[ ホームページ ] [ 携帯用URL ]
談話室

[ EZBBS.NET | 新規作成 | ランキング | オプション ]
iモード&(絵文字)、au対応!ケータイからも返信できる無料掲示板!
名前
 E-mail 
題名
内容
投稿KEY    タグ有効 改行有効 等幅フォント
URL



6010.23日の基山 返信  引用 
名前:五十嵐    日付:2020/3/23(月) 22:31
快晴の基山、オキナグサ見ごろ。こぶし、フデリンドウ、キケマン、咲き始め、ショウジョウバカマも咲き始めですが次々に開花しています。青白色、ややピンク、黄色の花が見られます。



6011.Re: 23日の基山
名前:五十嵐    日付:2020/3/24(火) 10:54
20日に報告の盗掘のほかに柵内の踏み付け被害2か所、理由は不明だが花芽が折れているもの1か所。
写真撮影の際、足元の新芽を踏んで枯れたものが見られます。ロープの真下から中には踏み込まないでねー。
なお撮影は最大の囲い(A囲い)より水場コースの到達点(B囲い)のほうが便利で11株がありすぐ横に2株の(B2囲い)が株も大きく撮影向きですよー。

6009.オキナグサ盗掘あと 返信  引用 
名前:五十嵐    日付:2020/3/20(金) 9:52
盗掘2か所。今までは人目に付きにくいスキー場南端や山頂東斜面に盗掘あとが見られたのですがこの2か所はすでになくなってしまったので柵の中のオキナグサが狙われたようです。世の中には不心得な人がいるので一定の盗掘はやむをえないと思っていますが残念です。
ただうれしいことに以前柵の補修などをしていただいていた最初の影の協力者(のちに出会えました)の人が地元に帰ってきたそうでこの方久しぶりにと再会できました。捨てる神あれば拾う神ありの心境です。なお私が影の協力者と呼んでいる人はその後判明した人も含めて5名ほどおられるようです。なお原田コースの登山道の補修をされている方も2名おられます。
オキナグサはいよいよ最盛期近しですよー。

6008.3月13日の基山 返信  引用 
名前:五十嵐    日付:2020/3/13(金) 16:40
ヒメオドリコソウ1輪開花、ショウジョウバカマは自然歩道の柵囲い付近で2輪、林道で咲き始め、サツマイナモリそろそろ見ごろ、オキナグサ2輪開花他は数日で開花見込み。

6007.3月9日の基山 返信  引用 
名前:五十嵐    日付:2020/3/10(火) 11:42
オキナグサ2輪開花、ショウジョウバカマ3輪開花、サツマイナモリほぼ見ごろ

6006.3月9日の基 返信  引用 
名前:五十嵐    日付:2020/3/9(月) 21:17
おきなぐさ3月6日に1輪開花,9日しょうじょうばかま3輪開花。

6005.基山へ 返信  引用 
名前:五十嵐    日付:2020/3/5(木) 17:17
3月5日の基山。やや寒い。そして遠景は霞んで見えにくい。ショウジョウバカマが2輪開花。

6004.基山へ 返信  引用 
名前:五十嵐    日付:2020/2/26(水) 11:24
2月19,21,23,24日と基山へ。24日は自然歩道のショウジョウバカマ群落地の柵つくり。山頂のオキナグサはまだ芽が出ていませんが枯れた葉の下から新芽がのぞいていました。

6003.ロレックス スーパーコピー 口コミ fx 返信  引用 
名前:ロレックス スーパーコピー 口コミ fx    日付:2020/2/16(日) 4:21
ブランドコピー品激安通販店弊社スーパーコピー時計激安通販偽物販売ショップ!メンズ時計専門店をご覧頂き誠にありがとうございます。豊富な品数を備えているほか、スーパーコピーの最新入荷を追い求めその最新作品のコピー品を提供する一方スーパーコピー品の供給を保証することができます。超人気高級ウブロ・ロレックス・オメガ・フランクミュラー・カルティエ等提供してあげます!ブランド時計専門店はお客様がご安心に購入いただけるように最高ランクの『スーパーコピー』N級品のみを扱っており、取扱い販売をさせていただいております。海外スーパーコピーのスーパーコピー バッグ、アクセサリースーパーコピー時計、貴金属の(リサイクル品)のスーパーコピー販売・買取 ホームページ上でのご注文は24時間受け付けておりますロレックス スーパーコピー 口コミ fx https://www.ginza78.com/
https://www.ginza78.com/

