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阿修羅マン掲示板

 バナー保守員氏が作ってくれたFAQ検討板に書き込めなかった時に作った,避難板の避難板
 閉じるのも勿体無いので当面使用.
 削除基準はFAQにある通り.


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4242.中世の地中海貿易について 返信  引用 
名前:DG-Law    日付:2010/8/19(木) 22:32
【質問】「アジア産の香辛料をアラブ商人が〜〜」について。(http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/unc0074w.html#21600)
回答に金・塩・奴隷のうち,奴隷と塩については異論がありませんが,金については明確な誤りです。
当時の金の主要な産出地といえば中央アフリカです。ヨーロッパじゃないです。
金はむしろ,ムスリム商人がサハラ砂漠を縦断して,地中海まで運んできてました。岩塩はヨーロッパ産のものです。(いわゆる塩金貿易,岩塩と金が同重量で取引された。)
ヨーロッパに入ったアフリカ産の金は,主に金貨鋳造に使用され,ヨーロッパ商業圏内で流通していました。
というわけで、金がヨーロッパからイスラーム世界に流れることはありえません。

ヨーロッパ人が,香辛料や絹織物などの奢侈品の対価として支払っていた貴金属は,金ではなく銀です。
日本や,新大陸の銀鉱山が開発されるまで,南ドイツが世界の銀の産地でした。
また,塩のみならず毛織物や木工品といった生活用品・手芸製品を輸出していたほか,武具もムスリム商人に売っていたようです。
当時のヨーロッパ人は十字軍の敵に質の良い北イタリア産の鉄製品を売っていたのだから,あほみたいな話ですが。
これに東欧のスラヴ人奴隷を加え,奢侈品の対価としてはけっこう多種多様な商品を取り揃えていたのが,イタリア商人でした。

4238.皆様,いつもありがとうございます 返信  引用 
名前:消印所沢    日付:2010/8/11(水) 4:56
 現在,コメントNo.4234まで処理完了しております.
 更新まで,もうしばらくお待ちいただければ幸いです.

>イラクマニア氏

 ご指摘ありがとうございます.
 すると,例のトランプのほうが写真を間違えていた,ということでしょうか?

>BMP氏

 ご指摘ありがとうございます.
 よろしければソースをご提示いただければ幸いです.
 当方のほうで調べるとなりますと,ちょっと長くお待ちいただくことになります.

>修正希望氏

 ご指摘ありがとうございます.
 ですが,単に「余談だから」という基準では削除は行うことができません.
 余談であるかどうかの客観基準が難しい上,これまで多くの項目に,余談的扱いの記述があるためです.
 もし,客観的事実に反すると言うことであるなら,それは削除対象になりますので,改めてソースをご提示願えれば幸いです.



4240.Re: 皆様,いつもありがとうございます
名前:BMP    日付:2010/8/11(水) 23:52
ソースはちょっと古いのですが、"British and American Tanks of World War II. P.Chamberlain and C. Ellis, ARCO pub. company, inc."です。いちおう英語版wikiなども参照していますが、大きな記述違いはないことを確認しています。

4239.(untitled) 返信  引用 
名前:修正希望    日付:2010/8/11(水) 14:41
客観基準が難しい上ということですが、
海保は有事の際には,防衛大臣の指揮下に入るわけ?という内容と
海賊対策議論は関係がないのは明白だと思います。

多くの余談的扱いの記述があると消印氏も認められておりますが
これらは文章の引用として逸脱していないのでしょうか?

また白痴議員という単語がありますが、これは客観的事実ではないと
思います。
白痴とは重度の知的障害の古い呼び方。差別用語とされることがあり、
一般的に知的障害を意味すると思います。

社民党の主張が現実的はないと自分も思いますが、これが白痴〈すなわち知的障害〉であり、「たくさんいる」とまでしている内容に客観的事実があるとは思えません。
「余談」としましても不適切な内容であり、引用すべき関連性も
ないのに引用する必要性がむしろ感じられません。

