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海音寺潮五郎掲示板
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70.「天と地と」を読みました。 返信  引用 
名前:Kaz    日付:2006/12/29(金) 21:58
tsubuさん、皆様こんばんは。忙しい仕事から解放されたので、19日に図書館に行って「天と地と」を全5冊借りて来て、昨晩読了しました。
読み終えた後感動が寄せ来る潮のように心を浸し、素晴らしいものに触れる事の出来た喜びに胸が打ち震えるのを実感しました。先ず面白かったという月並みな言葉から始めなければなりません。決して読書のスピードが速くはない私に、約10日間でこの長編を読み切らせたものは、偏に海音寺氏の筆の力と広大な知識であったと申せましょう。

海音寺氏のしっかりとしたストーリーの組み立てとその卓越した描写力によって物語は息もつかせぬ程の興味をそそらせながら、小気味よく展開するかと思えば、またある時はじっくりと人生について、人の重みについて物思わせてくれるのです。物語の筆を休めて、作者は自論を披露してくれる時が散見されます。今回そのことの中に私の人生を振り返って大きく肯かせられることがいくつかありました。

その中の一つをお話したいと存じます。第二巻の116ページに「人生は賢人にとっては常に喜劇であり、凡人にとっては常に悲劇である。」という言葉が配されていて、「なるほど!」と思わされました。私は賢人か凡人かと自問自答したとき、悲劇が少なからずあったと認めることによって凡人だったのだと悟ることが出来たのです。そして賢人になることによって、私は人生の悲しみを減らし、喜びを大きくすることが出来るのかもしれないという希望が与えられたのです。例えばそれは対人関係の中に生かされると思います。「このことを話したら妻はどのような反応をするだろうか?」と考えて不機嫌になることを予測する事が出来れば、その話題を避けることによってその日の夫婦喧嘩を回避することが出来ます。自分の提案に対してあの上司は決して良い顔はしないのではないかと予見出来れば、どのようなアプローチが適切かを考えて目的をよりよく達成することが出来るでしょう。賢くなる努力をすることによって人生は明るいものとなり得るという事を私は今回学ばせて頂けたのです。

また毎回海音寺氏の作品を拝読して感嘆させられるのはその日本語力、つまり語彙の豊富さです。知らない言葉がどんどん飛び出して来ます。その度に辞書を引きます。それは恰も外国語の書物を読んでいるかのように錯覚するほどの高度な日本語の描写なのです。こんな言葉があったのか、何て難しい漢字なんだろう、この言葉は辞書にも載ってないぞ、等と思いながら読み進んで行く時、何とも言えない程美しい日本語に遭遇したのです。

それは第五巻の231ページに光り輝いて私を待っていてくれました。乃美(なみ)という上杉謙信の十数年来思いを寄せる美しい一つ年上の女性、彼女もやはり彼を恋い慕って三十路を過ぎても縁付かないのですが、その乃美を病魔が襲うのです。謙信は戦の前日彼女を見舞います。そして初めて告白するのです。乃美は病床で喜びの余り打ち震えて泣きます。そして謙信の腕を握って熱烈な口付けを交わすのです。謙信は翌日の戦の備えと乃美の病状を気遣ってそれ以上深入りはしません。戦が終わり、病が癒えたら夫婦になろうと約束します。謙信は乃美の住むお城の客人となっているので、少し離れた客間で床に就きます。しばらくして夢にうなされた謙信は目を覚まします。すると部屋の中に乃美が座っているのに驚くのです。「どうした、冷気は毒だぞ。」という謙信に乃美は恥じらいを精一杯こらえながつぶやきます。「さきほどは有難いおことば嬉しうございました。・・・が、それではあまりはかないと、欲が出てきたのでございます。恥ずかしさを忘れて参りました。−−−
お添い臥しがしたいのでございます!」命の短いことを悟った乃美の熱愛の衝動でした。「お添(そ)い臥(ぶ)しがしたいのでございます」何という品格のある美しい表現なのだろうと私の心は揺れ動きました。まるで私の部屋に乃美が訪れてそう語ってくれたかのような衝撃でした。謙信は激しく動揺しましたが、戦から帰ったら毎日会いに来る事を約束して羞恥に打ち震える彼女をなだめ廊下まで優しく送るのです。何と美しい純愛なのだろう。この二人が結ばれますように、という祈りも空しく乃美は大喀血をして不帰の人となります。ああ悲しい結末、でも何と清純なのでしょう。私は乃美のファンになりました。しばらくは私の頭から乃美という美しい女性の影が消えないことでしょう。