6002.浮世絵展 福岡市美術館 返信  引用 
名前:五十嵐    日付:2020/2/15(土) 12:46
福岡市美術館で浮世絵展を楽しんできました。歌麿、写楽、北斎、広重、国芳の5人の名画がたくさん展示されています。それぞれの作者の一部ずつはかつて見たことがありますが今回は各人の名画がたくさん展示されています。歌麿の美人画、写楽のデフォルメされた役者絵、北斎の富士山、広重の53次、国芳の不思議な絵を堪能しました。私は北斎の構図の良さ、広重の鮮やかな色彩とバランスの良さが気に入りました。特にゴッホが模写したという広重の絵はやはりいいですねー。3月22日までとか。

6001.城山へ 返信  引用 
名前:五十嵐    日付:2020/2/8(土) 17:11
本日8日、基山の影の協力者Kさんと鳥栖市城山へ。鉄塔跡地のサクラツツジは花芽をたくさんつけています。花期が楽しみです。あとはシダに埋もれかかっていたサクラツツジの周囲の樹やシダを刈り取り作業をしました。

6000.台湾へ 返信  引用 
名前:五十嵐    日付:2020/1/20(月) 23:12
台湾小紀行、一応里帰り、その4


 いよいよ最終日の11日。最大の名所、故宮博物院へ。予想に反して写真撮影は構わないというので喜んでいたのはいいが今回のツアーではスマホだけしか持って行ってない。スマホが不慣れな私の撮影ではぶれたり人が邪魔したりと満足なものはない。やっぱり一眼レフにすればよかったと思っても後の祭り。撮影禁止と書かれていたスケジュール表をくやんでもどうしようもない。青銅器、屏風、翡翠やダイヤなどの宝石が無限に並んでいるがその芸術的価値は全く理解できない私にはガイドの徐さんが「何でも鑑定団」ふうに言われた金額でしか理解できない。それでも400億円などすごい金額に驚くが究極の「神品」といわれる「翠玉白菜」は緑に白に緑の混ざった翡翠の彫刻などはとても値段はつけられないという。もう一つの目玉展示物の「肉形石」は残念だが展示されていなかった。ゆっくり3時間ほど鑑賞時間があって大いに楽しめたがそれでも駆け足の鑑賞だった。集合時間前10分前になったときもう一度戻って「翠玉白菜」を拝んで故宮博物院を後にした。再び台湾を訪れることがあれば肉形石も見たいし1日かけでも故宮博物院の宝物を鑑賞したいものだ。
 台湾最後の食事を済ませてお買い物、何を買っていいのかわからないが徐さんの進めるデンブや店員さんに勧められたパリパリジャーキーは帰って生野菜のサラダ上に混ぜて食べると予想外においしかった。貧乏夫婦にとっては旅行の土産物に10万円を超える買い物
は初めての贅沢。明日からかゆでもすすって節約しないといけないなーと思う。
13時半に桃園空港に着く。徐さんは急いで選挙に駆け付けるという、何故なら台湾では不在者投票制度がなく締め切りは4時とのこと。徐さんは日本に帰ったらテレビで台湾の総選挙の結果を見てくださいと言って別れた。また徐さんは前日のバスの中で今回の選挙は国民党と民進党という構図より中国人と台湾人の戦いですと言っていたし香港の二の舞にはなりたくないとも控えめだが強く言い切った。結果は民進党蔡英文さんの圧倒的大勝利を我が家のテレビで確認した。おわり。

