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声の広場

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661.連呼 返信  引用 
名前:あわら市民Z    日付:2017/6/12(月) 12:45
ほんと、朝から晩まで、名前の連呼にうんざり・・・
区内の細い道くらい、音量落とせよ・・・

とりあえず、家の前通ってた爆音選挙カー連中には投票しないわ。

660.徘徊 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2017/2/12(日) 11:6
 牧田さんのブログにあるように医大病院で迷った。駐車した車の位置さえ分からない。何ヵ所もある広大な敷地の駐車場、同じような車が並び吹雪いた雪に覆われている。待ち合わせた病院の出入口さえ分からない、同様な出入口が何ヵ所もある。その何処にも彼はいなかった。駐車場を捜しまわりようやく見つけ雪道を車を走らせ出入口を捜す。しばらくして車から降りて捜す。

 携帯に電話しょうとしたが財布は車に置き忘れてきた。車に戻ろうとしたが、今度は車を駐車した場所が分からない、自分が方向音痴であることを忘れていたのである。車を、待ち合わせ場所を捜し歩いていた。雪の中どれほど歩いたであろうか時間さえ判然としない状態に陥った。ようやく車を発見し、彼との連絡が取れた。2時間は経過していた。その間冷静な判断力を失い徘徊していたのである。不思議なことに疲労感はない。

 よく徘徊老人のことが話題になる。その経験をしたのである。
私の場合、一面の雪、降りしきる雪が原因で方向感覚を失い、焦りが判断力を鈍らせ彷徨った。方向音痴も原因しているのであろう。

 認知症老人の場合、脳内の認知不足が原因で彷徨うのである。空間を認識できない、時間すら認識できない。狭い空間を彷徨うこともあれば、見知らぬ場所を歩くこともある。体力の限界まで徘徊する。その間は疲労感さえ喪失する。体力の限界に達した時、倒れ、発見されなければ死に至る。用水路に転落し溺死することもある。苦痛はおそらく感じないであろう。

 牧田さんには心配と迷惑を掛けたが、私は「徘徊する」という貴重な体験を得た。徘徊老人の心理状態も少しは理解できた。いずれ記述しょう。

659.里芋 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/12/15(木) 14:44
 知人から大量の里芋をいただいた。親芋(種芋)にびっしり子芋、さらには孫芋がついている。

 里芋の栽培は、まず種芋の植え付けから始まる。種芋が大きく成長し、その種芋から養分を吸収し子芋、孫芋が育つ。養分を吸いつくされた種芋(親芋)の風味は落ち、やがて朽ち果てる。種芋は食べ物とはみなされず、捨て去られる。

 親芋の存在価値は子芋、孫芋を育てるためにある。

 子芋、孫芋を丹念に外し、種芋の処理に当たる。親としての役割を果たした種芋だが、捨て去るには何か躊躇する。子育てを終え、老いた我が身に通じるからであろうか。なんとか活かしたい。

 腐った部位を取り去り、手頃な大きさに切り、塩もみして汚れを洗い流し、下茹でして柔らかくした後、甘辛く煮た。

 子芋、孫芋に比べれば美味いとは言い難い。それでも親芋に最後の場所を与えた。それが包丁人の努めかもしれない。

 種芋を調理しながら親の役割を考えた。人に限らず生きとし生けるもの、植物といえども種(しゅ)を残すために生きる。種を残す役割を終えた後、朽ち果てる。それが森羅万象(しんらばんしょう)、永久(とわ)に続く、不滅の原理だ。

 昨今、育児放棄、我が子への虐待事件の報道が目につく。安易な生き方を選び、「自己愛」がすべてに優先するなら人として、親として愚かの極みと言えよう。

658.印牧邦雄先生近著「彦主人王と男大迹王」 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/12/5(月) 9:29
 印牧邦雄先生が「彦主人王(ひこうしのおおきみ)と男大迹王(をほどのおおきみ)」を上梓された。本年に入って「五大講話集」(1月)「あわらの歴史と文化」(4月)「わが古里の川」(9月)「織物王国福井」(11月)に続き五冊目です。

 男大迹王はいうまでもなく継体天皇の即位前の呼称で、彦主人王は男大迹王の父です。母は坂中井(さかない。坂井郡)の有力豪族の娘・振姫(ふりひめ)です。

 これまで彦主人王の一族・三尾氏は近江国高島郡三尾郷(おうみのくに・たかしまぐん・みおのさと)を発祥地とするとされてきました。

 印牧先生は三尾氏発祥の地は越前国坂中井であると述べられています。たしかに古代、三尾郷の地名は坂中井に存在しました。延喜式に三尾駅の駅名がありますが、その地域は現在のあわら市中川周辺ではないかと比定(ひてい。推測)されています。

 男大迹王と三尾君堅楲(みおのきみかたひ)の娘倭姫(やまとひめ)の間に生まれた椀子皇子(まろこのみこ)は坂中井に勢力を張り、三国氏の祖となっています。

 坂井平野の北東部あわら市中川・瓜生から坂井市丸岡町坪江・川上にかけて北陸屈指の古墳群が存在し(横山古墳群)、なかに大首長のものと推測される墳墓もあり、三尾氏、三国氏との関連も指摘されています。

