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海音寺潮五郎掲示板
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57.海音寺潮五郎と史伝『西郷隆盛』のこと@ 返信  引用 
名前:tsubu    日付:2006/12/14(木) 23:5
モモタさんが史伝『西郷隆盛』についてお書きになられていますが、私からも海音寺潮五郎と史伝『西郷隆盛』のことについて少し書かせて頂きます。

海音寺さんが「西郷隆盛」という人物の伝記を完成させることをライフワークとされていたことは非常に有名な話です。
昭和52年11月19日、長野県の那須の山荘で倒れられた海音寺さんの書斎の机の上には、書きかけの『西郷隆盛』の原稿があったそうですから、いかに海音寺さんがその死の直前まで、西郷のことを考え、そしてその伝記の完成に力を注がれていたのかが、よく分かるのではないかと思います。

なぜ海音寺さんがそこまで西郷に心底惚れ込み、情熱を傾けるようになったのかについては、海音寺さん自身が生前語っておられた


「西南戦争の話はぼくの『イリヤッド』であり、西郷の話は『オデッセイ』であった」
(文春文庫『史談切り捨て御免』所載「西郷隆盛とぼく」より)


という言葉そのものに尽きるのではないかと思います。
つまり、薩摩、現代の鹿児島県に生まれ育った海音寺さんにとって、もっとも尊敬し、そして身近にあった存在が西郷隆盛という人物そのものであり、そして幼少の頃から慣れ親しんで聞いた話が西南戦争のことであったわけです。

海音寺さんが少年時分の頃には、村には西南戦争の生き残りの人々が数多くいたそうで、海音寺さんはその人々から聞かされる西郷隆盛や西南戦争の話を、まるで少年が童話やおとぎ話を聞くような感覚で聞き育たれました。
現代でこそ鹿児島でも西郷隆盛を尊敬する人々が減りつつあると言われていますが、海音寺さんが生まれた明治という時代では、鹿児島人が西郷を敬愛することは、ある意味普通のことであったと言えるでしょう。
このように少年時代から西郷隆盛や西南戦争の話を聞き育った海音寺さんにとっては、西郷隆盛という存在と西南戦争など関連するテーマが、終生のライフワークになったことは極自然のことであったと私は思います。



58.海音寺潮五郎と史伝『西郷隆盛』のことA
名前:tsubu    日付:2006/12/14(木) 23:6
昭和4年に『うたかた草紙』が「サンデー毎日」に掲載され、本格的に作家デビューを果たした海音寺さんは、その長い作家人生の中で数多くの薩摩藩、西郷隆盛、西南戦争に関連する話を執筆されています。
その中でも「西郷隆盛」という人物に対して真正面から向き合い、そして真の西郷像を描き出そうとして執筆されたものが、昭和36年10月22日から朝日新聞に連載した『西郷隆盛』でした。

昭和51年3月に刊行が開始された大長編史伝『西郷隆盛』(朝日新聞社刊)の第一巻の「あとがき」の中で、海音寺さんは西郷を書こうと思い立ったきっかけについて、次のように書いておられます。


「どうしても、西郷伝を書かなければならない。おれが書いておかなければ、西郷はこの妄説の中に埋もれてしまい、ついにはこれが定説となってしまう」
(『西郷隆盛』(朝日新聞社刊)第一巻「あとがき」より抜粋)


海音寺さんは、後世に作り上げられた西郷像、特に太平洋戦争後に急落した西郷評価に対し、常に疑問と不満を持ち続け、今、真の西郷像を書いておかなければ、西郷の虚像が一人歩きし、それが最終的な西郷評価に繋がってしまうという焦燥感を常に胸中に持っておられていたのだと思います。
自らがきちんと書き残しておかなければ、現代の誤った西郷評価が定説となってしまうことを海音寺さん自身が誰よりも恐れ、そして危惧されていたのです。

昭和36年10月22日から38年3月20日までの間、海音寺さんはその自らの念願を果たすかのように、約500回に渡って朝日新聞夕刊に「西郷隆盛」を連載しました。
この朝日新聞連載版が、海音寺さんの最初の本格的な西郷隆盛の史伝であったと思います。
しかしながら、この朝日新聞での500回の連載の紙幅では、西郷の全生涯を書き切ることは出来ませんでした。
文久2(1862)年4月11日、島津久光の逆鱗に触れた西郷が京都から薩摩に送還されるまでしか描くことは出来なかったのです。

