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詩/短詩形の 書 棚

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42.『心あひの風/いま古典を読む』久保田淳座談集(笠間書院04/2)  
名前:    日付:2012/11/27(火) 14:56

「古典と私の人生」秋山虔 ▽1993/10赤坂<皆実>
「日本文化と古典文学」ドナルド・キーン ▽1997/11九段下ホテル<グランドパレス>
「百人一首/言葉に出会う楽しみ」俵万智 ▽1991/9大塚<なべ家>
「日本の恋歌を語る」金子兜太/佐佐木幸綱  ▽1996/6新宿<松澄>
「宮のうた、里のうた」丸谷才一  ▽1976/7銀座<浜作>
「王朝和歌/心、そして物」竹西寛子 ▽1987/1神楽坂<むさしの>
「藤原定家の千年」田辺聖子、冷泉貴実子 ▽1999/10京都<冷泉家>
「<うた>そのレトリックを考える」岡井隆 ▽1989/7豊橋<きく宗>

 日本の古典文学について、主として和歌から読み解くといった姿勢の入門編的対談集。それぞれの個性が表れて興趣しきり。座談という形式で読みやすいが、またそれぞれの話のなかでは、思い切った発言もある。例えば金子兜太の「閑吟集」や「武玉川」と和歌との対比。冷泉貴実子の御家伝統の和歌を技芸と見る事等。
 初心者として、いろいろと読んで行く切り口が多くある一冊。  (12/11)

41.『万葉集歌人摘草』小野寛(若草書房99/3)  
名前:    日付:2012/11/7(水) 16:21
 次の目次のように万葉の代表的歌人を取り上げ、その作品についての諸説を検討する。
1・初期万葉 2・柿本人麻呂 3・笠金村 4・山部赤人 5・山上憶良
6・大伴旅人 7・大伴坂上郎女 8・笠女郎 9・大伴書持 10・大伴家持

例えば、2の柿本人麻呂では「東 野炎 立所見而  反見為者 月西渡」という歌については、その多くの評釈を次のように掲げ、それの検討を34ページにわたり詳説する。
『万葉集全注巻第一』伊藤博(有斐閣)
「四十八番の歌私按」真鍋次郎
『万葉集』稲岡耕二(尚学図書)
「万葉集の助詞二種」佐伯梅友
「<なり>と<見ゆ>」北原保雄
『注釈万葉集』井村哲夫ほか(有斐閣)
「阿騎野の歌について」阪下圭八
『万葉集を学ぶ1』身崎寿
『万葉−通説を疑う』吉永登(創元社)
「かぎろひは野火である」村上可卿『短歌声調8』
『柿本人麻呂/評釈編巻之上』斎藤茂吉(岩波書店)
『地名の研究』柳田国男(角川文庫)
『記紀歌謡全注解』相磯貞三(有精堂)
『古代歌謡全注釈/古事記篇』土橋寛(角川書店)
その他。

著者は、この歌の訓みについては、さしあたりつぎのように結ぶ。
「初句を<東>一字として<ひむかしの>と訓むことは用例もあり、認められよう。第三句が<立所見而>の四字で<たつみえて>と訓むことも動かない。問題は第二句<野炎>の二字をどのように七音で訓むかということである。」
「この一首のもつ疑問をめぐって(略)疑問に疑問を重ねて確かな解決をつけることは出来なかった」

他に『万葉集 巻第一〜巻第四 1』小島憲之〔ほか〕校注・訳(新編日本古典文学全集6 94年刊行)で、「なお疑問点が多い。しばらく真淵訓に従う」とする。
またに『万葉集1』佐竹昭広ほか訳(岩波版新日本古典文学大系1/99年刊行)では、
「訓詁学の立場からは、未解読歌に属する」として、留意すべき問題点を列挙する。

 何れにしても、古代の訓みにわれわれは到達できないし、『古語の謎』でいうように、後世の訓みが最新版だと思うことだろう。
 斎藤茂吉のような真淵偶像化の意識は、かなりに時代遅れだと言うことを感じた。 