余談ということは引用の範囲を超えていると管理人もおわかりなのだと
思います。
私は全ての項目で余談を排除すべきとは思いません。ただ指摘させて頂いてる内容は

1 「白痴議員」には客観的事実はないと思います。
2 余談であり、引用の範囲を超えている

長くなりましたが以上の点から前回指摘の点を削除願います。

4237.(untitled) 返信  引用 
名前:修正希望    日付:2010/8/11(水) 0:53
1) 訂正を求める項目タイトル
【海保は有事の際には,防衛大臣の指揮下に入るわけ?】

2) 項目URL
【http://mltr.ganriki.net/unc0024jm.html#22254】

3) 上記項目において,問題があると考えられる箇所
(5W1Hを交えて詳しく)
【 それでも海猿信者は,当の海保の本心なんて無視して,「海保が海軍だ」とか支離滅裂なことを言い続けている.
 それはとても困ったことで,だから亀井センセみたいに勘違いしたバカが,海保で海賊対策が出来るなんて思い込んじゃう.
 社民の議員のなかには,今でも思い込んでいる白痴議員が沢山いる.

 ちなみに,アメリカの本家コーストガードもソマリアに巡視船は出していない.
 海軍の軍艦に同乗して,万が一の事態に備えている.
 日本と全く同じです.
(ソマリアに展開している海自の護衛艦には,海保の職員が同乗してる)                             】

4) (3)を,どのように正せばいいのかという草案
【上記を削除。当該Q&Aには必要のない情報。いわゆる蛇足。】

5) (4)のほうが望ましいと貴方が考える根拠
話がそれている。海賊対策の話まで広がっているが当該Q&Aには
関係がない。

よろしくお願いします。

4236.M36の再生産ほか 返信  引用 
名前:BMP    日付:2010/8/10(火) 1:43
>http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/unc0001k.html#22230

>意図していたよりも機動性に乏しいと言うことで,M18ヘルキャットが開発されている.
M10は1942年6月に制式化。M18は1943年2月制式化で、M10のほうが制式化が早いのですが、M18の元になった戦車駆逐車構想は1941年に37mm砲搭載要求で始まっていて、1942年4月に75mm砲搭載を要求されたった数ヶ月で設計、制式化したM10より開発開始は早いです。ですのでこの記述はおかしいです。

>アフリカ戦線で早くもM10GMCの火力不足を痛感しているので,M36GMCを開発している.
M36の開発開始はM10制式化直後の1942年秋に90mm高射砲の戦車砲転用要求が出たのが起源ですが、これはM10のチュニジアでの実戦投入より前で、この点も少しおかしいですね。少なくとも火力不足を痛感してから開発されたわけではなく、むしろ予想して開発されたが正しいです。1943年3月に新型砲塔が開発され、試験後すぐに500両が発注されています。制式化は1944年6月で、実戦投入は1944年9月になります。

M36は主に1944年4月から12月にM10A1車体から改造されていますが、M4A3の車体そのまま使ったM36B1の生産はM36と平行して1944年10月から12月に行われています。再生産とされるものは、M36とM10の車体を使ったM36B2で、1945年4月から6月にかけて生産されています。再生産はM4A3の車体を使ったM36B1ではないですし、わざわざ再生産したのは現場からの要求があったからなので、この点でもおかしいですね。

4235.画像の訂正を願います。 返信  引用 
名前:イラクマニア    日付:2010/8/9(月) 20:35
>>http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01b.html#Amir-Muhammad-Rashid

上記のページで、アミル・ムハマド・ラシド(アミール・ムハンマド・ラシード)元石油相の写真として「イラクのお尋ね者カード」の画像を使用していますが、画像の人物はラシード氏ではありません。フサーム・ムハンマド・アミーンという別の人物で、元国家監視局長を務めた人です。ですので、画像の訂正もしくは削除を求めます。

参考までにラシード氏の写真を紹介しておきます。
http://www.life.com/image/1749988

4234.蜀漢正統王朝説について 返信  引用 
名前:名無しルーデル神教教徒    日付:2010/7/27(火) 5:28
【質問】
 ウィキペディアには,
>後漢末・三国時代を舞台とする説話や講談は古くからあり,
>すでに北宋の時代には劉備と蜀漢を善,曹操と魏を悪役とするイメージが
>定着していたという記録がある.

