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603.巧言令色鮮矣仁 (論語) 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/9/18(金) 22:24
 巧言令色鮮矣仁 剛毅木訥近仁 (こうげんれいしょくじんすくなし ごうきぼくとつじんちかし)
「口先が巧みで、人の歓心を得ようとする人間に誠実な者はいない。剛毅で飾らぬ人間に誠実な者が多い。ゆえに言葉巧みな人間を信用するなかれ」との戒めである。

 今日の本会議で山本篤議員の発言を聞いて、孔子の教えを思いだした。

 9月8日の総務文教常任委員会(山本篤委員長)での向山信博委員(議会運営委員会委員長)の暴言「市民の請願などいちいち聞いていては議員の仕事などできない」を、私は山本委員長に対し「削除することは言語道断である」と申し上げた。

 本日、再度確認したところ彼は削除すると言った。向山氏に「あなたがそうさせたのか」と糺したところ「知らない」と白を切る。再び山本氏に糺したところ、わけのわからぬ言い訳をする。あまつさえ他者に責任を転嫁しょうとする。

 申し上げる、貴方が委員長である。委員長に権限があり、責任がある。委員会での出来事は他の誰にも転嫁できない。

 暴言を吐いた向山氏は論外としても、それを削除しようとする委員長も同罪である。委員長としての自覚も責任感も皆無である。委員会の終了後でも休憩中でもない、委員会進行中の発言である。公式の場で我々のみならず市民を侮辱したのである。その事実を削除することは委員長が阻止しなければならぬ、それが委員長の見識である。

 未だかって、公の場での発言を謝罪も説明もなく削除したことがあろうか。彼は前代未聞の誤り犯そうとしている。

 山本篤議員、向山信博議員に申し上げる。反論があれば、ビデオを公開して反論してもらいたい。非難の矛先をかわすことに汲々としている、事実を隠蔽し嵐の通り過ぎるを待っている、そのような小賢しい態度ではなく、正々堂々と反論していただきたい。私は応じる。

 委員会で暴言を吐くような議員は品性、見識が欠如し、資格すらない。同時に巧言令色な議員も我々は御免蒙る。

 彼等は議会運営委員会、総務文教常任委員会の委員長である。公の記録を削除するという暴挙を犯そうとしている。みずからが委員会の権威を失墜させようとしている。その前に彼等は委員長の職を辞すべきである。

 重ねて申し上げる。記録を削除してはならない。

 

  

602.初秋の一日 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/9/14(月) 9:29
 午後になり晴れてきた。雲は多いが空は青く、高い。初秋の景色である。気心の知れた女性と車を走らす。九頭竜川を見る。穏やかにゆったりと河水が大海に流れ込む。彼地で鬼怒川が鬼となって、怒流となって人を襲った。九頭竜もいつか竜となり此の地を襲うのだろうか。竹田川も然り、天のみぞ知る。ただ祈るだけ。
サンセットビーチでは若者がサーフーインに興じていた。

 国民休暇村に車を止めた。ホテルのロビーから日本海を眺める。海あくまでも碧く、静か。心なしか地平線がいつもより高いように見えた。手前の芝生ではゲートボールを楽しんでいるグループがいる。連れはコーヒーとケーキを注文した。私はせっかくの景色、楽しみながらビールを飲む。

 海浜公園に足を伸ばした。人は疎らというより、ほとんどいない。雀が木々の間を忙(せわ)しなく行き交う。烏が地上に降りて何かを啄ばんでいる。ツクツクボウツクツクボウと鳴き声が絶えない。夏の終わりを告げる寒蝉(かんぜみ)がブナ林の中で鳴いているのであろう。野鳥のチッチチッチの声も微かに聞こえるが蝉の声でかき消される。晩夏、初秋の音の風景である。

 草花は秋の野花が目につく。小さな黄色い花は可憐な姿に似合わず不幸な名前を付けられた、ブタナ(豚菜)。紫の花はカタクリ草。真っ赤な花はケイトウ(鶏頭)、名前の由来は形が鶏の鶏冠(とさか)に似ていることから。白い粒状の花を団子状につけているのはダンキク(段菊)か。野草の名を連れ人に確認しながら散策する。

 芝生のベンチに座りギターを抱えている二人に挨拶をした。初老の男性と、年配の女性である。「この人は私の先生で、90歳になります。私も70歳ですが、ギターを教わっています」と男性が言う。

「どのような曲を弾かれるのですか」と聞くと、彼は「唱歌です。27日に発表会があるので、練習しているのです」と答えた。女性は私たちの会話を微笑みながら聞いている。
「聴かせていただけませんか」とお願いしたのだが、女性は微笑んだままだった。「発表会で聴きたいですね」と言い、お別れした。その後も彼は女性に語りかけていた。

 海浜公園を離れ、松林の中を海を眺めながら丘陵地に向って走る。あちらこちらでコシヒカリであろうか稲刈りにいそしんでいる人たちがいる。ソバ畑が可憐な白い花で覆われていた。乾いた風は秋の到来を感じさせる。

 窓を開けた助手席で、田園の風景を眺めながら帰路に着いた。

 

601.怠慢な議員たち 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/9/11(金) 23:21
7月28日      
温泉及び山里地区   湯の町公民館(22名)
本荘地区         本荘公民館(7名)
新郷地区         河間区民館(7名)
吉崎・浜坂地区     浜坂区民館(24名)
7月30日 
波松地区         波松区民館(17名)
剱岳地区         剱岳公民館(21名)
金津川南地区     ふるまちふれあい会館(28名)
細呂木地区       細呂木公民館(63名)
7月31日
坪江地区        名泉郷会館(9名)
金津川北地区     本陣IKOSSA(10名)
伊井地区        伊井公民館(22名)
北潟地区        北潟公民館(22名)