小野寛(オノヒロシ) 高岡市万葉歴史館館長・駒澤大学名誉教授

【プロフィール】
1963年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。高岡市万葉歴史館館長・駒澤大学名誉教授・元学習院女子短期大学教授。著書「万葉集抄」「大伴家持研究」「孤愁の人大伴家持」「万葉集歌人摘草」(万葉歌人論集)「上代文学研究事典」「大伴家持大事典」など。

40.『古語の謎』白石良夫(中公新書10/11)  
名前:    日付:2012/11/7(水) 13:52
『古語の謎―書き替えられる読みと意味』白石良夫(中公新書 2083)
これの第一章にある「創作される人麻呂歌/「ひむがし」が歌語になるまで」は、「東 野炎 立所見而  反見為者 月西渡」の人麻呂の歌の訓みを探るもので、実に興味をそそられることだった。
 著者は「はじめに」で、古語の認識の歴史を描出したいことだ、として江戸時代に新しく興った新しい「古学」について、古語とは何かといった問題を相対的に考えてみたい旨を述べている。
 著者は、古典原文に到達すべく努力を重ねる作業についても、相対的な視点も必要と見る。
例えば定家の源氏物語の写本は原典ではないことは当然として、しかしそれが残された源氏物語の最新版としての価値があるという見方をしているようだ。そういう視点で例えば「東の−−−」の歌の訓みをとりあげてあるのだ。    

 この訓みに関して、いくつかの本を読み比べると。
 ■斎藤茂吉の「万葉秀歌/1933」では、これの
 ひむがしの 野(ぬ)にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ
 を取り上げ、「東(あずま)野のけぶりの立てるところ見て」などと訓んでいたのを、契沖・真淵等の力で」ここまで訓めるようになったとある。何でそう読めるようになったのかの説明はない。
■澤瀉久孝「万葉集註釈1/1957」
 この上の句は、夫木抄や玉葉集にはアヅマノノケブリノタテルトコロミテと読まれ、「あづま野」という地名と見られていた。これを万葉代匠記(契沖)にはじめてヒムカシノと読むべきかと一説を出し、その後改まった。
 ということを敷衍して、この訓みについて、用例をあげ更に詳しく述べてある。
 ■山本健吉・池田弥三郎の「万葉百歌/1963」では、軽皇子(後の文武天皇)に従い、人麻呂が同皇子と亡くなった父草壁皇子を慰撫鎮魂する意味をこめて作った長歌への短歌で、東西に曙光と月光を配して、これにより軽皇子を荘厳しているとして、そのため雑歌ではなく挽歌と見られるとする。詠みは茂吉と同じ。 

 ■折口信夫「中公文庫版口訳万葉集/1975」には詠われた情景は、朝猟の後と見るとしてある。
東(ひむがしの)の野(ぬ)に陽光(かぎろひ)の立つ見えて、かへりみすれば、月傾きぬ
 ■青木生子・伊藤博ほか「万葉集1/新潮日本古典集成1979/P2」
あらためて、この歌のグループ(軽の皇子、安騎の野に宿ります時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌として長歌1+短歌4)全体の中での「東の−−−」歌の位置づけが強調されていた。
■中西進「万葉集全訳注1984」
 旧訓「月西渡る」も捨てがたいとする。
■伊藤博「万葉集釈注1995」には、訓みについての叙述はないが、かつて草壁皇子が此処で狩りをした時の明け方を再現するかのような景色に、草壁皇子を父とする軽皇子の正当性を強く訴えたものとして、詠われたとする。

■阿蘇瑞枝「萬葉集全歌講義2006」
特に「四八番歌の訓みと解釈」という項をたててある。
 上3句はアツマノノケフリノタテルトコロミテ、あるいは初句をヒンカシノノ・ハルノノノなどの試訓が提示された。
 近年ノニハカギロヒタツミエテの訓が提示された。動詞「見ゆ」が他の動詞に接する時は、古代では終止形を承けると一般には考えられているのに、終止形は格助詞「の」「が」を承けることがない、という真鍋次郎「四十八番の歌私按」が提示したノニハカギロヒタツミエテの訓を採択したもの。
これについては、小野寛氏の批判「東の野に炎の立つ見えて」考が詳しい由(「万葉集歌人摘草」所収)。
第5句の「月西渡」を、ツキニシワタルと読むことについても、万葉では訓みとしては同じ例がなく、ツキカタブキヌと読むのが好いと考えられる。
なお、この歌に取材した壁画(橿原神宮の国史舘)を描いた中山正実の中央気象台への調査に依ると、この歌の景観は午前5時50分と推定したとのこと。

