新年あけましておめでとうございます。無沙汰しておりました。
http://mltr.ganriki.net/faq08a04.html#04659
【質問】 ソ連軍がパラシュート部隊にパラシュートなしで降下させたことがある,というのは本当か?
【回答】 本当です. この話は,高橋慶史著『ラスト・オブ・カンプフグルッペ 続』(大日本絵画)で詳細が判明しました. これは1942年2月のモスクワ南西200kmのユーフノフ付近でのソ連軍降下兵の話. 湿地帯の雪の上に高度約10mで低空飛行した輸送機から約千人の降下兵が飛び降りて,半数が骨折もしくは負傷. 残りの兵士も湿地帯で動きが取れず,作戦は失敗したとの事です.
についてですが、『ラスト・オブ・カンプフグルッペ 続』の当該箇所は出典が Georg Gunter 「Die deutschen Skijager "Von den Anfangen bis 1945"」 となっていますが「Die deutschen〜」は1993年より古い版が見つからず、 「Achtung Fallschirmjager. "Eine Idee bricht sich Bahn"」 Alkmar von Hove 1954 の中に同じ表記があるようなのでそちらが「Die deutschen〜」の元ネタと思われます。 しかし、「Achtung〜」が何を出典としているのかはわかりませんでした。
試しに英語でパラシュートなしの降下について検索してみたところ、
Steven Zaloga 「Inside the Blue Berets: A Combat History of Soviet and Russian Airborne Forces」 Presidio Press, 1995 に「1942年2月から3月にかけてヴィヤジマ方面で包囲されている赤軍部隊に対して行われた第4空挺軍団第204空挺旅団の空挺作戦(空中補給)において、若干名(Some troops)は低速で地面すれすれを飛行するU-2(Po-2)偵察機から雪溜まりの中へ飛び降りた」という表記があるそうです。 ただし、これもザロガ御大がなにを一次資料としているのかはわかりませんでした。
なお、英語圏ではこの件に関して「1939年11月30日、ソビエトはソ・フィン国境紛争でペッツァモに世界初の空挺作戦を行った。その際、一部の兵士はパラシュートなしで雪の中へ飛び降りた」というエピソードが頻繁に登場しますが、出典は不明なようです。 (「世界初の空挺作戦」というあたりがソビエト発のネタであることを感じさせますが……) 英語圏ではパラシュートなしの降下作戦は1950年代から聞かれるようになった話で、70年代には「兵士は麦わらをクッションにした木枠に詰められ、爆撃機から雪の中へ落とされた」というバージョンもあったそうです(笑)。
肝心のロシア語でパラシュートなしの降下について検索してみると、 「Воздушные десанты Второй мировой войны」(第二次大戦の空挺作戦) という本の中に 「グロホフスキー(Гроховский)は低空からのパラシュートなしでの降下について研究していたが、実際のパラシュートなしでの降下試験において大きな死傷者を出し、逮捕された」という記述があるそうですが、この本は
既出の「Achtung Fallschirmjager. "Eine Idee bricht sich Bahn"」と、 海軍落下傘部隊 :山辺 雅男 1956 Airborne Warfare :ジェームズ・ギャビン 1947
の三冊をまとめたものらしいです。しかし、このグロホフスキーの話がギャビンの本に出てくるなら英語圏でもっとメジャーな(検索に引っかかる)はずですし、「海軍落下傘部隊」にこんな話が出てくるはずもなく、「Achtung〜」に上記のエピソードが載っているという情報は見つけられず、どこからこの話が出てきたのかは不明です。 また、Гроховский はおそらく実在するПавел Игнатьевич Гроховский将軍のことで、将軍はГ-26、Г-31などのグライダーを設計した空挺降下の専門家でレーニン勲章も受賞していますが、1942年11月5日に突如逮捕され1946年10月2日に獄死しています。 逮捕の理由は探したんですが見つかりませんでした。「パラシュートなしの降下で死傷者を出した責任で」というには、少々時期が合わない気がします。
なお、「Achtung〜」は単独でロシア語版が出ていますが、そちらの版ではユーフノフの第4空挺軍団降下の話の直前に、空中補給について 「ソビエトは1930年代、”グロホフスキー・カセット”というモジュールを用いて低空での投下実験を行っていたが、実戦で使用されたことはない」 という訳註がついているそうですが、”グロホフスキー・カセット”は本来、主翼の下に兵士を収容するコンポーネントのことを言っているのだと思われます。 (「木枠で爆撃機から投下される兵士」の元ネタか) 参考: http://www.e-reading.link/chapter.php/1008293/51/Maslov_-_Korol_istrebiteley._Boevye_samolety_Polikarpova.html
以上、ソビエト軍が行ったとされるパラシュートなしの降下について確実な一次資料を見つけることができず、 一次資料まで辿ることができない『ラスト・オブ・カンプフグルッペ 続』を根拠に「実在した」と言い切ってしまうのは早計ではないかと考えます。
個人的には 1.ザロガの本にある「ユーフノフで少数が行った複葉機からの飛び降り」 2.「グロホフスキー・カセット」を「パラシュートなしで兵士を投下するためのモジュール」とする誤った解釈 3.グロホフスキーの逮捕 あたりが混ざり合った都市伝説、もしくはアネクドートのたぐいが源流ではないかと思います。 (もちろん、「実在しない」ことの証明はできておりませんが)
長文失礼いたしました。本年もよろしくお願いいたします。
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