高潔で深遠な日本人の美意識と日本語の力とに触れる事が出来た貴重な体験でした。海音寺潮五郎さん、有難うございました。



196.Re: 「天と地と」を読みました。
名前:感想    日付:2010/10/28(木) 3:12
「天と地と」を読んだ事はないのですが、こちらの感想文を読んで感動しました。

64.「敬天愛人 西郷隆盛」 返信  引用 
名前:哲舟    日付:2006/12/18(月) 17:1
はじめまして。哲舟と申します。
「吉之助の部屋」ではしばしばお世話になっているのですが、海音寺潮五郎掲示板に投稿するのは初めてです。学研M文庫「敬天愛人 西郷隆盛」と随筆少々しか読んだことのない海音寺文学初級者ですが、宜しくお願いいたします。
 さて、西郷隆盛の史伝について質問があるのですが、上記著作(学研版)が海音寺潮五郎が何度も加筆したという西郷隆盛の史伝の最終版になるのでしょうか。誰かご存知でしたらお教え下さい。宜しくお願いいたします。



65.Re: 「敬天愛人 西郷隆盛」
名前:モモタ    日付:2006/12/19(火) 22:28
モモタです。横から失礼します。

海音寺さんの絶筆となった「西郷隆盛」は朝日新聞社版の方で、文庫では全14冊のボリュームがあります。学研版はこのダイジェスト版と表現されている内容ですので、厳密には別の作品です。
私も朝日新聞社版を未だ読んだことがなくて書いてますが、たぶんあっていると思います。

なんとか、全14巻の方も簡単に入手できる状態に復活して欲しいものですね。
http://momota1192.at.webry.info/


67.Re: 「敬天愛人 西郷隆盛」
名前:哲舟    日付:2006/12/20(水) 0:11
 モモタさん、はじめまして。
 ご教示いただきまして有難うございます。
 そうですか、学研版はダイジェスト版なのですか。
 実は私この七月に西郷さんの史伝を上梓したのですが、海音寺さんの学研版をベースにして書いたのです。
 学研版は上野戦争で終わっていますし、以後については要点ごとの談話が掲載されていますので、これがそうだと思っていたのですが、執筆の過程で鹿児島を訪問した際、甲突川の近くの古本屋(入店すると荷物を全部預けないといけない本屋でした)で朝日新聞社版を見つけ、読んでみると少し違うなと思った記憶があります。慶応三年五月の雄藩連合の記述が、学研版より詳しかったからです。その際これを手に入れて読み直したいと思ったのですが、なかなか古書店で見つからなかったので諦めました。
 結局執筆には、海音寺さんもそれをベースにしたと思われる徳富蘇峰の『近世日本国民史』を使っています。でもいずれまとめて手に入れて読みたいとは思っていました。本当に容易に手に入るようになってもらいたいものです。
有難うございました。


68.Re: 「敬天愛人 西郷隆盛」
名前:tsubu    日付:2006/12/27(水) 13:0
哲舟さん、こんにちは!

