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Ryo爺の独り言

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渡辺淳一氏を騙す 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2015/6/11(木) 9:25
22年も前の話だが……。私は札幌パークホテルで開かれた渡辺淳一氏の還暦パーティに招かれた。というより、本当は氏にではなく、当時の『文学界』の編集長・T氏に呼ばれたというほうが正しいのかもしれない。私は小説『闇の力』で、その年の北海道新聞文学賞を受賞したので、編集長として出札のついでに、この無名の新人に会っておきたいと考えたのだろう。

田舎でわけもわからず書いていた私には、そんな晴れがましい場に出たことはなく、緊張と興奮にとらわれていた。会場には大勢の渡辺フアンが詰めかけ、それも着飾った中年女性が圧倒的に多く、脂粉の香りで卒倒しそうだった。

渡辺氏がやってきて、私と対面した。氏は道新文学賞の選考委員をしていて、新聞に載った評のなかで一番ほめてくれた人だった(作品を文藝春秋に持ち込んでくれたのも氏だった)。
開口一番「あの木崎が死ぬシーンは、本当にあった話だろう」と言った。私は即座に「いいえ、あれは作り話です」と事実を言うと、驚いて「そうなのか、……まさに野に遺賢ありだなあ」と身に余る最大級の賛辞を賜ることになった。

それは『闇の力』第1章のラストで、夜間高校に通う親友が猛吹雪で道を誤り、川にはまって死ぬ場面なのだが、選考のため読んだ渡辺氏の印象に残るシーンだったらしく、それがプロ作家をして本当の出来事と思わせる迫真の描写だったということか、と私は一気に舞い上がった。

ついで、同席していた道内の先輩作家(名前は知っていたが、名刺交換で初めて顔を知った)や中央の出版社の編集者からも声をかけられ、これからは、次作をどんどん書かないとだめだよ、とハッパをかけられた。

T編集長には別席でいろいろ激励され、慫慂されたのだが、その数カ月後、舞い上がった私が次に書いたのは性を笑いとばそうと試みた「五味氏の宝物」だった。先の「闇の力」が超真面目な純文学、次がふざけまくったエンターテインメントと、一貫性のない私は、絶好のチャンスを活かすことができず、その後、文壇とやらに登ることはできなかった。

北海道文学館でいま開館20周年特別展“没後1年 渡辺淳一の世界”が開かれている(2015年4月18日〜6月21日)。期間は残り少なくなった。北のロマンを描き続けたベストセラー作家の原点に触れてみてほしい。私としては、新人にやさしい氏の視線と声音を偲ぶ思いだ。

点眼タイム 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2015/6/1(月) 6:53
白内障の手術後1年ほど経つが、目薬を毎日、朝晩2回さす。いつまで続けるべきなのかわからないが、目を使うことが趣味の私にとって、目はとても大切なので、医師の処方を忠実に守っている。

点眼の正しいやり方は、薬をさしたあと瞬きをせず、1分くらい目を閉じていなさい、とリーフレットに書いてあった。ところが目をつぶると、当然ながら時計を見ることができない。まあ自分で60まで数えればいいわけだが、毎回この計測法では、どうも味気ない。

思いついたのは、好きな曲のメロディーを口ずさむことだった。そして「ダニー・ボーイ」がちょうど1分間になることがわかった。しかし、目を閉じて鼻歌まじりに唸っている老人というものは、どう見てもボケが始まったように見えるかもしれない……。

で、声は出さず、頭のなかで“演奏”することにした。この曲はフレーズが次第に盛り上がる構造になっていて、最後のところは絶叫するような形で終わる。シル・オースティンやサム・テーラーのようなムードテナーの趣でやると楽しい。脳内の仮想演奏だから、如何ような演奏も可能だ。フェイクを入れたり、アドリブを加えたりして興が乗り、1分間をオーバーすることもある。

チーターに魅せられて 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2015/2/25(水) 8:8
ドキュメンタリー番組「ライフwithチーター」(CS放送“アニマルプラネット”)を見た。動物写真家キム・ウォルフターさんが、ジンバブエの野生動物保護区でチーターの親子を撮影する姿を実写したものだが、この人の野生動物への接近の仕方が尋常でない。チーターのすぐそばへ無造作に近づいていって、草をむしったり寝ころんだりして何気ない風を裝う。決して視線を合わせないのだそうだが……。

