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声の広場

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500.初蛍 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2014/6/3(火) 18:11
 昨夜9時頃であったが金津から帰宅途中、水田に蛍が3、4匹灯りを点滅して空中に漂っていた。稲穂は華越前が14、5センチ、コシヒカリに至っては7、8センチだろうか。それでも蛍は飛んでいる。この辺りは蛍がほぼ全滅した時期があった。2、3年前から見られるようになり、今年はことのほか早い。農薬の使用量を抑えているせいだろうか。

 今朝散歩すると、水田にオタマジャクシが泳いでいた。遠くの方でチュウサギ(白サギの一種)が餌をついばんでいる。雀に混じってハクセキレイが飛び交っている。あぜ道にはスミレ草、オグルマ、ブタナ、ヘクソカズラ、アザミ、ヨモギなど、夏野草が見られる。眼を凝らせばこの辺りも自然は豊富だ。いつまでも、孫の代、その先の世代に残してやりたい。

 今の自然を残すためにも私たちの世代で近視眼的経済利益で将来を見誤ってはならない。右も左もない。私は時に左翼で時に右翼でもある。だが、自然を守る、日本を守る、後世の人々に胸を張るために原発再稼働を許してはならないという信念だけは持ち続けている。

 6月7日、福島の現状を伝える集会があります。多くの人に福島の人達の苦しみを、報道されない真実を知っていただきたい。。詳しくは牧田さんの日記の最下段の「講演会のお知らせ」をクリックしてください。

499.もつべきものは友 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2014/5/28(水) 22:5
 早朝5時、玄関に牧田さんが立っている。「新聞に大きく出ているよ」と言い、コピーを渡してくれた。「今から知り合いに配ってくるよ」と言う。一瞬あっけにとられたが、いかにも牧田さんらしいと感謝した。

「お寺のおばあちゃん」は私が手掛けた記録ですが、それを広めたのは牧田さんです。作品を仕上げるまでは熱中しますが、いったん完成すると途端に興味を失い、次の題材を探す。それが私の性癖なのです。実はこの作品は2月だったと思いますが、朝日新聞福井支社に持ち込みました。貴重な疎開児童の記録であり、世に出したいと思っていたのですが、支社長はさして興味を示さず、おそらく原稿は棄てられたのでしょう。猫に小判、豚に真珠の類で価値を見出さなければ紙屑にすぎません。

 よくあることで別に気にしてもおらず、そのままになっていました。その間牧田さんは私の原稿をコピーしていろんな人に配って歩き、御自身のブログでも紹介してくれました。そのブログが読売新聞の渡辺彩香記者の目にとまり記事となったのです。本来は5月5日の子供の日、全国版の社会面で紹介される予定でしたが、前日新潟県で子供を含む5人の尊い命が水難事故で失われ、社会面の多くが割かれたため扱いが小さくなりました。

 渡辺記者は、あの写真だけは紹介したいとの気持ちを強く持っておられ、地方版ですが、今回大きく取り上げられたという次第です。それも、牧田氏が熱心に紹介してくれたおかげと深く感謝しています。まして早朝より記事を配って歩くなど、ただただ頭を下げるのみです。ありがとうございます。

 そのお礼と言うのもなんですが、新連載を掲載します。題材は多賀谷一族。
 多賀谷左近は結城秀康の譜代重臣で加賀前田氏と接する金津一円の領地を与えられ国境警備を任されていました。初代左近は秀康の死後、間もなく死去。二代目が忠直に仕え、大坂夏の陣でも戦功をあげるのですが、忠直が配流処分となり、忠昌が福井藩主となると、越前多賀谷家は断絶します。
多賀谷家断絶の理由は現在も解明されておりません。今回はその謎に迫ってみます。

   「越前柿原郷 多賀谷一族の滅亡」  トンボ作品集にて掲載します。

498.お問い合わせの件 返信  引用 
名前:遠方の友    日付:2014/5/16(金) 23:21
とりあえずURLを貼り付けてみます。
これでダメなら早くパソコンメールを開設してもらうのが一番早道だと思います。
このURLを手入力しても、アクセスできるはずだと思うのですが、、、
http://64918669.at.webry.info/
http://64918669.at.webry.info/

