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74.adidas zx 750 返信  引用 
名前:adidas zx 750    日付:2017/9/2(土) 8:19
Getty Images4Craig Gardner is mulling over a return to BirminghamGianfranco Zola is desperate to bri.
http://adidas.secretariat-alc.fr/Adidas-Jeremy-Scott-Attitude-M茅TRo-Grand-Salut-Langue-Bleu-Blanc-Rouge-Adidas-Zx-750-RA80563.html

70.お元気ですか? 返信  引用 
名前:コンサール    日付:2010/5/24(月) 21:36
こんばんは。
お元気ですか?
小野塚家の課題、また、問題が生じています。
お時間が、ありましたら、掲示板をのぞいて下さい。

69.遠路 返信  引用 
名前:tobutobu    日付:2009/5/18(月) 8:5
おはようございます。
遠路、講演会に参加して下さって感謝いたします。
お元気な、お姿も拝見でき安心しました。
小野塚家遺産は、小山市民に遺贈されたものですが・・・。
国登録有形文化財、登録を目指しています。
つまり、国民の共有財産ですから、群馬県民の財産でもあります。
今後も、宜しく、お願い致します。
http://yaplog.jp/ht413/

http://yaplog.jp/ht413/

68.お元気ですか? 返信  引用 
名前:tobutobu    日付:2009/5/13(水) 4:20
おはようございます。
小山のまちづくりを考える会会員のtobutobuです。
会員さんが、お知らせしたように、今度の日曜日、講演会があります。
ご都合がついたら、ぜひ、いらしてください。
お待ちしています。

http://yaplog.jp/ht413/

67.講演会に 返信  引用 
名前:会員    日付:2009/5/12(火) 8:47
コンデールさん、お元気ですか。
小山のまちづくりを考える会、会員です。
今度の日曜日、会主催の講演会があります。
詳しくは、会のHPをご覧下さい。
お時間が、御座いましたら、ぜひ、いらして下さい。
お待ちしております。

66.明日は講演会 返信  引用 
名前:コンサール    日付:2008/7/18(金) 13:1
コンデールさん、コンサールです。
ご無沙汰しております。
明日は、大野先生の講演会があります。
お時間がありましたら、参加して下さい。

また、20日告示の市長選に、小野塚久枝さんが立候補します。

63.旧下小代駅舎の修復完成 返信  引用 
名前:とちぎの人    日付:2008/4/9(水) 11:54
こんにちは! 暫らくHPの動きがありませんが、お身体が悪いのでしょうか? それとも、パソコンの具合が悪いのでしょうか?それなら、宜しいのですが・・・・

ところで、日光市(旧今市市)の東武日光線下小代駅舎の保存問題、ご存知とおもいますが、この度保存し移転修復が完了し、落成記念桜まつりが行はれるそうです。
若し、時間の都合がつきましたならばお出掛け下さい。

いつ 4月13日(日)

61.工部大学校造家学科の在学生・卒業生 返信  引用 
名前:管理人(コンデール)    日付:2008/2/23(土) 9:16
こんにちは。管理人のコンデールです。
工部大学校造家学科の在学生・卒業生の情報です。
 
※以下の情報は『「鹿鳴館の建築家 ジョサイア・コンドル展」図録』によるものです。
監修者:鈴木 博之(工学博士、東京大学工学部建築学科教授)
    藤森 照信(工学博士、東京大学生産技術研究所教授)
    原  徳三(財団法人 静嘉堂 顧問)
 
 
ジョサイア・コンドルは、明治10(1877)年1月28日に、横浜から入国しています。
同年に工部大学校造家学科の教授に就任し、明治17(1884)年に退官しています。
※コンドル退官後は、辰野金吾が教授となっています。
 