■多田一臣「万葉集全解2009」
この歌の東の陽光に、「日の皇子」としての軽皇子、西に傾く月に亡き草壁皇子の姿を重ねる、とする。 
■岩波古語辞典によれば、野(ぬ)にかぎろひので「ぬ」と読むのは上代東北方言で、江戸期の国学者が誤った読みを使ったとある(大野晋説?)

 以上の訓みについての考察は、この「古語の謎」に倣えば、古語の時代のほんとうのヨミは、現代のここで改めて古語の新しい発見として蘇った、と見ることが出来る。調べるほど興味津々の短歌だった。
                           (12/10)
 

39.『鳥・虫・魚の目に泪』辻井喬(書肆山田87/7)  
名前:    日付:2012/7/6(金) 16:41
<眠りの中で泪するものら、自らの飛翔、己れの啼鳴、あるいは自身の遊泳に、夢想と現実を刺し貫く、傷ついた時間を映しみるものらの、声なきことば>ということだ。
タイトルは、芭蕉の<行く春や鳥啼き魚の目は泪>によるものだろう。
最後の<泣く魚>では高橋順子さんの俳号を思い出す。
◎鳥=啄木鳥/千鳥/鷗/鵙/燕/家鳩
◎虫=飛び去った飛蝗/蝶の失踪/薄羽蜉蝣/螢/蜩/蓑虫/蜘蛛/お歯黒蜻蛉/雀蜂の死/姫蟋蟀

◎魚=跳ばない鮎/夢のなかを泳ぐ魚/鯰/夜の金魚/泣く魚

38.『文人たちの句境』関森勝夫(中公新書91/10)  
名前:    日付:2012/6/25(月) 14:28
著者の考えでは、いわゆるプロの俳人ばかりでなく、もっと文人の俳句は注目されていいのではないか、というのが本書の基調となっている。
 発想が自在で、ものの核心をつく佳句が多くある。
 文人たちの作品を任意に採り上げ、文人たちの喜怒哀楽など、折々の心の揺れを受けとめ、作家の素顔をのぞく。
 そう、この場合の文人とは作家のことと考えて良さそうだ。
文人の俳句に惚れ込んだ一冊。

 泣いて行くウェルテルに逢ふ朧哉   尾崎紅葉
 腸に春滴るや粥の味         夏目漱石
 親一人子一人蛍光りけり       久保田万太郎
 街角の風を売るなり風車       三好達治
 花冷や眼薬をさす夕ごころ      横光利一
 据風呂に行春の月緑なり       會津八一
 残月や魚と化したる夢さめて     中勘助
 雲の峰石伐る斧の光かな       泉鏡花
 千枚の青田渚になだれ入る      佐藤春夫
 妻と子の同じ本読む扇風機      久米三汀
 この沼の魚に耳あり春の水      内田百間
 松笠の青さよ蝶の光り去る      北原白秋
 朝ざむや伊達の薄着のふところ手   永井荷風
 炉閉げば狸にかへる茶釜哉      巌谷小波
 病む妻やとどこほる雲鬼すすき    太宰治
 おぼろ月素足の美女のくさめかな   幸田露伴
 行秋やてでむし殻の中に死す     森鴎外
 人間の海鼠となりて冬籠る      寺田寅彦
 胸中の凩咳となりにけり       芥川龍之介
 火を掻いて鉛筆焦す火鉢哉      室生犀星
 この榾の燃え尽きるまで読むとせん  佐藤紅緑