497.合併10年か 返信  引用 
名前:市民    日付:2014/4/21(月) 10:5
 昨日開票のあったある坂井市の市議選挙事務所での話です。
「あわら市も早や10年過ぎた、合併は町の人どう思っている。良かったとか、坂井市と一緒になればよかったのにとか」
 即答はためらいましたが、結果は良かったんじゃないかと思っています。
一つの例ですが、身近なところに立派な図書館ができ、給食センターも駅の近くに最新の設備を備えて出来ました。図書館の場所はさびれショッピングセンターでした、給食センターの場所も廃工場跡でした。町がきれいになったと思います。湯町、中央の公民館も両方改修すると聞いています。また芦原温泉には足湯が完成し話題を放っています。
町が大きいければいいとは思いません。小さい町にはそれなりに行政が身近に感じられます。
市の財政も人件費の削減で良い方向に向かっていると広報で知りました。県内には池田町のように合併をしなくても頑張って存続している町があります。
我があわら市もこれからますます独自色を発揮して発展してほしいと思います。
最後に人口の減少が気になります。
せっかくリニュウアルした中学校も各小学校の入学児童の数も本当に少なくなりましたね。全国的傾向は認めますがやっぱり気になります。
若い人が定着するように市民あげて応援したいと願っております。

496.お礼申し上げます。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2014/4/20(日) 16:6
 浅田様
 私の拙い文章お読みいただきありがとうございます。
所詮素人の暇つぶしと自虐的な気分に陥ることもありますが、たとえ僅かな人であっても、お読みくださる方がいらっしゃるかぎり、書き続けたいと思います。

 現在「紫陽花」執筆中です。フィリッピンレイテ島作戦に従軍したある兵士の数奇な運命を描いた作品です。

 第一部はほぼ完成したのですが、懸賞小説に応募予定であり、全文を公開することはできません。登場する人物と地名、軍隊用語を紹介し、冒頭の文だけ掲載させていただきます。

 興味のある方は「トンボ作品集」をご覧ください。

 追記
牧田さんのパソコンソフトにトラブル発生。現在、牧田さんが御自身のホームページに書き込むことができません。妄想日記フアンの皆様、今しばらく御辛抱下さい。

495.新庁舎建設してほしい 返信  引用 
名前:旧 芦原町民    日付:2014/4/17(木) 13:59
合併10年を機に新庁舎を建設し、新あわら市誕生の気分一新を諮っ

てはどうか、現在の庁舎に行くたび、今もって吸収合併されたよう

な思いが拭いきれない、さすがあわら市と言われる庁舎を望みたい、

現庁舎は100年近く経過している筈、県内の市町ではこんなに古い庁

舎はないのではないか、地震に対する危惧は?。

494.お礼2 返信  引用 
名前:浅田    日付:2014/4/16(水) 23:20
今日、母に電話しました。この広場の文章などをプリントアウトして、わざわざ家を探し当てて持ってきてくれたそうで、誠に有難うございました。なお先ほど、「剣岳」「お寺のおばあさん」「牡丹慕情」などを読ませていただきました。非常に感銘を受けました。重ねて御礼申し上げます。

493.お礼 返信  引用 
名前:浅田    日付:2014/4/13(日) 12:30
突然のメールで失礼いたします。10日に北海道に戻ってきて、思い出しながら日記をつけているのですが、芦原警察署前の素敵な並木の樹種がわからなくて検索したら、ヒットしたのがこのブログでした。名前が分り、うれしくてついでに少し拝見したら、懐かしい風景が次々と出てきました。2008年5月15日の金津小学校の赤いバラは私の母(明日で85歳)が育てているものです。また嬉しくなって、お礼のメールを書いている次第です。どうも有難うございました。浅田政広

