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304.19年二月 教室句会選句結果  
名前:梶  鴻風      日付:2019/2/5(火) 18:52
19年二月 鴻風俳句教室句会
1:節分や鬼面パパに子の笑顔:山口 沙智:・清月・純子:2
2:鬼役は村の長老追儺の夜:片山 明俊:純子・利久・トシエ・千枝:4
3:節分会保育所なくて鬼子連れ:岩渕 純子:0
4:節分や父の声まね福は内:池窪 弘務:・美秋・花菜・鴻風:3
5:節分の闇に消えゆく人の声:太田 紀子:・千枝・雅:2
6:節分の炒り豆匂ふ厨かな:谷口 千枝:○利久・富子・明俊・清月・鴻風:6
7:豆まきや庭の鳥にもおすそ分け:佐川 富子・雅・鴻風:2
8:歳の数の豆を食べよと鬼せかす:若西 花菜:・トシエ:1
9:豆撒きの枡取合ひし子等も親:村岡  雅:・沙智:1
10:国と国未来も大事鬼は外:持田 清月:・美秋・千枝:2
11:力士撒く餅高々と追儺寺:石破 利久:○明俊・紀子・純子:4
12:節分や遠き昭和は鬼の役:斜木 美秋:○鴻風:2
13:隣まで春は來てをり節分会:梶  鴻風:・紀子・トシエ・花菜・沙智:4
14:押入れに隠れ覗く児「鬼は外」:佐藤トシエ:・明俊・美秋・鴻風:3

15:湯湯婆抱いて楽しき夢の中:山 沙智:・純子:1
16:振鈴の響く社殿の初神楽:片山 明俊:・富子・紀子・利久・雅:4
17:百薬の長とし楽しむおでん鍋:岩渕 純子:・鴻風:1
18:楽しみは朝の散歩の冬景色:池窪 弘務:・美秋:1
19:黒楽の抹茶の色や冬ぬくし:太田 紀子:○花菜・利久・清月・雅:5
20:独り身の気楽な暮らし梅笑ふ:谷口 千枝:○清月・富子・利久・純子・美秋・トシエ・花菜・沙智:9
21:楽楽と大樹の先の尾白鷲:佐川 富子:弘務:1
22:楽々と氷砕きてガリンコ号:若西 花菜:0
23:寒明けや楽焼茶碗手に馴染む:村岡  雅:弘務・紀子・千枝:3
24:着ぶくれて両手で包む楽茶碗:持田 清月:弘務・紀子・沙智:3
25:炉語りの楽しき宿や飛騨の郷:石破 利久:○千枝・弘務・富子・明俊・清月・鴻風:7
26:へぼ将棋孫と楽しむ炬燵かな:斜木 美秋:○雅○沙智・弘務・富子・明俊・トシエ・花菜:9
27:楽焼きをひねり楽しむ春の午後:梶  鴻風:0
28:ケセラセラと気楽に歩む去年今年:佐藤トシエ:0

総合成績:
一 席:石破 利久:26点
二 席:谷口 千枝:19点
三 席:片山 明俊:15点



29:母の味恋し懐かし鰤大根:山口 沙智:○美秋・美秋:3
30:女子スケート世界一位に日本沸く:片山 明俊:・美秋:1
31:井戸ポンプ軋みて汲むや春の水:岩渕 純子:・紀子・トシエ・花菜・雅:4
32:水仙をお地蔵様のかんざしに:池窪 弘務:○純子・富子・千枝:4
33:寒の鵙ブル−シートのかかる屋根:太田 紀子:・利久・清月・鴻風:3
34:鶴帰る汀子の句碑を後にして:谷口 千枝:・利久・純子・美秋・トシエ:4
35:ストーブを背に「家政婦は見た」を見る:佐川 富子: ・沙智:1
36:鶴の舞う根釧平野の遅れ汽車:若西 花菜:明俊・千枝・鴻風:3
37:冷え込みの激しき道東サンピラー:村岡  雅:・利久・清月:2
38:六尺の狸は陶製冬の園:持田 清月:・明俊・利久・鴻風:3
39:風花や出産近き牛の声:石破 利久:○富子○紀子・弘務・純子・清月・雅・沙智:9
40:ウォーク土手行く二人母娘かな:斜木 美秋:0
41:曲折の過去を見透かす寒鴉:梶  鴻風:弘務・純子・トシエ・千枝・雅:5
42:氷上に羽を預けし尾白鷲:佐藤トシエ:・紀子:1

43:寒鰤や浜の競り市威勢よし:山口 沙智:・明俊・雅:2:計8
44:豆撒きや羽織袴の異邦人:片山 明俊:○鴻風・利久・花菜・清月・沙智:6:15:三位
45:遥かなる海の烟るる春隣り:岩渕 純子:・明俊:1:6
46:冬菫小さな肩を震はせて:池窪 弘務:・富子・美秋:2:10
47:曙の紫立ちし春隣:太田 紀子・富子・明俊・純子・花菜:4:14
48:湯煙の小さな町の春の滝:谷口 千枝:0:19二位
49:目薬を一滴多く寒ざらへ:佐川 富子:弘務・トシエ:2:6
50:イランカラプテ唱えまつりに鶴の舞:若西 花菜:○弘務○トシエ:4:8
51:春めける日差しに猫の親子かな:村岡  雅:・鴻風:1:7
52:寒や水にもどせし干しどんこ:持田 清月:紀子・富子・沙智:3:11
53:四つ辻のポストに並ぶ雪達磨:石破 利久:・紀子・明俊・純子・千枝・清月・花菜:6:26一位
54:梅蕾滴に透けて鮮やかに:斜木 美秋:0:11
55:降る雪やロシアンブルーの眼の潤み:梶 鴻風:弘務・利久・雅・沙智:4:13
56:冬落暉寄せ来る波をなだめをり:佐藤トシエ:・美秋・千枝・花菜:3:7
作品・鑑賞文とも到着順です

作品成績
一 席:39:風花や出産近き牛の声:石破 利久:10点(特2並6)
二 席:26:へぼ将棋孫と楽しむ炬燵かな:斜木 美秋:8点(特2並5
二 席:20:独り身の気楽な暮らし梅笑ふ:谷口 千枝:9点(特1並7))
三 席:25::炉語りの楽しき宿や飛騨の郷:石破 利久:7点(特1並52)