普通、子持ち動物の親は異常に周囲を警戒するものだ。だが、この“何気ない風”に母親チーターも無害なものと認識したのか、まるで気に止めない。驚いたのは、仰向けに寝ている彼のもとに、チーターの子供たちが寄ってきて、足の臭いをかいだりしていたのが、ついには腹の上にあがってきて彼の顔や指を舐めるシーンだった。その辺の草木のような、というより動き回るから動物と思っているかもしれないが、敵対しない、餌になりそうもない、“変な生き物”という存在にさせてしまったのだろう。

そうやって彼は、至近距離からチーター親子のサバンナの生活を撮りまくる。生まれたばかりのとき、子供は5頭いたが、ライオンや豹に狙われたり、感染症で次々に死んでいき、ついには2頭だけになる。子チーターは子猫に勝るとも劣らない可愛さもあって、腹を裂かれて死んでいる姿を見るのは痛ましい。猛獣は狩る側だから獲物を襲い喰う残酷な印象が強いが、子チーターはひよわで常に予断を許さない。母チーターも子がケガや病気になり生きていけないと判断すると、容易に見捨ててしまう。見捨てられた子は観念したかのように死を待つ、その姿も胸痛むが、これがサバンナの掟というものか。

残った2頭は母親に狩りのテクニックを習って、次第に一人前(一頭前?)の成獣になっていく。主食のインパラを襲い、はじめは首の後ろ側から噛みついて手間取っていたのが、喉元を噛むことで即座に息の根を止める技を覚える。練習台にされるインパラ側からみれば残酷極まりないが、弱肉強食はサバンナの日常だ。いや、原理的には人間社会もなんら変わるところはないか。子チーターの狩りの様子を、キムさんはカメラを抱えて必死に走って追いかけ、その現場を至近距離から迫真の映像に収める。その徹底した執念も驚異だ。

母チーターに再び発情期が訪れ、アカシアの木に尿をかけまくっていたと思ったら、ふいに姿を消す。残された子チーター(人間でいえば中学生くらいか)は、母恋しさにチッチッと必死で呼びつづける。まるでスズメのさえずりのような、短くてかぼそい悲しげな鳴き声。傍らで撮影するキムさんの肩にすがりつくように前足を乗せて甘える仕草もいじらしい。しかし母親は姿を見せない。悠久を感じさせる広大なサバンナで、これから、この2頭は自ら獲物を狩って生きていかなければならない。

チーターは地球上で最も速く走る動物だが、なんと走り出してからわずか3秒で時速100キロに達するという。だから狙いをつけた獲物は絶対に捕えずにはおかない。また仕留めて食べているところをライオンやハイエナなどに襲われたら、闘わず譲ってしまう。他の動物と争うより新たに獲物を捕えるほうがエネルギー消費が少ないそうだ。獲物を捕えて喰うと2〜3日は木陰で寝て暮らす。脚力への絶対的な矜持、そして無駄なことはしない合理性。番組を見て私は、この動物にすっかり感情移入してしまった。

(untitled) 返信  引用 
名前:ボクちゃん    日付:2015/1/1(木) 13:27
新年、おめでとうございます。
昨年はまことにお世話になりました。
いただきましたお言葉をささえにしております。

「われらリフター」、楽しく拝読いたしました。(私もウエイトをやっておりましたので)。
これからも木彫とともに佐野先生の作品にふれて参りたいとぞんじます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



Re: (untitled)
名前:Ryoji    日付:2015/1/1(木) 17:10
新年、明けましておめでとうございます。本欄での年賀は初めてのことで、嬉しく存じます。
拙作をお読みいただいたそうで、さらにまた貴兄もWLをやっておられた由、なにやら同志的な気持ちになってきました。こちらこそ、よろしくお願いいたしますとともに、いっそうのご活躍を念じております。

年賀状の添え書き 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2014/12/25(木) 13:43
年賀状は毎年、インクジェットのはがきを買い、表裏ともパソコンで印刷する。木彫猫をデザインするので、手づくり感覚の名残はあるかもしれないが、両面ともパソコンでサッサッサーでは気持ちが伝わらないと思い、一言添え書きすることにしている。