『コンドルの弟子たち』として、下記23人が取り上げられています。
◆ 1 辰野 金吾(たつの きんご)
明治12(1879)年に、工部大学校造家学科第1回生として卒業。
【代表作品】日本銀行本店旧館、中央停車場(現在のJR東京駅)、浜寺公園駅など
◆ 2 片山 東熊(かたやま とうくま)
明治12(1879)年に、工部大学校造家学科第1回生として卒業。
【代表作品】帝国京都博物館(現在の京都国立博物館)、帝国奈良博物館(現在の奈良国立博物館)、迎賓館(旧赤坂離宮)など
◆ 3 曾禰 達蔵(そね たつぞう)
明治12(1879)年に、工部大学校造家学科第1回生として卒業。
【代表作品】慶應義塾大学図書館、講談社旧社屋、旧小笠原長幹伯爵邸など
◆ 4 佐立 七次郎(さたち しちじろう)
明治12(1879)年に、工部大学校造家学科第1回生として卒業。
【代表作品】日本水準原点標庫、旧日本郵船小樽支店など
◆ 5 藤本 壽吉(ふじもと とうきち)
明治13(1880)年に、工部大学校造家学科を卒業。
※福沢 諭吉の甥
【代表作品】文部省庁舎(大正12年9月焼失)、箱根離宮(大正12年取り壊し)など
◆ 6 渡辺 譲(わたなべ ゆずる)
明治13(1880)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】帝国ホテル(大正11年4月焼失)、海軍参考館(大正12年9月焼失)など
◆ 7 久留 正道(くる まさみち)
明治14(1881)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】旧帝国図書館(安藤忠雄により平成14年3月に国際子ども図書館となる)、第四高等中学校本館(現在の石川近代文学館)、旧第五高等中学校本館(現在の熊本大学資料館)など
◆ 8 小原 益知(おおはら ますとも)
明治14(1881)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】第二琵琶湖疏水のトンネル出口など
◆ 9 坂本 復経(さかもと またつね)
明治14(1881)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】鍋島邸(大正12年9月焼失)など



62.Re: 工部大学校造家学科の在学生・卒業生
名前:管理人(コンデール)    日付:2008/2/23(土) 9:17
 
◆ 10 河合 浩蔵(かわい こうぞう)
明治15(1882)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】神戸地方裁判所庁舎、小寺家厩舎など
◆ 11 鳥居 菊助(とりい きくすけ)
明治15(1882)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】記載なし
◆ 12 中村 達太郎(なかむら たつたろう)
明治15(1882)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】穂積邸(大正12年9月破損)、改良演芸館(現存せず)など
◆ 13 新家 孝正(にいのみ たかまさ)
明治15(1882)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】旧川崎銀行水戸支店、華族女学校(明治45年2月焼失)、逓信大臣官邸(現存せず)など
◆ 14 宮原 石松(みやはら いしまつ)
明治15(1882)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】記載なし
◆ 15 滝 大吉(たき だいきち)
明治16(1883)年に、工部大学校造家学科を卒業。
※滝 廉太郎(作曲家)の従兄
【代表作品】記載なし
◆ 16 船越 欽哉(ふなこし きんや)
明治16(1883)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】記載なし
◆ 17 森川 範一(もりかわ はんいち)
明治16(1883)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】旧舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫(現在の赤れんが博物館)の建設に、桜井小太郎らとともに関与。
◆ 18 吉井 茂則(よしい しげのり)
明治16(1883)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】旧京都郵便電信局(現在の中京郵便局)など
◆ 19 吉沢 友太郎(よしざわ ともたろう)
明治17(1884)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】記載なし
◆ 20 渡辺 五郎(わたなべ ごろう)
明治18(1885)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】記載なし
◆ 21 田中 豊輔(たなか とよすけ)
明治19(1886)年に、工部大学校造家学科を卒業。
【代表作品】記載なし
◆ 22 桜井 小太郎(さくらい こたろう)
コンドルの下で働いた後、明治21(1888)年に渡英し、ロンドン大学で学ぶ。明治21(1888)年に帰国し、海軍に入る。大正2年に三菱に入り、イギリス仕込みの腕を振るう。
【代表作品】丸ノ内ビルヂング(1999年取り壊し)、浜口雄幸別荘、聖嘉堂文庫など
◆ 23 妻木 頼黄(つまき よりなか)
工部大学校造家学科を中退して渡米。コーネル大学で建築学を修め、明治18年に帰国。東京府御用掛を経て、臨時建築局技師となり渡独。ドイツ流の建築実務を修得する。臨時建築局廃止とともに内務省に移る。やがて大蔵省に移り、官庁営繕の元締めとして明治建築界の巨頭となる。
【代表作品】東京府庁舎(現存せず)、日本赤十字社(昭和50年取り壊し)、丸三麦酒醸造工場(現在の半田赤レンガ建物)、横浜新港埠頭倉庫(現在の横浜赤レンガ倉庫)など
      