少し体調を崩していたものですから、レスが遅れてしまいまして申し訳ありません。
お尋ねの件ですが、モモタさんが代わりにお答え下さったように、学研版の『西郷隆盛』はあくまでもダイジェスト版であって、読み比べて頂くと、大幅に端折られていることが分かります。
私が下の方の書き込みで説明しました通り、海音寺さんの遺作であり代表作と呼ばれる『西郷隆盛』は、昭和36年から朝日新聞に連載を開始したものが基礎となり、その後、海音寺さんが書かれた史伝(『江戸開城』等)をドッキングさせ、さらに書き下ろしとして新しく書かれた原稿を併せて、一冊の史伝にまとめたものを言います。
哲舟さんはまだお読みになられていないということですので、是非ご一読をお薦めいたします。
古書店等のサイトで「朝日新聞社全9巻」か「朝日新聞社全14巻(文庫)」と表記されているものが、海音寺さんの最終的な『西郷隆盛』です。


モモタさん、こんにちは!

私の代わりに正確なレスを付けて頂きましてありがとうございました!


71.Re: 「敬天愛人 西郷隆盛」
名前:哲舟    日付:2006/12/30(土) 18:34
 tsubuさん、こんばんは。
 海音寺氏の遺作『西郷隆盛』については迂闊でした。是非入手して読んでみたいと思います。読めば南洲伝の上巻については修正しないといけないところが出てくるかもしれませんね。楽しみです。
 ご教示有難うございました。


76.Re: 「敬天愛人 西郷隆盛」
名前:信楽    日付:2007/3/23(金) 11:59
遅くなりましたがはじめまして。

>実は私この七月に西郷さんの史伝を上梓したのですが

なにとぞ詳細をお教えください。


77.Re: 「敬天愛人 西郷隆盛」
名前:哲舟    日付:2007/3/30(金) 12:53
 信楽さん、はじめまして。
 早速、拙著についてですが、昨年八月、鹿児島の高城書房より、『(新)西郷南洲伝(上)』(稲垣秀哉)として出版いたしました。上巻で扱っているのは、王政復古の大号令までで、下巻については九月二十四日の西郷さんの命日までに出版したいと思い、現在執筆中です。
 西郷さんの謎とされる行動のすべてを解明し、これまでの西郷観を覆す意気込みで書いていますが、周囲の反応を見る限りでは、難し過ぎるとのことで、なかなか読み通せない方が多いようです。文学的センスがないのでしょう。
 まあこれを叩き台に分かりやすく書いてくれる人が現れて、西郷さんに対する一般の誤解が解け、日本人にとってのその重大性が認識してもらえれば構わないのですが。
 鹿児島県外では、大型書店ぐらいでしか、購入できませんが、アマゾン等のインターネット書店で簡単に購入することができます。なお出版の趣旨等につきましては、ブログ『西郷隆盛』を開設しておりますので、もしご興味がおありでしたら、こちらのほうを覗いてみてください。ではでは。

(http://saigou.at.webry.info/)
 


78.補足
名前:哲舟    日付:2007/3/31(土) 13:40
 こんにちは。
 前回誤解を招きそうな表現があったので、補足しておきます。
『文学的センスがないのでしょう』と言ったのは、自分にということで、だから読者を引き込ませて、読み通させることができないということを言いたかったのです。念のため補足しておきます。
 実証性を重視すると、どうしても理屈っぽくなり、敬遠されてしまうのかもしれませんね。頭の痛いところです。
 
 


116.『西郷隆盛』全9巻、復刊!
名前:朝日新聞社書籍編集部の長田と申します    日付:2007/11/1(木) 13:28
初めまして。お邪魔させていただきます。
私、朝日新聞社書籍編集部の長田と申します。
出版社の宣伝PRですが、よろしいでしょうか?

