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思索の掲示板

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104.初めまして。具体的なことではありませんが。 返信  引用 
名前:Lido    日付:2008/1/27(日) 12:58
全方位的感謝を感じたいです。そう感じられないのは、ただ私の心がけの問題なのでしょうか。

夫の膵臓癌闘病中の中、主治医、食事療法の専門家、親族、友人、仕事、全方位息苦しいです。

食事療法の相談をした先生から、主治医にかかりながら相談するのは人の道に外れる、運を手放すといわれてしまいました。

派生症状で緊急入院中に主治医に継続中の治療について相談したら、入院中の患者には何もできないと拒否されました。

加藤様が闘病初期にお書きになったように、誰も一緒に闘ってくれない、自分で闘うしかない、ということではあるのです。でも、「責任もてないことはできない」という美名で自らの責任感の強さを強調する人たちに、切り捨てられてばかりという気がして切ないです。責任取らされるのが嫌だからやらない、やりたくないからやらないと言ってくれたほうがまだ楽な気がします。

別の対処とがあると分かっている場合や、そういうことの提案とセットでないと、私には「無責任なことはできないから」という言い回しで断ることはできなさそうに思われるのに。

闘病の疲労がたまっている時期というタイミングの悪さもあるのだと思います。気持ちがどうにも回復しません。
栄養のことなど勉強したり、治療の問い合わせをしたり、やりたいことが沢山あるのに、思い切って動いた出だしで手痛い反応に出会い行動するのが再び怖くなってしまいました。

全方位とより良い関係を構築された加藤様から学ぼうと、闘病記を改めて拝見し直しました。



105.Re: 初めまして。具体的なことではありませんが。
名前:加藤一郎    日付:2008/1/27(日) 14:22
Lido様

ご主人の膵臓癌の件、さぞやご苦労、ご心労の多いことでしょう。
私自身今回の体験で、疾患した自分自身よりもむしろそれをフォローする側の方に
大きな心身の負担があることを知りました。癌という暴力的で圧倒的な病の前では、
素人の介護は無力感を感じることが多いと思います。
私もズブの素人ですので、何もお助けできないことが心苦しく感じます。
ただただ、エールを送ることしかできませんが、出来るなら前向きに明るく、
そして時には楽天的に立ち向かっていただければとお祈りしています。

‖食事療法の相談をした先生から、主治医にかかりながら相談するのは人の道に外れる、
‖運を手放すといわれてしまいました。

この発言だけでコメントするのは、公平性に欠くかもしれませんが、
「人の道に外れる」とか「運を手放す」といった表現をされる方は
ちょっと信頼できない気がします。
目の前の癌患者を救う以上に優先度の高いものがあるとでも言うのでしょうか!

私は闘病の最中、数ヶ月おきにCTスキャンや血液検査をしてもらい、
自分の体の中の影がどのような状態になっているか常に把握していました。
現代の科学力は患者に負荷を与えず体内の様子がある程度把握できるのです。
これを利用しない手はありません。
食事療法だけではそのメリットを得られませんし、
そもそも自覚症状の改善という表層的な材料だけでは、
良い方向に向かっているのかどうか正確な判断ができないと思います。

私が相談した「養生庵」の先生も、
主治医に掛かり状況を科学的に把握することをして欲しいと言っておりました。
それに比べるとLidoさんがご相談されている方は、少々疑問符を打ちたくなります。

‖派生症状で緊急入院中に主治医に継続中の治療について相談したら、
‖入院中の患者には何もできないと拒否されました。

どのような状況なのか正確に理解できませんが、
「膵臓癌以外の疾患が起こり主治医の在籍する病院以外の病院に入院することになった。
 ところが、その病院に入院している限り膵臓癌の治療ができないと主治医に言われた」
と言うことでしょうか?
もしそうなら、病院を跨いだ大変な事態になってしまいましたね。
主治医への相談だけでなく、入院している病院の方にも膵臓癌を抱えていることを
強く訴えて、病院間での調整を希望された方が良さそうですね。
その調整をLidoさんご自身が抱え込むことは無いと思います。

私も、病院のセクショナリズムに閉口したことが多々ありました。
あまりに専門化され過ぎていて、まるで人間を部品の集合体のように扱っています。
本来主治医がその辺を総合的に判断して、きちんとフォローするべきだと思うのですが、
上記の発言にはその意志が全く見られないようで遺憾です。

食事療法の先生も、病院の主治医も、両方共に首を傾げたくなる対応に直面した
Lidoさんのご心痛が、痛々しいほどに伝わってきます。
まったく何ということでしょう!