 上記は第8回議会報告会の対象地区、会場、参加市民数である。
細呂木地区63名が抜きんでいる。それほど地区の多くの方々が市政に関心を持たれている。敬意を表したい。

 その細呂木地区の区長会から市議会に対し地区住民が陳情する(話し合いの)場を設けてほしいとの要請があった。市議会ではその申し出を議会運営委員会(委員長向山信博議員)に付託した。

 結果は却下、いわば門前払いである。理由として一度、そのような市民からの申し出を許可したら次から次と申し出が相次ぎ、議会としての仕事ができないとのことである。却下された細呂木地区の方々は、はらわたが煮えくり返る思いであろう。

 議員の大切な役割は住民の声に耳を傾ける、その声を市政に反映させることにある。それを放棄するようでは議員としての資格すらない。第一、未だかって地区住民が議会との話し合いの場を求めたことがあったであろうか。認めれば次から次へと申込があるとの言い訳、噴飯ものである。面倒なことはしたくないとの、彼等の怠慢さを正当化する詭弁にすぎない。

 市民が議会に対して積極的にアプローチする、そのことを歓迎すればこそ、拒否するなど論外である。

 議員は年間を通してどれほど職務に拘束されるのであろうか。極言すれば市民の誰一人として、彼等が働き過ぎとは思っていない。優雅な身分であると感じているのである。

 はからずも、そのことを知ったのは請願をおこなった総務文教常任委員会の席上に於ける向山議員(議会運営委員会委員長)の暴言によってである。

「陳情したい人はたくさんいる。いちいち市民の陳情を聞いていては議会(議員)としての仕事などできない」この暴言が議会の現状を的確に表現している。彼等に問う。支障がでるほどの陳情があったのか。ある筈がない。彼等は狭い議会での内輪だけの議論に終始し、外部との、市民との接触を避けてきたのである。

 議会報告会も、すでに広報誌で公開されている内容を繰りかえしているに過ぎない。それでも参加する市民に感謝することはあっても、さらに話し合いを深めようとする市民の思いを拒否することは言語道断である。

 細呂木地区の皆さんから出された正当な要望がどの様な議論の末、却下されたのか、まず知りたい。我々の意見陳述の時間が5分と制限された経緯を知るために議事録を閲覧したい。いずれも議会運営委員会で決せられたのである。あまりにも馬鹿ゝしい対応である。

 議事録を調べたい。本来議事録は発言を正確に余す所なく記録しなければならない筈である。求められれば公開されねばならない。

 議会運営委員会での却下に至った議論、総務文教常任委員会での暴論(映像モニターを含めて)は削除することなく、編集することなく残すことを求めたい。

 まして総務文教常任委員会で我々は暴言を吐かれた当事者である。その内容を削除することは認められない。昨日、山本篤委員長にその旨を強く申し入れた。

 それでも削除したとすれば、隠蔽とみなされ彼は委員長としての責務を放棄したことになる。のみならずあわら市議会は隠蔽体質にどっぷり浸っていることを示したことになる。

 そのことが議会、議員の緊張感のなさに結びつき、無気力、傲慢、怠慢な議員を生む温床になっている。

 向山議員の暴言は我々のみならず市民に向けられた。彼の暴論を隠蔽することは許さることではない。隠蔽すれば向山氏個人の問題ではなく、議会全体の問題となる。そのことを強く議会、総務文教常任委員会の山本委員長に申し上げる。
     

600.昨日の総務文教委員会 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/9/9(水) 20:10
 昨日、我々三名は「総務文教常任委員会」で『平和安全法制整備法案および国際平和支援法案の廃棄を求める請願』の趣旨説明をおこなった。

 趣旨説明は田島氏が読みあげたのだが、冒頭彼は「意見を申し上げる前に、私たちの思いをお聞きくださることを認めていただいた『あわら市議会と総務文教常任委員会』の議員の皆様方に心から感謝申し上げます。ありがとうございました」
意見陳述の締めくくりとして、「あわら市民の命を慈しみ、平和なくらしの実現に尽力されている議員の皆様の賢明なご判断を信じて、私の意見陳述を終わります。ご清聴ありがとうございました」と述べた。


 我々は議会と総務文教常任委員会に最大限の敬意を表し、委員会に臨んだのである。

 だが委員会での出来事は中野氏の指摘の通りであり、発言者中野氏に対する向山氏の非礼は到底許されないものであった。さらに彼は耳を疑うべき発言を行っている。

 私は今日、議会に赴き総務文教委員会委員長山本篤氏に委員会での非礼を指摘した。彼は運営の不手際を認め、謝罪した。向山氏は自己弁護に終始した。いずれ議事録、及び委員会のモニターが公表されるであろうから、それを確認して彼を糾弾したい。議事録、モニターが不都合な個所を削除、編集されることはないと信じたい。

 それを待つまでもなく、一部議員(一部ではなく多数議員であるかも知れないが)の傲慢無礼、品性の無さは目に余る。彼等は選挙の時には「市民のために」「市民の声に耳を傾ける」と言うが、毛頭その気持ちはない。それをいずれ白日のもとに曝したい。

 これまでつまらぬ人間とは関わらぬつもりであった。尊敬できる先輩の教授を仰ぎ、文学歴史に親しみ、花鳥風月を楽しむ。男女を問わず心を許せる仲間と飲む。それがなによりも心地よい。下らぬ人間は相手にしなければ良い。不愉快な思いもせずに済む。