海音寺潮五郎先生の大長編史伝『西郷隆盛』【新装版】(全9巻)が
11月7日より、弊社にて発売されます。
ttp://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68309379

海音寺先生の絶筆となった作品で、
かつて弊社より単行本・全9巻、
文庫版・全14巻で刊行しておりましたが、
ここ20年ほどは品切れ状態となっておりました。
海音寺先生の没後30年の節目の年でもあり、
事実上入手不可であった日本史伝文学の傑作を
読者の皆さまに是非ともお届けいたしたく、
単行本の【新装版】という体裁で刊行の運びとなりました。

11月7日には第1〜2巻、
その後、毎月2巻ずつ刊行予定で、
2008年3月に最終巻の第9巻を発売予定です。
何とぞよろしくお願い申し上げます。

61.レスが大変遅れてしまいましてごめんなさい! 返信  引用 
名前:tsubu    日付:2006/12/15(金) 22:40
きりたんぽさん、こんにちは!

きりたんぽさんは秋田にお住まいで、そしてハンドルネームが秋田名物になっているわけなんですね〜。
ようやく理解いたしました(^^)

私も秋田には一度旅した事があるのですが、その時は角館に立ち寄っただけで不完全燃焼でしたので、是非もう一度行ってみたいなと思っています。
出来れば「竿燈祭り」の頃がいいですね〜。(人は多いでしょうが^^;)
そうそう、実は横手市に一度行ってみたいと前から思っています。
横手は戊辰戦争関係の史跡も多いですし、また後三年の役の金沢資料館もありますし、そしてグルメ面では「焼きそば」も有名ですよね〜(^^)
歴史と焼きそば好きの私にとっては(笑)、是非行ってみたい場所の一つです。

少し話が横道にそれましたが、きりたんぽさんも佐賀や大分にお住まいになられていたのですね。
私も大阪から仕事の関係で宮崎に転勤したのは昨年4月のことで、今は割と鹿児島に近いものですから、事ある毎には出かけていますが、大分や佐賀から鹿児島に行くにはかなり大変だろうと思います。
特に九州の東半分(宮崎、大分等)は高速道路もちゃんと整備されていませんから、なかなか難しいですよね……。
海音寺文学に限らず、歴史小説などの舞台となった場所を訪れるのは、私も旅の一つの楽しみにしています(^^)
現場主義と言うのでしょうか、その場所に立ってみて初めて分かる・感じることって、非常に大きいような気がします。
ですので、出来る限り現場に行ってみようと思っているのですが、きりたんぽさんが東北から九州に行きにくいと書いてらっしゃいましたが、逆に九州から東北に行くのもなかなか困難なんですよね。
大阪に住んでいた頃は、どこに行くのも便利でしたが、宮崎に来てからはなかなか難しいのが現状です……。

これからも海音寺文学にゆかりのある場所を訪れた際にはレポートを書きますので、これからもどうぞよろしくお願いします!
そうそう、中犬ハチ公の故郷は、秋田の大館だったのですね!
ちなみに渋谷にある中犬ハチ公の作者は鹿児島出身の彫刻家・安藤照であり、安藤は鹿児島の西郷像の作者でもありますね(^^)


masaさん、こんにちは!

先日は良眼坊の墓所につきまして、貴重な情報をありがとうございました!
実は曽木の滝にある良眼坊の顕彰碑も見てきたかったのですが、場所がイマイチよく分からず、またもや次回に持ち越しとなってしまいました(^^;
と、言いながら、海音寺さんの故郷である大口に行く用事を無くしたくないという気持ちもあったりします(笑)。
鶴田ダムの発電所については話には聞いていたのですが、これもまだ未見です。
是非また大口を訪ねてみたいと思います。
情報ほんとうにありがとうございました!



62.レスが大変遅れてしまいましてごめんなさい!
名前:tsubu    日付:2006/12/15(金) 22:40
モモタさん、こんにちは!