 さて、古代の史書『上宮記(じょうぐうき)』では彦主人王が弥乎国高島宮(みおのくに・たかしまぐう)で、三国の坂中井から振媛をよんで、王子(男大迹命)をもうけたと記されています。

 弥乎国は三尾国に通じ、その比定地は近江国高島郡三尾郷(現滋賀県高島市)とされています。彦主人王は三尾一族とされていますから、彦主人王、男大迹王を輩出した三尾一族発祥地は近江国高島郡と考えられてきました。

 ただその場合でも高島郡に彦主人王の別業(なりどころ。別宅)が存在していたとの記述は見受けられますが、本拠については特定しておりません。

 先生は三尾一族発祥の地は坂中井であり、後に高島郡に移住したと述べられています。

 邪馬台国の所在地を持ち出すまでもなく、古代史は謎に包まれており、それゆえ想像力が掻き立てられるのですが、我が故郷の地方豪族であった三尾氏が男大迹王の代に至って中央に進出し、大和王朝に迎えられ、王権を築き、その血脈が現在に連なっていることは痛快なことです。

 市民にも壮大な歴史ロマンを紹介したいのですが、著書は限定出版・非売品ですので、一般の方の目に触れることは困難というのが実情です。

 良い方策がないか思案中です。

 

 

657.ほっとする話。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/12/2(金) 0:2
 NO653「可愛そう・・・」で紹介しました子猫を引き取ってくださる方が現れました。金沢の人とのことです。

 ありがたいことです。可愛そう・・・と母子猫を救った彼女の優しさが報われたのです。盲目の母猫は彼女が親身になって世話をするでしょう。二匹の子猫も新しい飼い主のもとで幸せに暮らすでしょう。三匹の尊い命が救われたのです。

「それがどうした。牛豚は容赦なく屠殺されてゆくのだ」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。たしかにそうです。

 だからこそ救える命は救わなくてはならない、とも言えるのです。

 子猫を引き取られた経緯はわかりません。ですが師走に入り寒風が身に凍みる候、ほっとする話です。世のなか、まんざら捨てたものではありません。

656.セコガニ 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/11/21(月) 13:41
 久しぶりに海を見たくて車を走らせた。途中三国サンセットビーチの「三国温泉カニまつり」に立ち寄る。ズワイガニが形が良いもので一杯18000〜25000円。セコガニが800〜1000円。いずれも三国で水揚げされたもの。ズワイで10000円、セコで500円のものも並んでいたが、形は小さい。

 少し離れた鮮魚店に入る。セコガニが入ったトロ箱に3500円の値札が付いている。形も良い。一箱3500円なら安いと思ったが、一杯3500円。余りの高値に呆れ、馬鹿々しくなった。高値もここまでくるとジョークになる。

 スパーでは一杯300円〜400円クラスのセコガニが並ぶ。これらは山陰で水揚げされたもの、あるいは輸入物だろう。冷凍カニを茹で揚げているから味の違いは当然ある。しかし価格ほどの差はない。今年もこれで我慢をするか・・・。

 いつ頃からカニは高値の花になっただろうか。

 60年以上前になる。あの頃、カニのシーズンになるとあちこちの鮮魚店で一斉にセコガニを大釜で茹であげた。独特の匂いが一帯に漂う。その匂いが晩秋のカニシーズン到来を告げる。6杯、10杯と、家族の人数分、一人2杯あては買う。

 あの頃でもズワイガニは高級品で手が出なかった。だがセコガニは値ごろで庶民の味だった。今でいうならサンマだろうか。三国から棒手振り(ぼてふり)さんがカニを売りにきた。京福電車(現越前鉄道)の一番列車で、芦原、春江、福井に出向くのである。
「セコガニいらんかね〜」リアカーを曳き、声を掛けて売り歩く。声を聞きつけた女たちがリアカーを囲む。大家族の家では箱単位で買う。脚の欠けたもの、こぶりなものはとくに安価であった。

 棒手振りさんの姿が消えたのは昭和40年代から50年代にかけてだろうか。

 安価なセコガニは子供のおやつ代わりとなった。セコガニよりも素うどんの方が上等に思えた時代であった。そういう時代を経験している者にとって、今のカニの相場はなんとも摩訶不思議である。

 山と積まれている高価なセコガニには目もくれず、他の鮮魚を物色する。売台に鯛(たい)、甘鯛(あまだい)、鰈(かれい)、真鱈(まだら)、ミズダコ、甘エビ、バイガイなどが並ぶが、種類が少なく物足りない。それでも真鱈(800円)を買う。さほど大きくはないが、腹が張っている。その他には穴子(300円)、ガサエビ(500円)を買う。アナゴは煮付け、ガサエビは刺し身にする。

 帰宅して鱈を捌(さば)く。頭、内臓を含めてほとんど捨てるところがない。見込んだ通り、ダダミ(白子)を抱えていた。真鱈の値打ちはダダミの質(新鮮さ)と量で決まる。肝も大きい。夕食は鱈鍋、明日は荒汁で、夫婦二人なら二日は堪能できる。

 今日、セコガニは高値で敬遠したが、山陰ものが安く出回ったら買おう。越前カニも、山陰カニもしょせんは同じカニ。どこで水揚げされたかの違いだけである。

 越前ガニのブランドを大切にするのも結構だが、庶民感覚からかけ離れた価格維持に固執すれば、やがて消費者離れを引き起こす。セコガニは庶民の味ということを関係者は忘れないで欲しい。