 が、そうも言っていられなくなった。不逞の輩に牛耳られているあわら市議会の低落は見るに堪えない。見逃せば、あわら市の恥となる。事実を調べ彼等を糾弾しなければならない、議会の現状を市民に知ってもらわなければならないのである。

 一年八カ月後の市議会議員選挙では無気力な議員、資質、品格に欠ける議員、市民を見下す傲慢無礼な議員の身分を剥奪せねばならぬと考えている。
 

 

599.あわら市の図書館ではご指摘が当たらないのでは 返信  引用 
名前:河合    日付:2015/9/9(水) 8:13
 私も図書館は常時利用させていただいています。市内の図書館は(イコッサですが)とても応対がよく親切にしていただいています。
   ですから、客観的に図書館を抽象するのはいけないと思います。
 この図書館に無い本は県立図書館など検索してくれます。
私は満足しています。

598.苦海浄土 返信  引用 
名前:良い本教えて!    日付:2015/9/8(火) 8:10
図書館になかったら、読みたいがどうすればいいかと尋ねてください。

他の図書館から取り寄せてもらえます。

図書館員を教育(失礼!)するのも市民の態度ひとつです。

図書館員もいまではサービス業なのですが、そんな自覚はないようで・・・

書籍の洪水で、良い本が消えていくのは残念です。

597.「故郷の碑が語る文人たちの心の叫び」   3 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/8/29(土) 11:46
  舘 高重

 舘高重(孝重)は明治37年(1904)金津町六日に舘卯之助の4男として生まれた。既に兄二人は夭折し、生母も翌年に病没。大正2年(1913)継母を迎えた(高重8歳)。大正4年に長兄が(高重10歳)、大正12年(1923)には父が死去した(高重18歳)。

 昭和2年(1927)肋膜炎を患った(22歳)。小康を得て、昭和3年4月、北島萩子と結婚する。間もなく妻は病床に伏せ、7月死去(享年22歳。高重23歳)。翌年高重の病状再発。昭和6年(1931)2月14日死去、享年27歳。

 大切な人々を次々と失い、自らも短い人生を終えた。彼の一生は悲しみと孤独の日々であり、その思いを詩に書き綴った。

 詩作に励む高重を父は案じた。だが、彼は自らの才能を信じ詩作に没頭した。

 「魚」

 詩を書いても飯が食へないと
 一昨年親父に叱られた
 しかしおれだって人間だ
 おれはすてきな針をもっている
 今に見ろ
 でっかい魚を釣ってみせるから

 肋膜炎で病床に伏せって

 「病んでいると」

 病んでねていると
 雨のふる日は雨がかなしい

 晴れた青空の見える日には
 歩きたくなって
 涙が心いっぱいになる

 許嫁北島萩子の写真をながめながら

 「女の写真へ寄するの詩」

 女よ 夜の燈明も暗く 数限りない幻想に酔いながら
 いまごろは裏藪にひゞく海鳴りの音を聞いているだろうね
 昨日も今日も 透明な野山の景色にあきた僕は
 お前の瞳をみつめていると しみじみ秋の深きを感じる

 愛する妻は病に伏せった

 「山百合」

 病を背負い
 寝たきりの妻
 痩せゆく頬は
 ひかりもうすれ
 ただかすかに息づくのみ

 こんなに疲れない前に
 もう少し看病したかった
 病神は容赦なく
 妻を縛ってしまった

 こころもとないが
 せめて妻の好きな山百合で
 山の素朴な風情と清楚な匂いで
 病室を飾ってやろう

 妻の死

 「萩の花」

 妻の名前は
 萩子といった
 だから
 今年の萩よ
 白萩の花よ
 たいへんお前が
 なつかしく見えてならない

 自身も病再発、病床にて・・

 「冬夜」

 灯はうすれ
 吹雪窓に
 つのり

 父母なく
 青春を
 病みつくす
 あわれ

 花かれ
 鳥なく

 雪きたれど
 死ぬをいよいよ
 おそれ

 病が悪化、病床で詩作。最後の詩

 「無題」

 病の苦しみもうすらぎ
 晴れた日 心も軽くなると
 しきりに生母を思い出します

 その面影を少しも知らず
 暖かい乳房の覚えもなく
 ただ生みすてられた不幸な私は
 暖かい生母の胸に
 かえりたいと思います

 苦しい病も治らなければ
 極楽浄土の蓮のうてなの
 母の住家に参りたいと思います
 そこには父も一緒でしょうから


 かれくさに
 ほとけひとりの
 ひなたかな

                昭和6年2月14日永眠 享年27歳

 

596.「故郷の碑が語る文人たちの心の叫び」   2 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/8/29(土) 7:58
  清水健次郎文学碑

 早春悲傷

 雪をかき分けて近づき
 幸薄かった妻と娘の
 墓石の頭を撫でゝ
 水ならぬ涙ばかりを注ぐ
 若き日のわが愚直さのために
 愛しき者を次々失った
 悔恨のみが胸をしめる
 ・・ かすかに遠い海鳴りの音

  虚子 愛子 柏翆 文学碑

 野菊むら東尋坊に咲きなだれ         虚子(東尋坊句碑)
 雪国の深き庇や寝待月            愛子(東尋坊句碑)
 日本海秋潮となる頃淋し           柏翆(東尋坊句碑)
 紅梅の花いっぱいに蕊ひらき         愛子(性海寺句碑)
 蕨萌ゆ大師が踏みし大地より         柏翆(性海寺句碑)