303.19年二月 教室句会を貼りました  
名前:梶  鴻風      日付:2019/2/5(火) 15:2
19年二月句会 みなさんの選句と鑑賞文
池窪 弘務
特 選:50:イランカラプテ唱えまつりに鶴の舞
鑑 賞:イランカラプテ? 調べてみると、アイヌ語のあいさつであると出て来まし
た。しかし、その解釈には色々あるようです。それはともかく、出会いの喜びを表し
ているように思います。俳句を音読すると一篇の美しい詩(うた)のようです。
並 選:21.23.24.25.26.39.41.49.55

佐川 富子選
特 選:39:風花や出産近き牛の声
鑑 賞:牛舎の中の牛の鳴く声、白い息まで見えるようです。一年のうちで一番寒い頃の冬の日の情景が浮かんできました。
並 選:6.16.20.25.26.32.46.47.52

太田 紀子選
特選:39:風花や出産近き牛の声
特選理由:おさんおと機能しは、悲しそうに鳴くのでしょうか。苦しむのでしょうか。風花の舞う中の牛も頑張っているのでしょうね。そして、飼い主もかわいい牛の無事な誕生をを待っている様子が想像できます。
並選:11・13・16・23・24・31・42・52・53

片山 明俊選
特 選:11:力士撒く餅高々と追儺寺
鑑 賞:旧暦新年(立春)の前日大晦日・・・節分の日に各地の社寺では豆や餅を撒き邪鬼や災厄を祓う行事が行われる。この句は成田不動(千葉・新勝寺)で行なわれる
大相撲の力士達による餅撒きの様子を詠んだものと思われる力感のある句である。
並 選:6・14・25・26・36・43・45・47・53

石破 利久選
特 選:6:節分の炒り豆匂ふ厨かな
鑑 賞:節分の夜行なう恒例の鬼追い用にと大豆を炒る香ばしい匂いが台所からただいよい夜を待つ子供達はワクワク・・・親子三世代が仲良く住む家庭の様子が何故か浮かんで来た。リズムの整った楽しい句である。
並 選:2・16・19・20・33・34・38・44・55                           

若西 花菜選
特選:19:黒楽の抹茶の色や冬ぬくし
鑑賞: 冬にはお抹茶を頂くことが良くありますが、黒楽茶碗は特に掌にしっとり納まり幸せな気分になります。
外は雪で真っ白、黒い茶碗と緑のお茶、とてもいいですね。
並選: 4・13・20・26・31・44・47・53・56 

持田 清月選
特 選:20:独り身の気楽な暮らし梅笑ふ
鑑 賞:上五中七の表現は、言い古されている言葉ですが、下五の季語の工夫にどう詠めば良いのか悩みます。このチャレンジ精神が良いと思いました。で、どう解釈したかというと、梅はのんきそうに咲いているけれども、ちゃんと実をつけて次世代につなげていきますよ。あなた方は?
並選:1:6:19:25:33:37:39:44:53

岩渕 純子選
特 撰:32:水仙をお地蔵様のかんざしに 
鑑 賞:チコちゃんに聴きたい。「なんでお地蔵さまには赤い帽子とよだれかけなの?」ちょっとおしゃれに水仙をかん    ざしのようにさしてあげて「、もうすぐ春ですよ」と手をあわせるのもいいのではないかしら?あかるい句です
並 選:1,11,15,20,34,39,41,47,53

斜木 美秋選
特 選:29:母の味恋いし懐かし鰤大根
鑑 賞:幾つになっても母親の料理味付けは忘れられない。家内の味付けとふと比べる。皆様も母親の味、印象が残って居るでしょう。
「恋いし懐かし」のフレーズが素晴らしいと思います。良く飲食店でも「おふきろの味」とかの宣伝文句がありますが、母の味付けを偲ぶ共感句です。
並 選:4,10,14,18,20,30,34.46、56

谷口 千枝選
特 選:25:炉語りの楽しき宿や飛騨の郷
鑑 賞:「炉語り」憧れの季語です。「楽しき宿」和やかな温かい会話をしている旅人達の様子が目に浮かびます。「飛騨の郷」行ってみたい所です。吟行句、その土地への挨拶句を詠みたいと思っています。素敵な温かいお句に出会えて幸せです。ありがとうございます。
入 選:2・5・10・23・32・36・41・53・56

佐藤トシエ選
特 選:50:イランカラプテ唱えまつりに鶴の舞
鑑 賞:白老を訪れ音楽や古式舞踊に触れた遠い日。その時を思い出し民族衣装やゆったりとした鶴の舞の景が見えてきました。島もアイヌの流れがあり、イランカラプテなどの挨拶はないが、地名はアイヌ語が残っています。利尻の語源も「リイ・シイ」から来ているとの事。新近感を抱く句でいただきました。
並 選:2・8・13・20・26・31・34・41・49

村岡  雅選
特 選:26:へぼ将棋孫と楽しむ炬燵かな
鑑 賞:この句を読んで私も孫が大学受験の為勉強している頃勉強の合間気分転換に良く将棋の相手をしました。そのことを懐かしく思いださせて頂きその感じがよく出ていますので特選に頂きました。
並選 5・7・16・19・31・39・41・43・55

山口 沙智選
特 選:26:へぼ将棋孫と楽しむ炬燵かな:
鑑 賞:22歳まで暮らした富山の暖房は炬燵でした。炬燵に入って孫と指すおじいちゃんは、さぞ嬉しかったでしょうね。亡夫は立派な碁盤を買って「将来孫が生まれたら碁を教えてやるんだ。」といっていましたが一度も手合わせをしないで無くなりました。幸せなおじいちゃんに一票を入れました。
並 選:9,13,20,24,35,39,44,52,55