59.こんばんわ!mayumin 返信  引用 
名前:mayumin    日付:2008/2/17(日) 22:16
足尾銅山の産業遺産を評価していただきありがとうございます。大変心強く感じます。地道に足尾のファンは30年・40年前から延々と続いておりまして、多くのカメラマンが訪れています。廃墟スパイラルだったと記憶しますが、”廃墟”で検索してみてください。どなたかが足尾を公開しています。宇都野火薬庫につきましては、現在公開することが許されておりませんがそれ以外は、足尾歴史館でもガイドしております。足尾は全くあきらめてなんかおりません。今、少しづつですが、動いております。そとからの感じたことも参考にしながら、足尾らしく足尾をみなさんに知っていただきたいと思っておりますので、ご支援をよろしくお願いいたします。是非、歴史館においでくださいますよう、お待ちしております。



60.Re: こんばんわ!mayumin
名前:管理人(コンデール)    日付:2008/2/19(火) 22:19
mayumin様、こんばんは。

 廃墟デフレスパイラル( http://home.f01.itscom.net/spiral/ )の『廃No.17 朝霧につつまれて 足尾銅山 本山精錬所( http://home.f01.itscom.net/spiral/ashio/ashio01.html )』を拝見しました。
 画像の注釈に 「足尾は何も無いけれど いいところですよ。」おばあさんが言った言葉が心に残った という文章がありました。
 おばあさんは以前足尾に住んでおられた・・・とありますが、『何も無いけれど、いいところ』という言葉には、とても重みを感じました。

57.足尾の赤レンガ 返信  引用 
名前:mayumin    日付:2008/2/16(土) 10:40
はじめましてコンデール様
足尾歴史館のブログ担当のmayuminです。書き込みありがとうございました。ブログ上でお返事させていただきましたので、ご覧くださいませ。また、4月になりましたら歴史館が開館いたしますので、長井館長を訪ねてみてください。それから、4月の最終連休で通洞駅祭りを開催するので是非いらしてください。足尾はレンガが多いです。明治の建物です。掛水クラブの脇のレンガは書庫です。現在はテニスコートになっていますが、そこは古河鉱業所でした。大正8年の労働争議後あまりに立派な建物なので(掛水クラブと同じ建築家)足利市役所に買っていただき移築いたしました。その足利市役所も老築化し建替えられました。古いレンガでしたら街中の県道沿いに古河の動力所がありますよ。是非また、足尾へおいでくださいませ。産業遺産が点在しております。



58.Re: 足尾の赤レンガ
名前:管理人(コンデール)    日付:2008/2/16(土) 22:9
mayumin様、こんばんは。
当サイトへの早速の訪問、ありがとうございます。

 失礼ながら・・・足尾の街を歩くと、寂しさを感じます。
 しかし、掛水倶楽部・間藤水力発電所跡・古河橋・鉱山神社などなど・・・足尾ならではの施設が、たくさんあります。
 それらは過去の施設となってしまいましたが、足尾の街の繁栄ぶりを示す『見える文化』です。
 巨大な産業があったことを、目で確認することが出来ます。