もし、事態がなかなか改善しないようならば、
下手にそれらの対応に改善を迫るよりも、Lidoさんの方から見切りを付けて、
両者とも変えてしまった方が良いかもしれませんね。
いろいろご事情があり、そう簡単にいかないのかもしれませんが・・・。

ご主人のご様態がどの程度のものなのかも知らず、
的を外したコメントになっているかもしれませんが、
今の私には、この程度のことしかご助言できず心苦しく思います。

もし、この様なやり取りでも、少しでもLidoさんの励ましになれるのであれば、
今後も、お気兼ねなく書き込みをして下さい。
ご主人の快復を心からお祈りしております。
そして、今後良き支援者との出会いがあることも。


106.Re: 初めまして。具体的なことではありませんが。有難うございます。
名前:Lido    日付:2008/1/27(日) 20:17
加藤様

早速の、とても心のこもったご返信に痛み入るばかりでした。
直ぐには筆をとることができませんでしたが、本当に感謝致しております。

ご返信を拝見する直前、夫に当たってしまいました・・・。いくら加藤様が共感してくださった理不尽さに直面していたとしても、夫に当たってしまったことはそれを上回る理不尽なことだったと後悔しております。弱いもの弱いものに容易にしわ寄せがされてしまう理不尽さに、私自身も加担してしまいました。

今回の入院は、胆管にステントを入れる措置のためです。抗がん剤は、そうした外科的措置を行っていない医院でしていただいておりますため、他院への入院となりました。
抗がん剤治療の先生に対して私たちはとても感謝しているのですが、どのような誤解があったのか、去年暮れから先生からは好まれない患者に写ってしまっているようです。
私には、ブログで先生が他の患者さんや患者さんの家族と少々厳しいやり取りを行っている様子を垣間見たことによって、自分が必要以上に先生とのコミュニケーションのミスに怖がってしまっているという自覚があります。今回のことは、怖がっていた中で、やっとお伺いする時点では時間に余裕が無くなってしまったため、「こういう時どうしたら宜しいでしょう」というプレーンなお尋ねの仕方ではなく、「こういうことをしていただけないでしょうか」というお願いになり、「そんな非常識なお願いとは何事だ」とお怒りを招いてしまったのではないかと危惧いたします。悪循環ですね。先生の我々に対する先入観があるのだとしたら、この悪循環を変えるのは難しく思われ、加藤様のおっしゃる通り他の先生を求めるのも一方です。ただ、抗がん剤治療の方針に関して、今の先生以上の方はいないと思っており、我々としては先生のお人柄も個性として折り合っていたいと思うのです。でも、先生はとてもお忙しそうであり、折り合うインセンティブには乏しいでしょうし、我々のことをそれぞれの個性として寛容に見てはいただけないのかもしれません。

がん治療と個性の両立は、難しいものと実感します。治療のためという錦の旗のもとに、私自身が夫の個性を十分に尊重できず、そのことが却って治療効果を削ぐ結果になっていないかと心配になります。
夫は精神的に強く、自分の意志の力と運に自信がありました。ただ、ベストな治療を得るためには、やはり色々調べたり足を運ぶ必要があるのではないでしょうか。
最後のよりどころは、私にとっても、夫の意志の力と運に対する自信です。それを維持しながらも、よりよい治療へ、少しでも多くの成果へという”浅ましい貪欲さ”を期待してしまいます。
書いていて気づきましたが、”浅ましい貪欲さ”を期待する際でも、このままでは良くないのではという不安を煽るのではなく、もっといいものがあるかもしれないよ、という前向き思考で検討を始める方が良いですね。
加藤様のおっしゃるように、究極は、前向きに明るく、ですね。

加藤様は、”私自身今回の体験で、疾患した自分自身よりもむしろそれをフォローする側の方に大きな心身の負担があることを知りました。”と書いて下さいました。
我々の場合、心身の負担は、私よりもやはり夫の方に大きいと感じておりますが、フォローする側の難しさは、こちらの心理状況を患者に分かってもらうことを期待しにくいことにあるのではないかと思います。
あんなに自らのことは省みず、私を含め周囲に思いやりも気配りもあった夫の様変わりは悲しいです。私にはできていないのですが、そうした中でも、パートナーとして、様変わりしたことさえ本人には気づかせない気配りをしたいものだと、現実と理想のギャップに直面する日々です。


