[ ホームページ ] [ 携帯用URL ]
詩-スタートページBBS-名前と内容だけでもOK



[ EZBBS.NET | 新規作成 | ランキング | オプション ]
iモード&(絵文字)、au対応!ケータイからも返信できる無料掲示板!
名前
 E-mail 
題名
内容
投稿KEY    タグ有効 改行有効 等幅フォント
URL



19.画面が何時までも同じなのはなぜこうなったのですか? 返信  引用 
名前:伊三    日付:2017/5/30(火) 20:36

投稿よろしくお願いします。


 宝  島   伊 三


ハワイ航路のマドロスさんは
港みなとに恋人作り
浦島太郎さながらに
帰り忘れること百年
食事は旨いし美女揃い
楽しい日々と好気候
往路はあったが帰路は無い
天国行きのパスポート
笑いの絶えないパラダイス

投稿よろしくお願いします。

10.萩原朔太郎 返信  引用 
名前:nishiyan    日付:2017/5/15(月) 7:32
朔太郎は、いいね。親父の生き方とは反対の生き方をして、詩人になった。中原中也も同じ。しかし、自分は親父の生き方(教員)とは反対に生きて、ただの貧乏暮らし。



18.Re: 萩原朔太郎
名前:かえる    日付:2017/5/18(木) 23:43

貧乏暮らしでも、いいじゃないか。nishiyan は自分の生き方を貫いて
文筆業で生きてこられたんだから。それに、nishiyanがガッコの先生に
なっていたら、生徒の悲劇を幾つ産んでいたかわからないもんな(笑)。

俺の親父に対する思いは複雑だ。
だから、老々介護の身でもいまだに挑戦者でいられる(笑)。

11.人の一生は 返信  引用 
名前:伊三    日付:2017/5/15(月) 11:25
若い頃は父親に反発というか反対をよくしたものだが、死んでしまって二十年ほど経った今、思い返してみると自分も親父に似てきていると感じるのは奇妙で不思議な気がする。



17.Re: 人の一生は
名前:かえる    日付:2017/5/18(木) 23:32

私の親父が仏壇の中にある自分の親父(私の祖父)の写真を見ながら
若い頃は少しも似ていると思ったことはないが、死ぬ頃になると似て
くるものだなあ、と言っていたのを思い出します。ちょうど、今の自
分くらいの年齢のころだったと思います。もっとも、親父はあれから
30年ちかく生きたのですがね(笑)。

私は、隣家の人達から、似てきたとよく言われるようになりました。

親父に対しては、いなくなった今でも、色々と複雑な思いを感じてい
ます。

12.フェイスブック 返信  引用 
名前:伊三    日付:2017/5/15(月) 11:49
小笹さんはフェイスブック使っているのですか?使っているとすれば、名前は何で登録しているのですか。
私の電話 京都08061750826に一度電話もらえれば助かりますので、よろしくお願いいたします。



13.Re: フェイスブック
名前:かえる    日付:2017/5/18(木) 22:52
こんばんは、伊三さん。率直に申し上げます。どうか、気をわるく
なさらないで戴きたく存じます。
私はフェイスブックもツイッターもやっていません。ココの掲示板
に来てくれているnishiyanにもすすめられたのですが、いまだにや
っていません。もっとも、これからずっとやらないつもりではあり
ませんが、正直、いまのところそれどころではないのです。
それから、私がネットを使っているのは、ウェブ上のことは全てウ
ェブの世界で完結させる、と言うのが今までと現在のネットに対す
る姿勢です。伊三さんも親交があった大木透さんは、「ネットにお
ける匿名性と双方性」をフルに活用して詩を追求する、というよう
な趣旨のことを仰っていたと思います。私もそれに徹したいと思っ
ています。以前、ネットで頻繁にやりとりしていた頃、4人(女性
3人男性1人)の人達から「詩集を作ったから受け取ってもらいた
い」という申出があり、躊躇したのですが、断り切れずに受け取っ
てしまったのですが、後悔しています。うち1人の女性には、感想
文を書くという約束をしながら、その後、ちょうど、詩というもの
が分からなくなってしまって、いまだに約束を果たしていません。
詩論については、最初、竹内勝太郎のものを、野間宏論を通して読
んだと思います。私が20歳だったか21歳だったか、その頃です。
nishiyanと出会った頃です。その後、マラルメ、バレリー等も少し
読んだのかもしれませんが、ネットで詩をやるようになってからは、
萩原朔太郎だけは考えならが徹底的に読みました。あと、吉本隆明
を徹底的に読んだら、自分なりに詩に関してじっくり考えてみよう
かと思っているところですが、吉本は途中で頓挫してしまっていま
す。しかし、これだけは絶対やらなければいけないことだと思って
います。
そんなわけで、自分はトシのわりには未熟者であり、いまだに挑戦
者であり、修行の身でありますので、どうか、伊三さんには、ご容
赦お願い申し上げます。