5999.台湾へ 返信  引用 
名前:五十嵐    日付:2020/1/20(月) 17:54
台湾小紀行、一応里帰り、その3


 3日目は台中市内の彩虹眷村という壁画の書かれた住居を訪れた。日本語では虹の村と呼ばれていて再開発で取り壊しの予定だった軍人用住居に住人の一人が鮮やかな絵を描き続けていたのが評判になりここだけは取り壊されずに残り、現在は隣接して公園やトイレも設置された台中市内の観光名所となったというのだ。作者は健在で幸いにもこの日は90歳を過ぎたその老画家にお会いできた。ややピカソの絵に似た鮮やかな壁画でこの壁画のおかげで再開発を免れたというのだ。私はこのことを聞いて桧原桜のことを思い出した。一片の短歌が伐採予定の桜を再開発から守った福岡の話だ。老画家や短歌の作者の情熱にも驚くが開発を変更して壁画を残した台中市の幹部と桜を残した福岡市の進籐市長が何やら重なって思えた。やはり芸術の力はすごいんだなーと思う。
 移動して日月潭へ向かう。途中、埔里という街を通る。私の母が両親(私の祖父母)や家族(叔父、叔母)がかつて住んでいたという街だ。ここから南西24キロの霧社という蛮人(タイヤル族)の住む地域に警察官として赴任した祖父が転勤して住んだのが埔里と聞いていた。祖父母家族が霧社事件という原住民の抗日蜂起事件が起こる直前に転勤で難を免れたが祖父の同僚や現地に住む家族の多くが殺された事件だ。この事件は霧社事件とよばれ事件を扱って世界的にヒットした「セデック・バレ」という映画を観られた人もいるかもしれない。福岡ではKBC会館で上映され私も鑑賞した。その事件の討伐軍に同行して現地に戻った祖父は決して討伐の話はしなかったそうだ。祖父の存命中に少しでも聞いておけばよかったなーと今にして思う。祖母はその事件ことをテープに残している。
 台湾有数のリゾート地、日月潭は標高764mの高地にありかつて日(太陽)湖と月湖が合体してできた台湾一の美しい湖でその一端に文武廟がある。台北へバスで移動、今日も300キロを超える移動距離だ。台北に戻ると忠烈祠の衛兵交代式を見学、ちょうど30分の交代式はきびきびとした動作、無言のうちに靴音と銃剣の音が響く厳粛な儀式だったしこの衛兵は身長180センチほどもあり台湾女性のあこがれの的という。台湾の徴兵制は以前は3年だが今は1年で夏休みなどの間に短期訓練が加算されるというがいまいよくわからなかった。次にお茶セミナーへ、ここは結局免税店でずらりと並んで待機した店員さんがそれぞれ分担してツアー客にくっついて離れてくれず買い物下手な我々夫婦には荷が重い。ガイドの徐さんに勧められていたプーアール茶、アップルマンゴーのドライフルーツ、パイナップルケーキで何とか店員さんの攻撃をかわした。
 いよいよ台湾最後の夜。509mの台北101ビルからの夜景を楽しむ。世界一のスピードを誇る(2015現在)エレベーターで89階の屋内展望台、91階の屋外展望台から台北の夜景を楽しんで9時過ぎにホテルに到着、今日も風呂を浴びるといつの間にか熟睡して台湾の最後の夜は終わってしまった。