  哥川文学碑

 奥底の知れぬ寒さや海の音          哥川(妙海寺句碑)

595.「故郷の碑が語る文人たちの心の叫び」   1 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/8/29(土) 7:14
  高見順文学碑 
 
 荒磯(ありそ)

 おれは荒磯の生まれなのだ
 おれが生まれた冬の朝
 黒い日本海ははげしく荒れていたのだ
 怒涛に雪が横なぐりにふきつけていたのだ

 おれが死ぬときもきっと
 どどんどんととどろく波音が
 おれの誕生のときと同じように
 おれの枕元を訪れてくれるのだ

  三好達治文学碑

 春の岬

 春の岬旅のをはりの鷗どり
 浮きつつ遠くなりにけるかも

 荒天薄暮

 天荒れて日暮れ
 沖に扁舟を見ず      扁舟(へんしゅう) 小舟
 餘光散じ消え       餘光(よこう) 後まで残る光
 かの姿貧しき燈臺に    燈臺(とうだい)
 淡紅の瞳悲しく點じたり  淡紅(うすべに) 
 晩鴉波にひくく      晩鴉(ばんう) 夕暮れに飛ぶカラス
 みな聲なく飛び
 あわただしく羽うちいそぐ
 さは何に遂はるるものぞ
 惨たる薄暮の遠景に
 されどなほ塒あるものはしあわせなるかな     塒(ねぐら)
 天また昏く                   昏く(くらく)
 雪また疾し                   疾し(はやし)
 彼方町の家並は窓をとぢ
 煤煙の風に飛ぶだになし
 長橋むなしく架し
 東馬影絶え                   
 松並木遠く煙れり
 一景や寂莫を極めたるかな
 帆檣半ば折れ            帆檣(はんしょう) 帆柱
 舷赤く錆たるは何の船ならむ
 錨重く河口に投じ
 折ふしにものうき機関の叫びを放てり
 まことにこれ戦ひやぶれし國のはて
 波浪突堤を没し          波浪突堤 海に突き出した堤防
 飛沫しきりに白く揚がれども
 四邊に人語を聞かず        四邊(しへん) 辺り
 ただ離々として艸枯れて砂にわななき  艸(そう) 草
 われひとりここに杖を揮ひ     揮ひ(ふるい)
 悲歌し感傷をほしいままにす
     

594.印牧先生を囲んで・・・。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/8/27(木) 21:4
 本日(27日)印牧先生を囲んで文学の話を伺いました。

演題は「郷土の碑(いしぶみ)が語る文人たちの心の叫び」

 高見順     荒磯(ありそ)文学碑
 三好達治    春の岬と荒天薄暮文学碑
 高浜虚子    名作「虹」と主人公森田愛子の文学碑
 遊女哥川    おく底の 知れぬ寒さや 海の音
 清水健次郎  早春悲傷文学碑

 先生のご専門は歴史です。三国町史のみならず福井県史、芦原町史など多くの郷土史を手掛けておられます。にもかかわらず今回文学について語って頂いたのは、先生の著書「三国近代文学館」に感銘を受けたからです。

 この著書は三国と関わりのある文人、三国を題材とした作品ををほとんど網羅しております。

 高見順 川端康成 小島政二郎 小林秀雄 中野重治 三好達治 高浜虚子 森田愛子 伊藤柏翆 河東碧梧桐 与謝野鉄幹 晶子 桑原武雄 河上徹太郎、吉井勇 土屋文明 山口誓子 松本たかし 杉原竹女 木下利玄 曽野綾子 多田祐計 石原八束 則武三雄 畠中哲夫 萩原葉子 黒田桜の園 等々を取り上げています。

 彼等が三国に関わり、もしくは逗留し、作品を残しているのです。三国の奥深さを感じながらも、それにも増してまとめられた印牧先生の御苦労が感じられました。この労作は三国の宝です。手にした時、私は圧倒されました。

 その中から特に先生の印象の深い文人を取り上げていただくようお願いした結果上記の文人の碑文となりました。

 先生が御住職を務められる性海寺は森田家の菩提寺で愛子も此処に眠っています。境内には樹齢百数十年と推測される見事な紅梅があり、その傍らに愛子の代表作の、
「紅梅の花いっぱいに蕊(しべ)ひらき」の句碑が佇んでいます。この句は高浜虚子が鎌倉で主宰した「実朝忌」で愛子が披露しました。彼女の美貌と共に俳壇に鮮烈な印象を与えたのです。この句碑が建てられた時、既に高齢に達していた伊藤柏翆がお弟子さんとともに訪れ、在りし日の愛子を偲びました。柏翆自身も境内に句碑を残しております。
「蕨萌ゆ大師が踏みし大地より」
性海寺が弘法大師縁の古刹から柏翆が詠んだのでしょう。

 三好達治は昭和19年から5年間三国で暮らしており、その間多くの作品を世に出しており、彼自身「三国を心の故郷」と生涯懐かしんでおりました。達治の愛弟子が畠中哲夫で、印牧先生は友人の畠中哲夫を通して三好達治文学に関わるようになりました。東尋坊に建立されている「荒天薄暮文学碑」除幕式で先生は祝辞を述べられております。

 高見順、福井県知事坂本ソ之助(さんのすけ)の非嫡子として育った彼は故郷三国に屈折した感情を抱いていました。後に彼はその感情を払拭し最晩年の著作「死の淵より」で三国を力強く、高々と詠んでいます。それが『荒磯(ありそ)』で東尋坊遊歩道(荒磯遊歩道)にその句碑が建っています。印牧先生は高見順の生涯を語ってくれました。