とあるんですが,なんで蜀が善という考え方が広まったんでしょうか?

 【回答】
 劉備は漢の皇室の分家の末裔だから,後漢の正当な後継者で,曹操は後漢から天下を簒奪した悪党,という構図.
 これが日本だけの見方ではない証拠に,中国人は長年関羽を関帝(神様)として祀ってきた.
 っていうか三国志演義はまさにこの構図.

 曹操は宦官の孫だったり,徐州で大虐殺やったり,儒者を弾圧したりしたので,在世当時から大悪人としての風評が大きかった.
 劉備はまあ,やってることはただの弱小軍閥の親玉なんだが,「漢朝・劉氏」で売り込んだので,当時から評判はよかった.
 シナ人の多くは今も漢民族と自称するし,孔明・関羽・張飛とか民衆に人気のある武将もいるし,判官びいきもあるし.
 陳寿が『三国志』を書いたのは晋の時代だが,晋は魏から禅譲された形で簒奪しているので,前代の魏はあんまりよく書かれず,陳寿の母国であった蜀漢は,正統王朝に準ずる形式(先主伝など)で書かれた.

 また晋が江南へ移ると,もといた華北よりも江南文化をひいきにするようになったが,孫呉をあまりもちあげると治安上よろしくないので,民間に人気のある蜀漢を持ってきて称揚した.
 習鑿歯という人は,蜀漢に仕えた人物の子孫だったが,東晋の末に軍閥の桓温が帝位を簒奪しようとしたので,
「魏は簒奪者であり,晋が蜀漢を滅ぼして,ようやく漢が滅んだ」
という蜀漢正統論を説いたという.

 まあ,蜀を実際に倒したのは魏の軍なんだが,すでに司馬氏が完全に実権を握っていた頃.
 漢人が北方民族に圧迫されてたのと,魏が漢を簒奪し蜀を苦しめたのを重ね合わせ,北伐を繰り返した蜀の孔明を善玉にしたのが,原因のひとつではあろう.

 ただし,関羽が神格化されたのは意外に遅く,唐宋の頃にようやく護法神として信仰された程度.
 「関帝」とされて,信仰が国家規模で盛んになるのは,南宋以降になる.

世界史板,2010/05/20(木)
青文字:加筆改修部分

この回答ですが、誤解を招きかねない点、説明が不足している点があると考えます。

>っていうか三国志演義はまさにこの構図.

まず、この箇所ですが、宋代に三国志を題材としたものは「三国志平話」であって、演義ではなく、しかもこの違いは無視できるものではありません。三国志平話においては、高祖に粛清された韓信、彭越、英布が曹操、劉備、孫権に、加害者である高祖と呂后が献帝と伏皇后に、そして天界での裁判において、韓信らの冤罪を証言した蒯徹が諸葛孔明に、裁判を進行させた司馬仲相が司馬仲達に、それぞれ生まれ変わると言う設定から話が始まるもので、「三国志演義」とは色彩がかなり異なります。

>陳寿が『三国志』を書いたのは晋の時代だが,晋は魏から禅譲された形で簒奪しているので,前代の魏はあんまりよく書かれず,陳寿の母国であった蜀漢は,正統王朝に準ずる形式(先主伝など)で書かれた

蜀志における劉備の伝が諡号の昭烈帝を使わず「先主伝」とされていることからも明らかなように、陳寿の「三国志」は蜀漢を正統王朝とはしていません。
また、漢魏革命は「魏武輔漢の故事」とも言われ、後世の禅譲の模範となっており、その影響は、「清室優待条件」の「大清皇帝辞位の後尊号猶を存して廃せす中華民国は各国君主を待つの礼を以て待遇す」にも見ることが出来ます。これは東漢の献帝が魏の文帝に禅譲し、山陽公となったあとも、皇帝としての自称などを許されたことに由来しています。