梶 鴻風選・二行鑑賞
4:節分や父の声まね福は内:池窪 弘務
>ご父君はどのような声、節回しで豆をまいていただろうと、まねてはみたが所詮は自分の声となってしまうのだ、それでも一年に一度でも父を思い出すのだ。
6:節分の炒り豆匂ふ厨かな:谷口 千枝
>穏やかな句だ。大豆を炒る香りが厨に広がる。それだけで春を迎える気持ちになれるのだ。豆をまくのは男役だが、炒るのも撒くのも女性の千枝さんだ。
7:豆まきや庭の鳥にもおすそ分け:佐川 富子
>女の子が「鬼は外」と外に豆をまく。お母さんがなぜ外にばかり撒くのと聞くと、「明日の朝雀さんがたくさん来てくれるように」とこたえる。新聞漫画より。
12:節分や遠き昭和は鬼の役:斜木 美秋 ○鴻風
>平成も残り僅かだ。草田男の句に「〜明治は遠くなりにけり」があるが、昭和も遠くなった物である。元気な頃は鬼の役もやったであろう美秋さんを思う。
14:押入れに隠れ覗く児「鬼は外」:佐藤トシエ
>保育所や幼稚園であれば「押入」があわないし、ご家庭での一コマと取るべきなのでしょう。押入に隠れてはみたものの怖い物見たさに覗く女の子の姿。
17:百薬の長とし楽しむおでん鍋:岩渕 純子
>おでんは確かに「百薬の長」かもしれない。大根はビタミンCやジアスターゼ
つみれはカルシューム。此のようにみるとおでんの種はみな百薬であろう。
25:炉語りの楽しき宿や飛騨の郷:石破 利久
>「炉語り」が季語。親季語は「炉」である。炉がしつらえてある宿と聞いただけで歴史と由緒のある飛騨の宿を思う。一度こうした宿に泊まりたいと思う。
29:母の味恋し懐かし鰤大根:山口 沙智
>沙智さんの生国は富山と聞いた事がある。富山湾は鰤の漁獲量は日本一。鰤と大根を炊いたお母さんの味を懐かしんでいる。家族は10人で会ったという。
33:寒の鵙ブル−シートのかかる屋根:太田 紀子
>ブルーシートで覆われた屋根。どんな災害で屋根を綴がされたのだろう。おそらく台風で剥がされたのだろうが、そこに止まる鵙はそれを知ってか知らずか。
36:鶴の舞う根釧平野の遅れ汽車:若西 花菜
>「舞う」は「舞ふ」。細かなところにも気を注ぎたい。どうして汽車が遅れたかの説明はないが、おそらく大雪のためだろうと推察するのである。
38:六尺の狸は陶製冬の園:持田 清月
>冬の香煙に立つ六尺の陶の狸とは結構大きな物だろう。笠を被り通帳と徳利をもって酒を買いに行く姿にしたのは誰か知らないが、面白い姿である。
41:曲折の過去を見透かす寒鴉:梶 鴻風
>鴻が外に出ると「あほ〜・あほ〜」と呼びかけてくる。雪玉を作り投げようとすると、おまえの玉など当たるか「あほ〜・あほ〜」と鳴いている。
44:豆撒きや羽織袴の異邦人:片山 明俊 ○鴻風
>そのうちに外人に此の日本の國が乗っ取られると思うような勢いで外人が街に溢れている。豆を撒くのは力士を始め日本男児であったが。風刺句とも思う。
51:春めける日差しに猫の親子かな:村岡 雅
>冬の間ストーブ近くに陣取っていた猫の親子も、春の日差しが差し込むようになると、窓際に移動するようになる。もう少し温かくなると親子して外に抜け出すのだ。

 必ず、一度は加算をしてみてください。鴻風

288.「句写美」全国東京句会in立川  
名前:鴻風    日付:2012/4/9(月) 21:30
「句写美」全国東京句会in立川

実施 日:平成24年6月3日(日曜日)
集合場所:JR立川駅・東改札正面・切符売り場周辺・11時
散策場所:国営昭和記念公園 11時〜12時
昼食場所:立川駅前 和食「がんこ」 12時より
句  会:昼食後その場にて13時〜15時まで句会、
      その後近くの喫茶店に移動17時〜18時位に解散
投  句:出席者は5月20日までに俳句「当季雑詠」を鴻風先生宛に投句ください。
投句数 :4句  
送  先:送題を「句写美東京句会作品」として (kouhuu52@live.jp)宛にお送りください。
選  句:11時に集合した時にに、作品集を参加者にお渡しいたします。
費  用:昼食代・喫茶代・他で、おおむね5,000円位です。
参加申込:4月30日までに持田清月までお知らせください。                        (seiji.m0753@gmail.com)

 尚、遠方よりの方は、駅周辺に多くのホテルがありますのでご自分でよろしくお願い致します。
 立川アーバンホテル・立川ワシントンホテル・立川グランドホテル・ホテルメッツ立川・立川リージェントホテル・昭和ホテル・などです。

たくさんの皆様方のご参加を心よりお待ちいたしております。持田 清月

282.2月26日神戸新聞夕刊「イイミミ」欄に掲載  
名前:豊水    日付:2008/2/28(木) 11:15
 
 喜寿はまだまだいける

喜寿の同窓会をしました。今年創立130年を迎える
神戸商業高校に昭和20年4月入学。大空襲の中を
逃げ回り、焼け跡や闇市の名残がある26年に高校を
卒業しました。

戦災と震災を経験した神戸や明石の在住者がほとんどの
22人です。今の高校生が生きていく、これからの
日本はどうなっていくんでしょうね。
半世紀以上も戦争のない平和な日本で育った若者を
心配する声も出て、戦時中の話題が一番多かったです。
喜寿は、まだまだ大丈夫だと思った1日でした。

  (神戸・西区、無職、男、77) 

投稿者 小森豊水(県商創立130年を伝えたかっかのと、
       これからも戦争の無い日本を願った。)

神戸新聞には読者の声を聞いて掲載する欄が40年以上も前から
続いています。石破利久、片山明俊さんも同級生として参加した
喜寿祝賀会のことをFAXで送りました。俳句にしたかったのですが、
参加した友人の一人がその夜に自宅で入浴中に亡くなり、楽しい句も悲しい句も作れませんでした。

281.「しあせの村」仮設のお花畑  
名前:豊水    日付:2008/1/31(木) 12:18
(阪神大震災関連 平成9年12月記)