107.すいません、横から失礼します。
名前:study2007    日付:2008/1/28(月) 10:35
Lido様
申し訳ありません、たまたま私と加藤さんとのお話が収束した所だったのでLidoさんの書き込みが目に留まってしまいました。少し記帳させて頂けないでしょうか?もしもご不快な面がありましたら「ネット上の迷惑な奴」とお聞き流し頂ければと存じます。(加藤さんにも横レス失礼致します)
先ず「(癌以前に)医師との関係」について随分御心労の様子が伺えます。本当にお見舞い申し上げます。私も「末期肺癌」という事もあり医師・病院探しは多少苦労しました。世間では「医師・病院」に対しかなり大きな権威と畏怖が持たれている様ですが、私の様な病状になりますと少々の権威や学歴・経験、あるいは医師の「暖かい人間性」すら殆ど治療の役には立ちません。真に必要なのは「考え抜かれた戦術」と「効率的な行動」だと思っています。
「戦術」の立案には医療従事者の援助が役に立ちます。膵臓癌の場合ネット上の情報も少ないですが、推奨できるページとしては「やぶいぬ」http://d.hatena.ne.jp/yabuinu5/などがあります。(この加藤氏のページも推奨に値するモノと考えております)
「やぶいぬ」の中では膵臓癌の戦略立案は「治験情報抜きに判断しない」という意見も紹介されており、私もそう思います。例えば国立がんセンターで治験情報を問い合わせるという方法もあると思います。がんセンターで現在募集中の治験があるかどうかは判りませんが、専門医というのは年数回は学会や研究会に参加しているのが普通ですから、それなりに情報を持っているモノです。
また「効率的な行動」には患者の友人・家族などの協力が欠かせません。もしもご高齢でしたら断然電話がお勧めです。がんセンターや癌研有明病院、(名古屋大など?)大学病院に電話をかけ、ご主人の病状を簡潔に説明し(どの位の移動が可能か?も正直に。治療が始まると遠距離病院はやはり不便ですから、、)、「治験を希望する」あるいは「治験情報を求めている」旨を訴える。例えばジェムザール+シスプラチンの組み合わせは既に標準化されていると思いますが、それにアバスチンを組み合わせたレジメンを「治験(無料)」でやって貰えればラッキーだと思います。ただしこの例も現在では「少々時代遅れ」になりつつ有りますので、やはり最新情報は「専門医に聞く」のが一番です。
癌は看護者にも負担を強いる病気です。ムリは禁物です。ですが、「電話をする」「資料を郵送する、取り寄せる」等の作業に協力は不可欠です。ご主人の感情は判りませんが、私はそういった事務的な仕事のフォローを家族に御願いしました。逆に、こちらの感情や体調に対するフォローは必要ありませんでした。家族に「やれること」を整理、実行すればもしかすると感情的な衝突は減らせるかも知れません。また、不謹慎な例えですが、車や家を買う場合、Lidoさんは何件の会社を調べ、何人の営業マンと相談し、何カ所の銀行で融資を検討するでしょう?恐らくかなりな数の物件を検討し、最適な案を探すと思います。一般論として進行膵臓癌は命が掛かっています。せめて「車や家」程度の努力はしても良いと思います。さらに申し上げれば通常「車や家」を買う場合、誰も「営業マンに申し訳無い」などとは考えません。勿論医者であれ営業マンであれお世話になれば感謝はすべきですが過度の遠慮は必要ない様な気がします。相手が「無策」である場合は尚更です。
以上、長文・乱文失礼致しました。

http://ameblo.jp/study2007/


108.Re: 初めまして。具体的なことではありませんが。study2007様も有難うございます。
名前:Lido    日付:2008/1/28(月) 19:48
study2007様、コメントを有難うございます。感謝致します。

study2007様のブログを拝見し、また加藤様とのやり取りも再度拝見し、色々なことが分かりました。それによって私たちの件についても、問題を少し整理できました。

本人と家族の動き方が、study2007様と我々では逆の部分があります。簡単にいえば主と従。
夫は、直るという強い意志を持ちつつ、実際の行動は流れに任せる部分があります。流れに任せた場合に自分の運がとても強いと信じています。また、自分のことを後回しにしますし、周りに負担をかけることを極度に避けます。遠慮するというよりも、持って生まれたものなのでしょう。
study2007様のご闘病姿勢をブログから垣間見て、”ああ私は夫にこういうものを求めていたのだ”と思いました。私の方こそstudy2007様のお気に触ったら申し訳ないのですが、拝見した限り、ご自分で調べて考え、それを踏まえてアグレッシブに大小の努力を積み上げていらっしゃる。私は夫に、何を差し置いても自分の治療を優先して欲しい、体力の温存、治療効果の発揮、貪欲に我侭に自己中心に振舞って欲しいのです。

ご指摘いただいた治療に関する具体的な行動、これまでにやったものと大分重なります。違いは、私が走って、本人でないとという部分で夫に動いてもらうということです。次は本人のアクションをという段階で、我々の間でしばしば摩擦が生じます。

とはいえ、癌にも個性があるとの加藤様のご指摘の通り、治療にも個性があってしかるべきで、できれば本人の本来の個性を生かした方法でできればいいですね。
我々の場合、それが今は上手くいっていません。
夫のネイチャーは心底素晴らしいと思ってきました。また、多分そうしたネイチャーがプラスに働いて、色々なことを成し遂げてきたことを尊敬しています。
ただ、環境が余りにも変わった今、ネイチャーが変わらずに治療の成果をあげるのが難しく思える場面もあり、また、自分の体ことに我侭にならないのは引いては私とずっと一緒にいることを大事に思ってくれていないのかと悲しくなることもあります。
他方夫は、私が夫のネイチャーを否定しているのではないかと悲しくなっているかもしれません。

加藤様もおっしゃっていますが、癌になったということなのだから、どこかを変えないといけないのでは?でもそれが、本人にとって自分を否定されるようなものであるのはつらいでしょう。とはいえ、手ごわい相手と闘うのですから、肉を切らせて骨を切る覚悟もいるかとも。