蜀漢正統王朝説を大成させたのは南宋の朱熹でしょう。
司馬光が「資治通鑑」において三国時代の年号を魏のもので統一したのに対し、朱熹は「資治通鑑綱目」で蜀漢のそれを使い、蜀漢こそが正統王朝であるとの立場をとっています。
こういった流れで、元代には科挙に蜀漢正統王朝説が取り入れられ、この文脈上に、明代に劉備を善玉とする「三国志演義」が成立したのです。

4233.「わかやま新報」◆(2010/07/08)和歌山大空襲から65年,忘れられたトンネルはいずこ/和歌山 について 返信  引用 
名前:舞鶴の質屋 ◆Wcnk3S8mG6    日付:2010/7/26(月) 21:29
http://mltr.ganriki.net/faq08h17.html

> 大阪〜和歌山間のトンネルとか(笑)
> かなり大規模なトンネルを掘っていたことと,
>大阪和歌山間が貫通したと兵士には大ホラを吹聴していたという意味では,
>興味深い話ですよね.

 おそらく、記事文中にある
>上官に 『大阪からと和歌山からのトンネルが貫通した。
を誤解したのだと思いますが、
和歌山県北部や大阪府南部の人には、和歌山県と大阪府の隣接する府県の間には和泉山脈があり、
それらの山々が府県を隔てている境目であるのは常識です。

和泉山脈
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%B3%89%E5%B1%B1%E8%84%88

 和歌山の新聞が書いた「和歌山―大阪が(トンネルで)つながったとされる」は
大阪(市)と和歌山(市)がトンネルでつながるという文脈では無く、
大阪(府)と和歌山(県)がトンネルでつながるという意味で書かれています。

 今でも南海本線あたりの県境は、鉄道を除いて峠道であり、自動車用トンネルはありません。
戦中の日本軍が和泉山脈の西側にトンネルの必要性を感じ、孝子峠あたりに作った可能性は否定できません。
記事によれば貫通したとの事ですが、縦横幅2mでは平時には不便なので放棄されたと思われます。

 この記事を指摘された方は何を持ってホラだと笑ったのか理解できません。
また、常見問題にて取り上げられたのも不思議に思います。
mixi内の話なので外部からは伺い知れませんが、指摘される方はいなかったのでしょうか?

4231.戦艦「ヒラヌマ」について。 返信  引用 
名前:きろきろ    日付:2010/7/10(土) 20:17
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08e03b.html#BB-HIRANUMA

英語での戦艦「ヒラヌマ」に関する記述を発見しました。
フロリダ州セントピーターズバーグで1941年12月11日に発行された「セントピーターズバーグ・タイムズ」がオンライン閲覧可能となっており、その中に「戦争省は、陸軍爆撃機がルソン北東で2万9千トン級戦艦『ヒラヌマ』に3発を命中させ火災を生じさせた。また、2発が至近弾であった、と発表した」という記事があります。(爆弾数が一致していることから、マーチン・ケイディンの「B17 空の要塞」のネタ元かも?)

しかしながら、同じ記事は(オンライン化されている多数の新聞の中でも)同日のニューヨークタイムスにしか掲載されていないようです(そちらは閲覧有料)。
ケリー大尉が榛名を「撃沈」した記事は多数見つかるのですが、「ヒラヌマ」は極端に情報が少なく、誤報としてすぐに取り消されたか、あるいは昔の新聞にありがちな「とばし記事」だったのかも知れません。
また、戦艦「ヒラヌマ」は、この時点ではケリー大尉とは関係ない記事ですが、どこかで2つの記事を結びつける誤解があったのかもしれません。
http://news.google.com/newspapers?id=MrQKAAAAIBAJ&sjid=aE0DAAAAIBAJ&pg=5459,2535660&dq=battleship+hiranuma&hl=en



4232.Re: 戦艦「ヒラヌマ」について。
名前:バグってハニー    日付:2010/7/17(土) 15:18
コリン・ケリー大尉についてはいろいろと誤解が蔓延しているようです。その原因は「B-17が簡単に落とされたとなれば,米軍の士気も低下して,作戦に重大なヒビが入ってくることも,当然に予想される」というようなことではなくて、単にWWIIが始まって最初の戦死者の一人がヒーローにまつりあげられた、というようなことのようです。ニューヨークタイムズの12月18日の記事ではコリン・ケリー大尉以外に12月10日に戦死したパイロット達が紹介されていて、そのうちSamuel H. Merett(Marett)大尉は日本の艦船を二隻炎上させ、最後に輸送船に体当たり・爆破した、と紹介されています。たぶんこれもケリー大尉の手柄と信じられたのでしょう。

「榛名撃沈」(実際には『足柄』を爆撃した)以外にも

>>このコイン・ケリーはオーナー・メダルを授与.