 遊女俳人、哥川の代表作「おく底の知れぬ寒さや海の音」の句碑は性海寺のすぐ近く、妙海寺にあります。幼くして三国遊郭「荒町屋」に売られた哥川は出自はもとより生年も没年も不明です。俳句、書に卓越した才能を発揮した彼女ですが同時代に競った千代と比較してあまりに儚い生涯でした。この句に込められた絶望感は晩年の哥川の心情そのものでしょう。印牧先生は俳句に込められた哥川の心を解説されました。

 清水健次郎、昭和2年から19年まで三国高等女学校で(三国高校の前進)で英語教師として教鞭をとりました。森田愛子も彼の教え子で、有能な教育者であり、優れた詩人でありました。昭和19年、彼に不幸が襲います。出産の際、妻が死去、子供も一命をとりとめたものの失明、失意の彼は故郷淡路島に戻りました。だが不幸は彼を襲い続けたのです。次女も病魔に奪われたのです。血を吐く思いで記した詩が代表作「早春悲傷」です。
 
 この詩碑は清水健次郎と親交があった印牧先生が性海寺に建立しました。除幕式には健次郎と彼を慕うかっての教え子200名余りが集い、恩師との再会を果たしました。三国時代の教え子たちとの感激の再会を先生は語ってくれました。

 三好達治、高見順、伊藤柏翆、清水健次郎、いずれも書籍では知ることができます。しかし実際に関わった人から話を聞くことはほとんど不可能になりました。その貴重な機会を私たちは得ることができたのです。

 先生と昼食を共にして感謝を申し上げ、再度の機会をお願いして散会となりました。

 印牧先生ありがとうございました。

 追伸
 先生は金津の詩人 舘高重についても述べられました。彼については牧田さんがブログで紹介しております。

 これらの文人の作品を次回紹介します。
 

593.感謝々々 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/8/21(金) 7:0
 一昨日は家内の知人から茄子、インゲン、キュウリ、ピーマン、昨日は吉村氏から南瓜、まくわ瓜、今日は茄子、シシトウ、ブルーベリーを家内の知人からいただいた。さらに山川氏から立派なミョウガ、牧田氏からはヘシコ、昆布をいただいた。スーパーではいずれも高価な品々、しかも新鮮である。

 貴重な品々でありがたいことである。かってはプロであったが今は趣味で包丁を握っている。料理することが気分転換になる。今日は夏野菜の天ぷらを作ろう。ミョウガ、シシトウ、南瓜、茄子、大葉、玉ねぎ、新生姜、魚介類は一切用いないが美味い。それとヘシコ。

 ヘシコの糠も好物である。糠だけ焼いてフリカケとする。温かいご飯に、またお茶漬けの具となる。

 旬の素材を大切にする、地産地消、それが料理の基本。いたずらに高級素材に美味を求めるグルメ指向は軽薄そのもの、本当の美味を知らない。

 地産地消といえば害獣とされる猪もその範疇に入る。夏場の猪は食肉としては適さないとされてきた。もったいない話である。夏場の猪はローカロリー、高タンパク質、ミネラルも豊富。後は調理法だけである。今猪料理法を試行錯誤を重ねて開発中。地域の特産物になりえる貴重な食材の活用法、いずれ披露したい。

592.戦後70年 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/8/15(土) 10:43
 戦後70年、18歳で召集されたとしても88歳、多くは90歳以上になられている。従軍体験を語れる人は極めて少ない。そのうちの一人、Mさんより3年前に話をうかがったことがある。当時92歳であった。

 Mさんは養子で、赤紙がきたとき男児を得たばかりであった。彼は戦死を覚悟したが、それよりも養子としての義務、後継ぎをもうけたことに安堵したそうである。

 レイテ島作戦に従軍した彼は地獄を見た。制空権を次に制海権を奪われた日本軍は孤立し退却を重ねていた。食料補給が断たれ現地調達しか手段はなかった。しかし敗残兵に食糧供出する現地人はなく、盗めばゲリラ化した現地人に撲殺されるありさまであった。

 占領中、日本軍は物資の強制徴用をした。米軍に協力した民間人を見せしめのため殺害もした。抗日ゲリラ掃討作戦でゲリラのみならず多くの市民も殺害された。憎悪の感情がフィリッピン国内に充満していたのである。

 アメリカ軍とゲリラに追われジャングルを行進する兵隊は絶えず飢餓状態であった。獣はまだ良い方で蛇、蛙、トカゲまで見つけ次第食糧とした。餓えて衰弱した彼等を待ち受けていたのはマラリア病であった。薬などはない、マラリアに罹病した兵隊たちはジャングルに屍を曝した。

 生存者も疲労と飢餓で銃すら持てず手放した。所持するのは自決用の手榴弾のみである。戦闘能力を失い、ジャングルを幽霊のように彷徨った。その彼等を情け容赦なくゲリラが襲う。ゲリラは兵隊を撲殺し河に放り投げた。ゲリラに捕まれば、なぶり殺しにされる。飢餓、病で動けなくなった兵隊はゲリラに発見されると手榴弾で自決した。だが不発となれば彼等はしたたか殴られ、縛られ生きたまま河に流された。

 やがて終戦、捕虜となって九死に一生を得たMさんだが出征するとき60キロ以上あった体重は30キログラムを切っていた。それでも運が良かった。収容所では戦犯者の洗い出しが行われ、住民の訴えで無実にもかかわらず戦犯者の烙印を押された者もいた。