書くのは、@相手の安否、A当方の近況。これを2〜3行でまとめるにはけっこう頭をひねる。いつも会っている人なら気心が知れているから、軽いジョークでもいいが、年に一度の賀状だけの付き合いの人には、しばしばペンが滞る。体調の悪い人に立ち入りすぎてはいけないし、婉曲な言い回しから紋切り型〜常套句に陥ることも。

以下、独りよがりで興がってしまった文例。

「還暦をすぎて、ホワイトアスパラになりましたかな」
教師だった友人で、若いころ顎ひげの剃り跡が青々としているのを“アスパラ”とあだ名をつけたことがあった。その彼も定年退職したので。

木彫仲間に。
「木は心、今年も楽しく彫りましょう」

文学〜報道関係の友人に。
「ペンは剣よりも強し、といいますが、ペンを刀に持ちかえてしまいました。ただし、私は安倍政権の支持者ではありません」(刀とは彫刻刀のこと、蛇足だが)

「お元気ですか? 私も元気です」
毎年、印刷所の見本どおり、宛て名もパソコンで、手書き文字が一字もない人に。もちろん、賀状をいただくことが元気な証拠、とありがたく思っているが……。

青空文庫「鈴木主水」が公開に 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2014/11/2(日) 8:35
インターネット電子図書館“青空文庫”のボランティアとして、4年も前に入力した久生十蘭「鈴木主水」がやっと公開された。――国政を省みずやりたい放題の藩主を諌めるべく、若い侍が仕掛ける命を賭した画策が思わぬ純愛の道行となる、ストイックで爽やかな時代小説の傑作。

青空文庫では(紙面からデジタル文字化へ)入力〜校正の2工程を経ないと公開しない決まりだ。この作品は、直木賞受賞(第26回 1952)作品だから校正者はすぐつくと思っていたのが、底本を全集本でなく文庫本を選択したせいか、こんなに長い間、校正者がつかなかった。このたび、noriko saitoさんが校正を買って出てくれて日の目をみた。面識はないが感謝の意を表したい。

原稿用紙40枚程度の短篇なので、時代小説の好きな人にぜひオススメ。映画化されてもいい(というより、ぜひ映画化してほしい。現代感覚で見てもちっとも古くない)、面白さだと思う。

青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/

「必」の筆順 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2014/10/20(月) 9:36
かつて、岳父が地方都市のコミュニティに推されて市議会議員に立候補したときのこと。娘婿の私として顔を出さないわけにはいかず、選挙事務所を訪れた。正面のダルマの後ろの壁に、市長さんの揮毫による「**殿 祈 必勝」の大きな文字が墨痕淋漓と書かれている。しかし「必」の筆順が違っていた。

私は以前から、この字の書き方が普通でないことを不思議に思っていたから気づいたのだが、「必」はなぜか筆順がややこしい。たいていの人は「心」を書いて、それから「ノ」を入れる。楷書で書けば過程がどうであれ、紙の上に残った筆跡は正しく見える。しかし、少し続けて書いたりしたら、最後のところが「ゆ」のようになって筆順も見えてしまう。市長さんの揮毫はそれだった。

「必」の正しい筆順は、まず「ソ」を書いて、次に左上から右下に滑って跳ねる曲線(「」のような形)を書き、次いで左端の「ノ」、最後に右端の「\」を書いて終わる。左に行ったり右に行ったり、まるで多数の敵に囲まれた侍がバッタバッタと斬りまくっているような、チャンバラみたいな筆順なのだ。
と、文章で説明しても、しかもネット上では記号も適切なものがないので、何を言っているのかわからない人がいるかもしれない。と思っていたら、それを解く絶妙の説明に出会った。一昨日、コメントを寄せられた(下欄)“漢検1級ブログ ボクちゃん日記”で見つけた。