14.Re: フェイスブック
名前:かえる    日付:2017/5/18(木) 23:16
そういえば、大木透さんの詩を引用させてもらって、自分の詩について
の考え方を述べようかとした文章がありますので、ここに写させてくだ
さい。なお、以下のねねさんというのは、ネットの友ですが、熊本在住
の女性であるという以外には年齢職業その他不詳の方です。
nishiyanも面白がってはくれたのですが、これも、中途で終わっていま
す。


「頭のうちどころが悪かった熊の話」を読んで

ネットに書き散らしているものを整理していたら「頭のうちどころが
悪かった熊の話」の感想文が出てきたが、途中まで書いてその後、思
考停止に陥っている。また読み直せば、書き直すことができるだろう
か。2008年の秋のはなしだからなあ。
--------------------------------------------------------------
@ねねさんに紹介してもらた本は、小学生高学年〜中学生向きのコーナーに置いてあった。なるほど、子供でもそれなりに読みこなすことが出来る本なのかも知れない。しかし、それにしても自分にとっては難解だった。頗る面白い本ではあったのだが、そのせいかつまらないことをいろいろ考えてしまった。考えたというよりも、心と頭にいろんなものが去来したと言った方がいいのだろう。

そんなわけで、気が向いたときに、去来したことを思い出し出し、脈絡もなくここへ書いていくことになるかと思います。
それにしても、この本は、是非大人のコーナーにも置いてもらいたいものだと思います。なにしろ、大人は子供の成れの果てなのですから。
Aもし、あの本を大人向きのところに置いてもらえるとあしたら、是非、詩のコーナーにしてもらいたいものだとと思います。

「人生について考える7つの動物寓話」と銘打ってあった。

寓話(ぐうわ)とは、道徳的な教訓を伝えるための短い物語である。しばしば、動物などを登場人物とし、不可解で神秘的な印象を与えることも多い。そのような表現法を寓意と言う。童話にもよく見られる。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

なるほど、寓話なのだろう。寓話詩なんてものがあるのかないのか知らない。しかし、詩的な作品だと思った。「書棚は作品である」と言う人がいるくらいなのだから、この七つの寓話は一つの作品なのかもしれない。だから一冊になっているのかも。熊や虎や旅人が、一見ばらばらに見える七つの話を一つにしてしまっている。だから、一つの作品と言えるにちがいない。
Bなるほど、寓話(ぐうわ)とは、道徳的な教訓を伝えるためのものであるのかも知れないし、処世訓や風刺などを、動物や他の事柄に託して語る物語なのかもしれない。
しかし、この定義を「頭のうちどころが悪かった熊の話」に厳格に適用しようとするなら、些か無理があるように思える。
道徳的な教訓、処世訓や風刺などを描こうとするなら、初めからそのような目的をもって描かれるはずであるから、この本のような詩的な作風には届かないような気がする。作者は自身の内部から湧出る疑問に追いかけられていて、結論に向かって逃走しているように見える。(未だに結論に達し得ないままの)その軌跡そのものがこの作品のように思えてしかたがない。前の話で一段落したはずの旅人や虎や熊が再び登場するのも、その一つの情況証拠として捉えることができるのではないだろうか。決して目的に向かって鉛直に掘り下げられた文章ではないと思える。だから、寓話というよりも詩に近い作品のように思えてしかたがない。(しかし、現在明確な定義も持っていないのだから、詩だの詩的だの言ってみても仕方がないことなのだが、その謎解きに挑戦している自分にとっては、そのような解析を試みることはまんざら無意味なことでもないように思える。)
C詩(し、うた)は韻律などの形式に従い(あるいは形式に従わないという形式に従い)、感動や叙情を記した文学の一形式。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%A9