 棒手振りさんの掛声「セコガニいらんかね〜」が懐かしい。

   セコ食(は)めば 棒手振りのこえ 蘇(よみがえ)り        とんぼ

655.印牧邦雄著「織物王国 福井」 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/11/5(土) 18:50
 印牧邦雄先生にとって36冊目となる著書「織物王国 福井」が出版されました。本年に入って「五大講話集」(1月)、「あわらの歴史と文化」(4月)、「わが古里の川」(9月)に続き4冊目です。

 昭和26年(1951)、今から65年前、福井市足羽山古墳群中(4〜6世紀に形成)、四基の古墳が発掘調査されました。印牧先生も委員として参加されております。そのうち山頂古墳について調査された竜ヶ岡古墳(たつがおかこふん)の内部に男女 2体の人骨と鏡・剣・玉類など優秀な副葬品が納められていました。それらの副葬品は布に包まれていたそうです。その布を福井大学工学部で検査したところ、平織りの絹織物だったそうです。

 西暦300〜500年、越前の有力豪族たちは絹をまとっていたのです。

 あわら市について述べるなら、平安時代後期から織田政権が成立する頃まで(中世)、旧坂井郡坪江村(現坂井市丸岡町坪江・川上)からあわら市東山・南疋田・北疋田一帯にわたる地域は、奈良興福寺兼春日社領坪江庄の上郷にあたる地域でした。

 集落はおおむね山麓地帯に立地しており、荘園領主に税として納めたものに御服(ごふく)・綿(真綿)があり、養蚕のための桑の栽培が行われた地域でした。特に御服は、越前絹織物のルーツの一つとされています。
古代から中世にかけて越前でも絹、綿織物が生産されていたのです。

 ただ、織物生産は全国各地でも行われており、越前が特筆すべき産地であったわけではありません。福井県で繊維産業が発展したのは、明治初期から、殖産興業として位置づけ、士族授産事業として織物業振興策が図られ、織物産業先進地の京都、桐生から積極的に技術導入を図ったからです。

 明治、大正期、繊維産業のなかでも輸出羽二重は花形製品でした。羽二重生産には湿潤な気候が適しています。その条件に当てはまるのが福井県の気候でした。先進地であっても乾燥した京都、桐生よりも良質な羽二重が生産されたのです。これに着目したのが、当時財力のあった豪農でした。豪農が織物産業に進出し、先鞭をつけたのです。

「織物王国 福井」はその過程をわかりやすく解説しております。
非売品ですので購入はできません。冊数が少なく、希少本ですが金津図書館には置く予定ですので、興味をお持ちの方ご覧ください。

 印牧先生は現在「彦主人王(ひこうしのおう)と男大迹王(おをほどのおおきみ。継体天皇)」を執筆中で、年内に上梓(じょうし)される予定です。
男大迹王の父・彦主人王は近江国高島郡三尾郷(現滋賀県高島市)を地盤とする三尾一族の出とされてきましたが、近年三尾一族はあわら市・坂井市を地盤とし、後に近江に進出という説が浮上しました。

 奈良時代、あわら市に三尾という地名があり(あわら市中川周辺)、加えて広大な古墳群があわら市、坂井市、松岡、永平寺町にまたがって存在しています。
これらは三尾一族、ならびに継体の末裔(三国氏)の墳墓との説が有力です。

 印牧先生は著書で三尾一族の発祥地はあわら市・坂井市とする根拠を示されております。

 それにしても信じられない程のハイペースで著書を出版されています。先生は70年に亘り考古学、歴史学、郷土史学に携わってこられました。蓄積された知識を後世に伝えたいとの思いが、94歳の先生を突き動かしています。
 

654.あわら市議会もか 返信  引用 
名前:玉置    日付:2016/10/31(月) 9:46
 今日の朝刊に「民報あわら」が入っていました、各地で問題となっている政治活動費のことかと思いましたが、ちょっと異なるようでした。
難しいことはわかりませんが、同様のことかと考えます。
 お金を返したということは、出させたことに問題があったんでしょうね。どうせおんなじメンバーの選挙だと思いますが。
やはり、「あわら市もか」とおもいました。
 来年は、市議会改選の年ですが、今のような議員さんには出てほしくないですね。志のある方勇気をもって挑戦してください。

653. 可愛そう・・・。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/10/20(木) 6:38
「猫、また増えたの」と、彼女はあきらめたように言った。しかし目は笑っている。娘さんが野良猫を拾ってきたのである。しかもその猫は目が見えない、おまけに孕んでいる。

 酷い飼い主がいたもんだ。生まれたときに目に異常があった。それを承知で治療もせずに飼い続けていた。それは良いとしても、雌は発情期になれば交尾をして孕む。それを避けるために、飼い主は必ず避妊手術を施さなければならない。費用を惜しんで、放置して、孕んだとわかったら捨て、野良にした。なんと非情なことを・・・。

 飼い主に見放された盲目の猫は生きていけない。胎児と共に餓死する運命にある。寒空に餌を求めて彷徨(さまよ)う猫を、「可愛そう」と娘さんは拾ってきた。

 すでに犬一頭、猫五匹を養っている。子犬が深い側溝に落ちて吠えていた。消防署に連絡して犬を救出した。「保健所へ持っていきますか」と隊員に問われると、反射的に「私、飼います」と、それが今の犬。