492.小保方春子氏の会見を聞いて。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2014/4/10(木) 11:30
 小保方春子氏が記者会見で語った内容について、国民の反応は肯定否定両論があるが、おおむね同情的である。一方、専門家たちの意見は否定的なものがほとんどである。

 知識が皆無の私が意見を述べるのはおこがましいが、一つだけ小保方氏の心情を理解し、その分野の専門家たちに反論したいことがある。

「私はいろいろな研究室を渡り歩いて自己流を貫いてきました。それが私の認識不足、未熟さとなり、今回の騒動を引き起こす原因となりました。関係者に多大な迷惑をかけたことについて申し訳なく思っています」
会見のなかで小保方氏はこのような趣旨の発言をされたように記憶している。一方、専門家は彼女の手法について不正であると厳しく断罪している。

 STAP細胞の存在については小保方氏が「存在する」と断言しているのに対して、専門家たちは発言していない。

 話を変えるが昔、板場の世界では「渡り」とよばれる職人がいた。一か所に留まらず、渡り歩くのである。なかにはめっぽう腕の良い渡り板場がいた。この世界では一般社会よりも権威、序列、秩序、付き合いを大切にする。渡りのなかには権威、しがらみを嫌い、包丁一本(正確には三本)で渡り歩く者もいる。彼等はいわばアウトサイダー、決して大料亭、有名ホテルの料理長になれない。

 それらの地位に就くには、それなりの道を歩まなければならない。官僚がトップの座に就くには、コースを踏まなければならないのと同じ理屈だ。仮にアウトサイダーがトップの地位に就いたり、脚光を浴びれば、周囲の妬み、反感は想像を超えたものになる。彼等は彼が(彼女が)墓穴を掘る事を期待し、その機会を待っている。
 彼女の「私は多くの研究室を渡り歩いて・・・」という発言を聞いた時、「渡り板場」のことが頭をかすめた。

 若い小保方氏が世界の度肝を抜くような研究成果を発表した。極めて単純な研究手法で常識を覆す研究成果をである。周囲、先輩同僚の反応は称賛だけではなかろう。先輩からみれば小娘が、という気持ちが芽生えたとしても不思議ではない。

 今回の騒動で、多くの専門家たちが小保方氏を非難している。彼らたちはその筋の権威者である。であるなら、彼女がSTAP細胞の存在を発表したとき、なぜ疑問を表明しなかったのであろうか。

 彼等はSTAP細胞の存在については発言していない。手法を問題視している。一方、小保方氏は手法については誤りを認め謝罪している。そのうえでSTAP細胞については「存在する」と断言する。

 STAP細胞が存在しないと証明されたとき、小保方氏の研究者としての生命は絶たれる。STAP細胞の存在が証明されたとき、彼女を非難した科学者たちはそれでも「STAP細胞の存在そのものよりも手法に問題がある」と言い続けるのであろうか。

 今はSTAP細胞の存在そのものを確かめる、そのことがすべてで枝葉を論じる必要はない。と私は思う。

 ガリレオが地動説を発表し、宗教裁判にかけられて地動説を放棄したのは1632年、それでも彼は「動いている」とつぶやいた。この不世出の天才は不遇のまま9年後に死去する。ローマ教会がガリレオ裁判の誤りを認めたのは1992年だった。

 小保方氏を糾弾する科学者に、ガリレオを裁いた権威に固執する中世の裁判官の姿が重なって見えた。

 STAP細胞が存在するか否かは私にはわからない。しかし発表時にあれほど称賛した彼等が(もしくは沈黙していた彼等が)、メディァ、評論家気取りの大衆がここぞとばかりバッシングする姿はおぞましい。

 「それでもSTAP細胞は存在する」小保方氏の言葉が真実であることを願う。

491.牧田さんのパソコン現在故障中 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2014/4/8(火) 9:25
 先週の土曜日(5日)、牧田さんがパソコンプリンターを移動させている際、事故が発生。、プリンターが落下しそうになり、それを支えようとして牧田さん転倒。頭部に裂傷を負い、病院で治療を受けたそうです。幸い怪我は回復し、本人の弁によれば、おかげで記憶が鮮明になったということです。