上記詩の定義は、明快である。詩というものが如何に明快に説明し得ないものであるかと言うことを明快に示している。文学の一形式であることに異論を唱えてはいけない。この前提を失えば、議論の余地はなくなる。しかし、形式というものは元来従わせしめるためにあるものである。形式に従わなくていいなら、もはや形式の意味はない。形式とも呼べないはずだ。しかし、なお、「形式に従わない」としても、”「形式に従わない」形式”などと言って飽くまでも形式に固執する。それは、恐らく形式が、詩の本質を語る上で欠くべからざる重大要素なのだからだと思われる。
上述したような観点からしても、この「頭のうちどころが悪かった熊の話」を反芻することは、面白いことだと思う。


15.Re: フェイスブック
名前:かえる    日付:2017/5/18(木) 23:17
D「頭のうちどころが悪かった熊の話」がもし詩であったとしたら、散文詩として分類されるのだろうか。
散文とは、韻律・字数・句法などに制限のない通常の文章をいうのであり、それは詩の対語に他ならない。英語でも、いわゆる韻を踏んだverseやpoetryの対語として扱われていて、詩のようにリズムや韻を使用せず、自由に書かれた日常・口語的な文章を指すものとされている。形容詞形のprosaicには「平凡で、退屈な」といった意味があるようだ。
詩が氷なら散文は熱湯である。散文詩とは、熱湯で出来た氷のことである。まことに詩的な表現であるかもしれないが、それは物理的事象でなくても論理を追求する立場からすれば笑止千万な話である。
E散文詩こそ、「形式に従わないという形式に従い、感動や叙情を記した文学の一形式」の典型なのであろう。それにしても、何故、このような分類が必要なのだろう。本屋さんが陳列すべき棚を決めるのには、そのような分類でもあった方が無いよりは便利なのかもしれないが、自分にはそれくらいのことしか思い当たらない。
松坂慶子のあの歌を思い出した。五木寛之の作詞らしいのだが・・・「これも愛 あれも愛 たぶん愛 きっと愛」・・・「愛」を「詩」に置き換えてみたら面白い。
F古今東西、色んな形態の文章があるわけで、それが詩であろうがなかろうがお構いなく実体が先行しているのだから、文章を書いている人間にとっては、分類などに拘わることなど無意味に思われる。しかし、もしそのことに興味があるとしたら、それは自分が書いている文章自体に或は今自分がそれを書いている行為そのものにある種の不可思議を感じているからだと思う。そして自分自身のそんな不可解な行為にある種の意義を見出したい、そう思っているからなのかも知れない。

いろいろ考えられた末に「それでも、何故、書くかという疑問だけは残る」というような意味あいのことを言っておられたネット詩人(故大木透さま)のことを思い出す昨今です。
G誰だったか西洋の著名な詩人がたしかこんな風なことを言っていたと思う。野に咲いている花が自然。それで花輪を作ることが芸術だと。普段人が使っている言葉が自然、それに一工夫して作られたものが芸術なのかもしれない。人は太古より様々な形を試みて創作してきたのだと思う。

大木透さん、すみません。ここに貴方の詩を引用させてください。

(題)不自由だって

俳句の有季定型を
貶す男が
不自由きわまりない
と宣って
自由詩なるものを
書いている
短歌の復興に
老人と少女たちの
癒しの覇権を見て
蔑み嘆く男が
短編小説の
自由世界を
謳歌している

だが
君は
君の領地を
出たことのない孤児
君の目を
疑ったこともない
裸の王様

第一
君は
生まれて
生きて
死んでいく
その不動の定型を
忘れ去っている
(二〇〇三・四・一)