いわゆる海音寺さんの代表作と言われる大長編史伝『西郷隆盛』は、この朝日新聞連載のものが最初であり、そしてその後の基礎となっていくのです。
(※その他にも「オール読物」で連載した『西郷隆盛』(これは後に『武将列伝』(文春文庫)に収められたもの)、雑誌「世界」に連載した『史伝西郷隆盛』等がありますが、海音寺さんの代表作と言われる『西郷隆盛』の基礎となっているのは、朝日新聞連載版であると考えられます)


59.海音寺潮五郎と史伝『西郷隆盛』のことB
名前:tsubu    日付:2006/12/14(木) 23:7
昭和36年〜38年にかけて朝日新聞夕刊に『西郷隆盛』を連載後、その翌年の昭和39年に朝日新聞社から単行本として出版されることになりました。
その単行本出版に際して、海音寺さんは朝日新聞連載版の「西郷隆盛」を大きく書き直して本にしておられます。
その理由について、海音寺さんは大長編史伝『西郷隆盛』(朝日新聞社刊)第一巻の「あとがき」の中で、次のように書いておられます。


「作家は小説でも、年が立てば書き直したくなるものですが、史伝はとくにそうです。史伝は一面から言えば研究ですから、研究が進むにつれて、どうしても考えがかわって来ます。書き直さざるを得ないのです」
(『西郷隆盛』(朝日新聞社刊)第一巻「あとがき」より抜粋)


海音寺さんにとっての史伝という文学分野の位置付けが、非常によく分かる文章ではないかと思います。

「史伝は一面から言えば研究である」という海音寺さんのスタンスは、この後も当然の如く実行されていきます。
昭和39年に出版された『西郷隆盛』は、昭和44年に朝日新聞社が『海音寺潮五郎全集』を発刊するにあたり、その中に組み込まれることになりましたが、海音寺さんはその際にも更に大きく手を入れられて書き直されています。
これが『海音寺潮五郎全集』の第11巻として出版された『西郷隆盛』です。


少し時系列で並べてみますと、次のような形になりましょうか。

@昭和36年〜38年、朝日新聞夕刊に「西郷隆盛」を約500回に渡って連載

A昭和39年、朝日新聞社より『西郷隆盛』出版
(朝日新聞夕刊に連載した「西郷隆盛」に大いに手を入れて書き直したもの)

B昭和45年、朝日新聞社より『海音寺潮五郎全集』の第11巻として『西郷隆盛』出版
(昭和39年に出版された『西郷隆盛』を更に改めて書き直したもの)


このように、一口に海音寺潮五郎著『西郷隆盛』と言っても、長い年月をかけて、書き改められ、そして凝縮するようにして完成されたものなのです。


60.海音寺潮五郎と史伝『西郷隆盛』のことC
名前:tsubu    日付:2006/12/14(木) 23:8
ここからモモタさんの書き込みにあった話へと繋がっていきますが、昭和47年1月1日、海音寺さんの愛弟子とも言える作家の司馬遼太郎さんが、毎日新聞朝刊で明治後の西郷と大久保を中心とした歴史小説『翔ぶが如く』の連載を始められました。
海音寺さんはその連載を非常に楽しみに毎日読んでおられ、確かスクラップブックに記事を保管されていた、という話をどこかで読んだことがあります。

しかしながら、司馬さんの『翔ぶが如く』は、はっきり言いまして、海音寺さんを満足させる仕上がりの作品ではありませんでした。
そのことが、海音寺さんがもう一度一念発起されて、西郷隆盛の完成を目指された間接的な理由となっているかもしれません。

海音寺さんは、昭和36年に朝日新聞夕刊で「西郷隆盛」を連載後、自らの研究の結果をもって何度も書き直された原稿を基礎として、いわゆる遺作となり、代表作ともなった大長編史伝『西郷隆盛』の完成を目指されました。
今まで書いた原稿やその他の雑誌等で連載したものに加え、新たに書き下ろした原稿をドッキングさせ、西郷隆盛伝の決定版を完成させることに全ての労力を注がれたのです。
ただ、既に70歳という年齢を超えられていた海音寺さんにとっては、その作業量は非常に膨大で、かつ骨の折れる仕事であったことは、想像に難くありません。
しかしながら、最初にも書きましたが、海音寺さんは