私は2年間仮設住宅で暮らし、「しあわせの村」の朝夕の巣晴らしさ
を体験しました。暗いニュースも有りましたが、
楽しい事もあり、今は良い思い出になりました。

平成9年、
私の住所は(北区山田町下谷上中一里山仮設しあわせの村住宅)です。
平成7年8月に須磨区から夫婦で入居し、40年ぶりの夫婦二人だけ
の生活です。私の住まいは「日本庭園」駐車場の南端のゆるやかな
法面を下がった正面にあり、この法面は、春から秋まで素晴らしい
「お花畑」になり、特に数百本のコスモスが咲き乱れる夏から秋は、「どこのコスモスよりも一番きれい!」と仮設の人々に喜ばれました。

このお花畑は私が造ったものです。土の少ない粘土質の斜面を耕し、
雑草も枯れる夏には毎日水を撒き、酔って帰った深夜もホースを
引っ張り出したりしていました。ただ三十米の散水ホースが届かない
ところは見事に枯れてしまいました。

駐車場への階段はバス停へのメイン道路で、朝夕行き帰る人々で
私の住まいと「お花畑」の周りは仮設銀座と言っても良い程です。
寒いときは無理ですが、毎朝、目が覚めれば手入れをしたり、
外に椅子を出し、ゆっくりと煙草を吸ったりしていると、
「きれいに咲きましたねぇ」が挨拶で、親しく声を掛け合える人達が
増えてきました。「大変ですね、水道代も馬鹿にならへんわねぇ」と
心配してくれる人、「たくさんサシましたね」と鹿児島出身の
おばあさん、「咲く」を鹿児島では「サス」と言うらしい。

早朝、少しうつむき加減に足早でバス停へ向かう人が、
「わあーきれい、気持ちええなぁ」と少し表情がほころび、又、
夕方、仕事帰りの奥さんが、お花畑を一望できる階段で「ここまで
帰ってきて、きれいなお花が見えたらホットするわ」の声が聞こえ
たりします。

ある時、突然、男の子の大きな泣き声で飛び出してみると、
ちいさな子が「お花畑」の中で草むらをにらんで泣いています。
バッタを捕ろうとすると逃げられ、その都度、怒って大声を張り上げ
泣くのです。「バッタも夜になるから帰るんや、又、明日や、
これ持って、早よ帰り」と持たしたコスモスの束を握り、大きな声で
泣きながら帰っていきました。

この子は毎朝、お姉ちゃんに手を引かれ、若いお母さんと一緒に階段
を登って行きます。子供は保育所、お母さんはお仕事なのでしょう。

仮設の人々はこの家族の様な若い人はわずかで、殆どがお年寄り、
それも一人住まいです。
老いと病気、生活の不安を自分から口にする事も少なく、いつも無口
になりがちです。孤独死もあり、入院後、姿が見えなくなった人も
います。今、お花畑は毎朝霜が降り、凍てつき、寒々としていますが、
間もなく春が来ます。

しかし、仮設の人達には、確実に老いが深まり、病気や生活の苦しみが
増してきます。ほんの一瞬のやすらぎに過ぎない「お花畑」ですが、
春には、もっと華やかに、仮設のすべての家庭に花が生けられる様、
たくさんの花を咲かせる積もりです。

280.阪神淡路大震災の被害    豊水  
名前:豊水    日付:2008/1/17(木) 11:35
死者 6434人  重傷 10683人  軽症 33109人

住家被害 全壊 104.906棟  半壊 245.182棟

279.脳力トレ「旅を思い出してみる」 11  
名前:豊水    日付:2007/12/4(火) 11:13

ドライブ旅行に付き物の様に思い出すものがある、
交通違反、事故で、その現場、状況を鮮明に記憶している。

ネズミ取り・2 一旦停止・1 接触事故・1

山形から「竿灯」の秋田を目指している時、ピピー!さほど飛ばして
いないのに、と思ったが、田園の中を続く国道、のんびり走っている
内に、田舎の国道と思っていたのが秋田市内に入っていたらしく、
制限速度が50キロから40キロに変わっていた。

調書を取る立派なお回りさんの秋田弁に参った。
笑うのは失礼とときどき噴き出しそうになりながら堪えるのに苦労。
終わって車の中で3人笑い転げ、いやな思いは吹き飛んだ。

弘前への国道、「急ぐので少し飛ばします」「私、後からの白バイに
注意します」と言うのを私は運転を交代して後部座席で聞きながら
横になり、ウトウトして居ると、ピピー!。
「ネズミ取りの線なかったけどな」とY。その頃のネズミ取りの
速度測定は道路端に線をはり注意すればわかるものであった。
結局電柱を利用し線を上にあげていたのである。
常時設置してあって地元の人は皆知っているらしく県外者が捕まる。
「青森への訪問者に失礼やないか」などぶつぶつ言ってみた。

日光から草津温泉への途中、群馬県中之条町で広い道路から小さい道路に合流した時ピピー!
一旦停止違反、小さい道路側が一旦停止と思ったが、走ってきた
広い立派な道路が「町道」小さい道路が「国道」であった。

岩手県宮古から陸中海岸を気仙沼への途中、美しい海岸美も長時間続くと飽きる、海辺には道路はなく、切立った陸の中腹を登り下り、
カーブがつずく、退屈まぎれに明日行く松島を思い、
「エンヤトットまつしーまのサーヨー・・」と鼻歌でカーブの峠、
対向車と接触、軽度であったが左の絶壁を恐れ中央線にかかっていた
当方のミス、後日修理代を送る事で示談。電話も無く、呼んでも警察はいつ来るか判らない場所である。以後運転中は鼻歌をやめた。

八甲田山を経て青森に入った所で前方を横切る「ねぶた」を見つけ、
急いで近くの住宅街に駐車、「ねぶた」を追いかける、追い越しながら次々と見ていき、駅前でゆっくりと見物、その頃は道路に歩道橋も
無く、現在より一回り大きい「ねぶた」、1台に300人ほどの人が
付き、スキップしながら跳ねるパワーに圧倒された。
8月始めの「ねぶた」が終わると東北は秋になる。

巡行がおわり深夜になっても派手な衣装の若者が町に,
飲み屋に溢れている。
「ねぶた」の夜、青森の多くの娘が処女を捨てる、と言っていた。

私達はそれからが大変だった、駐車した場所をさがして約1時間、
青森の町を探し歩いた。ようやく見付けたがそれは想像以上に離れた
所だった。

チンドン屋についていき、迷い子になる子供と同じやと思った。

278.脳力トレ「旅を思い出してみる」 10  
名前:豊水    日付:2007/10/14(日) 13:7
城・城址・(3)