 必ずかける「必」それはソレハである

そう、「ソレハ」と書けば、正しい筆順になる。こんな簡単な説明があるとは……と感嘆した。

それにしても、わざわざこんなややこしい筆順を考え出した本家本元がオカしい(成り立ちの根拠はあるのだろうが、あいにく浅学な私にはわからない)って気がするけれど、結果オーライのような今日、経過を大切にする日本文化の奥ゆかしさとして受容すべきなのだろうか。
競技大会に出場する選手や、選挙に立候補する人の激励会などで、「必勝」の文字を揮毫する立場にある方、くれぐれもご注意を。

なお、岳父は見事当選し、本人の人望もさることながら、市長さんの揮毫も与って効力があったかもしれない。筆順の違いに、選挙運動員は誰も関心がなかったようだ。



Re: 「必」の筆順
名前:ボクちゃん    日付:2014/10/20(月) 15:56
佐野様、まことにありがとうございました。この暗記法はどこかで記憶しておりましたものです。とても覚えやすいです。

第2回の漢字検定が近づいて参りました。初合格を目指す者、またさらなる研鑽を積む者の為に、今後ともご指導の程よろしくお願いいたします。


Re: 「必」の筆順
名前:Ryoji    日付:2014/10/20(月) 16:12
とても覚えやすい暗記法で、さっそくネタに使わせていただきました。貴ブログ、ときどき拝見させていただき、楽しませていただきます。拝謝!

御礼 返信  引用 
名前:ボクちゃん    日付:2014/10/18(土) 9:24
お久しぶりにご連絡をいたしました。。
2年半ほど前に、電話にて、さまざまなアドバイスをいただきました者です。
僭越ながら拙ブログにて佐野様をご紹介させていただきました。
(さしつかえる点がございましたら、ご面倒ながらご一報下さい)

   漢検1級ブログ「ボクちゃん日記」

季節のかわりめ、どうぞご自愛ください。



Re: 御礼
名前:Ryoji    日付:2014/10/20(月) 9:30
お久しぶりです。“Ryoji工房”をご紹介いただき、ありがとうございます。
お電話いただいたとき、「近くブログを立ち上げたい」とおっしゃっておられましたが、今回拝見させていただきましたら、なかなか含蓄に富む挿話満載の面白いブロクになっていて、感心しました。

老生、このところ漢検も小説も卒業した気分で、木彫三昧の日々。完全に“遊びモード”になっていますが、貴ブログは社会貢献度の高い内容と思います。一層、ご活躍ください。

漢検1級ブログ「ボクちゃん日記」
http://bokuchan2.blog.fc2.com/

病院の待合室で 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2014/9/22(月) 7:24
世知辛い世の中、せめて笑って過ごしたいと、日常、笑えることを探して暮らしている。1日に1回でも笑えたら得をしたと思いたい。笑いは健康にもいいそうだ。

病院の待合室の椅子に腰掛けて名前が呼ばれるのを待っていると、小太りのお爺さんがやってきて、私の前の空いている席にドスンと座った。待合室の椅子は4席が連結しているので、そのドスンの瞬間、隣に座っていた3人も振動の余波を受けて、体が揺れた。本を読んでいた人は読んだまま、頬杖をついていた人は頬杖をついたまま、余儀なく揺れた。一瞬笑えたが、声を出して笑うには到らない。

これと同じ状態を私は地下鉄の青いシートに座っていて体験した。隣にきたお爺さんが、横にドスンと座ったので、私のからだが少し跳ねた。これは、そのお爺さんの膝が弱くなっていて、中腰で体重を支えることができないから、座りかけた状態からいきなりお尻がシートに落ちたためだ。
笑えるが大笑いにはならない。もし力士かレスラーが座って起きた現象なら、心底笑えるのだろうが……。

別な病院の待合室にいたときのこと。前の椅子の背もたれ(待合室は患者がまばらで、その椅子に人はいない)に片足を上げるお婆さんに、付き添いの娘さんが「やめて」と下げさせる。が、ほどなくまた上げてしまう。たぶん足がダルイからついそうなるので、行儀がわるいのではないのだろうが、娘さんは周囲の目を気にしている。包帯でも巻いていれば案外ごまかせるかもしれない、と思ったりして頬に笑いが浮かんだ。これも声をあげて笑うには到らない、どこかに抑える気持ちが働く。