思索の掲示板にそぐわない情緒的な話になってしまいました。が、お二方のコメント・アドバイスと思索によって、私の思いも多少整理されたのです。有難うございます。


109.Re: 初めまして。具体的なことではありませんが。
名前:加藤一郎    日付:2008/1/30(水) 20:22

本日会社のとある研修で、ラインホルト・ニーバーの素晴らしい言葉を学んだので、
Lidoさんのご主人に謹んで捧げたいと思います。

「我らに与えたまえ、
 変えるべき事を変える勇気を、
 変えられぬ事を受け入れる冷静さを。
 そして、その二つを見分ける叡知を与えたまえ」

ご参考にして頂ければ幸いです。


110.Re: 初めまして。具体的なことではありませんが。
名前:Lido    日付:2008/1/30(水) 1:39
どこかで耳にしたことがあります。
すっかり記憶の層の底に沈んでいました。

夫には変えるべきことを変える勇気、
私には変えられぬことを受け入れる冷静さ、
二人にはその二つを見分ける叡智の足りなさを許し合い補い合う思いやり、が必要です。
与えられた最後の機会だと思って、これらを獲得していく努力をしていければ。
そういう方向に私だけでも変われたら、治療にも良いはずです。
つまり、変えるべきことを変える勇気と辛抱が最も必要なのは私です。

食事療法のこと、ドクターストップがかかって少し分かりました。
ステントを入れて肝機能を現す他のデータが改善したにもかかわらず、アルブミン値の低下に歯止めがかかりません。
このままだと、すい臓癌ではなくアルブミンの低下で命をとられてしまいかねないとのことで、動物蛋白を摂るように入院先で指導されました。

体力気力が低下していて、治療の予定をなかなか相談できません。
治療のことを焦る気持ちが高まりますが、今が気力のボトムだと思って、まずは気力の充実を待つ一呼吸の余裕をもちたいです。

96.初めまして 返信  引用 
名前:study2007    日付:2008/1/24(木) 15:55
加藤様

初めまして、昨年肺癌末期を告知されましたstudy2007と申します。加藤さんの闘病記は患者の私から見ても違和感がありませんし、時々の判断の過程も非常に参考になります。診断や経過に対する評価も公平なモノであるとの印象を持っています。ですが実は1点だけ是非お聞きしたいことがあります。何卒お教え願えませんでしょうか?

それは「細胞診」の有無です。文中では「身体へのダメージ」を理由に検査拒否なされたようですが、最終的に1度も確定診断をされなかったのでしょうか?通常、どんなに癌が疑われる所見であっても(特に固形癌に対し)「細胞診による確定診断」無しに治療方針は決定しません。それに加藤さんの思考力、判断力からすれば「得られる利益の大きさ」から考えても「病気の正確な把握」という重要な段階をスキップした点がやはり不思議な気がします。この点についての詳細な思考の過程、優先順位などお教え頂ければと存じます。

このホームページは癌患者の方々にとって重要な示唆に富んでおりますが一般論として「診断を避ける」という点はマネして欲しくないと思っています。また(勿論加藤さんの責任では全然無いのですが)癌患者の世界には「玄米は薬」「肉は毒」という風潮(商売)があまりに横行しており、それが治療に障壁になるケースも散見されます。私は患者にとって最も利益のある手法、生活を追求したいと考えております。大変な失礼と受け取られてもやむを得ない質問なのですが、何卒よろしく御願い致します。

http://ameblo.jp/study2007/



97.Re: 初めまして
名前:加藤一郎    日付:2008/1/25(金) 1:24
study2007様
ご記帳、ありがとうございます。

肺癌を患っておられるとのこと、その心中お察しいたします。
サイトも拝見させて頂きました。
冷静かつ客観的な記載は、必ずや他の同胞の有益な判断材料となることでしょう。
抗癌剤1つ投与を受けるにしても、
患者側の生きた体験談を克明に印した貴サイトを読んでおくか否かでは、
立ち向かう気持ちが全く異なってくると思います。
「耐えられない痛みを10とすれば・・・」といった情報は、
治療する側の視点で書かれた学術サイトなどでは絶対に得られない
貴重な情報だと思います。

‖1点だけ是非お聞きしたいことがあります。何卒お教え願えませんでしょうか?
‖それは「細胞診」の有無です。文中では「身体へのダメージ」を理由に検査拒否
‖なされたようですが、最終的に1度も確定診断をされなかったのでしょうか?