 猫五匹もすべて捨て猫である。「可愛そう…」で彼女たちが面倒をみている。盲目の猫は二匹の子を産んだ。警戒心が強く難義しているそうだ。他の猫と隔離して三匹の世話をしている。

 母娘は優しく、捨て猫、捨て犬を見過ごせないのである。。

「餌代が大変だろう」と聞くと、「そう、だけど病院代がもっとたいへん。犬、おしっこが出なくて薬飲ませているの。猫5匹もいれば喧嘩するでしょう。傷を負って、これも病院、たいへんなの」母一人、娘一人の生活に余裕があるわけではない。困っているだろうが、あきらめたように明るく笑う。

「それだけ尽くせば、恩返し、きっとあるよ」と、同情すれば、
「どうかしら」と応える。「でも、みんな迎えに出てくれるわ。我が子よ、可愛くてね、疲れがとれるわ」と笑う。

 母娘に幸あれ・・・。

※ 子猫を飼ってくださる方募集中!

 

652.都市伝説「セーラー服おじさん」 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/10/15(土) 8:39
 「セーラー服を着たおじさんを見るとハッピーになれる」との都市伝説がインターネットを賑わしている。その「セーラー服おじさん」を京都駅で見かけた。

 ことの顛末を説明すると、

 息子(尚秋)からのプレゼント「京都観光」が終わり、彼は三木市(兵庫県)の勤務地へ戻っていった。「ありがとう、楽しかったわ」と名残惜しそうに家内が手を振る。「尚、世話になった、ありがとうな」と私も手を振った。彼はふりかえり、照れくさそうに手を振った。仲間にはひょうきんな表情を見せる彼だが、日頃親には無愛想である。彼は微笑んでいた。

 家内が京都観光をしたいと彼に漏らした。「費用は持つから」と彼は言い、観光の手配をして親子三人の京都観光が実現した。何から何まで夫婦は息子の好意に甘えることにした。

 彼が住む三木市から京都まで3時間を要するのだが、ホテル、レストランの手配からコースの設定まで地元の人間でも困難な作業を手際よくこなした。

 初日は東寺〜京都御所〜二条城〜銀閣寺。二日目は賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)〜天竜寺〜仁和寺〜嵐山である。賀茂別雷神社は病気平癒に霊験あらたか、ということで念入りに祈りを捧げお札をいただいた。もちろん訪れる寺院は一同、どこでも丁重に手を合わせた。

 連休とあって人ごみが凄い。とりわけ私たちのコースは、いずれも世界遺産、京都でも屈指の観光名所で、観光客のほとんどが外国人といっても過言ではない、そのなかを彼の案内で迷うことなく順序良く訪ねてゆく。よほど下調べをしたのであろう。

 観光を終え、京都駅で別れることになった。手を振って「ここで・・・」彼は笑って改札口へ向かった。私たちはまだ時間があり、駅周辺を散歩していると、家内が「お父さん、変な人がいる」という。彼女の視線の先を見ると、白髪のそれも半ば禿げあがった初老の男性がセーラー服姿で駅構内を闊歩している。

 京都は国際都市、民族衣装の人達も珍しくはない。衣服、衣装もまちまちである。10月半ばというのに肌を極端に露出した男女もいれば、全身を布で多い、顔さえ(目を除いて)隠す衣装ブルカを着用したイスラム圏の女性もいる。世界各国から観光で訪れているから飛び交う言語も種々雑多だが、別に違和感はない。

 それでもセーラー服の白髪男性はさすがに異様である。だが、行き交う人々が極端に奇異感を抱いている様子はない。福井であればすぐに警察官が駆けつけ、不審者として職務質問をするであろう。さすが国際都市、少々のことでは動じないと妙に感心して京都を後にした。

 翌日、家内が職場で「セーラー服を着た奇妙なおじさんを見かけたわ」と話すと、若い女子職員が「その人はセーラー服おじさんといって有名なのよ」と言い、「セーラー服おじさんと逢うとハッピーになるのよ。私も見たかった」とも言った。

 彼がセーラー服を着る理由は分からないのだが、少なくても変態ゆえではない。若い女性、ことに女子高校生に人気があるそうだ。

 インターネットで「セーラー服おじさん」を検索すると、本名小林秀章。1962年生まれとあるから54歳。早稲田大学理工学部数学科卒業、現在まで印刷会社勤務とある。
大手企業に所属するエンジニアで世界的特許権者であるとも紹介されている。奇人変人であっても危険な変質者ではない。

 東京近郊を地盤とするそうだが、連休に京都に出没し、たまたま私たちと出逢ったのである。

 彼を目撃してハッピーになったかと問われれば、確かに私たちはハッピーな二日を過ごした。息子が私の病気を心配し、家内を気遣い、私たちを喜ばしたいとの気持ちが痛いほど伝わったからである。

 帰宅後、家内が彼にメールした「ありがとう」。彼からのメールが返ってきた「体を大切に・・・。今度は奈良に旅行しようよ」。家内はハッピー感の余韻に浸っていた、もちろん私も・・・。



 

651.具谷 祐司(ぐたに ゆうじ)さんの講演を拝聴して 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/10/9(日) 6:58
 昨日(8日)、具谷祐司氏の講演会「福祉とは、すべての人々が幸せになるための営み」がおこなわれました。