 Mさんに課せられた仕事は穴掘りであった。やせ細った身体でスコップを振るう。処刑された戦犯者(無実の兵隊たちも多くいた)を埋める穴である。感傷があったかどうかも記憶が定かでないと彼は言った。ただ機械的に大地にスコップを入れ続ける日々であった。

 Mさんは反戦を訴えるわけでもなく、淡々と事実を語ってくれた。
そこから何をくみとるべきか、今を生きる、将来を生きる人間に課せられている。

 

591.夏場の猪肉活用法 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/8/14(金) 16:48
 猪にしろ熊にしろ野生動物は常に空腹であり、餌を求め活動するために余分な脂肪は皆無、秋口まで肉質はタンパク質の塊である。

 私たちが食する家畜肉(牛豚鳥)は餌をふんだんに与えられ脂肪を蓄積している。肉の美味さは脂肪にある。豚肉でいちば美味しいのは脂肪分が豊富なバラ肉で、牛肉ならバラ肉か、サシ(脂肪分)が豊富な部位である。鳥肉でも脂肪分が多いモモ肉が胸肉、ササミより格段に美味い。

 冬場の熊、猪肉は珍重される。越冬のため脂肪分を蓄え、その脂肪分が美味であるからだ。だが春夏季の熊、猪は脂肪分がほとんどなく、美味とは言い難く食肉としての価値は低い。だから春夏に狩猟された熊、猪は廃棄処分にされることが多い。

 その夏場の猪を食した。まず焼き肉で。脂肪分が皆無の獣肉は牛豚肉に比べて味は劣る。それでも300グラムほど食べたであろうか。牛豚ならこれだけの量を食べたら大変である。胃がもたれ、吐気がするであろう。翌朝には間違いなく身体に脂肪分が浮き出て不快な気分になる。

 だがそうはならなかった。あれほど大量の猪肉を食したにも関わらず、胃に負担なし、脂肪分が浮き出ることもない。理由は猪肉に脂肪分が皆無であったためである。

 高タンパク質だが、極めてカロリーは低い。ミネラル分も豊富である。この特性を理解すれば春夏季の猪肉は貴重な食材になる。カロリー制限を余儀なくされている人、減量を強いられるアスリート、ダイエットが必要な人には格好の食材である。

 問題は如何に美味しく食べるかである。工夫が必要である。ステーキ、焼き肉として食するのなら、すりおろした玉ねぎ、リンゴ、ニンニク、黒コショウなどでつけこみ風味付けの手法を要する。肉質にあったソース(香草ソース)も必要だろう。豚バラ肉と一緒にして挽肉にすることも良いだろう。

 そこまでは手をかけず手軽にコロッケとした。細かく叩き、ニンニク、黒コショウを混ぜて、みじん切りの玉ねぎと共に炒める、仕上げにカレー粉を入れる。マッシュポテトと混ぜ合わせ塩コショウでで味を整え、小麦粉、卵水、パン粉の順で衣を付け、揚げる。あれば豚の背脂を猪肉に混ぜ込めば旨味は増すだろう。市販のコロッケに比べて、肉の量感が感じられ美味い。

 煮込み料理、たとえばシチュー、カレーだがあまり適さないとされている。この料理には脂肪分の多い肉が合う。ソースにコクがでるからである。脂肪分が皆無の猪肉には向かないが、敢えてカレーに挑戦した。

 作り方は普通のカレーと同じだが、猪肉を炒めるとき、カレーパウダーと黒コショウをまぶした。風味づけのためである。猪肉だけだと淡白過ぎるので、豚バラ肉と半々の割合で使用する。

 出来上がったらすぐに食してもかまわないが、美味しく食べるには二日ほどねかせることがコツである。こうすれば風味が猪肉に移る。シチューでも同じであろう。

 猪コロッケも猪カレーも十分通用する。一度友人たちに披露したい。

 猪、熊は家畜に比べ抜群の運動能力を有す。家畜肉と筋肉組織が違うからで、獣肉の栄養分を分析することが求められる。先に述べたように現代人に必要な良質タンパク質、各種ミネラル成分が豊富であることが立証されれば貴重な食材になり得る。おそらくその数値に人々は驚くであろう。それをアピールすれば需要を掘り起こせるはずである。

 健康志向、あるいは医療用食材としてもっと注目されて良い素材なのである。

 

 

590.鼬(いたち)見参。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/7/27(月) 21:4
 今朝、隣家の奥さんが「畑のピーマンが食い荒らされてね」とこぼしていた。夜、二階でチビ(我が家の愛猫)の様子がおかしい。甲高い異様な声を発している。
「お父さんチビが大変、見てきて」と言う。自分で見ればと思うのだが、怖がっている。チビが物陰に向って唸っている。一瞬黒い物体が動いた。鼠か!と思ったが、大きい。

 鼬である。甲高い声は鼬が発する威嚇の唸り声である。チビは距離を詰めるが鼬が反撃の態勢を見せると、動けない。ビビっているのだ。私の登場で有利と判断したのであろう。攻撃の姿勢を見せた。鼬が逃げると追う。だが向き合うと手が出せない。30センチほどの間合いで睨みあっている。絶好のシャッターチャンス。

「カメラを持ってこい」と家内に言うが、その前に鼬は身を翻し、階下に逃れた。俊敏である。どこかに潜んでいるのだが姿を見せない、まるで忍者。チビも見失いウロウロするばかりである。