「どうしても、西郷伝を書かなければならない。おれが書いておかなければ、西郷はこの妄説の中に埋もれてしまい、ついにはこれが定説となってしまう」

という一念のみでこの膨大な仕事に挑まれたわけです。
ほんとそのことを考え想像するだけでも、私は胸が震えるほどの感動を感じずにはいられません・・・。

そして、昭和51年3月、いよいよ大長編史伝『西郷隆盛』の刊行が朝日新聞社より始まりました。
しかしながら、ようやく『西郷隆盛』執筆の作業が軌道に乗り始めた昭和52年11月19日、那須の別荘において『西郷隆盛』を執筆中の海音寺さんは、脳内出血を起こし、その2週間後の12月1日、ついにそのまま帰らぬ人となったのです・・・。
そのため、海音寺さんが精魂を込めて執筆された大長編史伝『西郷隆盛』は未完に終わり、第9巻でその幕を閉じました……。(文庫版は全14巻)

最後は少し端折って書いてしまったため、海音寺さんの西郷隆盛にかけた情熱がどこまで皆様に伝わったのかが不安でありますが、海音寺さんのライフワークとなった大長編史伝『西郷隆盛』は、今もなお西郷隆盛の一つの伝記という位置付けだけではなく、幕末維新史の決定版とも言えるものであることは、間違いないと思います。
私はこの『西郷隆盛』をもう10回は読み返しましたが、いつ読んでもそこには新たな発見や感動があり、そして海音寺さんの西郷にかけた情熱を感じずにはいられないのです。

52.大口を訪ねて 返信  引用 
名前:tsubu    日付:2006/12/7(木) 17:56
皆さん、こんばんは!

モモタさん、きりたんぽさん、Kazさん、貴重な書き込みを頂きましてありがとうございました!
レスが遅くなってしまいまして、大変申し訳ございません。

海音寺さんの命日である12月1日には行けなかったのですが、翌日の2日に海音寺さんの生まれ故郷である鹿児島県大口市へ行ってきました。
大口という場所は熊本の県境にある都市ですが、この時期の大口は鹿児島とは思えないほどの肌寒さです。
鹿児島市内とは根本的に気候が違うような気がしますね。

小雨がしとしとそぼ降る中、まずは大口市立図書館で開かれている「海音寺潮五郎写真パネル展示」を見てきました。
生前の海音寺さんの元気なお姿を写したたくさんの写真と共に、海音寺さんゆかりの方々の思い出話などがパネルで展示されており、海音寺ファンにとっては非常に楽しめる展示内容となっています。
さらにこの大口市立図書館には、「海音寺文庫」と呼ばれる、海音寺さんゆかりの品や著作物を展示している(もちろん借りることも出来ます^^)部屋がありまして、ここもいつ来ても海音寺文学にどっぷりと浸れる、居るだけで時間が経つのを忘れるような感覚を覚える場所です。

また、以前この掲示板でmasaさんに教えて頂きました、海音寺さんの『二本の銀杏』の主人公・上山源昌房のモデルとなった堀ノ内良眼坊の墓所も併せて見てきました。
大口市内には『二本の銀杏』ゆかりの場所が数多く点在しています。
『二本の銀杏』のタイトルにも使われていますが、掘ノ内家の銀杏の木も現存していますので、大口を車で走っていると、小説の舞台さながらの雰囲気を味わうことが出来ます。

上山源昌房、つまり堀ノ内良眼坊が川内川の開削事業を行なったことは、海音寺さんの『二本の銀杏』の中で描かれています。
作品中にも書かれていますが、当時の川内川は現在の鹿児島県薩摩郡さつま町宮之城までしか舟運(しゅううん)が開けておらず、現在の大口市周辺の伊佐地方の農民達は、年貢米の運搬に関して、非常に困窮した生活を強いられていました。
そんな民の窮状を見かねた堀ノ内良眼坊は、曽木の滝下から宮之城までの舟運を開く川内川の開削工事を行なったわけです。
旅の最後に、東洋のナイヤガラと言われる大口の観光名所「曽木の滝」を見てきましたが、現在でもあの急流ですから、堀ノ内良眼坊ら農民達が河川工事を行なった頃は、現代の数十倍も流れが速かったのではないかと思われます。