 具谷氏は現在「ハスの実の家」の常務理事です。障害者福祉事業の第一線で奮闘される具谷さんの発言から、現場の苦悩が生々しく伝わりました。

「ハスの実の家」は昭和40年(1965)に青木達雄氏が3人の障害のある仲間と3人の職員とで福井市花堂(はなんどう)に開設され、当初は無認可事業から出発され、苦労を重ね、それが22年6か月の長きにわたって続き、昭和62年(1987)にようやく社会福祉法人として認可されました。

 翌年(昭和63年)、芦原町に移転、30名の入所者を受け入れました。

 昭和64年「ハスの実の家10ヵ年将来計画」を作成。将来計画では認可施設が目的ではなく、事業を広げていく足がかりであることを確認します。

1 障害者の働く場の整備
2 障害の重い人たちの通える場の整備
3 暮らしの場の整備(街のなかで暮らすあり方)
などの事業を計画し、具体的には「ハスの実パン工房」「ハッピーホーム」「ハスの実わくわくセンター」を開設します。

 障害者の暮らしの場の整備事業、障害の重い人達の活動の場整備事業を推進して、現在利用者は85名を超え、80名近い職員がお世話をしています。

 ハスの実の家の理念は「障害者に暮らしの場、活動の場を提供する」ことにあり、障害者を閉じ込めるのではなく、障害者と社会との接点を求めています。理念を実現するために職員の方々は大変ご苦労されており、なおかつ地域の協力を求めています。

 昨今、大手病院、異業種から主に「老人介護施設」を中心にビジネス目的の福祉事業参入が続いています。もちろん「老人介護施設」の整備、拡充は緊急の課題であることに疑いの余地はありません。

 一方で若年、老人を問わず障害者のための施設も必要です。それらの多くは「ハスの実の家」のような高い理念を掲げた人たちによって運営されていることが多いのです。

 一概にはいえませんが、ビジネス本位の「老人介護事業」が、事業として成功するケースが見られ、障害者対象の施設が、予算と人材不足に悩んでいます。障害者施設で働く人々は低賃金で、しかも人手不足から過重労働に苦労されており、使命感から頑張っているのも現実の姿です。苦労の多い仕事、待遇面の不利から福祉事業を志す若年層も年々減少しています。

 抜本的対策を講じなければならないのですが、政府は障害者対策事業に冷淡です。政府への働きかけはもちろん必要ですが、地域としてできることもあるはずです。

 障害者を受け入れる地域こそ、開かれた社会です。障害者への理解を深め、受け入れることにより、人に優しい、開かれた地域であることを全国に胸をはって誇ることができます。

 手を変え品を変え、イベントを開催し知名度アップに奔走するよりも地味ではありますが、よほど発信力があり、人々の共感を得られると思うのです。

 ぜひ、あわら市民と、行政が崇高な理念を掲げる「障害者福祉施設」に対して理解を深め、後押ししていただきたいと、具谷さんの講演を拝聴して痛切に感じました。
 
 がんばれ!ハスの実の家

※ ハスの実の家の沿革を知りたい方は「ハスの実の家」ホームページをご覧ください。

 

 

650. 「福祉とは、すべての人々が幸せになるための営み」 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/10/3(月) 20:58
 講師 具谷 祐司(ぐたに ゆうじ)さん
   (社会福祉法人ハスの実の家施設長、法人本部長を経て、現 常務理事) 
 日時 10月8日(土)18:00〜20:00
 場所 金津本陣IKOSSA3階大ホール
   (あわら市春宮2−14−1 TEL73−1065
 会費 300円(会場費・資料代)
 主催 あわら市9条の会

 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」での惨劇を二度と繰り返させてはなりません。
多くの市民に障害者の方々、および支援事業の現状を正しく理解していただくために企画しました。

 多数のご来場をお願い申し上げます。

 
 

649.印牧邦雄(かねまきくにお)先生の最新著作 「わが古里の川」 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/10/1(土) 11:9
 昨日(9月30日)印牧邦雄先生(福井工業大学名誉教授)の最新著作『わが古里の川』をいただきました。今年になって、『五大講話集』(28年1月)、『あわらの歴史と文化』(28年4月)につづいて3冊目です。さらに年内に『織物王国 福井』が発刊されます。(11〜12月予定)

 1年に4冊、常識では考えられないペースです。御年94歳、しかも4月から5月にかけて1カ月以上入院されていました。まさに超人。体力もさることながら、考古学、歴史学、地理学、民俗学、文学の広範囲、無尽蔵ともいえる学識、人脈の豊富さにはいつも脱帽します。

