわからない。しかし、その強烈な痛みとお父さんの涙を見て、息子さんは言葉にならないものを感じただろう。

もう一人士別出身、昭和の初期に阿部晃工という彫刻家がいた。上京し美術大学を出て修業しているとき、仕事もなく窮乏生活に耐えきれず「きょう食べる米もない、とても暮らしていけない、彫刻家になることは諦めて士別へ戻りたい」とうちへ手紙を書いた。それに答えた母・トメさんの手紙。
「だいぶ困っているようですね。まだお父さんには見せていません。帰ると言いますが、それはいけません。(中略)母はお前を天才児として育ててきました。母はそれが誇りだったのです。食べられなければ食べずに死になさい。何で死ぬのも同じことです」
読む者が息を飲む言葉だ。現在のような豊かな時代とは違い、誰もが貧しかった。家には弟や妹もいて苦しかっただろうが、晃工はこのとき22歳、骨身にこたえた言葉だったろう。母親の叱声はまだ続く。
「病気ででもあれば、どんなことでもしてやりますが、お前は母がいつまでも優しい母と思っているのは間違いです。そんな意気地なしは見るのもいやです。帰って来ても家には入れません。死んで死んで、骨になって帰って来なさい。(中略)一日も早くお前の死んで帰る日を母は待っております」
晃工は、この手紙に奮起し、歯を食いしばって修業を続け、そのあと貧困の極に達し、大相撲の出羽の海部屋に入門して飢えをしのぐも、稽古中に怪我をして彫刻家の命というべき右腕の自由を失ってしまう。絶望のあまり自殺も考えたというが、今度は彫刻刀を左手に持ち替えて修業し、帝展〜新文展に入選、さらに無鑑査となり、ついには“昭和の左甚五郎”と称される日本彫刻界の名匠に成長する。まるで講談のようなストーリーだが、実話である。
いまの親は、子供と友達のような関係になるのが多いそうで、この母のように子を叱れまい。もちろん時代が違うし、そんふうに叱ったら子供が自殺するかキレて何か事件を起こしかねない、なんて先を心配してしまいそうだ。晃工の母は、その言葉に息子が耐えうることを信じていたのだろう。心の深いところに親子の絆があっていえる言葉だ。

いっとき、絆という言葉がどこでもかしこでもいわれ、手垢染みたように感じたが、この心の絆がなければ、叱声は罵声と変わらず、愛の鞭は暴力にしかならない。

頑張るな! 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/1/1(火) 8:38
日本人は「頑張る」という言葉が好きだ。年賀状にも、ことしも頑張って、なんて書いてある。競技場でみんな声をそろえて、頑張れ〜と絶叫する。見舞いに行って頑張ってねと手を握る。国のために頑張る、復興のために頑張る、明日のために頑張る……大事なことだろう。頑張る人がいてくれて助かる人もいる。しかし、誰にでも当てはまることではない。頑張る必要のない人もいるのだ。

老人や病気の人は頑張らないほうがいい、マイペースでジンタカジンタカやったほうがいい。また政治家(政治屋というべきかな)は国民のためなんかではなく、自分のためか党のためにだけしか頑張っていない人もいる。こういう人に頑張られると、みんなが迷惑する。あえて「頑張るな」と言いたい。


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