 などなど常住坐臥/温故知新/哀傷・追懐/女人賛歌/存問の5章。
             (92/1)

37.追加:角川春樹句会手帖 佐藤和歌子著(扶桑社09/4)  
名前:オリーブ    日付:2012/6/19(火) 7:1
句会での直しをもう少し。
デジタルはカオスの海に光差す→デジタルはカオスの海に発光す
静けさを更に深める玉舎利の音→静けさや春の闇ある舎利の音
ジェラシーがまだ消え去らぬ雪眼かな→ジェラシーのまだ消え去らぬ雪めかな
離婚日に冷奴半丁酒飲めず→離婚日に冷奴半丁酔いもせず
天高く大樹の幹に触れる秋→昼深く大樹の幹に触れる秋
天才も無頼もめげる春と福→天才も無頼も孤独春の闇
倦怠が倦怠している震災忌→倦怠が倦怠を呼ぶ震災忌
酒飲みのただ眺めをり石榴酒→酒飲みのただ眺めをる石榴かな
(2012/5/6)

36.角川春樹句会手帖 佐藤和歌子著(扶桑社09/4)  
名前:オリーブ    日付:2012/6/19(火) 6:59
数人の句会参加者が20句ずつ前もって提出しておいた句を角川春樹が批評して、特選、佳作など紹介し、直してぐっとよくなる句も紹介する。その句会その場にいるように、口調や雰囲気が描写されていて、角川春樹がそこにいるようだ。毎回ゲストとして各界の有名人などが招かれていて、俳句を持参し、めちゃくちゃに言われたり、初心者とは思えないと褒められたりしていて面白い。角川春樹の俳句を読みたかったが、それはほとんどなくて、でも春樹流俳句の勉強になる、凄い本だった。

春樹の直しはたとえばこんな風:
月兎わがおろかさは跳ねにけり→春月や愚かな貌を持ち歩く
結局は一人たるべしこの大地→結局は一人たるべし春の暮
影ふわり心のうちにも大宇宙(おおぞら)にも→
暗黒やわが魂の銀河にも

「駆け込みて胸ふくらみし暖房車」について、これは俳句にする必要があるだろうか、感動や怒りでもいい、何か感情の大きなうねりから出発した方がいい、と言う。

いくつかあった春樹の句も:
亀鳴くやのっぴきならぬ一行詩
向日葵や信長の首切り落とす
カエサルの地はカエサルへ源義忌
虎が雨鰭あるものは寂かなり
  (2012/5/6)

35.『耳たぶに吹く風』天野忠(編集工房ノア94/10)  
名前:    日付:2012/6/19(火) 6:57
「古いノートから」という詞章集と自筆年譜の2部構成。これは80年代の『木漏れ日拾い』と似通っている。
その詞章のいくつかをあげると、
「自分の悧巧さに照れている人があるように、私は自分の愚かさにうっとりするときがある」
「年齢というものは、幾つになっても恥ずかしいものだ」
「動物は人間ほど賢くはないが、人間ほど愚かではない。このごろつくづくそう思う」
「好きなことばの中に耳たぶがある。耳たぶは、ほんとうに<たぶ>でないとおさまらない気がする。(中略)顔の中で自己主張をしたがらないいちばん柔和な存在であろうか」
1909年生まれ1993年10月に死去したこの詩人の不思議なスタイルは、やわらかに人間と世界に対してあるべきものを提示し続けている。
(2012/6/12/火)

34.『短歌で読む/昭和感情史』菅野匡夫(平凡社新書11/12)  
名前:    日付:2012/6/19(火) 6:55
 サブタイトル「日本人は戦争をどう生きたのか」

 これは『昭和万葉集』(全21巻192万部発行/講談社)完結のパーティで、鶴見和子が
様々な分野の歴史があるが、人間の感情を辿る歴史はまだない。短歌がこのようにまとめられ、歴史的な局面をたどることが出来るのが、一つの感情史だという趣旨の挨拶をしたことを、著者は会場で聞きひそかに「感情史」を書こうと思ったとのこと。