私が感じた笑いは、自分はまだ大丈夫という優位意識からの笑いだろうか(笑いの根本はそういうものらしいが)、それとも老いた者同士の相哀れむ、あるいはほどなく自分もそうなるという憫笑だろうか。いずれにせよ、病院は笑う場所ではないようだ。

はじめまして 返信  引用 
名前:梅澤 康雄    日付:2014/8/29(金) 14:33
佐野様の作品に深く感動しました。
ぜひ実物を拝見したいと思いメ−ル
させていただきました。
機会があれば、よろしくお願いいたします。



Re: はじめまして
名前:Ryoji    日付:2014/8/29(金) 21:0
拙作をご覧いただき、ありがとうございます。いまだ独自の技法を得られず、あれもこれも手を出す試行錯誤がつづいています。
私が出展している展覧会は、温故の会作品展(例年6月)と、道美展(例年9月、今年は8月でした)の年2回、どちらも終了しましたので、このあと今年の予定はありません。

来年ならば、梅澤様のお住まいがどちらかわかりませんが、札幌近辺なのであればご来観いただけたら幸いです。また“かでる2・7”で毎週2回例会があり、私は水曜日(10:00〜14:00)に作業をしております。遊びがてら覗いていただけたら……仲間たちにも励みになろうかと思います。

「ほんとに」と「しっかり」 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2014/3/14(金) 16:18
手仕事をしながらテレビの音声を聞いていると、いままで耳を素通りしていたような言葉が耳につき出した。とにかく誰でも頻繁に使っている言葉なんだが。
「ほんとにすごいと思いました」「ほんとに命懸けでした」「ほんとに感動しました」「ほんとに勇気をもらいました」
「しっかり練習できてよかったです」「しっかり取るものは取っていく」「しっかり責任を果したいと思います」

まあ意味は通じているし、文脈になんの問題もないのだ。ただ「ほんとに」や「しっかり」をつい口にしてしまう人の気持ちを考えてみた。もちろん私は心理学に明るいわけではないし、単なる揚げ足取りをやっているのかもしれないけれど……。

「ほんとに」は、強調するときに使うように思う。己の体験の場合なら、いかに大変な事態のなかで健闘したかということを、また他人の場合ならいかに超人的な技や勇敢な行為だったかをホメるときに。

中には口癖のように使っている人もいる。まるで「あのー」「えーと」の代わりみたいに「ほんとに」と言って間を持たせ、次に言うことを考えている場合もある。

ちょっとしたコメントに数回連発する人もいる。とくに謝罪〜弁解の会見なんかで立て続けに言われると眉唾めいてくる。「ほんとに」とは「ウソじゃない」と言っているわけだから、「ウソじゃない、ウソじゃない」と繰り返せば繰り返すほど、ウソくさく聞こえてしまうのだ。

同様に「しっかり」もこの伝で、何回も繰り返されると、なんだか疑わしい気分になってくる。しっかりやっていないのに「しっかり」と言うことで、他人に「しっかり」やっているように見せかけているのでないか、なんて意地悪な見方をしてしまいそうだ。私が猜疑心の強い性格なのか、世情のあくどさを見聞きしているうちに言葉にまでバリアを張ってしまうようになったのか……。

そんな疑わしい気持ちになっているとき、なんと、この「しっかり」という言葉を政治家がしきりに使う場面に出くわした。「しっかり国民の声を聞いて」「しっかりと議論して」「しっかりと政策を実行していきたい」

かつての政権担当には「しっかりせよ」と言いたかったのだが、現政権担当はまるで他人の声に耳を貸さず、自論を声高に繰り返している。大声で言い続ければそれが世論になると思い違いしているのか。こんな人に「しっかり」やられたんじゃあ、この国はいったいどこに向かうのか?