 印牧先生が携わった論文、市町村史、著作を年代順に列挙しますと以下のように多岐にわたります。
1『福井県文化財調査報告書』昭和29年(1954)
2『小浜・敦賀・三国湊史料』昭和34年(1959)
3『三国町史』昭和39年(1964)
4『日本海海運史の研究』昭和42年(1967)
5『三国の史蹟・名勝・文化財』昭和44年(1969)
6『三国近代文学館』昭和46年(1971)
7『芦原町史』昭和48年(1973)
8『福井県の歴史』昭和48年(1973)
9『福井県の歴史散歩』昭和52年(1977)
10『和泉村史』昭和52年
11『日本海地域の歴史と文化』昭和54年(1979)
12『わが町の歴史 福井』昭和55年(1980)
13『郷土史事典 福井県』昭和56年(1981)
14『明治・大正・昭和の郷土史 福井県』昭和57年(1982)
15『福井県風土史 歴史と人物』昭和58年(1983)
16『郷土歴史人物事典 福井』昭和60年(1985)
17『市町村で見る福井県の歴史』昭和61年(1986)
18『福井県警察史 第一巻』昭和62年(1987)
19『福井県警察史 第二巻』平成2年(1990)
20『三国町百年史』平成元年(1989)
21『福井市史』平成元年
22『金井学園四十年史』平成元年
23『金井学園四十五年史』平成6年(1994)
24『金井学園五十年史』平成11年(1999)
25『福井県の歴史散歩』平成6年
26『印牧邦雄著作目録』平成19年(2007)
27『日本海地域関係史書 編纂に携わった経緯』平成20年(2008)

 先生がおっしゃるには学術書が多く、専門家には高く評価さたが、一般の人々には馴染にくいという一面もあった、ということで、地域の歴史を多くの方々に知って頂くために、85歳の頃より先生は地域に密着した、読みやすい郷土史を執筆されるようになったということです。

28『三国湊小史』平成21年1月(2009)
29『三国の風景と古社寺と人物』平成22年3月(2010)
30『穴馬村(あなまむら)小史』平成22年10月
31『和泉の自然と歴史』 平成23年7月(2011)
32『三国港町の名所旧跡と文化遺産』平成26年7月(2014)
33『五大講話集』平成28年1月(2016)
34『あわらの歴史と文化』平成28年4月
35『わが古里の川』平成28年9月
36『織物王国 福井』平成28八年11〜12月予定

 時々印牧先生のお宅に伺うのですが、先生のお話はいつも新しい知識と刺激を与えてくれます。先生の著書の多くはあわら市の図書館に所蔵されておりますので、ぜひご覧ください。

648.猫寺 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/9/29(木) 7:52
 今週の日曜日(25日)、越前市にある御誕生寺(ごたんじょうじ)を訪ねた。このお寺は曹洞宗総持寺派(本山は横浜市鶴見区の総持寺)の寺院である。

 総持寺派の派租(はそ)は瑩山紹瑾(けいざんじょうきん。1268〜1325)で、派租の生誕地が越前国多禰(たね。現越前市帆山・・ほやま)である縁から、平成に入り越前市庄田町に建立された。本堂の落成が平成21年というから県内でも新しい寺院といえよう。

 大寺でも古刹でもない。むしろ近代的な感覚の寺院である。にもかかわらず御誕生寺は知名度の高さでは古刹に勝り、県内有数の寺院である

 このお寺の別名が「猫寺」といえば、うなずかれる方もいよう。境内のあちらこちらで猫が日向(ひなた)ぼっこをしている。その、のんびりとした姿を見ようと県内外から多くの愛猫家が訪れる。
当日も県外ナンバーの乗用車、単車が多くみられた。幼子連れの夫婦、カップル、若い女性グループ、熟年夫婦に混じって、少々場違いな屈強な男性グループ(彼等は単車で乗り付けた)が写真撮影をし、猫を撫でている。

 人慣れてしているのであろう、警戒心がなく、猫たちは軽く尻尾をふるだけである。もっとも尻尾を振るのは、喜んでいるのではなく「うっとしい」と感じているからで、ほどほどにしなければならない。気難しい猫は猫パンチを繰り出す。

 本堂の裏道を歩いていると、甘えた声を出しながら近づいてくる猫がいる。尻尾を立てて体を摺り寄せてくる。私を餌をくれる人と勘違いしたのであろう。

 猫好きには心を癒されるお寺で、わざわざ観光コースに組み込むグループも多い。

 もちろん話題つくりのために猫を飼っていたわけではない。現住職の板橋興宗師(いたばしこうしゅうし)が十数年前に境内に捨てられていた猫を憐れみ、保護したことがきっかけで、捨て猫の世話をするようになった。現在は50匹以上が境内で暮らしていると聞く。

 猫ブームも影響しているといえようが、板橋興宗師が捨て猫を世話するようになった経緯、さらには師の人間的魅力が人々を惹きつけているのだろう。(ちなみに興宗師は曹洞宗大本山総持寺の管主・曹洞宗管長を勤められ、引退後に御誕生寺を復興された。曹洞宗総持寺派の大長老でもある)

 猫の世話はお寺で修行する若い雲水さんの仕事だが、餌代、医療費、避妊手術代は多額に達する。興宗師の著書、猫の写真集などの販売で浄財を募っているのだが、それのみで賄える額ではない。それをサポートしているのが心意気に共感する檀家、ボランティアの存在だ。地域の人達も積極的に参加している。

 昨今、日本人の宗教離れが進んでいる。あわら市の吉崎御坊もかっての賑わいは嘘のようだ。蓮如忌は賑わうが、普段は土日であっても参拝客はまばらだ。

 はるかに歴史の浅い御誕生寺では幼子が猫と戯れ、その様子を親が撮っている。若いカップルも熟年夫婦も一様に穏やかな眼差しを猫たちに向けている。宗教には縁遠い人達でも、無垢な猫を前に、自然と優しさが芽生えているのかもしれない。