 以前庭先に蛇が現れたのだが、樹木を伐採してから姿を見せなくなった。時々鳥が迷い込むが、鼬の登場は初めてである。私は平気だが、ここは昼間は老人施設。突然の出現でお年寄りをびっくりさせてはならないと一刻も早い退場を促す。

 館内の出入り口を全てオープンにした。いずれ逃れるであろうと思うが一晩中開けっ放しにはできない。と、机の下でコソコソと物音がする。のぞくと黒い影が動いている。蠅たたきで追うと、鼬が姿を現した。彼(彼女かも)を追い、出入り口に誘導し退出願った。

 歓迎せざる客の出現で大騒ぎの一夜であった。

589.「仲仕組創立紀念之碑」全文解読完了。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/7/11(土) 12:51
「仲仕組創立紀念之碑」の全文解読を終えました。明治34年(1901)建立であり、114年が経過しております。凝灰岩の石碑は風化が著しく、加えて鐫(ほり)が浅いため碑文文字の多くが判読困難で欠落部分も少なからずあります。

 さらに漢文であり、知識のない私には難題がニ重、三重、それ以上に課せられました。漢語林で一字々を調べながらようやく全文解読に至りました。欠落部分は前後の文章との絡みで推測文を加えました。

 今回の解読は大意で大きく外れることはないと確信していますが、細部では別な解釈が発生する可能性もあると思います。

 その意味で現解読が叩き台となれば幸いです。

 碑文から当時の世相(鉄道の効用と期待 殖産興業の奨励 報国意識の高揚 国民団結)が伺えます。

 「金津の夜明け・・・北陸線開通」金津の交通史を知る上で貴重な文献ですが、碑文は当時の日本が目指したものが刻まれており、こちらも興味をそそられます。

「声の広場」では文字数の制限がありますので近々牧田さんのブログで公表します。 興味のある方一読ください。

 とりあえず難関を突破した満足感に浸っております。
次の課題は「金津の夜明け・・・」を資料として残す作業に入ります。こちらは牧田さんを中心に金津町興しに熱意のある方々でチームを組んでいただければと思っております。。
 参加していただける方、牧田さんに申し出てください。金津の貴重な歴史資料に多くの方が名を連ねることを期待しております。

588.「仲仕組結成」の歴史的意義。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/7/1(水) 6:32
 石碑の裏面に仲仕組結成に関わった人たちの交名(こうみょう・・人名の列記)があります。その中に稲田與作(設立員)、稲田三●(発起人)、稲田與吉、、稲田伊七、稲田●●、稲田亀松の名が見えます。稲田一族が仲仕組結成に大きな役割を果たしたと思われます。

 その子孫である、稲田喜久郎氏から貴重な情報を提供していただきました。稲田一族は馬数十頭を所有し運送業を営んでいました。いわゆる馬借問屋です。馬借問屋は自ら運送業を営みましたが、馬借(彼等の多くは馬を所有していなかった)に馬を貸し出していました。おそらく稲田一族は金津の陸上運輸(輓馬・・ばんば)に携わるかたわら、伝馬、助郷の重要な役割を担っていたのでしょう。

 江戸時代、情報伝達は伝馬制によって、参勤交代の馬、人足の調達は助郷制によってなされてきました。交通の要所である宿には伝馬、助郷制度の整備義務があったのです。
(島崎藤村「夜明け前」に伝馬、助郷、問屋制度が詳しく描かれています)

 北陸道の主要宿である金津にも伝馬、助郷制度があり、それを支えていたのが馬借問屋でした。

 明治に入り、伝馬、助郷制度は廃止されましたが、政府はそっくりそのまま、その組織を陸運会社に移行させ営業させました(明治5年)。

 陸運会社は解消され明治8年内国通運会社が誕生するのですが、この会社がそれ以降の日本の物流を支配することになります(昭和12年日本通運に改称)。

 鉄道駅開業に伴い、明治政府は各駅に運送会社を設立させ、内国通運会社の傘下に組み込みました。これにより物流の全国ネットが完成したのです。

 仲仕組創立はその目的が、河川運送衰退による仲仕の救済策、あるいは彼等が鉄道荷役を担ったという意味だけではなく、(国内を網羅する物流網の完成という)国策に基づき金津駅に地域(坂井郡)の物流拠点を立ち上げることにあった、そこに込められた金津の発展を願う人々の存在に意義があるのです。

 碑文にもそのことが記されています。たんなる一地方の石碑という意味だけではなく、明治期の交通物流史を知る上で希な史跡ともいえます。

 今回、河川運送と真逆の(馬借問屋であった)稲田一族が仲仕組結成の中心メンバーであったことから仲仕組結成の目的が明らかにされたのですが、他の設立メンバーを探ることにより新たな発見の可能性もあります。

 ご先祖の名前がありましたら一報ください。(牧田氏まで)

587.「金津の夜明け」をお読みください。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/6/24(水) 8:10
 多賀谷左近が話題になっており、知人からの問い合わせがあります。嬉しいというより戸惑いの気持ちの方がどちらかと言うと強いのです。多賀谷左近はすでに終わったことなのです。

 現在気にかかっているの書き上げたばかりの応募作品「吉品(よしのり)と須江」が審査員からどのように評価されるかであり、さらに「金津の夜明け」が最終段階に達し、碑文の解読を某漢文学者にお願いしているのですが、はたして応じてくれるのか、そのことなのです。
さらに「丸岡藩騒動記」を再開せねばなりません。というわけで後ろを振り返る余裕はないのです。

「金津の夜明け」は是非ともあわら市民、とりわけ旧金津町民には読んでいただきたいと願っています。北陸線金津駅開業には紆余曲折があり、鉄道官僚、軍部、経済人を巻き込んだ論争がありました。