大口は何度足を運んでも良いところですね。来年は海音寺さんの没後30年の年にあたるため、各種催し物が開かれる予定だそうです。
また、機会を見つけて行ってみたいと思います(^^)

※海音寺さんと史伝『西郷隆盛』のことについては、改めて書かせて頂きます。



53.Re: 大口を訪ねて
名前:きりたんぽ    日付:2006/12/7(木) 23:41
tsubuさん、皆さん今晩は。
秋田はずいぶん寒くなり、先日は積もる程も雪が降りました。
九州に住んでいた頃に大口市立図書館のお話を知っていたら・・・と、残念に思いました。
そうはいっても、何度か鹿児島を訪れたことはあるものの(もっとも、そのほとんどは鹿児島水族館や平川動物公園など子供連れでしたが)、九州も広くて私の住んでいた佐賀や大分からそう簡単には行けず、tsubuさんのページで初めて知った「かごしま近代文学館」にも、転勤までにはと思いながら忙しくて行けずじまいでした。
曽木の滝にも一度行ったことはあるのですが、海音寺氏が取り上げられる題材はやはり九州を含め西日本の方が多く、こちら東北の方はなかなか文学散歩といった、ゆかりの地を訪ねることが出来ないと残念に思っていました。
ただ、氏の作品を見直すと今私の住む秋田に関係する作品としてザッと探しただけでも『列藩騒動録』(秋田騒動、檜山騒動)、『哀婉一代女』、『明治太平記』があることに気付きました(我ながらずいぶん迂闊ですね)
『明治太平記』に取り上げられている尾去沢銅山は南部藩所有ということで、岩手県とばかり思っていたのですが、こちらに来て秋田県と知りました。(tsubuさんの「明治の汚職事件あれこれ」にはちゃんと秋田県鹿角(かずの)市と書かれています)
私も『列藩騒動録』の相馬大作(下斗米秀之進将真)が津軽越中守寧親を邀撃せんとした秋田白沢駅(秋田県大館市:列藩騒動録では矢立峠となっていますが、最近の研究では白沢駅付近らしいとのことです。因みに大館は忠犬ハチ公の故郷です)にも行って、相馬大作や彼の地を訪れた吉田松陰と同じ気分になれればと思っています。(積雪時期に私の運転技術では間違いなく行き着けないので、来年ですね)

読んだ作品に関係する土地を訪ねるのも勿論いいですが、自分の知っている地に関わる本を読むのもいいですね。モモタさんが以前書かれていたように、平将門ゆかりの地であるとか、自分の身近な土地が関係しているとずいぶん話に対する興味の持ち方が違うと思います。
またまた海音寺作品のCMですが、『日本名城伝』は、全国の城にまつわるお話なので、お住まいの近くであったり、観光などで訪れたことのある城の話であれば、興味もひとしおかと思います。お読みになることをお勧めします。
最後に、tsubuさん今後も海音寺氏の作品にゆかりの地に行かれたりされた場合には是非ご紹介ください。また、皆さんも海音寺作品ゆかりの地について、お住まいの近くであったり、行かれたりしたら、是非どんなところかお教えください。


54.Re: 大口を訪ねて
名前:masa    日付:2006/12/8(金) 12:9
tsubuさん、みなさんこんばんは。
墓所行かれたのですね。曽木の滝も行かれたとのこと。もう行かれたかもしれませんが、滝の上に道路=橋があり、それを渡り右に曲がって鶴田ダム方面に向かうと、明治時代に建設されたレンガつくりのモダンな
発電所が、川面に浮かび上がっているのが見えるところがあります。鶴田ダム建築のために、水没したのですが、毎年渇水期(夏場)になると水面上に姿を現します。私が少年時代までは、地元でも知る人が知る秘密?の場所だったのですが、景観がすばらしいのがばれて(笑)市が整地公園化してます。もしかしたら海音寺さんも見たことがないかもしれません。ロマンあふれる景観ですのでお立ち寄りの際ぜひどうぞ。