 それが仏の教えに通じるとすれば、興宗師の思いもそこに在るのかもしれない。

 仏法を説いても寺社の縁起を説いても人々を惹きつけることはできない。吉崎御坊の歴史を語っても、宗教施設を整えても人を惹きつけることはできない。圧倒的多数の人が宗教に無関心であろう。彼等を魅了するのは何か、それを探るべきだ。宗教を念頭に置きながら、宗教に捉われない発想が必要だろう。

 御誕生寺は一つのヒントになり得る。真似をせよというのではない。吉崎には吉崎の方策があると思う。たとえば恵まれた自然環境を生かして、寺院、地区の人々が率先して環境保護活動に携わり、そこに行政が協力する。三者が一体となり、美しい自然風景を創造し、そのなかで子供も若人も、年配の方も、それこそ老若男女もれなく心が癒される空間で、ゆっくりと時間を過ごしていただく。

 もちろんこれまでも努力はされているだろうし、「言うは易し。行うは難し」との反論もあるだろう。しょせんは現実を理解しない部外者のたわ言との誹りも受けよう。

 それを承知で発想の転換を促しいたいのだが・・・。、

 

 

647.政務活動費特別検討員会設置に関する掲載の削除 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/9/24(土) 11:0
 あわら市議会の「政務活動費特別検討委員会」は設置が見送られました。目的が達せられましたので、この件に関するこれまでの意見掲載は削除することにしました。

 設置を見送った議会の判断をとりあえず評価します。

646.ようやく退院 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/9/7(水) 12:54
 昨日(9月6日)退院いたしました。多くの人々に多大な迷惑を及ぼしたことをお詫び申し上げます。又、印牧先生を始め、先輩、友人知人の方々に心配をおかけしたこともお詫び申し上げます。

 4か月の間に二度の手術は健康に対する自信過剰と、油断、不摂生の結果であり、自業自得と反省をしております。

 信じられないほど痩せました。知人が私に気付かないほどです。同時に人生観も多少変わりました。心の贅肉も削ぎ落された気分です。

「何が大切なのか」を多少なりとも理解できるようになった気がします。何気ない平凡さのなかに価値を見出す、そういう心境です。

 それらを今後「トンボ作品集」に綴っていきます。

※ 9月11日(日)の「秋のクラシックコンサート」を心待ちにしておりました。多くの方々に「市民の手によるクラシックコンサート」を楽しんでいただけたらと、部外者ではありますが期待しております。

645.講演会中止をお詫びいたします。 返信  引用 
名前:長谷川勲    日付:2016/8/22(月) 11:13
 8月21日の講演会「堀江一族・・斎藤氏から堀江氏」を中止したことをお詫びいたします。
8月17日、心筋梗塞を発症、手術を行いました。日頃の不摂生により起因するものであり開催に向けて協力いただいた方々に対しお詫び申し上げます。
また、案内状を差し上げた方々にもお詫び申し上げます。本来なら、中止のご連絡を直ちにするべきところ、安静を強いられ、病室から出ることも許されず叶いませんでした。

 欠礼は退院後、改めてお詫びすることとして、現在は治療に専念いたします。
なお、「堀江一族・・」については『講演概要』と『史料』をトンボ作品リストに掲載します(来月以降)。興味がある方ご覧ください。

644.「岸壁の母」は近くにもいるのですね 返信  引用 
名前:玉置    日付:2016/8/16(火) 9:55
 友達の母がご主人の戦争未亡人で、たくさんの遺族年金をもらっているのを聞いたことがある。
家族はそれで、結構家計に余裕ができて買い物や遊びに行けたといっていた。でも、婆ちゃんがなくなってから贅沢ができなくなった。と言っていた。
今回、トンボさんの書き込みを見て、おばあさんの生涯はお国の方針で翻弄されたのだろうかと考えさせられました。
 原発の事故で住処を追われ、苦しんでいる人もいます。そうすると、国の在り方に無関心で居れないと思いました。

643.たかが三つの段差、されど・・・。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/8/15(月) 19:11
 昨日墓参りをした。国影の共同墓地で、祖父母、父母、兄が眠っている。父は63年前、母は37年前に亡くなった。ずいぶん昔のことで、多分その頃であろうと思うだけである。言語道断の親不幸者だが、それでも8月に入ると雑草を抜きとり、墓を清めて準備をする。
 13日が墓参り、花を手向けて手を合わせる。元々が「死は無」との思いから死者への感傷が希薄である。先祖を敬う殊勲な気持ちもない。「罰当り」と指摘されようと気にとめない、今を生きる人間こそがすべてなのである。形ばかりの儀式を終え墓を去る。

 敷地内に戦没者墓地がある。ほんの僅かばかりだが小高くなっており、三段ばかりの階段がある。それも一段あたり10〜15センチであろうか、さして高いとは思われない。その先はなだらかな傾斜になって、数十基の戦没者の墓が並ぶ。

 階段手前に高齢の老婦人が立っていた。小柄な腰の曲がった婦人でおそらく90歳なかばと思えた。彼女は動かず、墓地の一点を眺めていた。連れの男性が声を掛けた。50代半ばで孫であろう。
「おばあちゃん、無理だ。お負(ぶ)るよ」
老婦人は、その声に応えず、一点の方向を凝視している。その先にあるのは彼女の夫の墓であろうか。