もよくある誤解のようで、実際に授与されたのは名誉勲章ではなくて殊勲十字章(Distinguished Service Cross)だそうです。

ソース↓
http://northshorejournal.org/american-hero-colin-kelly

さて、ニューヨークタイムズの有料の記事ですが、米陸軍発表を報道しているもので、それによると米陸軍の爆撃機が北部ルソンの10マイル北東にいた日本の29,000トンの主力艦『ヒラヌマ(Hiranuma)』を爆撃・炎上させた、となっています。この記事には注釈が付いていて1940年版ジェーン年鑑にはそんなフネは載っていない、いくらか名前が似ていて排水量が同じなのは『榛名(Haruna)』、と丁寧に解説されています。

というわけで、ケリー大尉のB-17を撃墜した坂井三郎さんはいろんな報道をごっちゃにしているみたいです。英文ソースでColin KellyとHiramunaが一緒に出てくる記事はないです。というか『ヒラヌマ』のことを報じている記事がほとんどないです。ケリー大尉の「榛名撃沈」と比べるとずっとマイナーな誤報のようです。

4218.狭軌鉄道につきまして 返信  引用 
名前:疑問者    日付:2010/6/5(土) 3:47
http://mltr.ganriki.net/faq08d04v18.html#08376

ここの回答で、イギリスの植民地規格に合わせたという見方が一般的とありますが、それよりも日本は島国で国土が狭く、山岳地帯も多いためトンネルや橋梁の建設コストの安い狭軌軌間を採用したという見方の方が一般的ではないでしょうか?



4224.Re: 狭軌鉄道につきまして+a
名前:90式改    日付:2010/6/21(月) 23:31
東京と西京(大阪や京都などの近畿)を結ぶ鉄道を建設することは新橋・横浜間が開通する以前から構想されていました。ただし当初は山間部の中山道沿いに建設することを考えていたようです。
そのとき、イギリス人技術者の頭にあったのは南アフリカが一度標準軌(1433ミリ)で建設したが山間部での建設に不便だというので狭軌(1067ミリ)に変更した「失敗」だったのかもしれません。
>機関車として石油発動機(ガソリンではない)が使用されて,その発動機の大きさに合わせたとかいないとか.

あと、西大寺鉄道は当初は蒸気鉄道でした。大きな徳利型の煙突を備えた蒸気機関車が客車や貨車を引いていました。


4227.Re: 狭軌鉄道につきまして
名前:疑問者    日付:2010/6/30(水) 1:15
>そのとき、イギリス人技術者の頭にあったのは南アフリカが一度標準
>軌(1433ミリ)で建設したが山間部での建設に不便だというので狭軌
>(1067ミリ)に変更した「失敗」だったのかもしれません。

標準軌は1435ミリではないですか?


4230.Re: 狭軌鉄道につきまして
名前:90式改    日付:2010/7/8(木) 19:32
>1435ミリではないですか?
私のミスです。1433ではなくて1435ミリです。

4229.消防庁は夜間飛行可能なヘリコプターを持っていた 返信  引用 
名前:BMP    日付:2010/7/1(木) 22:30
123便墜落事故の起きた1985年当時、消防庁(東京消防庁のことですね)には計器による夜間飛行ができる機体はありません。夜に明るい都市部において有視界で飛べる機体があっただけです。国会答弁も見ればわかりますが、強力なサーチライトを装備した機体があったこと、それを知らなかったことを認めているだけで、夜間に山岳地帯を飛べ、救難活動が行える装備は自衛隊同様ありませんでした。そしておそらく現在もありません。NVGなどは持っていませんからね。