大木透さんの「不自由だって」について、当時自分がしたレスの記録があるので、ここに記して思い出してみよう。

<上略>
それに比べ、「不自由だって」はただ一度読んだだけでスンナリ納得してしまいま
した。自由の本質を問われている詩だと思いました。問われるというよりも、大木さ
まはご自分のなかに「自由」の定義をお持ちになっていて、その「自由」を理解してい
ないモノカキたちへの反発を詩にされているように思えました。
それは山鳩さんがおっしゃるような
「私小説や短歌の隆盛に同調できない気分」ではないように、
私は拝読いたしましたが、私の読み違いでしょうか。
私は寧ろ「自由」とは束縛の中にこそあるものであり、安易に短歌等の定型や自分自
身が抱えている人生の有様に目をそむけてはいけない。そんなところには真の自由は
ない。創作の自由も人生の自由もある種の拘束の中にこそある。

下記は、上記僕のレスに対する大木透さんのコメントです。

<上略>
「不自由だって」は、自虐的な気分で書きました。
孫悟空のパロディーみたいなもので、孫悟空は自由だと思って行動しています。
しかし、人間は自由なんてものは思いようなのだというふうに思っている。
有限だから無限を求める、不自由だから自由になろうとする。
客観的には不自由、しかし主観的には自由。これが普通ですね。
>自分のなかに「自由」の定義をお持ちになっていて、その「自由」を理
>解していないモノカキたちへの反発を詩にされているように思えました。
そんなたいそうなものではなくて、自分にお灸をすえた積もりなのです。
>それは山鳩さんがおっしゃるような「私小説や短歌の隆盛に同調できな
>い気分」ではないように、私は拝読いたしましたが、私の読み違いでし
>ょうか。
>私は寧ろ「自由」とは束縛の中にこそあるものであり、安易に短歌等の
>定型や自分自身が抱えている人生の有様に目をそむけてはいけない。そ
>んなところには真の自由はない。創作の自由も人生の自由もある種の拘
>束の中にこそある。
それに近い気分ですね。
しかし、積極的にそう思ってそれを肯定するのではなくて、
それ以外になにか第三の道があるだろうかという、ちょっと暗い気分なのです。
<中略>
小笹さんのお考えは間違っていないと思います。
なにか論点がすれ違っておりますね。もっと考えてまた書きます。
今後ともよろしく。


16.Re: フェイスブック
名前:かえる    日付:2017/5/18(木) 23:21
H大木透さんが言われるように論点が擦れ違ったままで、あの話は断ち切れてしまい、その後大木さんは永眠されたので、非常に残念だと思っています。しかし、大木さんが言われていた、「『不自由だって』は、自虐的な気分で書きました。」「それ以外になにか第三の道があるだろうかという、ちょっと暗い気分なのです。」・・・そんな言葉は自分にとってひどく気に掛かる言葉なのです。

大木さんとはこの世では直接お話しできる機会はないのだけれども、恐らく大木さんも「形式」の意義ということについて考えられていたのではないかと思うのです。
I大木透さんが自虐的だと言われるのもよく解る気がする。定型を否定する輩を非難しながらも、ご自身、自由詩でそれを表現なさっている。

僕も「形」あるものの素晴らしさを多少とも知っているつもりだ。とりわけ、俳句には感服せざるをえない。また、曲を伴った歌詞についてももっと考えてみたい。

以前、自分の掲示板に書いた次の記事はやはり自虐的気分で書いたものだ。

<前略>
詩は小説のように、作者と読者が分離していません。詩を書く人が詩を読み、詩を読む人が詩を書くのが普通です。言葉は、誰でもが使っているものだし、詩は短くていい(僕は本当は短くなければいけないと思っているのですが)と思っている人が多いので、つい、誰にでもできそうに思ってしまうわけです。そういう意味では詩はあまっちょろく見られがちです。舐められているのだと思います。詩はいろんな人の唾を付け放題にされてベトベトになっています。可哀想です。