 さらに鉄道開通で失業した仲仕たちが鉄道荷役、陸運労働の担い手として立ち上がる過程を「仲仕組創立紀念之碑」の碑文から読み取りました。

 背景としての国の鉄道政策、国内事情、対ロシア政策を説明しながら北陸線開業、金津駅開業の道のりを描いたつもりです。

 ぜひ一読くださるようお願いします。

 牧田さんが製本化することに意欲を示されています。ということで今後のことは彼に委ねます。

※ これまで「仲仕組創立総会之碑」としてきましたが、「仲任(仕)組創立紀(記)念之碑」と改めます。

586.意外な展開 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/6/21(日) 11:20
 NO580で述べたように、西脇呉石(明治12年・1879〜昭和45年・1970)について調べてみました。呉石(静香)は勝山市の出身で、昭和の大書家と評価される人物です。彼の研究は勝山市で進められており「西脇呉石の世界」が勝山城博物館から出版されております。

 さっそく博物館に連絡を入れました。担当は学芸員のH氏でした。呉石の作品は明治40年以降のものは見られるのですが、それ以前のものは勝山市にもないそうです。

 ところが「三里浜植樹碑」は明治36年建立とあり、少なくても現在把握されているものの中では最も古くなります。

 碑文を拡大して読みますと、「従三位 侯爵松平康荘(やすたか)篆額 」の一行があります。康荘とは越前松平家18代当主、父は福井藩最後の藩主松平茂昭(もちあき)です。意外な大物の名前が登場しました。

 後学 勝山 西脇静香とありますから、後学のために勝山人、西脇静香が康荘公を手伝ったという意味でしょうか。(実質的な作者は静香)
24歳の青年静香の姿、それはそれで貴重な資料なのです。

 今データーを送る準備をしています。意外な展開に向いつつあります。

 さて「仲仕組創立総会之碑」は篆刻文字は誰の書か、無名時代の西脇静香の作品か?勝山博物館の鑑定を待ちます。

 

 

585. 三国史跡探訪完結。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/6/19(金) 6:51
 三国史跡探訪(1〜5)完結しましたので、1から順番に並び変えました。興味のある方一読を・・・。

580.三国史跡探訪 1  「三里浜植樹記念之碑」 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/6/19(金) 6:48
 印牧邦雄先生から三国史跡探訪のお誘いがあり、御厚意に甘えて先生のお寺「性海寺」を訪れた。印牧先生と共に井上律夫氏(みくに史学研究会副会長)が出迎えられた。今日一日ご案内をしてくださるとのこと。

 性海寺の樹木、墓石、供養塔、庭園、所蔵文書など、伽藍を含めてお寺そのものが文化財で、それは後述するとして最初に訪れたのが森田本家。表札は森田三郎右衛門である。この名前は織田信長の越前侵攻記録にも登場します。宗家当主は代々三郎右衛門を襲名し、栄華は昭和20年の終戦まで続きました。表は普通の旧家ですが中に入ってびっくり、土間には幾層にも笏谷石が敷き詰められ、それが延々と、途中庭園を過ぎて九頭竜川河口に面した裏口まで続いているのです。森田家の当時の財力の片鱗を目の当たりにした思いでした。

 次が新保の春日神社。昭和29年の大合併により三国町に編入されるまで坂井郡新保村でした。村とはいえ廻船業で繁栄し、三国港とはライバル関係にあり、権益をめぐっての対立もありました。
※ 「まきさんの妄想日記」上段に「三国史跡(1)」があります。それをクリックすると史跡の写真が見れます。春日神社は1〜3です。

 境内で意外なものを発見しました。「三里浜植樹記念之碑」です。碑文の作者が富田厚積(あつみ・・鷗波)書は西脇静(呉石)。建立日は明治36年と刻まれていました。

 あわら市の「仲士組創立総会之碑」(明治34年建立)で碑文作者鷗村を富田鷗波と推定したばかりの私にとって此処で彼と出会うとは・・・不思議な因縁としか言いようがありません。

「仲仕組・・」の篆刻作者は西脇呉石と考えたこともあったのですが、彼の生年は明治12年3月8日。とすれば22歳の作品となります。早熟の天才と称された静(呉石と号するのはもっと後)にしても、その年齢で世間に認められるかと疑問を抱いていました。

 しかしその二年後の厚積(鷗波)の碑文と静(呉石)の碑額が此処にあります。厚積の弟子が静であり、おそらく厚積の推薦によるものでしょう。とすれば「仲士組・・・」の書は静の可能性もあります。

 書体を呉石生誕の地勝山市に送り鑑定をお願いしょうかとも思っています。勝山市にとっても明治34年における呉石作品は貴重なはずで協力を得られるのではないかと考えているのですが。

 刻字は布川氏と印牧先生は言われました。碑の下にある名前を先生が発見されたのです。石碑の全貌が次第に明らかにされつつあります。

 尚、「仲仕組創立総会之碑」について印牧先生が見解を述べられています。これは最終回で紹介します。

 次回は三国を救った竹内松右衛門の記功碑。三国を救うために自らの命を絶った義民、これは三国仲士組が松右衛門の偉業を称えての建立。
 さらに竹内藤右衛門の墓と韃靼漂流者供養碑。歴代森田家当主の石廟と五輪の塔。いずれも性海寺の檀家。これらを含めて性海寺の歴史など三国の歴史と文化遺産を紹介します。

 さらに仏道探究者としての印牧先生の思いも紹介します。

 


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