いつも貴重なご意見とご指摘を書き込んで頂きまして、ほんとうにありがとうございます!
ちょっと中途半端になってしまいましたが、海音寺さんが手がけられた『西郷隆盛』の未完の部分(つまり明治以後)については、私もその昔海音寺さんの明治以後の西郷解釈に飢えていた時期がありまして、海音寺さんが雑誌等で発言された明治以後の西郷の記事などを図書館で探しては集めて読んでいた時期があります。
そのことについては、また改めて書かせて頂きますね。

また、記念館誌につきましては、私も記念館の関係者の方のご厚意でこの前拝見させて頂いたのですが、非常に面白く読ませて頂きました。
海音寺潮五郎の名前が永久に朽ちることなく、次世代の人々にも永遠に受け継がれていくことを祈ると共に、私も微力ながらそのことに力を込めていきたいと思っています。
今後ともどうぞよろしくお願いします!


Kazさん、こんにちは!

海音寺さんが精魂込めて書き上げられた『西郷隆盛』は、私が西郷という人物に興味を持つ大きなきっかけとなり、そして薩摩藩幕末史との出会いを作ってもらった、ほんとうに貴重な座右の書というべきものです。
昨日少し書かせて頂きましたが、海音寺さんの『西郷隆盛』は、西郷隆盛の一つの伝記というだけに留まらず、幕末維新史の決定版とも言うべき史伝に仕上がっています。
これは海音寺さん自身が『西郷隆盛』の「あとがき」でお書きになられている通り、西郷隆盛の伝記であり、幕末維新史を兼ねるものであるということをもってしても明らかです。

この『西郷隆盛』には主役であるはずの西郷自身が、ずっーと話の中に登場せずに物語が進んでいく部分が多く存在しています。
これは西郷自身を理解するためには、当時の幕末の政治状況を理解する必要があるためであって、海音寺さんは西郷が登場しない時期も、全く手を抜くことなく、当時の江戸や京の政治状況をつぶさに描かれておられます。
私は、この海音寺さんの歴史に向かう姿勢をすごく尊敬し、そしていつも憧れをもって感じずにはいられません。

海音寺さんのことを書くと止まらなくなりますのでこの辺で終わりますが(笑)、私自身これからも海音寺文学を愛読して、そしてその中の素晴らしい歴史の世界に誘われ、勉強していきたいと思っていますので、これからもお付き合いの程、どうぞよろしくお願いします!


63.Re: レスが大変遅れてしまいましてごめんなさい!
名前:Kaz    日付:2006/12/15(金) 23:29
tsubuさん、皆さん、こんばんは。師走も半ばを迎え、皆様ご多忙のことでしょう。私も仕事が忙しいので、まだ海音寺氏の次の作品に手をつけられない状況ですが、年末年始には是非一冊拝読したいと存じます。

西郷隆盛については更に詳しい情報を教えて下さって有難うございました。tsubuさんは10回も読まれたとお聞きして、その熱烈さに圧倒されました。そのように心を傾けるものを持っておられるのは素晴らしいことですね。tsubuさんのその熱情を決して冷ますことの無い深い魅力を海音寺文学は豊かに湛えているのですね。

私も九州育ちです。今は東京で働いていますが、野球はホークスを応援しています。海音寺氏が九州男児であられたことは何か私にもその文才が伝播して来るという不思議を期待していいのかなあと思ったりしています。(笑)

この掲示板に登場される皆様の深い教養と高い知性に触れることも少なからず自分を高める為の影響力になると思います。今後とも宜しくお願いします。


66.Re: レスが大変遅れてしまいましてごめんなさい!
名前:モモタ    日付:2006/12/19(火) 22:33
こんばんは。

tsubuさんの「西郷隆盛」についての気合いに入った解説、興味深く拝見しました。10回も読み返しているとは素晴らしいです。思い入れのほどが伺えます。
私は未だ朝日新聞社版の「西郷隆盛」を読んでいないのですが、何とか早く一読して、他の作品との差など把握したいと思います。

ところで今度、海音寺さんの『伊達政宗』も復活するようですね。私も聞いたばかりですが、作品がどんどん再版されるのは喜ばしいことです。
http://momota1192.at.webry.info/


69.Re: レスが大変遅れてしまいましてごめんなさい!
名前:tsubu    日付:2006/12/27(水) 13:1
Kazさん、モモタさん、こんにちは!

