昨日墓参りをした。国影の共同墓地で、祖父母、父母、兄が眠っている。父は63年前、母は37年前に亡くなった。ずいぶん昔のことで、多分その頃であろうと思うだけである。言語道断の親不幸者だが、それでも8月に入ると雑草を抜きとり、墓を清めて準備をする。 13日が墓参り、花を手向けて手を合わせる。元々が「死は無」との思いから死者への感傷が希薄である。先祖を敬う殊勲な気持ちもない。「罰当り」と指摘されようと気にとめない、今を生きる人間こそがすべてなのである。形ばかりの儀式を終え墓を去る。
敷地内に戦没者墓地がある。ほんの僅かばかりだが小高くなっており、三段ばかりの階段がある。それも一段あたり10〜15センチであろうか、さして高いとは思われない。その先はなだらかな傾斜になって、数十基の戦没者の墓が並ぶ。
階段手前に高齢の老婦人が立っていた。小柄な腰の曲がった婦人でおそらく90歳なかばと思えた。彼女は動かず、墓地の一点を眺めていた。連れの男性が声を掛けた。50代半ばで孫であろう。 「おばあちゃん、無理だ。お負(ぶ)るよ」 老婦人は、その声に応えず、一点の方向を凝視している。その先にあるのは彼女の夫の墓であろうか。
たった三段ばかりの、僅かな段差の階段。だが、彼女にとって乗り越えられない、自力で花を手向けることも、手を合わせることも拒む階段である。
71年前の8月15日、数えきれない、数百万人のそれぞれの人々にとって貴重な命を奪って戦争は終わった。戦争の悲惨さ、残酷さは身に沁みて日本人は知った。だが、71年の歳月は確実に日本を日本人を変えた。
日本国民は、私を含めて8月15日をどのように位置付けているのであろうか。 あの老婦人の想いを拒むものは階段だけではない。彼女の心情を理解できる日本人はもはや皆無になったのか。
あの悲劇、惨劇が再び繰り返されるかも知れないというのに・・・。
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