 ただし、パソコンは故障し現在修理中で、日記欄は空白のままです。近日中に再会予定とのことです。

 怪我の程度が軽かったことが何よりでした。まずはお知らせまで。
 

490.梅花 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2014/3/24(月) 16:51
 梅花が見頃だろうと、若狭に車を走らせた。三方町は三方五湖で知られているが梅の一大産地(西田梅)でもある。敦賀まで高速、敦賀から国道27号線で約2時間強、三方五湖に到着したのは12時を少し過ぎていた。湖を望む緩やかな斜面に梅林が続く。さぞかし壮観であろうと期待していたのだが、それは私の認識不足だった。結論から述べると、花を観賞する梅木(庭園)と、実を採集する梅木(畑)では品種が異なる。

 三方五湖の梅林は後者である。もちろん山麓に広がる梅林はそれはそれなりに壮観だが、期待したものではなかった。白梅であろうか、枝にややピンクを帯びた小さな花弁を無数に咲かせている。どちらかというと地味な花である。

 湖畔に地元の方が経営されている小さな店がある。手作りのクッキー、梅干し、花、ハーブ、工芸品を扱っている品の良い店である。クッキー、梅干し、ハーブ茶を試食、試飲した。美味しい。梅干しは添加物ゼロ、果肉たっぷり、柔らかく酸味も文字通り塩梅(あんばい)が良い。価格も、市販のものより安価である。試食、試飲したそれらを購入して店を出て、あらためて梅林を眺めた。
 
 才色兼備は稀である。にもかかわらず外見にこだわりパフーマンスに走る中身に乏しい輩が闊歩する人間社会に比べれば、凡に徹し、果実(中身)を大切にする、この梅林の穏やかな景観はむしろ好ましい。

 梅の抑制された美、桜の艶やか美、樹木にはそれぞれ個性がある。それぞれを対比し、愛でることができる、この季節、野草が芽吹き、野鳥が囀るこの季節、ようやく春が訪れた。

 ※ 金津トリームパーク公園の一角に梅木があります。一本のみですが、周囲の景観と調和して一幅の絵となっています。見ごろはこの二、三日以内。早朝には野鳥の囀りを楽しめるでしょう。

489.社会が悪くなりましたね 返信  引用 
名前:一言虎児    日付:2014/3/8(土) 10:23
 私は中学卒業後鉄工会社に勤め、嫁ももらい子供も大学までゆかせました。会社は大きくありませんでしたが、社長以下私たち(ほとんどが中卒の)社員を家族同様に可愛がってくれました。今厚生年金で余生を送っていますが、多くなくとも社員であったからいただける年金です。本当に感謝しています。 その後も会社からは、私の仕事で得た技能をわかっていて、多忙な時に仕事に呼んでくれます。これは私の小遣いとなり、孫にも息子らにもいろんな援助となり、年金友の会の旅行の費用にもなります。   非正規社員の方々には恐らく私のような老後は望めないと思います。誰が悪いのでしょうか、非正規社員の方を含め、大部分の若者が立派な教育を受けた人たちです。国民が幸せな生活を送るために国家が存在するのに、国の政策でこのような不幸な方々がいるのはおかしいと思います。今のままでは国の未来はないと思いますが、とんぼさんどう思いますか。

488.非正規社員の嘆き 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2014/3/8(土) 9:36
 春闘の季節になりました。好調な自動車産業は一発回答、なかには労組要求を上回る回答もあると聞きます。自動車産業だけでなく、円安、株高の恩恵により輸出産業、証券、銀行も業績が好調でベースアップが期待できるとの話です。国家、地方公務員もいずれ給与引き上げの人事院勧告がなされるでしょう。