結局、1度も生体検査を実施しませんでした。

‖「得られる利益の大きさ」から考えても
‖「病気の正確な把握」という重要な段階をスキップした点がやはり不思議な気がします。
‖この点についての詳細な思考の過程、優先順位などお教え頂ければと存じます。

思考過程というほど大袈裟なものではなくお恥ずかしいのですが、
以下のような逡巡から、最後は「直感」で拒否し続ける結果となってしまいました。
・生体検査を受けて、もし陰性であっても、医師側は「癌でない」と言い切る可能性は
 低いだろう。特に私の場合、大きな影が観測されているので尚更である。
・逆に陽性であった場合、即手術への誘導が起こり、私自身も拒否する根拠が無くなる。
・更に膵臓癌の場合、かなり長い距離のカテーテル挿入
 (大腿部付け根から動脈を通って膵臓まで)となり、
 全身麻酔レベルの検査であって、手術級リスクの存在を感じた。
・また、造影検査の為に使用したステントを残置する場合があるとの記述を
 あるサイトで見つけ、そのような異物を体内に残すことに強い抵抗があった。
 もし、結果が陰性であったら尚のことである。
・他のサイトでは、生体検査から誘発した感染症状の事例を見つけた。
 癌の確定診断をするために別の病気になってしまうとしたら耐えられない。
・生体検査による浸襲により、免疫力が一時的に低下し、それが本格的な癌への
 誘導になるおそれがあるのではないかという素人としての怯え。
 その時点で自覚症状がないため、特にそう感じた。
・そして(これは多分に語弊があるかもしれないのですが)
 本格的“手術”に対して“検査”という行為は、経験の浅い医師が
 いわば訓練も兼ねて実施する場合があるかもしれないという懐疑。
 ※私はこの行為を責めません。どんなに優秀な医師でも必ず若き日があったはずですから。

以上のような漠然とした思考の末に、拒否をし続けてしまいました。

‖一般論として「診断を避ける」という点はマネして欲しくないと思っています。

本当にそうですね。私を見てくれた医師たちも、診断させてもらえないことで、
とても困惑したのではないかと思います。お恥ずかしいです。
ただ、浸襲を伴わないCT、ダイナミックCT、MRI、PET、血液検査は
何度と無く実施させていただきました。

‖癌患者の世界には「玄米は薬」「肉は毒」という風潮(商売)があまりに
‖横行しており、それが治療に障壁になるケースも散見されます。

あまりに嘆かわしいことだと、私も心から思います。
人の命をビジネスに使うなど、人として最も蔑むべき行為だと感じています。
私は自分の実施したことを客観的に書き綴ったつもりですが、
「玄米は薬」「肉は毒」といった、迷信的かつ表出的な解釈をされてしまうと
大変遺憾ですし、もし私の雑文がそのような判断を助長してしまうようなら、
深く反省すべき事だと思いました。

「玄米は、菜食の象徴に過ぎない」と思っていましたが、
更に「菜食は、体質改善の象徴に過ぎない」のかもしれません。
振り返ってみると、私がしたことは“体質改善”の一点に尽きるのかもしれません。

そして、私が消化器系の病であったからこそ、食事療法が好奏したのであり、
呼吸器系では玄米は微力であろうと私も感じています。
癌は一種のDNA異常ですから、人の数だけパターンがあると思っています。
従って、オールマイティな処方など存在せず、個々に対応を考えていかなければならない。
癌には個性がある。
つまり、その人本人の判断が最も大切になる病なのだと思うのです。

長文失礼しました。


98.Re: 初めまして
名前:study2007    日付:2008/1/25(金) 10:33
加藤様

御回答ありがとう御座います。かなり参考になりました。
確かに、加藤様の詳細な説明により細胞検査回避の理由は「補強」はされましたが正直なところ「恐らく一般的には理解され難いだろうな」との印象は拭えません。しかしながら一方では私の体験とフィーリングを基に考えると同様の判断は充分ありえる事かもしれない、とも感じました。(私の場合、がんによる疝痛が酷く「もう、どうとでもしてくれ!!」という感じで針生検も喜んで受診しましたが、、、。)

結局この「共感」は同じ様な病気を体験しないと得られにくいのかも知れませんが、そこで閉じてしまっては、患者vs医師vs健常者の間の障壁は残ったままになってしまいます。なんとか共通の尺度、考え方等を整備することで毎日、全国の病院で起こっている不理解やすれ違いを無くせないモノか?と考えてしまいました。

仰る通り癌は百人百様ではありますが、「患者が好き勝手に想像し」判断するのは危険だと思っています。逆に医師が少ない説明と思慮に基づいて「機械的に大ざっぱに」治療を進めるのも患者満足度や効果の面で問題があり、癌ビジネスにおける「教祖」や「秘薬」がつけ込む口実を与えてしまっています。

がん登録などの手法で(加藤さんや私のケースも含め)表層的な医療情報だけでなく患者の背景も含めた「データの蓄積」を行えれば判断の糸口が得られやすくならないか?などとも考え初めています。私のブログは初心者の勝手な日記に過ぎませんが今後は癌、病院、医療、行政、統計、などのテーマを扱ってゆきたいと考えています。今後もご意見、ご批判など頂けましたら幸いです。