少し体調を崩していたものですから、レスが遅れてしまいまして申し訳ありません。
『西郷隆盛』のことですが、私は元々歴史が好きで、戦国時代や幕末関係の小説やら本を読むのを好んでいたのですが、海音寺さんの『西郷隆盛』に出会って、幕末薩摩藩史への誘いの扉が開いたと言っても過言ではないくらいです。
それまでは西郷隆盛と聞くと、巷で言われる「慶応の功臣、明治の賊臣」ではないですが、幕末時には縦横無尽に活躍した西郷が、明治に入って後はいわゆる「征韓論」を唱えたりして、「西郷は明治に入ってから何でおかしくなっちゃったのかな?」なんて漠然とした疑問だけを持っており、さしたる興味も沸いていなかったのですが、海音寺さんの『西郷隆盛』を読んでからは、一気に今まで深い霧の中に隠れて見えなかった西郷像が鮮明に浮かび上がってきたのです。
それが今日まで西郷を調べたり、勉強したりする大きなきっかけとなっています。

『西郷隆盛』に限らず、海音寺さんの作品は非常に詩情豊かなものが多く、読む者を作品の中に誘っていく魅力は非常に強烈なものがありますよね。
今後、たくさんの海音寺文学が復刊され、世に広まっていくことを切に願うばかりですし、そのために微力を尽くしたいと思っています。
来年もどうぞよろしくお願いします。

57.海音寺潮五郎と史伝『西郷隆盛』のこと@ 返信  引用 
名前:tsubu    日付:2006/12/14(木) 23:5
モモタさんが史伝『西郷隆盛』についてお書きになられていますが、私からも海音寺潮五郎と史伝『西郷隆盛』のことについて少し書かせて頂きます。

海音寺さんが「西郷隆盛」という人物の伝記を完成させることをライフワークとされていたことは非常に有名な話です。
昭和52年11月19日、長野県の那須の山荘で倒れられた海音寺さんの書斎の机の上には、書きかけの『西郷隆盛』の原稿があったそうですから、いかに海音寺さんがその死の直前まで、西郷のことを考え、そしてその伝記の完成に力を注がれていたのかが、よく分かるのではないかと思います。

なぜ海音寺さんがそこまで西郷に心底惚れ込み、情熱を傾けるようになったのかについては、海音寺さん自身が生前語っておられた


「西南戦争の話はぼくの『イリヤッド』であり、西郷の話は『オデッセイ』であった」
(文春文庫『史談切り捨て御免』所載「西郷隆盛とぼく」より)


という言葉そのものに尽きるのではないかと思います。
つまり、薩摩、現代の鹿児島県に生まれ育った海音寺さんにとって、もっとも尊敬し、そして身近にあった存在が西郷隆盛という人物そのものであり、そして幼少の頃から慣れ親しんで聞いた話が西南戦争のことであったわけです。

海音寺さんが少年時分の頃には、村には西南戦争の生き残りの人々が数多くいたそうで、海音寺さんはその人々から聞かされる西郷隆盛や西南戦争の話を、まるで少年が童話やおとぎ話を聞くような感覚で聞き育たれました。
現代でこそ鹿児島でも西郷隆盛を尊敬する人々が減りつつあると言われていますが、海音寺さんが生まれた明治という時代では、鹿児島人が西郷を敬愛することは、ある意味普通のことであったと言えるでしょう。
このように少年時代から西郷隆盛や西南戦争の話を聞き育った海音寺さんにとっては、西郷隆盛という存在と西南戦争など関連するテーマが、終生のライフワークになったことは極自然のことであったと私は思います。