56.Re: 大口を訪ねて
名前:モモタ    日付:2006/12/12(火) 22:36
みなさん、こんばんわ。モモタです。この話題では少し出遅れました。

私は中学の卒業旅行で九州に行ったのですが、行程に鹿児島は含まれておらず、その後、一度も九州に行く機会がなく今日に至っています。行ってみたいと思いつつ、仕事も家庭も多忙なあまり、未だに果たせずにいます。あと数年は無理かなと諦めている次第です。。。

現在「海音寺潮五郎歿後30年記念行事」が海音寺潮五郎記念館主催で行われていますが(正確にはまだ30年にはなっていないのですが)、先日(平成18年7月)、大口市で海音寺潮五郎ゆかりの地をめぐる文学散歩が開催されたと記念館誌に記載されています。その中で堀ノ内良眼坊の家を訪ね、現在の当主で良眼坊の曾孫にあたる堀ノ内孝夫氏から作品との関わりなどの説明があったそうです。
また、この文学散歩の中では、作品中で憎まれ役として登場する福崎乗之助の墓にももうでたそうです。

私は記念館関係者のご厚意で、最近の記念館誌何冊かを入手できたのですが、ここには海音寺潮五郎さんに関する貴重な情報が掲載されています。これらを何とかWEB上で公開できないかと考えており、関係者と交渉しようと思っているところです。
『悪人列伝』は着々と再版されていますが、海音寺さんとその作品の一層の復権には、情報発信の充実も必要と考えていますので、ぜひとも実現したいと思います。
http://momota1192.at.webry.info/

51.西郷隆盛史伝の完成について 返信  引用 
名前:モモタ    日付:2006/12/5(火) 22:35
Kazさんから課題提起のあった長編史伝『西郷隆盛』の完成について、tsubuさんを差し置いて私が語る資格のある話ではありませんが、まずは口火を切らせていただきます。
海音寺潮五郎さんの『西郷隆盛』についてはいろいろな作品があり、これを整理すると長文になるため、私のBlogの方に書きました。まずはこちらで概要を把握してください。

 http://momota1192.at.webry.info/200612/article_2.html

さらにこの作品に関して、次のような逸話が伝わっています。
海音寺さんが司馬遼太郎さんの才能を非常に高く評価し、その将来に期待していたのは有名な話ですが、海音寺さんは、
「私は西郷の生涯を書き切れないので、続きは司馬くんに書いてもらおうと思っている」
と冗談めかしく話していたことがあるそうです。
その司馬さんが西南戦争を扱った『翔ぶが如く』の執筆を開始し、海音寺さんも楽しみにその連載を読んでいたそうなのですが、ある日、
「ぼくが天才と認める司馬くんでさえ西郷が描けていない。西郷のことはやはりぼくが書くしかない」
と再度決意し、結果的に絶版となった『西郷隆盛』の執筆に取り掛かったというのです。
(これは海音寺潮五郎記念館誌に記載されている話です)

当たり前ですが、海音寺潮五郎さんの解釈に適合する西郷隆盛を描くというのはそれだけ難しい話であり、司馬さんに対してさえ上記の評価ですから、他にどのような適任者がいるのか、私には分かりません。
ただ、西郷隆盛の生涯を最期まで書く場合、学習研究社版『西郷隆盛』に海音寺さんの解釈が非常に短くではありますが西南戦争まで含めたポイントごとに記述されていますので、元になる骨組が全くないわけではないという状況です。
これらの解釈をどのように肉付けしていくか、それが出来るのか否かというのが、この課題の論点になるでしょうか。
みなさんのご意見を伺いたいと思います。
http://momota1192.at.webry.info/



55.Re: 西郷隆盛史伝の完成について
名前:Kaz    日付:2006/12/12(火) 1:3
モモタさん、西郷隆盛に関する私の提案に触れて下さって有難うございました。tsubuさんのご意見も近日中に発表されるかも知れないと存じますが、非常に熱心な読者であるモモタさんが色々な資料を駆使して既に多くの「西郷隆盛」が残されていることを教えて下さり有難うございました。
私は僭越にも、11月の初めにこの掲示板に投稿させて頂き始めた全くの初心者ですが、海音寺文学を愛する皆様方のご投稿を拝見してこれから更に周辺知識を備えつつ、多くの作品を読ませて頂きたいと存じます。