このサブタイトルの「日本人」には庶民から天皇まで含まれている。
 戦争という苛烈な時代を、庶民と天皇という別々の立場の歌を並べるということで立体感がでている、とも云えるかもしれないが・・。戦後の歌には触れていない。
 しかし読み終わって、どうもスッキリと胸に落ちるものがなく、もやもやとした感じは拭いがたい。
 まぁ記録としてはいろいろと活用できるものを集めてあるが。

(違った視点で編集された例として、近藤芳美の『無名者の歌』では、短歌は生活者の歌/民衆の抒情詩であるという立場の戦後の「朝日歌壇」の選歌をもとにまとめられている)
 (2012/1/26/木)
                   

33.『近代詩の誕生−軍歌と恋歌』尼ケ崎彬(大修館書店11/12)  
名前:    日付:2012/6/19(火) 6:52
 近代詩といえば明治30年の島崎藤村『若菜集』から、というのが一般的だろう。
しかしこの一冊は明治15年の『新体詩』をもって始まる。サブタイトルの「軍歌」は西南戦争の「抜刀隊」から。これは明治10年のことだ。
 つまり近代詩の序曲としてのそれらを丹念に探り位置づけている。近代詩成立に到達する前史として、どういう論争があり葛藤があったか、ということで近代詩のあり方を考えるというつくりだ。改めて近代詩史を振り返る一冊。

 目次を拾うと次のとおり。
 第二章 「抜刀隊」/新体詩としての軍歌
 第三章 志の文学/漢詩の伝統
 第四章 共感と追随/新体詩の増殖
 第五章 古典派の反撃
 第六章 西洋派の一撃
 第七章 国民的詩人/民衆歌と叙事詩
 第八章 近代詩の成立/島崎藤村と与謝野晶子/感性の革新と詩の自立
                           (12/2)

32.『巨人たちの俳句』磯辺勝(平凡社新書10/4)  
名前:    日付:2012/6/19(火) 6:50
  <巨人>とは誰か、と云えば記述順で、永井荷風/堺利彦/南方熊楠/物外和尚/平賀源内/二世市川団十郎など。荷風は文人俳句に分類されそうだが、ほかは俳句よりはその道で知られた<巨人>と云えるかも知れない。
 俳句が、余技としてひろく作られ楽しまれていたことがよく分かる。

 作者の狙いは「俳句という煩悩の鬼になって、なにかある」という姿勢で「東洋画でいうところの余白として生きている(中略)、一見無駄に見える、余分なところ、遊びの部分の大切さというものを教えられる」例えとしてこれらの人々のスタイルを描いたもの。
そして作者は、俳句になじまない人はそのところを飛ばして読んでも良い旨を述べているように、なにはともあれ<巨人>と思う人々の小伝を綴ってみたかったのかも知れない。


 牡丹散ってまた雨をきく庵かな      荷風
 椎の香に夜はふけやすし屋敷町
 はるさめに昼の廓を通りけり
 
 韓退之大根くさきあくび哉        利彦
 元日や先ず叩きわる厚氷
 行く春を若葉の底に生きのこる(大逆事件の後)

 なさけとは末摘花のしづくかな      熊楠
 
 雷神の力も蚊帳の一重かな        物外
 武蔵野ははなればなれに時雨けり
 瓢箪を先へ寝さして月見かな

 初空や唐は如何にと思い出し       源内
 井の中をはなれ兼たる蛙かな
 古郷を磁石に探る霞かな

 梅散るや三年飼ふたきりぎりす      二世団十郎
 西行の泪もろさよはととぎす  
 物洗ふおとおさまりて天の川
                       (12/1)