 盛者必衰・・・いま現在、どんなに繁栄している都市でも、いつかは人口減少などがおこります。

 人口が減ってしまったからあきらめる・・・のではなく、人口が減ったからこそ出来る活動も、あると思います。雲をつかむようなことかもしれませんが、まずはあきらめないことだと思います。

 コンデールは足尾銅山を熟知している訳ではありませんが、日本の近代化に大きく貢献した、素晴らしい産業であったと思います。
 もちろん、その陰には『足尾鉱毒事件』などがつきまとってしまいますが・・・。

 足尾銅山・古河鉱業があったからこそ造られた施設は、足尾独自の文化だと思います。当サイトで各施設を紹介したり、インターネットで情報を公開するなどし、足尾の街の今後の発展にお役にたてればと思います。

54.赤レンガの建物・工作物 返信  引用 
名前:栃木県人 S    日付:2008/2/14(木) 17:51
数年前渡良瀬川沿いを遡り散策したことがありました。
足尾駅に辿りついて駅ホームの外れに、コンデールさんの表紙と同じような小さな赤レンガ造りの物置(?)ようのものを見ました。
また、直ぐ近くの「掛水倶楽部」の建物を見学してきました。良い建物ですね。
でも私はその隣に建つ「赤レンガ倉庫」の方がもっと目を奪われました。
わたらせ渓谷鉄道の駅舎や施設には赤レンガ造りが多いですね。
どれも文化財にしてもおかしくないですよね。



55.Re: 赤レンガの建物・工作物
名前:管理人(コンデール)    日付:2008/2/15(金) 21:47
栃木県人Sさん、こんばんは。
当サイトへようこそ。
掲示板への書き込みも、ありがとうございます。

◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 小さな赤レンガ造りの物置(?)ようのもの・・・についてですが、これは『危険品庫(きけんひんこ)』と呼ばれているものです。

 旧国鉄高崎鉄道管理局管内での電化は、10000形(後のEC40形)電気機関車が信越線に配置された明治45年5月11日から始まります。
 つまり、明治時代の鉄道には、電気がまだ普及していませんでした。
 そのため、鉄道施設の照明(駅の照明、列車の前照灯・後尾灯・室内灯、信号灯など)には、石油ランプが使われていました。
 その燃料を保管していたのが、危険品庫です。
 危険品庫は、駅本屋(←いわゆる駅舎)などへの延焼を防止するために、離れた場所に煉瓦などの不燃材で造られました。

 インターネトで調べてみたところ、『相老駅・神土駅』と『足尾駅』に現存します。大間々駅にもあったようですが、現在はありません。

◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 掛水倶楽部の隣に建つ「赤レンガ倉庫」は、『旧足尾本山鉱業所新事務所付属倉庫(書庫)』だと思います。
 インターネットの情報によると、明治43(1910)年に完成したようです。
 『現在もその役割を果たしている』という文章がありましたので、足尾銅山の貴重な資料があるのかもしれませんね。

◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 危険品庫も付属倉庫も、過去から受け継がれてきた貴重な『見える文化』ですね。
 使われていないから壊す・・・のではなく、それが今まで残されてきたからこそ出来る『文化の紹介』をしていきたいですね。


56.Re: 赤レンガの建物・工作物
名前:栃木県人 S    日付:2008/2/16(土) 9:28
コンデールさん
早速のご教示有難うございました。大変勉強になりました。
また、春になりましたならば、わたらせ渓谷鉄道沿線を散策してみようと思います。
また、分からないものがありましたならば教えてください。
ではまた。