 多くの不況産業の事業主、労働者は置き去りにされ、一部の恵まれた業種の人だけが、と云うつもりはありません。

 ただ、非正規社員の待遇は劣悪とだけは述べたいと思います。好調な業種、安定した官公庁にあってでもそうです。正規、非正規社員の格差拡大は社会問題化しています。現在、働き手の40%は非正規が占めているとの統計があります。その多くが正規社員になることを望んでいますが、人件費削減のために、その道を閉ざされています。

 彼等の労働環境は劣悪です。時間給で、それも据え置きが続く。もちろん賞与も退職金もありません。年度毎に雇用契約が更新されますから、企業側の都合によりいつ解雇されるかもわかりません。その恐怖から待遇に不満があっても口にだせない。

 仕事の内容は正規社員と変わりません。むしろ過酷です。正社員はいわゆる労働三法によって身分待遇が保証されていますが、非正規社員その恩恵は受けられません。労働三法に守られている正社員のしわ寄せが彼等にくることさえあります。

 連合などが非正規社員の待遇改善を掲げていますが、どこまで本気なのか・、たんなるポーズとしか私には思えません。労働組合は傘下の組合員の代弁者であり、非組合員である彼等の代弁者ではない。ましてや正規、非正規の格差縮小に積極的に賛成するわけがないのです。

 ですが労働者の多くが非正規社員という現実、官民問わず、仕事の多くを非正規社員に頼らざるを得ない現実を直視すると、非正規社員の待遇改善は待ったなしの状態です。

 非正規社員は多数ではあっても、発言力はそれに比例しない。労働組合は彼等の真の代弁者ではない。とすれば非正規社員を多く雇用している官が積極的に模範を示すことも考えるべきではないでしょうか。

 いかに仕事に熱心で、有能であっても、非正規である限り、正当に評価されず、職を去る人もいれば、無能、無気力であっても正社員という理由だけでその地位に、安住する人も少なからずおります。

 正規、非正規を問わず、能力、成果によって正当に評価される、そのようなシステムがどこかで導入されないでしょうか。

487.硫黄島悲話 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2014/2/24(月) 16:57
 津本陽著「名こそ惜しめ 硫黄島魂」を牧田氏がとりあげられた。関連して硫黄島で戦死したある兵隊と彼を見送った上官の悲話を紹介したい。

 大島和雄氏は40年前、私がサラリーマンであった頃の上司で(声の広場NO473参照)、今も年賀状をいただいている。作家でもある大島氏はその著作「続・東京の文学風景を歩く」で金子義夫氏の思い出を語られている。

 玉砕の運命にある硫黄島守備隊に、それとは知らず出発する兵隊と、それを知りながら見送る若き上官(金子義夫氏)の心情が描かれている。

「続・東京の文学風景を歩く」の冒頭文で、大島氏は金子氏の苦悩を記している。その兵隊への哀惜の念を金子氏は生涯抱いていた。以下はその抜粋。

「今年の春、わたしは栃木県のなかほどにある喜連川(きれつがわ)という温泉町に、泊まりがけの小旅行をした。この町に住む、もと日本大学の教授の金子義夫先生が、わたしの本を読んで会いたいと言われたたので、こちらから出向いたわけである。

 金子先生は芭蕉の研究家で、文学博士の学位もとられているが、一方、恵泉という俳号をもち麦兆社という俳句の結社を主催して長い。喜連川町の地図に「俳句の森」として案内されているところが先生の家である。ご挨拶をして、座敷に落ち着く前に家の庭を案内していただいた。

 金子家は旧家で敷地は三千坪あり、杉、桧、欅の巨木がそびえ、竹林がそよぎ、ぼたん園や菖蒲畑もあるゆたかさである。ひろい敷地のあちこちに同人たちの句碑が建っている。

 若い頃、わたしは喜連川にちかい氏家町の高等学校で六年あまり教師をしていた。そこの卒業生に金子先生の娘さんがいて、この日も娘さんが友人たちと父親の家に集まっていた。