31.『魚すいすい連句を泳ぐ』鈴木美奈子(銀の鈴社12/2)  
名前:    日付:2012/6/19(火) 6:41
かぎろひの海貫けり未来都市(半歌仙「未来都市」の巻、発句)
逝く春を醍醐の姥と惜しみけり(短歌行「醍醐の姥」の巻、発句) 
などなど平成10年以降の国民文化祭および各種連句大会での受賞作品や、『れぎおん』誌『解纜』誌などに載った、さまざまな連句作品と、連句のルールあれこれを興味深いエッセイの数々で語る。ここには、芥川龍之介も安東次男も鶴彬も橋本夢道も隆慶一郎も吉本隆明も、古人にまじってひょいと顔を出す。
 第三章の「今・此処に生きる連句を」というのが著者の連句を掲げる宣言と思われる。また「わたしの初学時代」は著者の連句活動の根っこにあるものが見える。
 連句は面白そうだが、いろいろと煩雑なルールがあるらしい、と躊躇っている読者に「詩的表現の美とは<言語の束縛のうちにおける、自然の自由な自己行為なのです>」というシラーの言葉が巻頭に掲げられているのだが。
 連句とエッセイの愉しさが全ページに詰まった一冊となっている。
                (12/5)

30.『連句遊戯』笹公人/和田誠(白水社10/7)  
名前:    日付:2012/6/16(土) 20:22
 連句を遊戯として愉しむ、という趣旨で歌人とグラフィックデザイナーという二人の男が、歌仙5巻を巻き上げその面白さを語るという仕組み。

 和田誠が連句にはまったのは『歌仙』という一冊を読んだことがはじめという。同書は1981年青土社発行の歌仙3巻と、その舞台裏を語り合う構成。もともとは「図書」や「ユリイカ」に掲載された作品。
参加者は小説家石川淳,同じく丸谷才一,詩人大岡信で、これを詩人であり芭蕉七部集評釈を二度にわたって世に問うた、安東次男がまとめる。

 ということでこの『連句遊戯』も構成は『歌仙』と同様,ただ<まえがき>として和田誠の連句へのアプローチを付け,読者をその世界に誘う。

 収載歌仙の発句と脇は次のように。
「ネッシーの巻」 遠ざかるネッシーの尾や春の窓    笹公人
          騒ぐ水あり笑う山あり       和田誠
「ラム酒の巻」  海賊のラム酒の歌や南風       和
          右手の鈎で食うかき氷       笹
「座敷わらしの巻」稲妻や座敷わらしの帰り道      笹
          見上げる空に満月ふたつ      和
「闇汁の巻」   闇汁や三人の魔女かしましく     和
          氷柱のなかのデーモンのため    笹
「中華まんの巻」 お多福のヘソに置くなり中華まん   笹
          揚子江(ヤンツーコー)をゆく宝船 和 

 連句の面白さを伝える一冊で、92年に筑摩書房発行、矢崎藍の『連句恋々』につぐものかも知れない。
                      (10/8)

29.『現代日本女性詩人85』高橋順子編 (新書館05/3)  
名前:    日付:2012/6/16(土) 20:21
     むじゅん       吉原幸子

 とほいゆきやまがゆふひにあかくそまる
 きよいかはぎしのどのいしにもののとりがぢっととまつて
 をさなごがふたりすんだそぷらのでうたってゐる
 わたしはまもなくしんでゆくのに
 せかいがこんなにうつくしくては こまる
                   (以下略)

 編者高橋順子は<まえがき>にこんな趣旨を書いている。
メこれまでに公にされたアンソロジーに女性の仕事がなおざりでなく評価されていたら、(新しくこのようなアンソロジーを)夢見ることはなかった。モ
メ本書は日本の女性詩人によって書かれた詩を選び出し、私はこう読んだという読みを示したものである。感動とともに、戸惑いをも記さないわけにはいかなかった詩もある。モ
メこうして百年の女性の詩を一望したわけだが、けっこう多様性に富み、一色でないことに私は安堵した。モ
メいまの私にできることは、残された詩、生まれたばかりの詩と対話していくことだけである。
 収録されたのは、1900年代初頭の大塚楠緒子「お百度詣」から、1995年の川口晴美「夏の部屋」までの、20世紀詩人たちの作品。
アンソロジーを編むにあたり、新川和江・吉原幸子の季刊女性詩誌「ラ・メール」にも助けられたと編者は語る。多くの高名な詩人とともに、中島みゆきもいるし、初めて読む詩人達にも出会う愉しさがあるのはこのためだろうか。
 それぞれの詩に編者はコメントをつける。あるいは連想するその作者の別の詩を載せる。編者が「感動し戸惑う」ここが実はこの一冊の読ませどころだろう。(05.6.9 )