議論が散漫になってしまいましたが、質問により(私としては)疑問は払拭できました。ありがとう御座いました。また、もしよろしければ私のブログの「ブックマーク」に貴ホームページを登録・紹介したいと考えております。ご許可頂けましたら幸いです。今後ともよろしく御願い致します。

http://ameblo.jp/study2007/


101.Re: 初めまして
名前:加藤一郎    日付:2008/1/26(土) 23:32
‖結局この「共感」は同じ様な病気を体験しないと得られにくいのかも知れませんが、
‖そこで閉じてしまっては、患者vs医師vs健常者の間の障壁は残ったままになって
‖しまいます

study2007さんのご主張、とてもよくわかります。
混沌としていて様々なパターンがある中で、
できるだけシンプルで一貫性のある法則を見出そうとするのが
科学的思索の真髄ですので、このテーマもそこに向けて努力すべきと思います。

私が「癌には個性がある」と言い放った背景には、
「ガンの患者学研究所」を立ち上げている川竹文夫氏の思索談があります。
(ぜひ一度、サイトをご覧になればと思います。私もすべてを読み尽くしてはいません
 が、多くの示唆に富んでおります。既にご存知の場合はご容赦下さい)
川竹氏は自身、腎臓癌に犯され、医者の言うままに摘出手術をしたそうです。
手術は成功し医者はこう言いました「切除は完璧にできましたからもう大丈夫です」
その一言を聞いて彼は思ったそうです。「癌が出来たらそれを除去すれば治る。
しかし、そもそも何故自分は癌になったのだろう? その本質を治さなければ、
いつまた再び癌が出来るかもしれない。」

私が「癌には個性がある」と言ったのは「癌は自分自身である」という意味です。
癌は異常な細胞ではありますが、外部からの異物進入による感染症ではなく、
自らの細胞異常ですよね。遺伝子が正確なコピーを繰り返し、尚かつ適切なコピー
回数で抑制が働く見事な新陳代謝機構。それが何らかの要因でおかしくなり増殖を
繰り返してしまう病。(こんなことはstudy2007さんなら先刻ご承知と思いますが)

私たちの体は、骨でさえ3〜4ヶ月ですっかり入れ替わるそうです。
そして新しい細胞の材料は、私たちが日々摂取する水と空気と食物です。
私の場合、study2007さんのように疝痛に悩まされることもなく、一切の自覚症状が
なかったため、食事療法に賭けることが出来ました。

余計なお世話かもしれませんが、もし抗癌剤治療が奏功し余力が出来た暁には、
体質改善を試されるのがよろしいかと思います。
ただし、玄米菜食を進めているわけではありません。
逆説的ですが、もしtudy2007さんが日頃から菜食主義であったなら、
私は逆にもっと肉を摂れと言うでしょう。
あるいは、空気に問題があるかもしれないし、水かもしれない・・・。
(この辺に付け込んで、いかがわしい水や食物を売り込む輩がいるのが悲しいです。
 何も特別なものを摂取する必要はないし、それらは効果が無いと私は思っています。)

もしかしたら睡眠時間かもしれないし、ストレスへの対応の仕方かもしれない・・・。
(つまり、材料ではなくその処理過程、新陳代謝に問題があるのかもしれないと考えています)
とにかく、今までと違う自分にならなければいけないと考えています。
それが私が現在、信条としている「一貫性のある法則」です。
どんな食事や生活に変えなければいけないかは、
その人が今までどのような食事や生活をしてきたかに依存しますので、
一概に決められません。
それが「癌には個性がある」という言葉の意味でした。

‖もしよろしければ私のブログの「ブックマーク」に貴ホームページを登録・紹介
‖したいと考えております。ご許可頂けましたら幸いです。
‖今後ともよろしく御願い致します。

もちろん、喜んで許諾いたします。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。

今回は、偉そうで断定的な文面になってしまいました。
どうか、ご容赦下さい。
そして、お体ご自愛下さい。


103.Re: 初めまして
名前:study2007    日付:2008/1/27(日) 11:39
加藤様
ブックマークの御許可ありがとう御座いました。貴ホームページは癌に関したテーマだけでは有りませんが私のブログを読んで下さる方は「癌関係者」が多いと思われる為、若干の解説(「膵臓癌告知後の検討過程」)を勝手に補足させて頂きました。問題があればご指摘下さい。
加藤さんの論理、対応方針は充分に説得力もありますし、ましてや気に障る事など一切御座いません。どうもありがとう御座いました。また折りに触れ御連絡させて頂きます。

http://ameblo.jp/study2007/

99.ほめられては恥ずかしいです 返信  引用 
名前:匿名    日付:2008/1/25(金) 11:53
>>私だったらどんな状況でも「2.しばらく様子を見る」を選択すると決めています。
>匿名さんの力強い信念に脱帽です。

違うのです。
私はひき逃げはしないことも決めています。当たり前だと笑わないでください。気の弱い私はもし人を轢いたりしたらパニクって逃げ出さないとも限りません。だから生活上あらかじめ決めごとをしているのです。
思索の掲示板ですから、加藤さんとしては生死を突きつけられたときの心像を表現したかったのでしょうから、癌医療についての議論には違和感をお持ちなのではないかと思います。
しかし、私は癌医療にこだわりたいのです。兄が癌で死んだ機会に癌についての情報を集め勉強し、自分なりに一定の結論に到達したつもりです。「癌が見つかったらしばらく様子を見る」もその一つです。
加藤さんの癌は何故治ったのか。次の3点が考えられます。
1.肉食をやめて玄米食にしたこと
2.激しい苦行の様な加療を求めた強い心が病に打ち勝った
3.自然に治った