月山富田城址(島根県安来市)

山陰の戦国武将尼子氏の居城祉、山陽の毛利氏に攻められ滅亡。
家臣の山中鹿之助が、尼子の再興を誓い三日月に
「願わくば我に七難八苦を与え給え」と祈った話が伝わっている。

堀に見なした川を渡ると開けた台地が城址。尼子氏の一族新宮党の
墓があった。
毛利と尼子の争いを少し読んでいた時なので思いをめぐらしていた。

すぐ近くに有名な「足立美術館」がある。日本画の名品多く、
なかでも松本大観の絵の所蔵が多く、富士山の大作に圧倒された。
日本庭園の素晴らしさは世界に知られている。

上月(こうずき)城址 兵庫県佐用郡

岡山県境に近くの上月城、尼子勝久と山中鹿之助は秀吉の毛利攻めに
加わり攻略。尼子の城となる。再興を祈った山中鹿之助の念願が
叶った。

しかし間もなく東播磨の三木城主・別所長治が織田に背き、
毛利についたため秀吉軍は三木へ転進、残された尼子は毛利の大軍に
攻められ落城、尼子勝久は自刃し、山中は捕らえられ、護送の途中
岡山・高梁川で殺される。尼子の夢は儚く消えた。
小さな山城で城址には尼子某の墓石らしいものが一つあった。

山中鹿之助の次男、新六は摂津国川辺郡鴻池村(現伊丹市)に逃れ、
濁酒の醸造販売をはじめる。あるとき、新六をうらむ人が酒樽に
灰を投げ込むがそれが偶然清酒となり、爆発的に売れ、
江戸時代の豪商となる

新六は村名にちなんで姓を鴻池、屋号を鴻池屋とし、鴻池財閥に
発展する。

鴻池銀行は三和銀行・りそな銀行となる。他に鴻池建設・鴻池運輸。

276.脳力トレ「旅を思い出して見る」10  
名前:豊水    日付:2007/10/7(日) 10:29
 城・城址(2)

 唐津城(佐賀県)

博多から唐津へ、唐津の手前で虹の松原に出た。
緩やかに湾曲した海岸線、白砂の浜辺に沿って緑の松原が
長く美しい。唐津城は、信州松本から明石藩へ、
そして現存する明石城を築城した後、小倉藩(15万石)に移った

小笠原氏(弓,礼法の小笠原流宗家であり、一族が探検した南方の地は小笠原諸島と名付けられた)の支城として関心があった。

信濃小笠原氏は、今、NHKで放映中の「風林火山」に出てくる
武田信玄につき、後に武田氏とともに滅びるが、徳川時代に入り
旧領地に復活した。

島々や岬に囲まれ玄界灘への出入り口が見えない唐津湾に突き出た
唐津城は、海の中に建っているようで城内外の景色素晴らしい。
天守に登り、殿様はええなぁ、と周囲を見渡していた。
2度目に訪れた時は「唐津くんち」を見た。

 平戸城(長崎県)


最初に行ったときは、対岸の平戸島へフェリーで渡った。
今は平戸大橋がある。特筆すべきものが三つあった。

「松浦藩資料館」

元寇の際にも活躍した海賊松浦党の子孫、平戸藩松浦氏の平戸は、
江戸時代から対外貿易が盛んに行われ(のちに長崎に拠点が移る)
禄高を大きく上回る収入があったと云われ、収蔵されている
鎧、兜、武具等に立派なものが多い。

特に目を引いたのは、「鏃(矢じり)」収集展示物であった。戦闘用、合図用、装飾用と、手入れが良く光っている物ばかりが数多くあり、
いまだに他で見た事は無いものばかりであった。

「明治天皇の産着」

新しく作られた天守か古くからある狸門のどちらかに、
白い明治天皇の産着が展示されていた。
こんなところに何故と思った。簡単な説明があり、
大正天皇の子(明治天皇)を生んだ中山慶子は権大納言中山忠能の
娘で、その母は平戸藩主松浦家の娘で中山家に嫁いでいる。
松浦家は明治天皇の祖母の実家であり、娘の出産、幼児の明治天皇の
世話もしたと思われる。

「キリスト教会と仏教寺院の並ぶ風景」
長崎県は江戸時代からクリスチャンが多く、平戸も迫害を受ける
時代を乗り越え熱心なクリスチャンが多い。
丘の中腹に古びてはいるが大きく立派なお寺があり、見上げると
教会と並んで視野に入ってくる。
互いの信仰を尊重し合っている穏やかな光景をしばらく見ていた。

275.丸岡城 一部訂正  
名前:豊水    日付:2007/9/29(土) 9:30
日本最古の天守と書きましたが、現存する日本最古の天守です。

274.脳力トレ「旅を思い出してみる 9  
名前:豊水    日付:2007/9/28(金) 12:47
城・城址

いつも同行していた三人は、ドライブ好きのM,城郭研究家のY,
歴史好きの私なので、お城は出来るだけ見るようにしていた。
私は城にまつわる出来事や、代々の城主の変遷、子孫や家臣にまで
興味があり、それぞれの時代を思い浮かべ、歴史の現場にたった事を
喜びに思っていた。Yはどんな城でも天主に登る。
鉄筋コンクリート造の城でも必ず登る。私は新しい建造物としての城には上からの景色を見たい時だけ登った。

丸岡城(福井県)

日本最古の天守・石瓦葺に興味があった。小さなお城で、石葺きの瓦を確認した。扁平な石を瓦状の形にして葺いてあったが、風化していた事もあるが良い石とは云えない。財政的な問題で土焼きの瓦を葺けなかったのが真相らしい。
日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は丸岡藩主本多成重(幼名仙千代)の父、本多作左衛門が陣中から妻に送ったもので、最近は日本一短い手紙・愛の往復
手紙が募集発表され、映画化もされている。

春日山城址(新潟県)