海音寺文学を愛する事は文学自体への熱情と同類項であり、更には人類愛や真実な生き方の追究へとつながるのではないかと考えています。この掲示板を通してそのような素晴らしい思想の交流が続けて行かれると自分を含め多くの人々の励ましとなることでしょう。今後共宜しくお願いします。

49.海音寺潮五郎記念館主催の講演会に行きました 返信  引用 
名前:モモタ    日付:2006/12/3(日) 18:57
モモタです。
12/2(土)、海音寺潮五郎記念館の主催で、作家の半藤一利さんの講演会があり、それに参加してきました。これは海音寺さんの没後30年記念行事の一環なのだそうです。
半藤さんの講演は「歴史と人間 昭和史に即して」という題で、日露戦争がその後の日本に与えた影響、特に日本的リーダシップのあり方への悪影響を扱った内容でした。

日露戦争当時の陸海軍のリーダ(大山巌、東郷平八郎)の像は
「泰然自若として上に立ち、実務は部下たちを信頼して一切を任せる」
というものですが、これは実際の本人像とは違ったゆがめられたものなのです。これがゆがんだまま英雄像として世間に宣伝され、それが日本人の中で「リーダとはこうあるべし」という理想像になってしまったことが、昭和初期の大失敗の一因になっているという話でした。

最後にまとめとして半藤さんが「リーダとはこうあるべきだ」という説明をされましたが、それによると、リーダは、
・自分で決断せよ
・明確な目標を部下に与えよ
・権威を明らかにせよ
 →指示の出るところ、報告をあげるところを明示するという話
・情報を自分の耳で確実に聞け
・無判断で過去と同じ行動を繰り返すな
 →成功体験への埋没を避けるという話
・部下に最大限の任務遂行を求めよ
ということでした。
非常に参考になる内容でした。

ちなみに、半藤さんは生前の海音寺さんには1度しか会ったことがないとのことでした。
http://momota1192.at.webry.info/

45.12月1日は海音寺潮五郎さんの命日です 返信  引用 
名前:tsubu    日付:2006/11/29(水) 20:45
今週金曜日の12月1日は、海音寺潮五郎さんの29回目の命日にあたります。
今年も海音寺さんの故郷である大口市で「海潮忌」(海音寺さんの命日を偲ぶ会)が開催される予定ですが、それに伴いまして海音寺さんに関する写真パネルが大口市立図書館で昨日から展示されています。
大口市立図書館に問い合わせましたところ、写真展示期間は1週間程度を目途としているということですので、是非見に行かれる際には大口市立図書館へ問い合わせをされてから、足を運んで頂きたいと思っております。
私も都合がつけば行く予定をしていますので、またこちらに報告させて頂きますね。



46.Re: 12月1日は海音寺潮五郎さんの命日です
名前:モモタ    日付:2006/11/30(木) 8:14
こんにちは。
私が海音寺潮五郎さんのことを知ったのは、氏が亡くなられて相当な期間が経過した後なのですが、それでも海音寺さんが多くの作品を未完のまま急逝されたことは残念でしかたありません。

最近『西郷と大久保と久光』が手に入ったのですが、その中で海音寺さんは、
「私は史伝文学を書きはじめてから、今日まで大体七十余人の伝記を書いています。調べるだけは調べてまだ書かないのも入れますと、八十人以上の人物の生涯の大体知っているつもりです」
と書かれています。

この約10人の人物伝は執筆されることなく、それら人物に対する海音寺さん独特の解釈なども永久に失われてしまったのですから、かれこれ含めてともかく残念でなりません。

ところで、この掲示板が開設されてから段々と実感がわいてきましたが、海音寺潮五郎さんにはまだまだ根強いファンがたくさんいるようですね。現在出版されている海音寺さんの作品は必ずしも多いとは言えない状況ですが、こいうったファンの方々がいる限り、作品は長く生き続けていきますよね。
http://momota1192.at.webry.info/