 金子先生とわたしは二人だけで、三時間ちかく話をした。六十年安保の学園騒ぎのときなど、穏やかな人柄の先生は、学生との交渉の場で苦労をされたらしい。しかし先生にとって、やはり軍隊生活の思いは深いようで、心に残る話をいくつも伺ったが、一つ一つの話はそのまま、すぐれたエッセイになるものであった。

 その一つ、昭和十九年の招集で武山海兵団(横須賀市)におられた頃のことである。最前線へ部下を送り出すことになった先生が、兵隊に「故郷の最後の便り」を書かせた話がある。

 字も満足に知らぬ一人の兵隊が、ひらがなで「うしはうれ、くるまはうるな」とだけ書いた。先生がその意図を尋ねると、

「自分の家は貧しい運送屋だが、自分のいない妻と幼な児だけの世帯では牛の面倒は見られまいから、売りに出せ。しかし荷車は売るな。自分が戦地からもどったら、すぐに牛を買い入れて、また商売をはじめるから」という意味だと答えたという。

 その兵隊は硫黄島で戦死した。その手紙の行方はどうなったか。

 むかし手紙の手本として「一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな・・・」の例があるが、それを超えて、この短い便りには深い悲しみがある。この話をしながら、先生はいく度となく絶句しては、涙を拭われた。

 先生の句に「ふりかへりふりかへり見る花野かな」というのがある。「花野」は秋の季語である。「花野」は秋の野に草花の咲き満ちた高原を連想させる。

 人がそれぞれの人生を生きて、ある者はみごとに花を咲かせ、ある者は咲ききれぬままに終わる。そうしたさまざまな出会いをふりかえりつつ、ここまで来たというのが、八十余歳を生きてこられた先生の感慨なのだろう。

 さりげない詠みぶりの中に、きらりとする人生透視があって、「ふりかえり・・・」の句は先生の絶唱であろう。

 先生ご夫妻や卒業生たちから、温かいもてなしをうけ、先生の著書やお土産をいただき、翌日は満開の桜を心ゆくまで眺めて、私は楽しい思いで帰ってきた。

 帰宅して四日目、金子先生が急逝されたという連絡をうけ、私は言葉を失った。聞けば先生は非常にお元気で、翌日は家族で市内の桜を愛で、その翌日も心臓の弱いことを忘れたように、庭木の手入れなどされているうち、急に容態が悪化して、そのまま亡くなられたという。

 延命措置が慣習となって、人が自然の死を選べなくなった今日、もう十分に生きた、ここらで良かろうと、桜花の盛りに、家族に感謝しつつ、先生は自らの生涯に幕を引かれたような、そんな気がしてならない。みごとな人生を生きられたと思う。

 先生からいただいた句集の題も「花野」であった。私にとって忘れられぬ一つの「文学風景」となった」

 平成十年九月                                     

 此の著書が発刊された八年後の平成十八年(2006年)、クリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」が公開された。

486.ふるさとの風景  「東山沢溜池の風景」 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2014/2/21(金) 22:39
 第一話「東山沢溜池の風景」終わりました。興味のある方「とんぼ作品集」でお読みください。

484.「お寺のおばあちゃん」の資料写真をご覧になるには 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2014/1/30(木) 21:24
 ありがとうございます。

「まきさんの妄想日記」欄にある 注「お寺のおばあちゃん」をクリックしてください。

 お寺のおばあちゃん トンボ著があらわれます。その最下段に「寺のおばあちゃん 資料写真」がありますので、「NO2 波松海岸にて」をクリックしていただければ写真を見れます。ぜひご覧になってください。素晴らしい笑顔です。

 御希望の件ですが、どのような方法がよいのか、みなさんと相談したいと思います。

 

483. もうじきおばあちゃん 返信  引用 
名前:「お寺のおばあちゃん」のお話を読んで    日付:2014/1/30(木) 9:4
 ご丁寧に返事をいただき本当に恐縮しています。写真のことですが、そのところをまだ見ておりませんが、ご推察のとおりでしょうね。
 子供にとって父母は何よりの宝、波松で心温まるおもてなし(適当でしょうか)をいただいても、やはり肉親への思慕は別でしょうね。
 ところで、お願いですがこのお話をどこかでしていただけないでしょうか。文面で表せなかった出来事や、言葉による取材内容を是非聞きたいとおもいます。牧田さんにもご協力をお願いしてはどうでしょうか。
私は、友達を誘い必ず聞きに行きますおねがいします。