上杉謙信の居城、天然の要害、難攻不落の城と言われていたが、
上杉家が山形米沢に移封されてのち、要害が後に堀氏の代に不便だとして、直江津に移り、春日山城は廃城となった。
車は山すそを少し上がったところで通行不能。歩いて登り始める。
転落しそうなくらい危険な箇所多く、難攻不落を実感した。
敵が攻めるのも難しいが、家臣の登城の苦労も思われた。
城址には見るべきものは残っておらず、ただ越後の山々が見渡せるだけであった。

米沢城址(山形県)

徳川政権になり、上杉家は大きく減封され、米沢に移る。
多くの家臣を抱え財政は困窮する。それを立て直すのに貢献した
上杉鷹山の銅像が、城址に建てられた上杉神社にあったと思う。
特筆すべきは上杉家の墓所、御廟と呼ばれ広大な敷地を持ち、
中心に上杉謙信の見上げるほど大きい墓があり、一族の墓が並ぶ。
案内の老女が、現在の直系の上杉さんは東京でサラリーマンをして
おられ、良くお参りに見えられます、と言っていた。

墓地は、相続税、固定資産税の課税対象外のおかげで、
すでに滅びた家の墓地が残っている事が多い。
私は城下では必ず城主の墓所を聞いて訪れている。
著名な武将の名を見つけてはお参りしている。

273.脳力トレ「旅を思い出して見る」8  
名前:豊水    日付:2007/9/22(土) 14:5
 「温泉」2

「川冶温泉」>福島県
福島から吾妻磐梯を越えて猪苗代湖へ。野口英世の生家を見て
会津若松へ向かう、広い海の様な湖面のはずれの急坂をくねくねと
下って行く。水面より下へ進むのは、いつも海を見慣れている私には
異様に思えた。

飯盛山で白虎隊の墓、さざえ堂などを見た。さざえ堂は、木造六角形、三層の建物で、堂内は階段は無く、回廊が登り、降り別についている。
初期には観音像が祭られていたらしいが、明治の廃仏毀釈で神社になり
なにが祭ってあったか覚えていない。

仕事柄、建物の平面図を書くことが多いが、さざえ堂は書けない。
なにせ、どこまでが一階か二階かが判らない。
全国には他に2・3箇所あるようだが珍しい。

会津若松から日光へ向かう途中、夜になり、川冶温泉(少し行くと
鬼怒川温泉・日光)に泊まることにし、案内所を探していると、
男が近ずいて来て「神戸からですか、私も神戸に居た事があります」
と言う、親近感をおぼえ、その男の奨める旅館に入る事にした。
よく聞いてみると、出征で姫路連隊に入隊する前日、須磨区板宿の知人宅に泊まったとの事

川冶温泉の川沿いの露天風呂、湯船が自然の黒い岩で、透き通った湯の中に浸かっている自分の肌の白さに驚いた。
急に黒が白になるわけは無い。黒い岩なので肌が白く見えた。
どこかのラブホテルでは、この効果を利用しているかもしれない。
一度試して見て下さい。

「草津温泉」群馬県
ここの湯は熱い、昔から客の入浴前に草津節になっている湯もみ
(幅30センチ程の長い板で湯を混ぜ温度を下げる)をしていた。
有名な湯畑のそばの小屋で湯もみの実演をしている。
「草津よいとこ 一度はオイデ・・」と歌いながら私も参加した。
難しい、しかし、お世辞と思うが、一番上手と言われ、賞品を貰った。

宿で湯につかると、思わず熱い!けど気持ちいい!と声が出た。
ひざから少しずつ湯につかっていく、つかっていくところから気持ちよさが伝わって来る。
私が温泉で特に良い湯と思っているのは、ぬるい目でゆっくり温まる
山中温泉と、昼神温泉(長野県)と、この草津温泉の三つである。
朝食がおいしく腹いっぱいになり失敗した。ドライブ旅行では次にどんな美味しい物があるか分からないないので、
胃袋は常に余裕を持たすことにしていたのだが、宿を出てすぐ
みやげもの店の店頭でゆげをあげている温泉饅頭の入る余地が
無くなっており、残念で今も思い出す。

272.脳力トレ「旅を思い出して見る 8  
名前:豊水    日付:2007/9/21(金) 11:42
西国三十三ヶ所観音霊場巡拝   

信仰心は無いに等しい私ですが、母の遺品の中に新西国三十三ヶ所の
集印帳があって数ヶ所回っただけになっていました。
七回忌までに結願(全部回り終える)にしようと思い、残り二十数か所を二年かけてお参りしました。

少し不謹慎ですが、レジャードライブとして、春は桜の醍醐寺、
夏は涼しい高野山、秋は紅葉の箕面、等美しい自然と、刻まれた歴史に誘われ、更に二年かけて西国三十三ヶ所も回り終えました。
西国参りとはどんな事かを少しわかって来たように思います。
お寺参りなんか、とか、信仰・宗派が違う、とかで関心が薄い人も多いと思いますが、千年にわたり多くの人々が参拝してきた西国参りがどんな事かを説明します。

「観音様と三十三という数字」
法華経の中の観音経に、観音様は衆生のあらゆる悩みや罪業を救ってくれると言う事が説かれています。観音様は三十三の姿に変えてこの世に現れると言われ、この数にちなんで近畿地方を中心に散在する観音寺院を巡拝する為に定められたのが「三十三ヶ所観音霊場」です。

「開基と中興」
養老二年(718)長谷寺を開いた徳道上人によって始められたと言われています。しかし、人々の信頼を得られず、次第にさびれました。
270年後の永延二年(980)花山法皇が性空上人を供に
西国三十三ヶ所を定めその後盛んになりました。

「札所」
霊場のことを「札所」とも呼ばれていますが、昔の巡礼は観音様の前でお経やご詠歌を唱え、そのしるしとして「納札」という木の札を打ちつけていた事からその名がつきました。
その後、紙札に変り、現在では巡拝の記念に宝印をかたどった朱印を、
集印帳や納経軸に押してもらうことが一般に行われています。

「西国観音霊場の宗派」
観音様にお参りすることなので、宗派を超えているのですが、西国の寺院の宗派の内訳は、真言宗・15 天台宗・14 法相宗・1 北法相宗・1 救世観音宗・1粉河観音宗・1となっています。
千年前に制定された時点では、日蓮宗・禅宗・真宗等はまだありませんでした。