58.海音寺潮五郎と史伝『西郷隆盛』のことA
名前:tsubu    日付:2006/12/14(木) 23:6
昭和4年に『うたかた草紙』が「サンデー毎日」に掲載され、本格的に作家デビューを果たした海音寺さんは、その長い作家人生の中で数多くの薩摩藩、西郷隆盛、西南戦争に関連する話を執筆されています。
その中でも「西郷隆盛」という人物に対して真正面から向き合い、そして真の西郷像を描き出そうとして執筆されたものが、昭和36年10月22日から朝日新聞に連載した『西郷隆盛』でした。

昭和51年3月に刊行が開始された大長編史伝『西郷隆盛』(朝日新聞社刊)の第一巻の「あとがき」の中で、海音寺さんは西郷を書こうと思い立ったきっかけについて、次のように書いておられます。


「どうしても、西郷伝を書かなければならない。おれが書いておかなければ、西郷はこの妄説の中に埋もれてしまい、ついにはこれが定説となってしまう」
(『西郷隆盛』(朝日新聞社刊)第一巻「あとがき」より抜粋)


海音寺さんは、後世に作り上げられた西郷像、特に太平洋戦争後に急落した西郷評価に対し、常に疑問と不満を持ち続け、今、真の西郷像を書いておかなければ、西郷の虚像が一人歩きし、それが最終的な西郷評価に繋がってしまうという焦燥感を常に胸中に持っておられていたのだと思います。
自らがきちんと書き残しておかなければ、現代の誤った西郷評価が定説となってしまうことを海音寺さん自身が誰よりも恐れ、そして危惧されていたのです。

昭和36年10月22日から38年3月20日までの間、海音寺さんはその自らの念願を果たすかのように、約500回に渡って朝日新聞夕刊に「西郷隆盛」を連載しました。
この朝日新聞連載版が、海音寺さんの最初の本格的な西郷隆盛の史伝であったと思います。
しかしながら、この朝日新聞での500回の連載の紙幅では、西郷の全生涯を書き切ることは出来ませんでした。
文久2(1862)年4月11日、島津久光の逆鱗に触れた西郷が京都から薩摩に送還されるまでしか描くことは出来なかったのです。

いわゆる海音寺さんの代表作と言われる大長編史伝『西郷隆盛』は、この朝日新聞連載のものが最初であり、そしてその後の基礎となっていくのです。
(※その他にも「オール読物」で連載した『西郷隆盛』(これは後に『武将列伝』(文春文庫)に収められたもの)、雑誌「世界」に連載した『史伝西郷隆盛』等がありますが、海音寺さんの代表作と言われる『西郷隆盛』の基礎となっているのは、朝日新聞連載版であると考えられます)


59.海音寺潮五郎と史伝『西郷隆盛』のことB
名前:tsubu    日付:2006/12/14(木) 23:7
昭和36年〜38年にかけて朝日新聞夕刊に『西郷隆盛』を連載後、その翌年の昭和39年に朝日新聞社から単行本として出版されることになりました。
その単行本出版に際して、海音寺さんは朝日新聞連載版の「西郷隆盛」を大きく書き直して本にしておられます。
その理由について、海音寺さんは大長編史伝『西郷隆盛』(朝日新聞社刊)第一巻の「あとがき」の中で、次のように書いておられます。


「作家は小説でも、年が立てば書き直したくなるものですが、史伝はとくにそうです。史伝は一面から言えば研究ですから、研究が進むにつれて、どうしても考えがかわって来ます。書き直さざるを得ないのです」
(『西郷隆盛』(朝日新聞社刊)第一巻「あとがき」より抜粋)


海音寺さんにとっての史伝という文学分野の位置付けが、非常によく分かる文章ではないかと思います。

「史伝は一面から言えば研究である」という海音寺さんのスタンスは、この後も当然の如く実行されていきます。
昭和39年に出版された『西郷隆盛』は、昭和44年に朝日新聞社が『海音寺潮五郎全集』を発刊するにあたり、その中に組み込まれることになりましたが、海音寺さんはその際にも更に大きく手を入れられて書き直されています。
これが『海音寺潮五郎全集』の第11巻として出版された『西郷隆盛』です。