政治家が「しっかり」を連発したら、これは眉唾ものだ。国民は「しっかり」見極めなくちゃいけない。

年金生活者の確定申告 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2014/2/18(火) 12:40
確定申告の時期がやってきた。毎年、国税庁ホームページの確定申告作成コーナーで申告書を作成する。e-Taxは利用しておらず、作成したpdfをプリントアウトして、札幌北税務署まで歩いて行くことにしている。自宅から1.2キロ、往復して40分ほどなので足の運動も兼ねている。

24年分は、妻も年金をもらうようになったので、それも雑所得と思って私の年金額に加えて計算した結果、還付は940円程度だったから、申告しなかった。公的年金等による収入が400万円以下に適用される“確定申告不要制度”によったつもりだった。

ところが今年、25年分の作成に当たり、いろいろ調べてみたら、確定申告は個人単位で行うもので、世帯単位で行うものではないことを知り、私が申告する雑所得に妻の年金も加えることは間違いと気づいた。これまで公的な届の類は、私(夫)が世帯全体を仕切って、一括して行うべきものとしてきた考え方が、確定申告においては誤りだった。

で、昨年分を“正しく”計算し直すと、7,400円ほど還付されることがわかった。いまごろわかっても後の祭りかなと思ったら、確定申告は5年間さかのぼって提出できるという。で、25年分と同時に24年分も申告することにした。

さて25年分は、収入は公的年金だけ、同じ間違いをしないよう今度は妻の年金を加えず、私だけの年金額を雑所得とした。医療費控除は、体調不良がいろいろ出てきて、治療や手術があり、保険給付を差し引いても10万円をはるかに越えた。なお、この医療費控除は私(夫)個人の分だけでなく、妻の分も含めた世帯単位に考えていいとのことで、それも加算した。さらに社会保険料控除、生命保険料控除、地震保険料控除、配偶者控除、基礎控除を満額差し引いて、11,000円ほど還付される結果となった。

というようなことを、同じ年金生活者で木彫仲間のTさんに話したら、「オレは役所だの公文書だのが嫌いだから出さない。年収400万円以下なら出さなくていいんだろ」と言った。なるほど、こういうことに無頓着で、面倒くさがりな人は案外多いのではないだろうか。納税は国民の義務だが、過払いは還付してもらう権利がある。これは国民に平等であるべきなのに、“申告”というハードルのせいで善良な国民はどのくらい損を(あるいは国庫に貢献)しているのだろうと考えてしまった。

読み書きクイズ番組に思うこと 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2014/1/5(日) 10:2
テレビのクイズ番組で、漢字の読み書き問題が出ることがけっこうある。しかし、その識字能力の低さに驚かされることが多い。もちろん回答者が芸能人ということもあるから、しゃべりは得意でも読み書きは苦手なタイプも参加していて、それを笑う意図があるのかもしれないが……。

しかし、これは現代の私たちの生活が、筆記具を使って一字一字書かなくなった(また、やたらに意味不明の和製英語〜カタカナ英語を乱発使用し、日本語をおろそかにした)ゆえに失った結果なのではないか。番組の回答者だけでなく、私たちもテレビを見ながら、忘れてしまったことを痛感することになる。

文章を書くことを職業にしている人たちは別にして、いまや、普通の人たちが文章を書く機会といえば年賀状の添え書きくらいか。手紙の奥ゆかしい作法はもはや過去の長物、ケータイやメールがとって代わった。最近のケータイやパソコンの普及率からいえば、むしろ文章を書く機会は増えているはずだが、本質的に違うものがあるように思う。
IT機器には、やたら便利な機能がついていて、頭文字を打つだけで過去に入力した単語やフレーズが変換候補として出てくる。それによって書く文章は、そのときの新たな発想を表現するのではなく、既成パターンの組み替えの域を脱しないことになる。これでは構想力も表現力もつかないのではないか。

識字力や文章力が必ずしも最優先する時代ではないかもしれないが、人間のクリエィテブな可能性を前進させていく要素であることに間違いないだろう。書くという行為は思考することでもある。気ままに言葉を垂れ流すような文章は思考につながらない。文明は便利になりすぎると安易さに走って、大事なものを失いつつあることは確かなようだ。

「大菩薩峠」リメーク待望 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/11/28(木) 10:24
中里介山「大菩薩峠」を全巻読んだ人は少ないだろう。何せトルストイの「戦争と平和」よりも長い超大作で、それでも未完なのだから。でも、私は青空文庫で読んだ。巻を追うごとに登場人物が際限なく増えてきて、主人公は誰なのか、作者は何を軸にして物語っているのかわからなくなってくるし、何よりも文章が下手くそで嫌になってしまう。長過ぎ、焦点が絞れない、文章が下手、だから速読法など知らなくてもついつい斜め読み、飛ばし読みになってしまう。