詩を書く人のきっかけは勿論色々でしょうが、大別すれば、(1)何かしら書きたい衝動に駆られて書いたのだが、小説とか随筆とか日記とかとは何となく違う気がするので一応「詩」ということにしておこうという人達。(2)詩とはこういうものだ。こういうものでなければならない。という定義が初めにあって、それに基づいて「詩」を書き始めた人達。

おそらく(1)が多数派だと思いますが、(1)であろうが(2)であろうが、それ以外であろうが、書いている間に「書いているもの」と「詩」とが対峙している自分に気付く時期があると思うのです。そんな闘いの時に産まれ、そして勝ち取られた「言葉」・・・そんな風なものを、今、自分は探そうとしています。
<後略>
J俳句はただ素晴らしいとしか言いようがない。575で書いて季語さえ入っていればそれだけでも素晴らしい詩だ。しかも様々なルールは詩を深めるための仕掛けとなっている。譬え地球の裏側にいても、俳句の世界には日本があり四季がある。俳句は、宇宙の果てのあらゆる事物や思いまでも、日本の国土に吸い込ませてしまう575の魔法瓶だ。

「頭のうちどころが悪かった熊の話」には、そのような形式やルールは一切無い。それなのに、いったいどこが詩的なのか。恐らく作者の安東みきえさんも詩だなどと言われようとは思っていないのだと思う。本屋さんだって詩のコーナーには置いていないのだし。
K僕が「頭のうちどころが悪かった熊の話」のことを詩だと言っているのは、「ないものねだりのカラス」が、「ただの木の枝のすきま」をシラサギだと言っているのと同じことなのかもしれない。しかし、この「木の枝のすきま」は少なくとも芸術である。勿論、文字芸術が即詩であるわけはない。だが、そんな倒錯を起こさせるほどの何かがある。
L「木の枝のすきま」は「木の枝のすきま」であって「木の枝のすきま」でしかない。「木の枝のすきま」だからこそシラサギであったりカササギであったりすることができる。しかし、それらの芸術は既に実体のある既存の芸術であったりする。あるいは既存の”詩”であるかもしれない。だが、それでもカラスは「木の枝のすきま」に何かを求めてやむことをしない。他のカラスにあほうと言われようとも。何かを求めることがやめられない。

6.アフリカ 返信  引用 
名前:伊三    日付:2017/5/12(金) 2:58
        アフリカ(伊三)

人類が誕生して一億年 深い眼差しでアフリカを出発してから進化や文明は発展した 宇宙の外に別の宇宙が 繋がっているという真実を突きつけられ 自分と同じもう一人の人間を 捜す旅に出された
果てしのない時空に放り出された今 生死を越えた我彼の向こうに有るものは 始まりと終わりだけなのか



9.Re: アフリカ
名前:futoshi    日付:2017/5/15(月) 0:9

不思議ですね。時空の一かけらがが人類で、塵のような一点が自分
であったとしても、そのほんの僅かな存在が金箔をのばすように、
拡がっていって・・・ホンマわけわからんです(笑)。

7.星 月 夜 返信  引用 
名前:伊三    日付:2017/5/12(金) 3:9
友が又星になった
イナゴも沢山いた 古里離れて70年
星降る里の想い出は
母に背負われ病院へと
父は自転車押し押しこころ急かせ
高熱の出た子の薬をもらいに病院へ
とうさんかあさんは あの天の川に居るのかな



8.Re: 星 月 夜
名前:futoshi    日付:2017/5/15(月) 0:2

こんばんは、伊三さん。

私も古里といえば満天の星空を思い浮かべるわけですが、その星の
一つに友達がなったとしたら、そんな切ない話はないですね。

今日は母の日でした。一緒にケーキが食べられる日があと何回ある
だろうかなどと思うと同時に、亡くなった親友の、お母さんはまだ
ご存命だったことを思い起こし、偲ばれてしかたありませんでした。