 たった三段ばかりの、僅かな段差の階段。だが、彼女にとって乗り越えられない、自力で花を手向けることも、手を合わせることも拒む階段である。

 71年前の8月15日、数えきれない、数百万人のそれぞれの人々にとって貴重な命を奪って戦争は終わった。戦争の悲惨さ、残酷さは身に沁みて日本人は知った。だが、71年の歳月は確実に日本を日本人を変えた。

 日本国民は、私を含めて8月15日をどのように位置付けているのであろうか。
あの老婦人の想いを拒むものは階段だけではない。彼女の心情を理解できる日本人はもはや皆無になったのか。

 あの悲劇、惨劇が再び繰り返されるかも知れないというのに・・・。

 

642.ふたつの講演会を終えて。 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2016/7/25(月) 18:46
 高戸甚右ェ門さんの講演「インダスの流れ」(7月21日)、福井県立大学教授農学博士・北川太一氏の講演「農業・むら・くらしの再生は」(7月24日)が予想以上に参加いただき無事終了しました。参加された方々にお礼申し上げます。

 高戸さんは60年前のパキスタン滞在を鮮明に記憶されており、赤裸々に語られました。1948年(昭和23年)パキスタンはインドから分離し、その時はインドを東西に挟むように西パキスタンと東パキスタンが存在していました。さらに1971年(昭和46年)東パキスタンが分離してパングラデシュとなり、西パキスタンが現在のパキスタンとなっています。

「639 インダスの流れ」と重複するので記述は避けますが、個人的感想を述べるならイスラムを理解することは私たちには到底不可能です。それがビジネスが目的であろうと、たとえ人道支援が目的であろうと、日本人の常識が通用しないこと、絶えずリスクが発生することは60年前も現在も変わっておりません。相手を理解しているとの勝手な思い込みが悲劇を生む。考えれば私たちの人間関係でもそうなのですが・・・。

 当日現地食「チャパティ」を試食してもらいました。もっとも現地の作り方では日本人の口には合わないだろうと思い、多少アレンジしてクレープ状にしましたが・・・。
 現地食を提供した理由は、「食文化から洞察する」との思いからです。たとえば戦後の困窮時代を理解するには、屑野菜と粗悪小麦粉の団子のスイトン汁、甘みがなく水っぽいカボチャを(米の)代用食として食する方が、百の能書きに勝る、そんな思いからです。

 米の主要生産国でありながら粗末なパン(チャパティ)を主食とせざるを得ない人々の貧しい生活を理解してもらいたかったのですが、「意外と美味い」と云われて効果があったのか疑問です。それはさておき次回はメキシコのタコスに挑戦します。

 さて北川太一氏の講演ですが、氏は日本農業の危機を訴え、農業が食糧安全保障(日本の食料自給率は39%。先進国中ダントツの最下位)の面だけではなく、国土保全、生態系環境の維持保全、雇用確保などに果たす役割を述べました。

 彼は統計表を示し、あわら市の農業現状について説明しました。以下の数字は2005〜2010年の農家数の推移です。 △はマイナス
総農家数 △604(33・4%減)販売農家数 △670(42・8%減)自給的農家数 66増(26・9%増)土地持ち非農家数 545増(58・4%増)

 2005年以降、5年の間で農家数は33・4%(20%)販売農家数は42・8%(26%)減少し、逆に自家消費のみ生産する農家が26・9%(1・5%減)増加しています。農地を所有するが生産しない農家が58・4%(34・3%増)増加していいます。( )内は県平均の数字で、あわら市の生産農家数の減少は顕著で、自家消費型農家は県平均はわずかに減少しているのですが、あわら市は大幅に増加しています。

 販売目的に生産しないが、農地があるから自家消費分だけ生産する(元農家)があわら市では断然多いということです。良し悪しの問題でもなく、行政の責任でもなく、これが日本農業の姿なのです。

 現状ですら、このありさまですからTTP交渉が妥結し、高齢化が一層進みますと、あわら市のみならず日本の農業はまったく姿を変えるであろうということは、門外漢の私にも容易に理解できます。

 国内農業の崩壊に危機感を抱く人もいれば、国際分業の観点から容認すべきと考える人もいるでしょう。

 ヘイゼル・ヘンダーソン(未来学者)に「地球市民の条件 人類再生のためのパラダイム(規範)」という著書があります。そのなかで彼女はこのように述べています。

「社会を構成する四つの層がある。
@は私的・民間部門で生産、雇用、消費、投資、貯蓄などである。
Aは公的部門、国家・行政が関わるのだが、財政、インフラ整備、公共サービス、学校、医療、社会福祉、地方自治などである。
@とAを貨幣的経済価値とするなら、

Bは人と人との互恵的関係、精神的な価値である。つまり家族、無償労働、おすそわけ、助け合い、ボランティ精神である。
Cは自然の本来の姿に価値を見出す。農地・森林・海洋などが有する多面的な機能を尊ぶ。
BとCは非貨幣的経済価値といえよう。

 社会生活は貨幣経済価値と非貨幣経済価値のバランスの上で成り立つ」

 当然といえば当然ですが、現代を直視すれば、農業を考えれば示唆に富んだ言葉です。

 農業はBの精神土壌に培われ、Cの恵みを受け、これを守っています。農業は食料の確保だけではなく文化そのものです。のみならず生きとし生けるものの拠りところです。だから守らなければならないのです。

 


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