42.大場医院 返信  引用 
名前:栃木市民 N    日付:2007/10/17(水) 10:28
コンデールさま おはようございます。
いつもHPを楽しく興味深く拝見させて頂いております。
コンデールさんは栃木県のことについて大変詳しく調べられておられるようですね。私の隣街栃木市の「栃木市役所別館」「JR栃木駅旧駅舎」をHP上に載せていただきありがとうございます。
ここでコンデールさんにお聞きしたいのですが、栃木市の大場医院(栃木市旭町15−14)の建物を時々眺めるのですが、栃木市役所別館と似ているような感じがしますが、建築年代とか文化財等の指定になっているかどうか分かりましたなら教えて下さい。



48.Re: 大場医院
名前:管理人(コンデール)    日付:2008/1/24(木) 22:17
 栃木市民Nさま、こんばんは。
 当サイトを御覧いただき、ありがとうございます。

 去年の10月からパソコンの調子が悪くなり、修復が無理になってしまいましたので、中古パソコンを購入しました。しばらくお返事ができませんでした事、深くお詫び致します。

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 ご質問の『大場医院』についてですが・・・恥ずかしながら、その建物の存在すら知りませんでした。
 早速、インターネットで大場医院の建物を拝見しました。

    参照画像:http://www2u.biglobe.ne.jp/~komichi/Home_page/kanto/tochigi.htm
    (下から2段目の左側)

【 外壁 】
下見板貼り(南京(イギリス)下見かドイツ下見かは判断できません)
※医学技術はドイツから取り入れており、そのような理由だからなのか、医院・病院建築の外壁は『ドイツ下見』である場合が多いです。

【 上げ下げ窓 】
詳細は分かりません。

【 出入り口 】
2ケ所あります
(A 画像左側の木の近くの、1階の三角形の屋根がある部分
 B 画像右下の車のとなりの、1階の白い部分)
※Aは、屋根の左右が3本1組の柱で支えられています。おそらく、建築当初からあった出入り口と思われます。
※Bは簡易的な屋根が細い柱で支えられています。建物の外壁はクリーム色なのに、こちらの出入り口は白色塗装となっており、おそらく後年になってから増設された出入り口と思われます。

 国・県・市の文化財指定・文化財登録は、されていないようです。

 医療施設の建物が掲載されているサイト( http://maskweb.jp/c_medical.html )の建物と比較してみたところ・・・『旧白崎医院( http://maskweb.jp/b_shirasakiclinic_1_0.html )』がよく似ていると思います。この医院は、大正8(1919)年の竣工。1階は外科医院として、2階は住居として使用されていた建物です。

 医療関係の建物は、明治時代には建物の真ん中に塔や破風(はふ)が設ける場合がほとんどでした(旧済生館、旧群馬県衛生所など)。中央部を強調するようなデザインであり、左右対称のデザインでした。当時の建物は、診察室や患者を収容するスペースなど、医療関係の部屋のみで構成されていたようです。
 しかし、日本各地で医院・病院建築が造られるようになると、『中央部を強調、左右対称』にはこだわらない建物が建てられるようになりました。明治末期以降のようです(栃木病院、影澤病院、中成堂歯科医院など)。また建物を構成する部屋も、医療関係のほか、居住スペースも設けられるようになったようです(旧白崎医院、旧近藤医院、旧黒羽根内科医院旧館など)。

  ア 栃木市役所別館(旧栃木町役場庁舎、大正10・1921年竣工)と似ている。
  イ 中央部が強調されておらず、左右対称のデザインではない。
  ウ 2階が居住スペースである可能性が高い。

『大場医院』の建物の特徴は ア〜ウ であることから、この建物は『明治末期〜大正中期』に建設されたものと思われます。


53.Re: 大場医院
名前:栃木市民 N    日付:2008/1/27(日) 10:9
コンデールさんお久しぶりです。
体調が宜しくないのかなと心配しておりましたが、「パソコンの病気」とのこと、安心しました。
大場医院の件、お忙しい中詳しく調査され教えて頂き有難うございました。今後とも宜しくお願いします。

ご自身の体調及びパソコンの体調を大切にしてご活躍を祈ります。


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