交通の便が良くなったとは言え、範囲が広く、難所もあり、全部まわるのには今でも日数がかかりますが、数百年を経た建造物・仏像等見るべきものも多く、長い歴史の重みも実感出来、又、ときには登山に近い自然の中の歩きは、心身共にリフレッシュする様に思います。
信仰とはいえ、健全なリクレーション、観光、としての楽しみ方は現代だけでなく、すでに古くから庶民のものであったように思います。
平成8年記

追記
その後、2度目の西国まいりを初め、現在、京都・滋賀・岐阜の4ヶ寺を残しています。四国八十八ヶ所参りは、三女がいる高知に行くつど
お参りしていますが、現在、徳島・高知の20ヶ寺をお参りしています。
ついでにお参りはいけない、と言われているようですが、信仰心の薄い
私は意にかいしていません。各宗派の知っているお題目は唱え、ついで
母の戒名を唱えています。ときには経本をみながら、般若心経を唱えています。 平成19年9月記

271.脳力トレ「旅を思い出して見る」7  
名前:豊水    日付:2007/9/17(月) 10:30
 (温泉)
ドライブ旅行では自由に行動できることもあり、
宿泊は著名な観光地が多く、その殆どが温泉地であった。
特に温泉が好きと言う事も無いのだが、夕・夜・朝と湯につかり、
ときには昼に立ち寄る事もあり、
やはり日本は温泉国。私も温泉好きの日本人かと思い至った。
30数年前の印象に残る温泉を思い出して見る。

[登別温泉・第一滝本館]

東洋一とうたっていた大浴場。多くの湯船がある浴場。
混浴で見回して見ると、女性の姿も多く、若い人もいる。
キョロキョロしていると数人の中高年の女性グループが
タオルで前を隠しながら近ずいてくる。見学風である。

さらに近ずいてきたとき、私は思わず首まで湯に沈めた。
見られる!と、とっさに身を隠した。
男が見る、女性は隠すが普通だが、見られて恥ずかしい、と
とっさに行動した可笑しい出来事でどんな湯だったか覚えていない。

[玉川温泉]秋田県 十和田八幡平国立公園内

低い石山の中腹から90度以上の温泉が噴出している。
噴出した湯が小川になって大浴場に流れて行く。
100%温泉の小川だ。
大浴場までに温度が下がりちょうど良い入浴温度になる。
全部木造、壁・床・湯船が黒ずんだ木造り、
トルコ風呂の様な蒸し風呂も木造、出入りの小さな板戸の
蝶番は自転車のチューブ、強酸性の湯で金属は使えない。
湯船につかると、足先に沈殿物がぬるぬるしている、
足でかき混ぜると一瞬で湯が濁る。しかし、湯が流れているので
1分もしない内に透明に戻る。ここも混浴、

若い母親が」二人の子供の手を両手に引いてどこも隠さずに
入ってくる。
ここはその頃療養用の自炊宿泊所しかなく、浴場の入り口付近に
貸し出し用の鍋・茶瓶・茶碗などがおいてあり、
お米・野菜なども売っていた。1週間くらいは滞在しているようだ。

近年、温泉噴出口付近の岩場で寝転んで療養する人が増えて
いるらしい。末期ガンが消えた話などテレビで放送していた。

[鳴子温泉]宮城県

首をひねるとキュッキュッと鳴る、鳴子こけし人形でも有名。
みやげもの屋に大小たくさんのこけしが並んでいる。
天狗とお多福さんの面の飾り物も多く見かけた。
木屑を固めて作ってある。何かいわれがあるの?と聞けば、
下から見てください、といわれ、なるほど!と思った。
天狗さんは男性の、お多福さんは女性のそれぞれの性器が
リアルに見える。一番小さいのを買った。

客の少ない時期で人影はまばら、客引きに誘われストリップ小屋に
入った。客は私たち3人、踊り子4人、方言まじりで「どこから?」
「神戸や」「行ってみたいわ」「なんでダンサーしとんねん?」
「いろいろあってね」と世間話しをしながら踊りつづけていたス
トリッパー、やさしい哀愁を感じた。

270.梅薫について  
名前:豊水    日付:2007/9/15(土) 13:57
淡路の江井は江戸時代から海運で栄え、多くの船頭・水主がいて、日本海の各所や北海道まで往来していました。高田屋嘉兵衛も兵庫の水主(かこ)から船頭、船主になります。北海道からの主な積荷は昆布と
干した鰊でした。多くの船が日本海を回り、当然多くの船乗りがいます。線香をつくるは女性の仕事、男は船に乗っていたようです。

何度も北海道へ行き来していた船頭・水主がにしんに目をつけたと思われます。干鰊(ほしか)は油肥料として近畿一円で引き手あまたで、
大きく儲かる商品だったのです。明治に入って綿や農作物の栽培に威力を発揮していました。庶民も、ようやく綿の布団を着る事がふえ、綿の需要が高まり、ほしかを肥料にすると2倍3倍もの収穫になり、いくらあっても足りないものでした。

北前船をはじめ多くの船が瀬戸内・日本海の各所や北海道までまわり、
商品の情報・知識を船乗りまで持っていたと思われます。

したがって、私は南梅薫は船主でもある線香屋では無く、船頭・水主のような船乗りではないかと思いました。南の姓は線香屋には無く、
現在の淡路島にはいくらかあるようです。

269.「梅薫」と言う名について   
名前:豊水     日付:2007/9/14(金) 13:15
淡路島の線香の会社に梅薫堂というのがあります。
高田屋嘉兵衛の出身地、都志の近くに「江井」と言うところがあります。日本の線香のシェア70%を占める線香の産地です。
江井は江戸時代阿波蜂須賀藩の庇護を受け、廻船業が盛んで、廻船問屋が軒を並べ、良港を持ち栄えていました。

しかし、冬場の江井は、瀬戸内海の季節風で港が閉ざされる事が多く、
浦人は出稼ぎに出たりしますが、生活は苦しく、線香製造が女性の手内職として合っていることや、冬場になっても0度以下になら無い気候が適している事と、原料の搬入、製品輸送の便の良い事から、
船主7軒(その内の1軒が梅薫堂)によって線香作りが始まります。