47.Re: 12月1日は海音寺潮五郎さんの命日です
名前:きりたんぽ    日付:2006/12/1(金) 23:37
tsubuさん、みなさん今晩は。
今日12月1日は海音寺潮五郎さんが亡くなられて29回目の命日にあたるのですね。
当時は海音寺潮五郎氏の本を読み出した頃で、「平将門」や「武将列伝」といった一部の作品を読んでいただけでしたが、新聞の訃報(確か社会面の半分以上の大きさの記事だったと思います)を見て、とても残念に思ったことを覚えています。
読書が好きになって本をよく読み出した最初の頃に海音寺氏の作品に触れたため、私自身海音寺氏の歴史の見方や歴史上の人物に対する評価や好悪にずいぶん影響されてしまって、その後他の作家や歴史学者の本を読むたび、「それは違うんとちゃうの」と思うことしきりとなってしまいました。
読んだ本に影響されやすいと言ってしまえばそれだけなのですが、当時よく読んでいた他の作家からは次第に離れていって読み返そうとの思いが湧かないのに、海音寺氏の作品だけはずっと愛し続けています。
モモタさんのおっしゃる通り、海音寺潮五郎ファンはたくさんいらっしゃると思います。それも、ずっとファンであり続けている人達がたくさんおられると思います。
まだ海音寺氏の作品をお読みになっておられない方にも、是非作品を読んでファンになって頂きたいですね。海音寺文学を通して歴史のおもしろさにふれていただきたいと思います。


48.Re: 12月1日は海音寺潮五郎さんの命日です
名前:Kaz    日付:2006/12/2(土) 20:45
昨日が海音寺潮五郎氏のご命日だったのですね。教えて頂いて有難うございました。皆さんが海音寺氏の作品を愛読して、その喜びを共有しておられるご様子を拝見して心が温かくなるのを感じます。

先程モモタさんのブログを覗かせて貰いましたが、「海音寺文学を図書館から廃棄しないで」と直訴や突撃を繰り返されているというその熱血ぶりに感動しました。天国の海音寺氏もそんなファンがいてくれることをとても喜んでおられることでしょう。氏は70代後半で亡くなられたのでしたか?「西郷隆盛」を執筆途中であられたとは残念ですね。それは全体の何割位まで終わっていたのでしょうか?その遺稿はどのように保存されているのでしょうか?

私はモーツァルトのミサ曲レクイエムが未完の状態で遺され、残りをジェズマイアーという弟子が補筆し完成させたという話を思い出し、「西郷隆盛」もそれが出来ないのだろうかと考えています。つまり、海音寺氏のご遺族や関係者の方々が協議されて、どなたか最も相応しい引き受け手を指名し、西郷隆盛を立派に完成させて貰うのです。もし誰もする人がいなければ、この掲示板のtsubuさんやモモタさんといったような熱心なる読者の方々に海音寺氏になり切って筆を執って貰うのです。そうすれば海音寺氏が命を削って書き遺して下さった最後の作品が日の目を見る事が出来ますよね。

多くの読者がそれを待ち望んでいるのではないでしょうか。そしてこの企画は「売れる」のではないでしょうか。多くの出版社が先を争って名乗りを挙げるのではないかと考えますが如何ですか。是非このことを、この掲示板で話題にして頂ければと存じます。


50.Re: 12月1日は海音寺潮五郎さんの命日です
名前:モモタ    日付:2006/12/3(日) 22:54
モモタです。こんばんわ。

複数の話題が絡んでいますので、一部だけ返答します。
(その他は別のスレッドに書くつもりです)

海音寺潮五郎さんがなくなられたのは昭和52年、享年76歳でした。海音寺潮五郎さんについては公式サイトが存在せず、それを作ることができるのは親族中心で運営している「財団法人 海音寺潮五郎記念館」しかないと思い、関係者の方に働きかけを行っているところです。
が、聞くところによると、記念館は高齢の方々が多く、ネットに対する理解が深まらないようで、すぐ公式サイト開設とは行かないようです。

そのため、せめてWikipediaを活用できないかと思い、ここの記述を充実させると共に、中身の信頼度を高めるために記念館関係者の協力を得ようとしています。(今のWikipediaの内容は私が書き込んだものが多くあります)
その手始めと言っては何ですが、Wikipediaに「海音寺潮五郎」という名前の由来に関する記述があるのですが、その真偽を確認したところ、