5998.台湾へ 返信  引用 
名前:五十嵐    日付:2020/1/16(木) 23:40
台湾小紀行、一応里帰りその2


 2日目は台湾新幹線で一路南下して最南端の高雄へ。この新幹線はフランスが受注して工事を進めていたらしいがトラブルが多く契約を途中で破棄して途中から日本のJRに発注したという。したがって日本の新幹線に乗っている気分だが日本の新幹線より座席の間が広く足の長い私がトランクを足元においても十分余裕がある。電光掲示場も次の駅に近づくと案内表示されるだけ、たえずニュースが流れる日本の新幹線よりおとなしい。沿線の風景は次第にヤシに似た檳榔樹が見られる南国の雰囲気になり1時間半で終点高雄着。外は台北よりかなり暑い。
 バスで蓮池潭へ、広い蓮池のほとりに竜虎の像があり竜の口から入り虎の口に出るとお金がたまるという塔を抜ける。滞在わずかで台南の赤嵌楼へ移動。ここはオランダ人が身を守るために作った城跡で今も発掘中だった。またバスに乗る。今日は台北(新幹線)高雄(バス)台南(バス)台中と大移動、バスだけでも380キロ走るというので各地の滞在時間は短い。夕方、ふるさと台中に到着。立派なホテルで我々夫婦の部屋はダブルベッドが2セット、シングルベッドが1セット、ソファーベッドが一つ、それにキッチン付きの大きな部屋だった。夕食を終わらせ逢甲夜市散策に出かける。この屋台村は逢甲大学の学生さん相手に安くておいしいハーストフードを提供し始めたのが起源という。なんだか京都の湯豆腐が貧乏な学生のために始まったのとよく似ている。ガイドの徐さんに連れられて雑踏を歩く。徐さんはおすすめのタピオカの屋台とこしょう餅の店に連れて行ってくれた。いずれも食べてみるが夕食はすでに終わっていたのでもうお腹には何にも入らないし徐さんから離れるとホテルに帰れないのでみんなは金魚の糞のように徐さんついて回る。結局、屋台街の散策後半は各自で自由散策してもいいとのことだったが最後まで徐さんに連れて歩いてもらった。
 その後台中駅(旧駅舎)に行く。台中駅も東京駅の設計者、辰野金吾が設計者なので雰囲気がよく似ている。そんなことより父母と兄、私がここから旅立って日本に帰った駅なのだ。私は何にも覚えていないが若い夫婦が子供二人を連れてまだ落ち着き先も決まっていない不安な旅立ちだったはずだ。ガイドの徐さんに私の家族は台中市の木ノ下町(日本名の住所、今はこの地名はもちろん使われていない)に住んでいたというとそれならこの駅の付近のはずですよと教えてくれた。32歳の若い父と28歳の若い母が苦労して建てた家があったのがこの付近だったという。土地65坪、家35坪の小さな家はどうなっているだろうか。そんなことを考えながら立ち去りがたく駅前広場にぼーっとたたずんでいた。当時5歳だった兄はこの地を再び訪れてかつての旧居を確認したといっていた。広いと思っていた家の前の道が実際は狭い路地だったと言っていたがこの兄もすでに2年前に他界したので確認しようがない台湾小紀行、一応里帰りその2


 2日目は台湾新幹線で一路南下して最南端の高雄へ。この新幹線はフランスが受注して工事を進めていたらしいがトラブルが多く契約を途中で破棄して途中から日本のJRに発注したという。したがって日本の新幹線に乗っている気分だが日本の新幹線より座席の間が広く足の長い私がトランクを足元においても十分余裕がある。電光掲示場も次の駅に近づくと案内表示されるだけ、たえずニュースが流れる日本の新幹線よりおとなしい。沿線の風景は次第にヤシに似た檳榔樹が見られる南国の雰囲気になり1時間半で終点高雄着。外は台北よりかなり暑い。
 バスで蓮池潭へ、広い蓮池のほとりに竜虎の像があり竜の口から入り虎の口に出るとお金がたまるという塔を抜ける。滞在わずかで台南の赤嵌楼へ移動。ここはオランダ人が身を守るために作った城跡で今も発掘中だった。またバスに乗る。今日は台北(新幹線)高雄(バス)台南(バス)台中と大移動、バスだけでも380キロ走るというので各地の滞在時間は短い。夕方、ふるさと台中に到着。立派なホテルで我々夫婦の部屋はダブルベッドが2セット、シングルベッドが1セット、ソファーベッドが一つ、それにキッチン付きの大きな部屋だった。夕食を終わらせ逢甲夜市散策に出かける。この屋台村は逢甲大学の学生さん相手に安くておいしいハーストフードを提供し始めたのが起源という。なんだか京都の湯豆腐が貧乏な学生のために始まったのとよく似ている。ガイドの徐さんに連れられて雑踏を歩く。徐さんはおすすめのタピオカの屋台とこしょう餅の店に連れて行ってくれた。いずれも食べてみるが夕食はすでに終わっていたのでもうお腹には何にも入らないし徐さんから離れるとホテルに帰れないのでみんなは金魚の糞のように徐さんついて回る。結局、屋台街の散策後半は各自で自由散策してもいいとのことだったが最後まで徐さんに連れて歩いてもらった。
 その後台中駅(旧駅舎)に行く。台中駅も東京駅の設計者、辰野金吾が設計者なので雰囲気がよく似ている。そんなことより父母と兄、私がここから旅立って日本に帰った駅なのだ。私は何にも覚えていないが若い夫婦が子供二人を連れてまだ落ち着き先も決まっていない不安な旅立ちだったはずだ。ガイドの徐さんに私の家族は台中市の木ノ下町(日本名の住所、今はこの地名はもちろん使われていない)に住んでいたというとそれならこの駅の付近のはずですよと教えてくれた。32歳の若い父と28歳の若い母が苦労して建てた家があったのがこの付近だったという。土地65坪、家35坪の小さな家はどうなっているだろうか。そんなことを考えながら立ち去りがたく駅前広場にぼーっとたたずんでいた。当時5歳だった兄はこの地を再び訪れてかつての旧居を確認したといっていた。広いと思っていた家の前の道が実際は狭い路地だったと言っていたがこの兄もすでに2年前に他界したので確認しようがない