482.謎が解けました。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2014/1/29(水) 23:56
 疎開児童の波松での写真の件ですが、
(もっとも苦しい時期にはじけるような笑い。屈託のない笑顔はどこから生まれたのか不思議でしょうがない)その謎が解けたのです。

 夢をみました。うつらうつらしながら、白昼夢のなかで子供たちが語りかけてきたような感覚に襲われたのです。

「この写真は大阪へ帰る前に撮った記念写真なのよ。やっとお父さん、お母さん、みんなと一緒に暮らせる。 1年2ヶ月ぶりに大阪に帰れる。家族が揃う、嬉しくて嬉しくて、本当に嬉しかった」

 幻覚ですが、私にはそれが事実であると確信しました。不思議な夢でした。信じてもらえないでしょうが事実です。

 いずれ大阪で彼女たちにお逢いして尋ねてみます。

注)「寺のおばあちゃん」写真資料集NO2 波松海岸にて  を参照ください。

 

481.ありがとうございます。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2014/1/29(水) 6:59
「お寺のおばあちゃん」お読みいただきありがとうございます。
正直な話、書き終わったつもりでした。竹さんが疎開児童に注いだ愛情と、その愛情を受けとめていた疎開児童、教師、寮母の心情を描くことが目的でしたから、それは達せられたと感じていたからです。

 ですが、どうしても疑問が残るのです。その疑問は日を追うごとに大きくなるのです。それは子供たちの波松海岸での写真です。みんな笑っています。この笑顔は現代の子供には見られない無垢な笑顔です。

 昭和20年、5月から10月にかけての写真です。日本の最も困難な時代、とりわけ疎開児童が過酷な環境下に置かれていた頃の写真です。配給は極端に少なくなり、食料を分けてくれる親もおらず、配給に頼っていた疎開児童は常に飢えていました。衣類は着替えにも不足し、おまけに蚤(のみ)が集り(たかり)煮沸消毒しながら着ていたのです。シラミ退治にDDTを頭に噴射されていました。

 そんな日々にどうしてあの笑顔が生まれたのか不思議でしょうがないのです。
「お父さん、お母さんに送る写真よ。みんな元気をだして笑って」と言われていたでしょう。それにしてもみんなが笑っている。不自然さがなく、屈託のない笑い。あの笑いはどこから生まれたのか、私には謎なのです。

 はるかに恵まれた現代の子供たちから失われた笑顔がそこにあります。

 かっての疎開児童、といっても今は79歳になっておられるのですが、彼女たちにお逢いして尋ねたいと思っています。

{笑うということ」はどういうことか、きわめて単純な事ですが確認したいと思っております。

 その謎が解けぬかぎり「お寺のおばあちゃん」は未完です。

480.もうじきおばあちゃん 返信  引用 
名前:「お寺のおばあちゃん」のお話を読んで    日付:2014/1/28(火) 9:58
 戦時中の食べ物の乏しいときに、良いお話しですね。
 戦後生まれの私は、空襲の恐怖を知らず、食べ物のことにも不自由を感じておりませんでした。ただ子供の頃には芋やカボチャをよく食べさせられ、不服を言いました。でも、母や父が畑で作ったものだから喜んで食べました。学校の給食もおいしく満足でした。
 この話に出てくる児童は多分昭和10年ごろの方々だろうと思いますが、戦後の日本を作るのに中心となり、尽力された皆さんだろうと思います。常に感謝を念頭に人生を歩んでこられ、やがて八十を路迎えるのかと思います。
 この出来事を取材されたとんぼさんには、深く敬意を申し上げます。 これからは、私も残りの人生を父母や皆様方への、感謝の毎日としたいと思います。
 


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