もちろん、1.の可能性は否定しませんが、むしろ2.の方が可能性としてはあるような気がします。偽薬(プラボゼっていうのですか)が効くということはよく知られていますね。つまり効く薬を飲んだと信じる心の持ち方が病に作用するのは事実でしょう。
そういう意味では民間療法として玄米食はよい選択と思います。
それとは別に、自然に治る可能性もかなりあると言いたいのです。
「癌を放置するとどうなるか」の実証データをどこかで見たことがあります。詳細は忘れましたがかなりのパーセンテージで治ってしまって驚いた記憶があります。



100.Re: ほめられては恥ずかしいです
名前:加藤一郎    日付:2008/1/26(土) 22:40
‖思索の掲示板ですから、加藤さんとしては生死を突きつけられたときの心像を
‖表現したかったのでしょうから、癌医療についての議論には違和感をお持ち
‖なのではないかと思います。

いいえ、違和感など持っていません。
どんなテーマであっても歓迎いたします。

ただ恥ずかしながら癌医療に関しては勉強不足で、
客観的にものが言えるほどの材料を持ち合わせていません。
私は、自分の体験を通じて得たごく一部の周辺知識しかありませんので、
私と議論をしたいとすれば、ご期待に副えないと思います。

‖「癌を放置するとどうなるか」の実証データをどこかで見たことがあります。
‖詳細は忘れましたがかなりのパーセンテージで治ってしまって驚いた記憶があります。

と言うことは“かなりのパーセンテージ”以上のパーセンテージで、
「癌を放置した」人達が居ると言うことですね。
私のように癌を宣告されてうろたえる人は少数だと言うことでしょうか。
しかも、癌であると診断しながら何もしなかった医師が多いと言うことでしょうか。
どちらにしても実証データの原典が明示されていないので、
ロジカルな思索に入れないのが残念です。


102.Re;Re: ほめられては恥ずかしいです
名前:匿名    日付:2008/1/27(日) 9:48
>>「癌を放置するとどうなるか」の実証データをどこかで見たことがあります。
>実証データの原典が明示されていないので、ロジカルな思索に入れないのが残念です。

実証データというのは間違いでした。単にデーターです。
外国のデーターだったと思います。日本ではほとんど治療に入ってしまうのでそういうデーターはないようです。
「ガンを放置したら」のキーワードで検索したのですがどうも「これだ」と思う原典にたどり着けませんでした。
むしろその検索でみつけた2cHのhttp://choco.2ch.net/news7/kako/1008/10083/1008378541.html
はどうでしょうか。2cHですからかみ合わない議論やふざた意見がも多いのですが、「癌とは何か」を考えさせられます。

94.癌とは何か? (KYとの批判を恐れず) 返信  引用 
名前:匿名    日付:2008/1/23(水) 13:29
>「膵臓癌を告知され」ました。それも、3人の医師から独立に宣告されました。これは嘘偽りのない事実です。

そうですね。では医者は何を以て癌と判断するのでしょうか。
その1.病巣の組織検査による判断
その2.医者の経験に基づく判断
が考えられます。
1.は人相見のようなものでヤクザに見えるからヤクザと判断するという類で必ずしも絶対的なのもではないらしい。
2.は加藤さんが診断されたように、「この場所にこうできた腫瘍は経験的に癌である」という類でしょう。
だから当てにならないというつもりはありません。恐らく現時点でそれが最善の方法なのでしょう。
一方癌の性質は多様で、転移するものもしないものもあります。また、病巣が大きくなるものもならないものも(場合によっては消滅するものも)あります。
転移もせず大きくもならない癌は苦しいなどの症状が無ければ放置しておいてよいはずです。こういう癌は「がんもどき」と名付ける医師がいるが正式な医学用語ではないので診断では同じように「癌」となります。ですから加藤さんは誤診だったわけではありません。
問題は、癌が見つかったらどうするかでしょう。
1.急いで手術など治療を開始する
2.しばらく様子を見る
の2通りの対応を考えるべきと私はいいたいのです。
私だったらどんな状況でも「2.しばらく様子を見る」を選択すると決めています。医者から「そんな悠長なことを言ってられない」と言われても曲げません。(加藤さんも結果的には同じ選択をしたのだと思います)
肉を食べず玄米食べるのも恐らく体にはよいことでしょう。しかし老人でも肉はしっかり食べるべきという説もあります(癌に対してではないが)。それぞれ一理あるのだと思います。食事はバランスよく控えめににつきるのではないでしょうか。
(と書いたのですが、この掲示板の趣旨とははずれてますかね)



95.Re: 癌とは何か? (KYとの批判を恐れず)
名前:加藤一郎    日付:2008/1/23(水) 22:22
‖(と書いたのですが、この掲示板の趣旨とははずれてますかね)