5997.台湾へ 返信  引用 
名前:五十嵐    日付:2020/1/15(水) 0:8
台湾小紀行、一応里帰り


 私は台湾台中市に生まれた。終戦によって昭和21年4月にすでに日本国ではない台湾から現在の日本の地、九州に着いた。父は32歳、母28歳、兄5歳と私が2歳の時である。2歳の私には当然台湾の記憶は全くない。父母にとっては子供時代、青春時代、新婚時代を過ごした地であり、当然私はかの地の地名、特に台中、彰化、草屯、霧社、埔里、日月潭などはよく耳にしていたし戦前の日本人に似た習俗、安くておいしい屋台の朝食の話、父母の台湾人の教え子たちの名前(台湾人の裕福で優秀な子供たちが日本人学校に一割ほどいたという)がよく両親の話題になっていた覚えている。そればかりか毎年達筆の年賀状が台湾の教え子からたくさん届いていた。昨年3月に101歳まで長命した母のもとに教え子の93歳の女性から年賀状が届いたのは昨年の正月だった。叔父、叔母(父母ともに年長のため伯父,伯母はいない)の話も楽しかった青春時代を過ごした台湾のことだった。そんな家庭環境の中で育った私にはいつかは行きたいと思っていた台湾。叔父、母の死によって介護の手間がなくなりそろそろ生まれ故郷に里帰りを願っていたのを妻に話すと妻も喜んでくれ,具体的に計画しようとした昨年12月初旬に台湾縦断のツアーの案内がありとにかく里帰りのつもりでツアーに申し込んだ。
 ツアー嫌いの私だが英語ならまだしも全く理解できない中国語の国なのでここは旅行社のツアーに頼るほかない。そんな3泊4日の台湾縦断の旅、ではなく旅行に夫婦で参加した。(自由度の高いのが旅、目的地も日程も厳格に決まっているのが旅行と独断で決めている。)
 朝9時前、福岡発のピーチ航空の直行便が台北桃園空港に着いたの8日のお昼頃、1時間遅れの時差だ。入国審査は待ち時間もほとんどなくゲートを出ると現地ガイドの徐啓祥さんの出迎えを受け、昼食用の400元を受け取りサブウエイのサンドイッチを頬張る。福岡からの参加者は23人、ゆったりと大型バスで最初の目的地中正記念堂へ。ここは台湾三大名所といわれ初代総統蒋介石の巨大な顕彰施設。ガイドの徐さんは60歳の小柄な男性でとにかく歴史に詳しく台湾の歴史だけでなく中国やわれわれ日本人もよく知らない日本の歴史までを含む名解説に一同感激する。次に十份という山間の集落の線路の上で1メートルほどの小型バルーンに似た天燈に願い事を書き込んで中に火をつけ浮力のついた天燈飛ばしを楽しむ。続いて九份へ。ここは宮崎駿監督の千と千尋の神隠しの舞台の地だという。遠くにキールン港を望みランタンの飾られた坂道の路地には果物、ジュース、スイーツなどの小店が続き若者たちがスマホで自撮りしながらあふれている。ここのレストランで夕食、もちろん中華料理。夜10時前に桃園のホテルに着き台湾第一目が終わった。朝が早かった(4時半起床)のですぐに寝てしまって台湾最初の夜のことは何にも覚えていない。妻も同じことを言う。


ページ: 1 2 3 4 5 6 7 

無料アクセス解析

アクセス解析の決定版!無料レンタルで最大100ページ解析!

   投稿KEY
   パスワード

EZBBS.NET produced by InsideWeb