 ・本人からはっきりとした由来を聞いたことはない。(これは海音寺さんの娘さんの言)
 ・夢で思い付いたということを話していたことはある
 ・一番の目的は、教師の副業としての執筆がバレない名前であることだった

とのことでした。なので、今のWikipediaの記述で大きくは外れていないと思います。この部分を誰が書かれたのか知らないのですが。

ちなみに<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%9F%B3%E5%AF%BA%E6%BD%AE%E4%BA%94%E9%83%8E" target="_blank">Wikipediaの「海音寺潮五郎」はこちら</a>です。
http://momota1192.at.webry.info/

40.「中国妖艶伝」を読みました。 返信  引用 
名前:Kaz    日付:2006/11/23(木) 22:29
tsubuさん、こんにちは。いつも丁寧なお返事を頂きましてとても嬉しいです。先日「中国妖艶伝」を読み終えました。細かい内容については触れませんが、この文庫本は数編の中編小説が一冊に綴られていて、それぞれが中国の歴史物語となっており、大抵は才能に恵まれた主人公と相手の美しい女性が登場し、当時の権力者や戦争などによって様々な影響を受けながら、ある時はめでたく結ばれ、ある時はその愛が変遷して初めと全く違ったものとなるというストーリーが展開する非常に興味深い内容でした。
私はこれらの海音寺作品を読み終えて、海音寺氏の中国の歴史と地理に対する並々ならぬ造詣の深さに圧倒され、更に群雄割拠する多くの中国大陸にあった国々の栄枯盛衰を通して人間の運命の脆弱さやはかなさが見事に表現されている事に感動を覚えました。
人間として生きる時に起こって来る様々な欲望、特に性欲と立身出世欲をどのように処することが私たちに求められているのかを考えなければなりません。若い時の強い欲情を抑え、自分の使命を自覚しながらより高度なものへとそのエネルギーを昇華させて行くことが私達に求められているのかもしれません。
海音寺文学には、私たちが自分一人の人生の歩みだけでは経験することの出来ない貴重な教訓がちりばめられているように思われます。著者の深い思索と読者への細やかな愛情に触れさせて頂いた貴重なひとときを感謝します。



44.Re: 「中国妖艶伝」を読みました。
名前:tsubu    日付:2006/11/28(火) 23:22
Kazさん、こんにちは!

『中国妖艶伝』を読み終わられたのですね(^^)
いつもながらとても素晴らしい書評を書き込んで頂きまして、ほんとうにありがとうございます。

Kazさんもご存知であるかとは思いますが、海音寺潮五郎さんは大長編史伝『西郷隆盛』を執筆中にお亡くなりになりました。
そのため非常に残念なことながら『西郷隆盛』が絶筆となってしまったわけですが、生前に海音寺さんが受けられたインタビュー(『伝統と現代』1977年8月臨時増刊号所載)の中で、西郷伝の完成後は中国の歴史を手がけたいと言っておられますね。
漢の武帝から始めて三国志に至るまでのものを書きたいとおっしゃられています。

きりたんぽさんのレスの中でも書かせて頂きましたが、海音寺さんは司馬遷の「史記列伝」を非常に買っておられました。
司馬遷は歴史を文学にし、そしてその中にはKazさんもお書きになられていましたが、今を生きる教訓と言いますか、人生訓がたくさん散りばめられています。ある人物の一生を書くことによって、その当時の歴史を語り、そしてその中から今を生きていくための教訓を得る。
歴史を過去のことだから興味がないという若い人達がいますが、それはとんでもない誤りで、歴史の中にこそ今を生きるためのたくさんの指針や教訓が込められていると私は感じてなりません。
それを一つの素晴らしい文学として仕上げた司馬遷を海音寺さんは買っておられたのだろうと思います。そして、海音寺さん自身もその著作の中にたくさんの教訓を書き連ねられていると私はそう感じるのです。

海音寺文学を読んでいると、面白いのは元より、ものすご〜く勉強になりますよね(^^)
昭和に入ってから衰退した史伝文学を復興した海音寺さんの業績は、誰も異論を挟む余地がないと思いますが、また、歴史を知らない方々にも気軽に分かりやすく読める、そして面白く勉強になる歴史の本を書き上げた海音寺さんの功績は歴史文学界に名を留める偉業であったと私は感じています。


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