伊三さんのご両親は既に天の川のなかなのですね。

4.わからんことがわかった 返信  引用 
名前:nishiyan    日付:2017/5/8(月) 20:15
なんかわからんが、なんかわかったよ



5.Re: わからんことがわかった
名前:かえる    日付:2017/5/8(月) 22:22
やあ、nishiyan、来てくれたか。ありがとさんです。

詩とぼやきのコラボ、とは上手いこと言うもんだな。

2.小笹さんの下の名前は何というのですか 返信  引用 
名前:伊三    日付:2017/5/5(金) 1:49
  虹 の 橋    伊三


向日葵畠の向こうの方へ
街を分けて川は流れる
黄金色に輝く向こうに
虹の橋
冴えた空は八月の陽を受け
川と街をクレパスに染め
ほんの暫(しばら)く岸を繋ぐ
呆けて老いた母の白髪(しらが)に
陽は燦々と

向日葵畠の向こうの方へ
街を分けて川は流れる
黄金色に輝く向こうに
パステルの橋
冴えた空は八月の陽を受け
川と街をクレパスに染め
ほんの暫(しばら)く岸を繋ぐ
呆けて老いた母の脳裏の
華やいだ白昼夢

向日葵畠の向こうの方に
川は流れ
街を分け
黄色の向こうに
パステルの橋
冴えた空の八月の朝
川と街をパステルに染め
ほんの暫(しばら)く心を繋ぎ
はかない夢を見せるのか

/////////////////////////////////////////////

古希を超える年になって父母や友達をなくしてゆき、自分の健康に自信も無くしつつあるのが私の現状ですが、小笹さんはもちろんお元気でしょうね。名前のことは私の仕事が印鑑を作ったり印刷をしたりする、所謂印判印刷屋で、印鑑を作ってそちらに送ろうかと思った訳です。ネットでいろいろお世話になっているので勿論代金はいりませんので。
ただ送り先はわからないので、私のホームペイジかメールmaeda-is@mbox.kyoto-inet.or.jp宛に送ってほしいのです。益々のご健勝とご活躍を祈っています。



3.Re: 小笹さんの下の名前は何というのですか
名前:futoshi    日付:2017/5/6(土) 3:20
早速おいでいただき本当に有難うございます。

お書き込み戴いた「虹 の 橋」、何度も読ませてもらいました。
詩としての素晴らしさもさることながら、「思い」がしっくりと
自分の胸に沁みてくるようで切ないです。

私は団塊より僅かに下の世代ですが、伊三さんは団塊より僅かに上
の世代だとご推察いたします。

小笹の下の名前は二十志ですが、二十詩などと書いたりもします。
「おざさふとし」と読みますが、これも私が持っているハンドルネ
ームの一つにすぎません。でも、このハンドルネームを正式のもの
にしたいと思っています。なお、本名を名乗ったことは一度もあり
ません。

伊三さんは、立派なお仕事をされてきて、ご自分のお仕事に誇りを
持っていらっしゃるようで、尊敬申し上げるとともに、羨ましく思
います。

私はと言いますと、20歳代の頃は10くらいの職業を渡りあるき、
30歳で漸く今の職業に就いたのですが、とても誇れるような仕事
ぶりではなかったような気がしています。私は大変不器用な男でし
て、幾つものことを一度にすることができません。代表をつとめてい
たNPO法人も4年前に解散しましたし、その他の仕事も今は殆どやっ
ていません。ですから、伊三さんに印鑑など作ってもらったらバチ
が当たります。それに、ネットでお世話になっているのは、私の方
ですから。

折角メール番号をお教え戴いたので、少し時間がかかるかとは存じま
すが、いずれ、ゆっくりと書かせて戴こうかと思っています。その折
には宜しくお願い申し上げます。

色々と有難うございます。

1.初めまして 返信  引用 
名前:futoshi    日付:2017/5/1(月) 4:10
管理人のfutoshi(以前はかえるとも名乗っておりました)と申します。
こちらに来られたのも何かのご縁かと存じます。何なりとご自由にお
書きください。


ページ: 1 

無料アクセス解析

アクセス解析の決定版!無料レンタルで最大100ページ解析!

   投稿KEY
   パスワード

EZBBS.NET produced by InsideWeb