梅薫堂の創業は嘉永3年(1850年)で江井の線香作りの中心的な存在でした。杉の葉を船で運び込み、粉にして線香を作っていました。

明治期には大きな産業となり、梅薫堂も著名であったと思います。
高田屋嘉兵衛が船頭から船主となり、函館を拠点にしていたり、又、
江差の横山家を見学したとき、案内人が京風・上方風を強調しているのを聞き、瀬戸内・日本海をめぐっていた、関西の船主・船頭・水夫上がりかな思つた事など、北海道に根ずいた人たちの、望郷の念を感じました。

「梅薫」の名称や言葉は他に使われてのは見かけません。
南梅薫は故郷が誇る線香の著名な梅薫堂の「梅薫」への思いがあったのではと思います。

従って、淡路島瀬戸内海側の「江井」(現淡路市江井)の出身ではないかと思います。

日本海を往来していた船頭・水夫に俳句を詠む知識があったと思われず
北海道で成功してからの旦那の余裕で始めたのではないでしょうか。
横山家の京風とおなじではないでしょうか。

取りあえずの考察ですが、もう少し調べてみます。

268.脳力トレ「旅を思い出して見る」6  小森 豊  
名前:豊水    日付:2007/9/13(木) 13:13
御岳さん・清内路峠・昼神温泉

10数年前の9月、車は木曾福島から御岳山7合目近くの田の原まで
行ける。広い平地の天然公園で御岳頂上が目の前に見え、
公園内は木道で、高山低木の多い中を散策できる。
展望台から北アルプスの山々が近くに見えた。高い山同士は良く
見える、と言うのは以前に滋賀県の伊吹山山頂から雪の御岳さんが
良く見えたことを思い出していたからだ。

寒さを予測してジャンパーを着ていたが、鉄筋の立派な公衆トイレに
入ろうとして驚いた。ドアーを開けると冷凍庫を開けたような強風が
吹きつけ震え上がった。御岳さんからの冷たい風が吹き付けていた。
冷えたせいかおなかが痛くなり、下山途中にある「御岳百草丸」
(正露丸の元祖みたいな薬)の直売所により、土産分も買い、飲んだ。

木曾福島に戻り、南木曽から飯田へ抜ける清内路峠を越え、
昼神温泉に着く。冷えたせいか足のひざが痛く二階へあがる階段で
難儀した。温泉の湯は心地よく、風呂からあがって二階への階段、
傷みは無くなっていた。

「お湯もいいですが、このあたりは木曾駒が岳の伏流水が湧き、
水も美味しいですよ」と聞き、翌朝、湧き清水がある清内路峠を
少し戻った。山肌から湧き出る清水、甘露であった。
帰ろうとした時、清水のそばに小さな句碑にきずき、見ると笠を被った坊さんの後姿が描かれ、山頭火とあり、
「まったく雲がない笠をぬぎ」の句が書かれていた。

俳句にあまり関心のなかった私だが、山頭火の句は以前から少し興味を持ち、何冊かの本を読んだり、神戸の劇団の公演「うしろすがたのしぐれていくか」を見たりしていた。後で調べると山頭火は伊那の井上井月の墓参への途中であったとの事、清内路峠を越え飯田で病になり、療養して伊那で墓参をすましている。句碑を見つけたことが何か嬉しかった

267.脳力トレ「旅を思い出して見る 5   小森 豊  
名前:豊水    日付:2007/9/10(月) 10:26
富士山の星空  小森 豊  

仕事に利用する写真を探していたら美しい富士山の写真を
見つけ、以前にどうしても1度登りたいの思いが強くなり、
50才台に頂上を目指した事を思い出した。

3度挑戦、最初は富士吉田から、5合目から割合なだらかな道、
いけそうや、と思ったが6合目の山小屋を過ぎるとキツクなり、
やっとの思いで7合目の山小屋に到着、宿泊。

山小屋は、ひとつの布団に二人で入る。
この時は家内と一緒であったが、他人同志でも同じ。
7月だが防寒の着衣のまま布団に入る。
しかし、布団は石のように冷たい、隣にいた若い外国人男性が
上半身裸になって布団に入った。驚いて余計に寒気が増した。
午前2時頃、トイレに行こうと外へ出て、目を見張った。

頭上に降り注ぐような満天の星、上だけで無く、山の斜面に沿って
足元まで輝く星で溢れている。こんな景色がこの世にあるとは
想像もつかなかった。

ご来光を拝んで出発、しかし、足が上がらない!一段も登れない!
しんどい! 気圧の変化と、酸素不足が、健康に自信のあった私を
襲う。残念、下山。のちに、富士吉田から、富士宮からと2度挑戦、
同じく7合目で敗退。
宿泊した河口湖から見た富士が美しくも少し遠くなった気がした。

あの満天の星を、もう1度見たい! しかし、もう無理やな。

264.長谷川テル女史伝  
名前:kou    日付:2007/8/29(水) 15:35
承知しました。入手次第お届け致します。今しばらくお待ち下さい。
尚、ジャムスからの日記で拝見しましたお墓の名前〈緑川英子〉はペンネームだそうです。

===============================================================

利久さん、お手数でもよろしくお願いいたします。
 楽しみにしております。

 緑川英子は筆名でしたか。
 お墓に刻まれた名前は、緑川英子でした。

 kouが死んだら「梶 鴻風之墓」としますか。
 しかし、死んだらどうでもいいことですね。
 緑川英子の墓は実に立派なものでした。

263.長谷川テル女史のこと  
名前:kou    日付:2007/8/28(火) 1:17
日中戦争直前に中国にわたり、戦争中、肉声とペンで反戦、平和を訴え続けた日本人女性長谷川テル女史が1947年ジャムスで病死、今年女史の生き方が伝記となり大阪の市民グループが一冊の本にまとめたとの記事がありました。kou先生若しご入用でしたら取り寄せますのでお申し付け下さい。

================================

 利久さん、ぜひお願いします。
 ものすごく立派なお墓なんです。
 kouも行って参拝してきました。
 なぜ、こんなところに、こんな立派なお墓があるのか、
調べようと思い、そのままになっています。
 ただ、お墓に書かれていた名前と違う気もしましたが、
 ぜひお願いいたします。
 


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