ハナシは面白いのだ。時代小説としてこれほど面白いものはないとも言える。登場人物を絞り込んで、ストーリーも要約〜圧縮した映画のほうが面白い。映画はこれまで3作品を観た。

@片岡千恵蔵主演
大菩薩峠 1957 内田吐夢
大菩薩峠・第2部 1958 内田吐夢
大菩薩峠・完結編 1959 内田吐夢

A市川雷蔵主演
大菩薩峠 1960 三隅研次
大菩薩峠・竜神の巻 1960 三隅研次
大菩薩峠・完結編 1961 森一生

B仲代達矢主演
大菩薩峠 1966 岡本喜八

@は、主人公の千恵蔵が50代の出演だから、白皙の青年のイメージがない、それでもおどろおどろしいニヒルさは一番かも。Aの雷蔵はカッコいいが眠狂四郎のイメージを抜け出ず浅い、ストーリーもはしょり過ぎて飛ばし気味だ。惜しいのはB、達矢の狂乱の立ち回りは異様な凄味があるが、残念ながら第1部で中止になっている。盲目になってからの続編を見たかったが、作られていない。なぜなのか地団駄踏む思い。

@の脚本で、豊川悦司あたりを机龍之助役にして、誰かリメークしないかな。

アクセス70000件 返信  引用 
名前:Ryoji    日付:2013/10/1(火) 12:10
今朝、わがサイトのアクセスが70000件に達した。開設15年目にしてやっとこの件数だから、全然人気サイトでないことは確か。それでもほぼ毎日のように訪問者があることはありがたい。数件でもカウンターが上がるたびに、さっぱり更新していないことを恥じ、申しわけない気持ちになる。

顧みれば……1998年5月2日に小説サイトとして“Ryojiの書斎”を開設。当初何の反響もなかったが、富田倫生『インターネット快適読書術』を読み、著者にメールをしたのがきっかけで、“青空文庫”に自作を公開、氏手ずから「闇の力」「われらリフター」など5作品をT-Time化していただいた(その富田氏が不意打ちのように今年8月冥界に去り、痛恨、哀惜の念に堪えない)。それからアクセスが急増し、またマイクロソフト社のIME開発担当者からコーパス(言語資料)に使わせてほしいとか、ニューヨーク在住の人から本の情報の問い合わせがきたり、「尾なし犬」がネット読書会の課題作にされたりして、インターネットでの新しい展開が期待させられた。北海道文学館で「私のネット文学体験」と題して講演したり、北海道新聞にエッセイ「俗に通ずる――インターネットによる作品公開の試み」を発表したりしたのもその頃である。

その後、小説作品の公開だけでなく、読書や映画、ジャズ、川柳、漢字検定など、自身の好奇心にまかせて余計なものを増やし、しだいに何を目的にしたサイトかわけがわからなくなってきた。さらに公務を定年退職し、小説に専念して新聞連載などのチャンスにも恵まれたが、ほどなく詞藻の枯渇を感じて執筆から退いた。代わりに何気なく木彫を開始、ほとんど遊びのような削る作業にはまってしまい、小動物や人形などの立体彫刻が面白くてならなくなった。その駄作愚作を公開し始めるに及んで、何が目的のサイトなのかますます不可解な、ガラクタ箱のようになってきた。

今年4月、文学関係を(青空文庫の公開作品関連を残して)大幅に削除し、“Ryoji工房”と看板を変え、URLも改めて再スタートした。以来、アクセスは激減、リンクしていただいた方々にろくに連絡をしなかったこともあるが、毎月200件を越えていたのが半数以下になった。木彫作品は完成まで1〜2カ月かかるし、途中で放り出して半年後に彫り直すこともあるし、と言い訳を挙げつつも、更新停滞無気力サイトになってしまっていることは否めない。しかし、木彫を面白がる気持ちは変わらないし、気分は完全に遊びモード、気まぐれの更新でしかないが、興味のある方、人情に厚い方(?)、ときどきでもご訪問いただけたら幸いです。


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