少し時系列で並べてみますと、次のような形になりましょうか。

@昭和36年〜38年、朝日新聞夕刊に「西郷隆盛」を約500回に渡って連載

A昭和39年、朝日新聞社より『西郷隆盛』出版
(朝日新聞夕刊に連載した「西郷隆盛」に大いに手を入れて書き直したもの)

B昭和45年、朝日新聞社より『海音寺潮五郎全集』の第11巻として『西郷隆盛』出版
(昭和39年に出版された『西郷隆盛』を更に改めて書き直したもの)


このように、一口に海音寺潮五郎著『西郷隆盛』と言っても、長い年月をかけて、書き改められ、そして凝縮するようにして完成されたものなのです。


60.海音寺潮五郎と史伝『西郷隆盛』のことC
名前:tsubu    日付:2006/12/14(木) 23:8
ここからモモタさんの書き込みにあった話へと繋がっていきますが、昭和47年1月1日、海音寺さんの愛弟子とも言える作家の司馬遼太郎さんが、毎日新聞朝刊で明治後の西郷と大久保を中心とした歴史小説『翔ぶが如く』の連載を始められました。
海音寺さんはその連載を非常に楽しみに毎日読んでおられ、確かスクラップブックに記事を保管されていた、という話をどこかで読んだことがあります。

しかしながら、司馬さんの『翔ぶが如く』は、はっきり言いまして、海音寺さんを満足させる仕上がりの作品ではありませんでした。
そのことが、海音寺さんがもう一度一念発起されて、西郷隆盛の完成を目指された間接的な理由となっているかもしれません。

海音寺さんは、昭和36年に朝日新聞夕刊で「西郷隆盛」を連載後、自らの研究の結果をもって何度も書き直された原稿を基礎として、いわゆる遺作となり、代表作ともなった大長編史伝『西郷隆盛』の完成を目指されました。
今まで書いた原稿やその他の雑誌等で連載したものに加え、新たに書き下ろした原稿をドッキングさせ、西郷隆盛伝の決定版を完成させることに全ての労力を注がれたのです。
ただ、既に70歳という年齢を超えられていた海音寺さんにとっては、その作業量は非常に膨大で、かつ骨の折れる仕事であったことは、想像に難くありません。
しかしながら、最初にも書きましたが、海音寺さんは

「どうしても、西郷伝を書かなければならない。おれが書いておかなければ、西郷はこの妄説の中に埋もれてしまい、ついにはこれが定説となってしまう」

という一念のみでこの膨大な仕事に挑まれたわけです。
ほんとそのことを考え想像するだけでも、私は胸が震えるほどの感動を感じずにはいられません・・・。

そして、昭和51年3月、いよいよ大長編史伝『西郷隆盛』の刊行が朝日新聞社より始まりました。
しかしながら、ようやく『西郷隆盛』執筆の作業が軌道に乗り始めた昭和52年11月19日、那須の別荘において『西郷隆盛』を執筆中の海音寺さんは、脳内出血を起こし、その2週間後の12月1日、ついにそのまま帰らぬ人となったのです・・・。
そのため、海音寺さんが精魂を込めて執筆された大長編史伝『西郷隆盛』は未完に終わり、第9巻でその幕を閉じました……。(文庫版は全14巻)

最後は少し端折って書いてしまったため、海音寺さんの西郷隆盛にかけた情熱がどこまで皆様に伝わったのかが不安でありますが、海音寺さんのライフワークとなった大長編史伝『西郷隆盛』は、今もなお西郷隆盛の一つの伝記という位置付けだけではなく、幕末維新史の決定版とも言えるものであることは、間違いないと思います。
私はこの『西郷隆盛』をもう10回は読み返しましたが、いつ読んでもそこには新たな発見や感動があり、そして海音寺さんの西郷にかけた情熱を感じずにはいられないのです。


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