28.『挑発する俳句 癒す俳句』川名大(筑摩書房10/9)  
名前:    日付:2012/6/16(土) 20:16
 取り上げた句集は次の各編。
中村草田男「長子」高屋窓秋「白い夏野」篠原鳳作「海の旅」西東三鬼「旗」渡辺白泉「白泉句集」富澤赤黄男「天の狼」三橋鷹女「向日葵」中村汀女「春雪」藤木清子「しろい晝」鈴木六林男「荒天」佐藤鬼房「名もなき日夜」永田耕衣「驢鳴集」桂信子「女身」高柳重信「蕗子」飯田龍太「百戸の谿」林田紀音夫「風蝕」加藤郁乎「球體感覚」金子兜太「蜿蜿」大岡頌司「臼處」三橋敏雄「眞神」阿部完市「絵本の空」河原枇杷男「鳥宙論」折笠美秋「君なら蝶に」

 何れもなかなかのメンバーがそろっている。ただあらためて好きな俳人としてのベスト5は、傾向はバラバラだが、例えば西東三鬼, 渡辺白泉, 加藤郁乎,金子兜太,河原枇杷男あたりだろうか。    (10/10)

27.句集 機嫌のいい犬(10/10) 川上弘美  
名前:    日付:2012/6/16(土) 20:15
捨てかねし片手袋のありにけり
会ふときは柔らかき服鳥曇
白シャツになりすもも食ふすもも食ふ
性愛の深き眠りや羽蟻とぶ
草踏んで会ひにゆくなり日の盛り
はるうれひ乳房はすこしお湯に浮く
叩き割る死者の茶碗や夏の空
終点より歩いて十歩冬の海
(2010/11/3/水)

26.『戦後和歌研究者列伝』田中登/松村雄二責任編集(笠間書院06/11)  
名前:    日付:2012/6/16(土) 20:13
 戦後の和歌研究に足跡を残した研究者たちの小伝を連ねて,戦後の研究史を構成したもの。
 総論とも云える松村の「戦後和歌研究素描」には、戦中の研究から戦後50年代以降までへの動向の素描があって、本文の各論の背景を知ることが出来る。そしてここには、研究のあり方についても触れるところがあり,その変転と編者の願いのようなものも感じられる。
面白い切り口の和歌研究史として読める。

●目次
戦後和歌研究素描 松村雄二著. 小島憲之−国風暗黒時代の文学から古今集へ−山本登朗著. 西下経一−古今集研究の始発と行方−川上新一郎著. 松田武夫−「構造論」の創始者−鈴木宏子著. 久曾神昇−古筆学確立への執念−伊井春樹著. 片桐洋一−古注釈研究の開拓と大成−深津睦夫著. 小沢正夫−古代歌学史の見取り図−田中登著. 島田良二−三十六人集の本文を拓く−藤田洋治著. 萩谷朴−『平安朝歌合大成』への道−浅田徹著. 藤岡忠美−和泉式部研究の軌跡−久保木寿子著. 橋本不美男−和歌史研究への情熱と執念−鈴木徳男著. 犬養廉−後拾遺集の前後−長崎健著. 関根慶子−中古私家集論序説−平野由紀子著. 森本元子−私家集の「謎」の探究者−後藤祥子著. 松野陽一−『千載集』の研究−谷知子著. 谷山茂−藤原俊成の再来的存在か−上條彰次著. 有吉保−『新古今和歌集』研究の基盤−田渕句美子著. 久保田淳−新古今と定家をめぐる創造の機制−兼築信行著. 藤平春男−美の思索者−錦仁著. 田中裕−定家の美はどこからきたのか−小林一彦著. 目崎徳衛−はじめての学際人−松村雄二著. 樋口芳麻呂−失われた物語を求めて−田中登著. 福田秀一−冷泉為相論に始まる鎌倉和歌史−佐藤恒雄著. 岩佐美代子−女房の眼をもつ現代人−佐々木孝浩著. 井上宗雄−歌壇史研究−小川剛生著. 島津忠夫 −連歌から和歌、そして文学の大海原へ−廣木一人著.
                           (10/12)