あはははっ(笑)
いえいえ、自由な掲示板ですから趣旨なんて大それたものはありません。
掲示板荒しのような記帳でなければ、大歓迎です。
自分とは異なる視点に触れる事は、新しい思索の種を運んできます。


‖私だったらどんな状況でも「2.しばらく様子を見る」を選択すると決めています。

匿名さんの力強い信念に脱帽です。
私は、自覚症状が無くても、
何らかの手段が無いか調べ、試み、そして考えつくしました。
とても「しばらく様子を見る」といった冷静な心境ではありませんでした。
「単位が違います。月です」と言われた瞬間の気持ちが今でも蘇ります。
ましてや、もし辛い自覚症状があったら、もっとうろたえていた事でしょう。
そのような心境が、バランスの良い食事にすれば良いといったレベルではなく、
もっと激しい、苦行の様な加療を求めたのかもしれません。
それが、徹底した食事療法でした。
そんな私に比べると、匿名さんは本当に凄い方だと思います。

92.膵臓癌の場合、手術すべきか? 返信  引用 
名前:匿名    日付:2008/1/21(月) 13:46
治癒手術を実施した場合5年後の生存率20%弱ですか。
掲示板での匿名の外科医によるとこれは統計のマジックで実際は3%以下だそうですね。(こういう場合恐らく後者が正しい)
だとすると、膵臓癌の場合は手術すべきかどうかの選択が患者にとってもっとも重要なはずです。
加藤さんの選択の同じようにこれでは私だって手術する気にはなりません。
それなのに済生会中央病院ではたたみかけるように手術へ持って行こうとしてましたね。こうなると最初の診断自体疑問になってしまいます。
加藤さんのガンは、手術しない場合の5年後の生存率2%弱の中に入っていたということでしょうか。そんなことではないでしょう。
では肉類を食べずに玄米食への転換が効いたのでしょうか。ガンという病気の性質上それも考えづらい。
もちろん肉類を食べずに玄米食にすることは統計的にガン発生の抑制につながる可能性までは否定しません。しかし、済生会中央病院の言うような余命数ヶ月単位のガンに対して治癒効果が発揮できるとは思えません。
結論として、加藤さんは済生会中央病院がいうようなガンではなかったと考えるのが自然ではないでしょうか。
私が書き込んでいる内容は加藤さんにとって趣旨の違うことでなのでしょうが。



93.Re: 膵臓癌の場合、手術すべきか?
名前:加藤一郎    日付:2008/1/23(水) 0:23
表題の「膵臓癌の場合、手術すべきか?」
については、私には答えはありません。
同じ病であっても、その時の状況によって
より良い選択は異なると思います。

‖加藤さんの選択の同じようにこれでは私だって手術する気にはなりません。

確かにそうなのでしょうけど、
その状況になると周りの人々は十中八九、手術を勧めます。
万に一つの可能性に掛けて手術をしないのは、
臆病者か、あるいは生きることを放棄している人、といった扱いを受けます。(苦笑)
医師の方も出来るだけのことをしたいと考えていますし、
手術をすることで、少しでも延命できるのであれば、
それをするのが医師の使命であるとも言えます。

‖加藤さんのガンは、
‖手術しない場合の5年後の生存率2%弱の中に入っていたということでしょうか。
‖そんなことではないでしょう。

う〜む。ここの論旨展開は根拠が無く、ちょっと主観的すぎますね。
もし統計が正しいのならばですが、少なくとも100人中1名は該当するのですから、
宝くじに当たるよりも確率は高いです(苦笑)

ただこの掲示板で、病院側を責めたり、手術の是非を議論しても、
あまり成果は期待できないと思っています。
私にできること、また匿名さんにできることを
それぞれが考え、そして実行する事こそ肝要だと思っています。
その意味で私は、自分が対処した経緯をしたため公開することが、効果的だと考えました。
自ら考え、調べ、信念を持って対処することが大切であると体験談を通じて伝えたかったのです。
告知のショックから思考を放棄していたら、私はきっと手術していたことでしょう。

・・・とここまで書きましたが、
匿名さんは、実は表題にある手術の是非を問うているのではなく、

‖結論として、加藤さんは済生会中央病院がいうようなガンではなかった
‖と考えるのが自然ではないでしょうか。

ということが言いたかったようですね。
つまり、私の口から「実は私は癌でなかった」と言わせたいのでしょうか?
もしそうなら「私にはわかりません」としか言いようがありません。

私は、私の体に見られた影が癌であったのか否かよりも、
死の可能性を暗示されたとき人はそれにどう対峙すべきであるかを、
自らの所作を通じて示すことを試みたつもりです。

ただ、少なくともタイトルにあるように「膵臓癌を告知され」ました。
それも、3人の医師から独立に宣告されました。これは嘘偽りのない事実です。
私も、自分の膵臓に異常な“もの”が存在していたであろうことは今でも確信しています。
そしてもし何もしなかったら、つまり体質改善を図らなかったら、
その時点では仮に癌細胞でなかったとしても、
いずれは癌細胞になっていただろうと思っています。

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