東京消防庁のヘリが夜間任務についたのは2001年4月からです。これとて離島からの急患輸送など夜間洋上飛行許可だけです。

4228.防弾チョッキ 返信  引用 
名前:知りたがり    日付:2010/6/30(水) 13:42
@今現在で『世界最強の防弾チョッキ』と豪語している海外企業があれば教えてください。

A防弾チョッキは基本破片を防ぐことが主だそうですが、ただ弾丸を通さないことを目的とした場合ライフルで撃った弾を通さない物は結構あるものなのでしょうか?

4225.トンガって 返信  引用 
名前:bugaisha    日付:2010/6/30(水) 11:21
【質問】
 世界には軍を持たない国が27あるそうですが,それがどこか教えて下さい.

こちらの回答にトンガがありますがここって一応軍隊があったと思いますけど。。。(数がねえ・・・でも正規軍らしい)
wikiレベルですが、記載有ること確認。
(問題は正式には国家警備隊とかの名称になっているかどうかですねえ、wikiは国防軍となっているようですが)
参考までに記憶カキコ

1)40年くらい前に朝日かどこかで週一で世界の軍隊をいくつか(覚えてい
るのは他にはスウェーデンの戦車中隊長の記事)紹介してましたがそこにも出てましたねえ
その頃の主要装備 第2次大戦のときの戦車2台(錆びついていたらしい)に機関銃数丁(撃つと耳がいたいでしょう?の問いに撃ったことないとの答え)
雑談で自衛隊の話になり「立派な軍隊じゃん!」的なあちらの感想で記事終了。だったかなあ・・・

2)近くの無人の珊瑚礁(無主の地と理解)を埋め立てて国家樹立!なんて人がいたけど 我が国土を守れとトンガ軍出動なんて記事も有った気が・・・(ミネルバ共和国参照のこと)

4226.ミッドウェー海戦の図上演習 返信  引用 
名前:モーグリ    日付:2010/6/29(火) 20:7
>http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08e04m.html#13304
>【質問】 ミッドウェイ作戦の事前のシミュレーションで,ボロクソに負けるのを判定を変えて勝った事にした,ということが何故まかり通ったの?

最近、中公文庫から秦郁彦編「太平洋戦争のif、絶対不敗は可能だったか?」という本が発売されました。この本は、いわゆる架空戦記ではなく、本職の歴史研究者たちが太平洋戦争のifについて論じたものです。その中に大木毅氏の「海大方式によるハワイ作戦図上演習」「海大方式によるミッドウェー作戦図上演習」が掲載されています。これは、1986年に野村実氏や秦郁彦氏や戸高一成氏といった専門家たちが、史実でも太平洋戦争中に日本海軍が使用した昭和十(1935)年頃の「兵棋演習規則」をベースに、実際に図演(図上演習)を再現して真珠湾攻撃やミッドウェー作戦をシミュレートした体験談をまとめたものです。

興味深いのは、この図演で日本側司令官をプレイした秦郁彦氏が、史実でミッドウェー海戦前に行われた図演で宇垣纏がやり直しを命じた事件を肯定するコメントを残していることです。

また、実際に図演を実行して分かったことだが、海軍の『図演規則』は当時すでに航空機の進歩などで不合理な側面が出ていたはずで、半年後のミッドウェー図演で宇垣纏がやり直しを号令したのも理解できるような気がする。
秦郁彦編「太平洋戦争のif」(中公文庫)より、大木毅「海大方式によるハワイ作戦図上演習」p.125-126

秦氏の指摘するように、図演が作られた1930年代後半は急速に航空機が発達した時代です。自分でも秦氏の指摘で驚いたのですが、海軍が図演を製作してからわずか数年たらずで図演と現実との間に乖離が生じているのです。

4223.お知らせ 返信  引用 
名前:消印所沢    日付:2010/6/16(水) 21:17
 ganrikiサーバの仕様変更に対する対応作業が停滞しています.

 そのため,しばらくの間,更新は本館のみとさせていただきます.
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/index02.html


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