25.『私の俳句修行』アビゲール・フリードマン(岩波書店)  
名前:    日付:2012/6/16(土) 20:11
 沼津での俳句愛好家との交わりと句会への参加、そしてよき俳句の師黒田杏子(くろだももこ/1938年東京生まれ。東京女子大心理学科卒業。第一句集『木の椅子』で 現代俳句女流賞・俳人協会新人賞。第三句集『一木一草』で俳人協会賞。「藍生(あおい )」主宰。『黒田杏子歳時記』『俳句と出会う』ほか著書多数)との出会い。在日時に、ふとしたきっかけで俳句の面白さに目覚めた米国の女性外交官が、激務の間の俳句修行の体験を振り返る。
外国人から見たHaikuというもの、大きく云えば日本文化というものがどう映っているのかも興味深い。また俳人黒田の懐の広さも素敵。

著者紹介 〈アビゲール・フリードマン〉ジョージタウン大学法科大学院で法学博士号取得。アメリカの外交官。国務省勤務。米国俳句協会、カナダ俳句協会会員、ケベックシティ二カ国語俳句グループの一員。
(2011/3/20/日)

24.小池正博句集「水牛の余波」  
名前:オリーブ    日付:2012/6/16(土) 20:5
ジュール・ヴェルヌの髭と呼ばれる海老の足
月曜の郵便受けに雨蛙
動くなと鳥に命じる鳥の画家
飛鳥大仏蓮をかじっているらしい
その歩哨星の尻尾に撫でられる
評定の途中で鼻が増えてゆく
軽鴨を見て乱心がはじまった
水牛の余波かきわけて逢いにゆく
(2011/4/11/月)

23.『名前はまだない』未名会合同句集より  
名前:    日付:2012/6/16(土) 20:2
            岡本 久一
舊式の万年筆で春と書く
行く春や返さずにおく砂時計
柚子の湯に臍の曲りを正しをり
            長内 道子
定型を外れいち枚の休耕田
八月の城を出て来るフランス語
その先はおぼろとなりぬ円周率
            城内 明子
夢ひとつ春の火種を持ち歩く
一見は省き百聞冬籠り
これと云う理由もなくて蛇になる
            北川 寛山
息災で居るだけの仲冷奴
ひらかなと楷書向き合ふ春炬燵
百までは間があり十年日記買ふ
            幸喜美恵子
○ ×で答へられない十二月
引き際の美学涼しき背骨かな
逃げ水を追ひ越してゆく好奇心
            蘓原 三代
人生ひとまわりして聴く蚯蚓
夏の果切取線のてんてんてん
啓蟄や回して合わす周波数
            高木 暢夫
屋台酒前略中略十二月
横文字を出てひらがなへ新走り
漱石忌歯形のついたビスケット
            玉木 祐
未来図の明日へ明日へといわし雲
冬さくら我も喩としてあるごとし
胎内へ流氷の音かえるごと
            春田 千歳
抗うつ剤目刺の頭片寄りぬ
少年の鎖骨が匂ふ海開き
春愁は円周率の果のやう
            宮腰 秀子
ハナ、ハト、マメ銀色に老いねこやなぎ
ものの芽に沈黙という武器のあり
ねむれないZOOの真上に春の月
            山崎せつ子
逝く春の黒板消しに鋲二つ
線香花火もう一方の手が暗い
雪催いなかなか開かぬ瓶の蓋
            前田 弘
冬の川夕日を入れて鳴りだせり
父の日の何だかんだと雲呑麺
親の顏しまい忘れて鬼は外

『名前はまだない』2008年8月発行
編集人 蘓原三代
発行人 前田弘
発行所 未名会(国立市)
* 各50句掲載から3句のみをランダムに抽出して掲示。詳しくは句集を。
(2010/2/10/水)


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